『わたしたちは砂粒に還る』 今福龍太



ここにいちはやく、新たに想像された碧い海底、沙漠、太陽、雲、

そして冷厳たる氷の海へと還ろうとした者たちがいる。( 中略 )

私もまた、そのような者たちの動きにささやかに連なるために、

この本を編んだ。

『わたしたちは砂粒に還る』 今福龍太


2015年に立て続けに今福龍太の著作が刊行された。

『ジェロニモたちの方舟――群島‐世界論〈叛アメリカ〉篇』

『わたしたちは難破者である』

『わたしたちは砂粒に還る』

である。


その一冊『わたしたちは砂粒に還る』を近くの書店で見つけ購入し、貪るように読んだ。

『ジェロニモたちの方舟――群島‐世界論〈叛アメリカ〉篇』と、

『わたしたちは難破者である』は、その書店に置いてなかったので、まだ未読。


ぼくが初めて今福龍太氏の本を読んだのは、『クレオール主義』だった。

当時はラテンアメリカに興味があり、色々調べているうちに今福氏の著作に引き寄せられた。

その後は、『薄墨色の文法――物質言語の修辞学』や『書物変身譚』を読んで、

一気にファンになった。


大著『群島‐世界論』もあるが、こちらも未読。いずれ読みたい。


今福氏は文章が上手く、独特な表現が読んでいて心地よく、声に出して読みたくなるほど。


攻撃的で論理的で説明的な言葉の支配から完全に自由でいることはもはやいかなる人間にもできない。

若者たちは沈黙を消極的な態度として否定され、寡黙であることをなじられ、

自己主張と説明責任を厳しく強いる競争的な社会で孤立し、疎外される。

その言語的疎外は、彼らの自閉的な言葉の寂しい自己主張によって、

さらに増長されてしまう。意味と絆を求めて、言葉が絶望的に生産され、無益にされ、

その残骸がデジタル信号の廃墟にうずたかく堆積する。

だが意味の充満も、希望も、そしておそらくは真の絆も、沈黙の側にある。

沈黙に退却することがけっして自閉でも疎外でもないことをインディオの音響的世界は私たちに教える。…

『薄墨色の文法』 今福龍太


万物は沈黙している。騒がしいのは人間の側。

現代人はもっと孤独や沈黙に寄り添うべきなのかもしれない。


『わたしたちは砂粒に還る』は、自然に還ろうとした者たちが今福氏の瑞々しい文体で書かれている。

ジャック・マイヨール、フェルナンド・ペソア、ヒューストン・A・ベイカーJr、

岡本太郎、磯江毅、ル・クレジオ、寺山修司、松岡心平、多木浩二、ゴーギャン

など多彩な顔ぶれ。


最近では『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』を出版されているし、

『今福龍太コレクション《パルティータ》(全五巻)』も水声社から刊行されている。

こちらも楽しみ。


書物を還すための砂漠に赴くこと。書物が、原初的な書物として甦る場所へ。

みずみずしい生命とともに、書物が新たに語りだす場所へ。

生と死が折り畳まれた母胎へ。

読書とはつねに、このマトリックスとしての砂漠を求める人類の衝動にほかならなかった。

『わたしたちは砂粒に還る』 今福龍太

いつか生命は灰となって砂粒に還る。

わたしたちは砂粒に還る。

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今福 龍太 河出書房新社 2015-10-23