月を愛でる、恐れる。 / 『ルナティックス』 松岡正剛など。



秋の夕方の月はビックリするぐらい大きい。

月は自分に寄り添ってくれる感じがして、幼い頃から好きだ。太陽は眩しすぎる。

それに月は美味しそうだ。月見バーガーだ。

色々な制度や慣習に縛られ、時間に追われて過ごしている現代人が、

青く、赤く、黄色く輝く月を眺めると、宇宙の中のほんの小さな一部なのだと、

ふと気が付き、和む時もあるし、恐れも抱く。

ぼくには、標高3000m以上あるペルーのクスコから眺めた月より、

銀座のビルの合間からちらっと見える月の方が風情があった。


月は自分が見ていない人々を慰めるし、どんな目が自分を見上げているかも知らない。 

ジョン・キーツ


月 悲しめり。 

ステファヌ・マラルメ


夜空の月よりもむしろ、わたしは詩のなかの月のほうが思い出しやすい。 

ホルへ・ルイス・ボルヘス
           

秋の夜の 空に出づてふ 名のみして 影ほのかなる 夕月夜かな 

西行


月かげを こおりの上に はしらせて 沈みにしづむ 夜はの川音 

橘曙覧


珍しと我影さへや窓の月    

上嶋鬼貫


誰やらが身を泣きしちや秋の月 

井上井月


名月や無筆なれども酒は呑む  

夏目漱石


湯上りの庭下駄軽し夏の月   

芥川龍之介


月の重要性は、地球との距離の近さよりも、

人間の想像力が向けられる中心的存在だということにある。

月の相貌は、賛美、悲しみ、喜び、あこがれ、場合によっては恐れといった感情を喚起する。

『月: 人との豊かなかかわりの歴史』 ベアント ブルンナー


古代神話では、月はその変わることのない変化のパターンゆえに、

永遠と時間の両方のイメージを担っている。

『図説 月の文化史 (上) 神話・伝説・イメージ』 ジュールズ・キャシュフォード


古代につくられた月の象徴やイメージは、今も生き長らえている。

ユダヤ暦は月の周期にもとづいて定められているし、

イスラム教の聖なる月「ラマダン」は新月の夜に始まる。

天の女王としての聖母マリアは三日月の上に立つ姿で描写され、

月と同じく彼女の息子である太陽の光を反射している。

『月の歩きかた』 マイケル・カーロヴィッツ


月の正体は、地球の四分の一ほどの大きさ、八十一分の一ほどの重量、

六分の一の重力しかない天体。

自転軸を中心におよそ二十八日ごとに一回転する。地球に比べればかなり遅い。

月と地球の位置も変化してきている。


コンピュータによるモデルでは、二億年前の月は、

地球から三万八六〇〇キロメートル余りの距離にあり、一日に三.七回、地球の周りを公転し、

現状の一〇〇〇倍も高い満ち塩を引き起こしていたという。

今日では地球からの距離は三八万二〇〇〇キロメートル余り、

地球の直径の三〇倍相当になっていて、エネルギーを失い、速度が落ち、

軌道が年に三.八センチメートルほどずつ(二千年で七七六キロメートル)

ふくらんで、しだいに私たちから遠のきつつある。

潮の干満は月と地球双方にとって自転のスピードを抑えるブレーキの役目を果たしている。

『月: 人との豊かなかかわりの歴史』 ベアント ブルンナー


相思相愛ではないが、付かず離れずの関係だ。

現在でも一年に三センチから四センチ地球から遠ざかっている。

誰もが考えるかと思うが、月がなくなったら、地球はどうなるのか。


地球の傾きを固定することによって、月は地軸が季節ごとに不安定になるのを防いでいる。

もし地軸が大きくずれていたら、地上の生命の進化はまったくちがうものになっていたかも

しれないのだ。

『月: 人との豊かなかかわりの歴史』 ベアント ブルンナー
  

月面では、ちょっと体を動かすだけで一メートルほど移動する。


そして、古代から現代までの月と文明との関係が面白い。


<月牛アピスと月女イシス>

ヨーロッパ全土の月の神話はエジプトの月の牡牛アピスに始まる。

そこにオシリスとイシスをめぐる復活と再生の物語が月の満ち欠けのごとく絡まった。


<月を狩る三重月女神ディアーナ>

ディアーナ(ダイアナ)こそ古代母系社会のシンボルである。

多乳多産の狩猟神であるとともに、あらゆる「夢」の母体でもあった。


<チャイニーズ・イシス>

古代中国には太陽的な東王父に対して、つねに月的な西王母が君臨していた。

その一方で、月の夜の精気を呼吸して瞑想に耽る阿羅漢幻想が跋扈した。


<瞑想する月光の中の菩薩>

インドに発して中国に育まれた密教は月の光輝を好んだ。月輪観である。

月光に向かって瞑想し、そこに菩薩の反映を感得するのが修行だった。


<満月に月兎>

月の歴をはじめ、世界にはいまなお夥しい月の民俗や習俗が脈々と生きている。

月に凄む蟋蟀や兎や桂男の物語は、精水の保管所としてのイメージを伝える。


<ヴィシュヌの月>

インドでは太陽神ミトラ天空神ヴァルナが月を代表する一方、

サラスヴァティ(弁財天)をはじめ数々の神々が月の霊妙な知と重なった。


<書き換えられた月の創世記>

キリスト教は古代の母系月神型の物語の多くを、父系型のファミリーに

書き換えるために異常な努力を注いだ。が、そこには裏があった。


<月世界構想の失敗>

エリザベス朝は月光領域を王国として地上に実現しようとしていた。

しかし、多くの月世界幻想は「月の万有引力」の登場で変化する。


<アラビアン・ナイトの月>

イスラムの月はアラブ世界の月神信仰をアラーを中心に組みなおしたものである。

女神アラートがアラーとなり、三日月神ファーティマが娘に付け加えられた。


<ブレイクとドレ―物語の中の月>

ウィリアム・ブレイクがエリザベス朝の月世界幻想を古典に戻そうと試みた。

ギュスターヴ・ドレはその古典の月を物語の中に戻そうとした。


<真夜中に何かがおこる>

月には予兆力があると信じられてきた。また夢告力があるとも信じられてきた。

アンデルセンやラフォルグは、偶然の出来事はたいてい月夜の晩におこることを告げる。


<カフェが開いたとたん月が昇った>

電気が二十世紀の都市の夜を飾るようになると、月光は街灯の光と競って、

新たな力動的な都会感覚の路上に降り始めることになる。未来派の月だった。


<ジョージア・オキーフの月>

アメリカの月はミシシッピの河から生まれてヘミングウェイの月となり、

ついでSFの月となって宇宙に飛ぶと、一転してマンハッタンに落ちてきた。

『ルナティックス (遊月図集Ⅰ)』 松岡正剛


もともと英語の moon という言葉はラテン語の mensis から派生し、

古英語時代の mona を経てチョーサーの時代に moone となり、

シェイクスピア以降にやっと moon に定着した言葉である。

その mensis から menses (月経) が出ている。

『ルナティックス (遊月図集Ⅰ)』 松岡正剛


月、それは愛おしい存在であると同時に、畏怖の念を抱くもの。

たまには月を相手にするのも悪くはないかな。


月は 誰にも言はなんだ 

竹久夢二

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ベアント ブルンナー 白水社 2012-11-23
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マイケル・カーロヴィッツ 二見書房 2008-06-02