新しい言葉を生み出すことが重要なのかもしれない / 『民藝四十年』柳宗悦



大正十五年に濱田庄司や河井寛次郎などと「民藝」という新しい言葉をつくり、

精力的に活動した柳宗悦。

今では、この言葉は一般にも定着し、主に、お土産品などを指す言葉として受け入れられて

いるが、近代に生んだ「民藝」という新しい言葉を、柳は次のように定義している。

「民衆の民と工藝の藝とを取って、この字を拵えたのです」

「民藝には二つの性質が数えられます。第一は実用品である事、第二は普通品である事」

「自然なもの、素直なもの…誠実な民衆的工藝、これがその面目です。その美の用途への

誠から湧いて来るのです。吾々はそれを健康の美、無事の美と呼んでいいでしょう」

民衆が身のまわりで使っている下手ものの日用品(手仕事)にも美は宿る、と初めて指摘したの

が柳宗悦。定義はしているが、言葉に囚われすぎるのもいけない、とも言っている。

(左) 濱田庄司 (中) 柳宗悦 (右) 河井寛次郎

手仕事から機械生産へ変動する時代状況のなか、柳らは国内外の各地に足繁く通い、

名も無き民衆が、美しい物を作ろうという意識を持たずに作った物に美は宿る、

と柳たちは「眼」で捉えた。

それを「無心の美」「雑器の美」「用の美」「工藝の美」「自在の美」「不二の美」

などとも呼び、「奢る風情もなく、華やかな化粧もない」素朴なもので、

「風土と素材と製作と、これらのものは離れてはならぬ」としている。

「利」だけを求める今のお土産品と、柳らが掲げた「民藝」の違いはそこにある。

柳宗悦 (やなぎ むねよし) 1889~1961

柳宗悦は明治二十二年(一八八九)東京で生まれた。

父の楢悦(ならよし)は海軍少将で、和歌もたしなみ、美食家でもあった。

宗悦は学習院中等科から高等科に進み、同級生の郡虎彦(こおりとらひこ)と回覧雑誌

『桃園』を発行する。

明治四十三年(一九一〇)に上級生の志賀直哉や武者小路実篤などと、回覧雑誌をまとめた新し

い文芸雑誌を作る気運が生まれ、『白樺』を創刊する。

芥川龍之介は「文壇の天窓をあけたようだ」と評し、竹久夢二や岸田劉生、村上華岳といった

芸術家たちにも影響を与えた文芸雑誌。

『白樺』のなかで柳は、論文のほかに、ビアズレー、シンプソン、ロダン、ルノアール、

ウーデ、フォーゲラーなどの近代芸術家の紹介や、ホイットマンの『草の葉』の翻訳も

行っている。

東京帝国大学を卒業すると、柳は宗教学者としてスタートさせ、バーナード・リーチの影響も

あり、ウィリアム・ブレイクの世界に心酔する。日本で初めてブレイクに関する著作も書いて

いる。

結婚して東京から離れ、我孫子に住んでいた頃に、朝鮮から帰ってきた友人が、手みあげとし

て李朝の染付の壺を持って柳のもとを訪ねた。

それを見た柳は、朝鮮工藝の美に感動し引き寄せられ、自身も朝鮮に渡り、数々の工芸品に

出会う。

朝鮮で蒐集した一部

本書のなかに、その時の心境を綴った『朝鮮の友に贈る書』(一九二〇)、『失われんとする一

朝鮮建築のために』(一九二二)が収録されている。

それまでに培ってきたものもあるが、朝鮮との出会いが、柳を工藝・民藝へと本格的に向かわ

せたと感じる。

大正十三年(一九二四)に、前年に起きた関東大震災で被災し、家族を連れて京都へ転居する。

この時に浜田庄司を仲介にして河井寛次郎と出会ったみたいだ。

その後は、江戸時代の諸国遊行の僧木喰上人の仏像を訪ね歩く旅に出て、その途中で自分たち

の求めいている美について語り合い、従来の言葉ではそれを表すことができないので、冒頭で

紹介した「民藝」という新しい言葉を、濱田や河井などと生み出す。

その新しい見方は、大正五年(一九二六)に『日本民藝美術館設立趣意書』として発表された。

本書には、『木喰上人発見の縁起』(一九二五)や、『工藝の協団に関する一提案』(一九二七)

なども収録されていて、当時の柳らの意気込みが窺える。

そして、バーナード・リーチ、富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎を中心として、

そこに棟方志功などが加わり、新しい美の運動を展開していく。

昭和三年(一九二八)には上野でひらかれた博覧会に、「民藝館」を出品し、自ら一軒の民家や

インテリアを設計して、一つのスタイルとして提案、展示する。

これは後に大阪に移され、三国荘と呼ばれている。

昭和六年(一九三一)には民藝思想の普及を目指し、雑誌『工藝』を創刊させる。

雑誌は初め『民藝』と題していたが、青山二郎等の意見で『工藝』に変更された。

柳の甥である石丸重治も編集事務に係わっている。

昭和十一年(一九三六)には蒐集した民藝品が厖大になり、収容や展示する場所が必要として、

倉敷の実業家大原孫三郎の支援もあり、東京駒場に日本民藝館を創設する。

柳らが日本各地で蒐集した民藝品の一部

その民藝館の向かい側に柳らは住まいを建て、公私混同の生活を送る。

別冊太陽『柳宗悦の世界』のなかで、熊倉功夫(国立民族学博物館名誉教授)は、

「こうしたはっきりしたメッセージをもった美術館は日本に少ない。

世界的にみても非常にすぐれた美術館の思想をここには見出すことができる」

と述べている。

戦後になると、世間では民藝ブームがおこり、柳の主張とは無関係な民藝品がたくさん登場す

る。そんな中、柳は仏教美学から「民藝」を捉えようとしていく。

それは『南無阿弥陀仏』や『美の法門』で窺い知ることができる。

「仏教美学の理念として無上の美と見做されるものは、烈しいものではなくして穏やかなも

の、騒がしいものではなくして静かなもの、異常なものではなくして尋常なもの、

特殊なものではなくして正当なもの、争うものではなくして素直なもの、

これを一言で尽くせば『平常美』であって、異常美ではない。

平常美をまた『無上美』と呼んでもよい」(美の法門)

「『不二の美』は、

醜でもなく、美でもないものです。

美と醜とがまだ分かれない前のものです。

美と醜とが互いの即してしまうものです。

反面に醜のない、美をそれ自らのものです」(美の法門)

昭和三六年(一九六一)五月三日に柳は七二歳で没した。

学習院高等科で英語の先生と生徒の関係、仏教哲学の師弟関係でもあった鈴木大拙が弔辞を

述べた。

「年よりが長生きして、若いものに先立たれると、又特殊の寂しさを覚える。…

大きな思想家、大きな愛で包まれている人…

このような人格は、普通に死んだと云っても実は死んで居ないと、

自分はいつも今日のような場合に感ずるのである」

所々省いたが、民藝以前、以後の活動は上述の通りであろう。

柳の自伝や評伝などにも、何冊か目を通したが、やはり本人が直接筆をとって残した言葉のほ

うが胸に沁みるし(柳に限らず)、思想家としての柳宗悦にも出会える。

柳は「眼」の人でもあったが、「文」の人でもあり、晩年に撮られた書斎の写真を見たことが

あるが、本棚の上下左右に本がびっしりと収納されていて、その威圧感に圧倒された。


厖大な書物に囲まれている柳

本書は、その柳が辿った民藝の道がコンパクトにまとめられているので、

柳宗悦や民藝というものが、どういったものだったのかを把握しやすい。

上述にちらっと紹介した他に『琉球の富』、『手仕事の国』、『利休と私』、『蒐集の弁』、

『日本の眼』などが収録されている。

ぼくはこの本を携えて、沖縄行きの飛行機の中で『琉球の富』を熟読した経験がある。

柳の沖縄に対してのアプローチの仕方や洞察の深さに惚れ、

「万葉の時代が今も琉球には現存しているのです」(琉球の富)

と、折口信夫と同じ見方で綴じられているのに脱帽した。

柳らが沖縄で蒐集したもの (戦災を免れた貴重なものとなっている)

『日本の眼』なども、

「日本はもう『日本の眼』に確信を持ち、それを世界に輝かすべきだと思われる」として、

「西洋の眼」は「ギリシャの眼」を源にし、「偶数の眼」であり、「完全の美」である。

これに対して「日本の眼」は「奇数の美」であり、「不完全の美」であると、

茶の湯を織り交ぜながら論を展開しているのは、今でも参考になる。

しまいには、印度の「智」、支那の「行」、日本の「眼」は東洋の三大輝きである。

印度人は思索にたけ、支那人は実行に優れ、日本人は鑑賞にたける。

と、江戸時代の仏教学者・富永仲基が暗示した、

インド人は「幻」、中国人は「文」、日本人は「絞」を意識しているのかは知らないが、

新しく見立てたのが面白い。

柳が興した民藝運動に対して、

「柳さんの書かれた手紙の字、すなわち、その書というものは、遺憾ながら私の見たところに

よると、いわゆる氏の理想とされる民芸の感覚からは遠く離れたものである…

民芸の美はなんといっても無邪気で、素直であるというところにある。

有心の影を宿してはいけない。作意の濁りがあってはならない……」

などと、北大路魯山人から批判され、その他にも周りから揶揄されたとも思うが、

それに屈しないで最後まで「民藝」という新しい言葉・思想を掲げ、駆け抜けた柳宗悦は、

現代人が見習うべき、偉大な創造者でもある。

柳のように言葉を新しく作ってみるのも面白いのではないかと、個人的には思う。

吾々はもっと日本を見直さねばなりません。

それも具体的な形のあるものを通して、日本の姿を見守らねばなりません。

そうしてこのことはやがて吾々に正しい自信を呼び醒まさせてくれるでありましょう。

ただ一つここで注意したいのは、吾々が固有のものを尊ぶということは、

他の国のものを謗(そし)るとか侮るとかいう意味が伴ってはなりません。

『手仕事の日本』柳宗悦



1936年に開設された日本民藝館 (1999年に国の有形文化財に登録された)

そろそろ「眼」を鍛えに駒場の日本民藝館に遊びに行こうかな。

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柳宗悦 岩波書店 2009年12月
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柳宗悦/水尾比呂志 岩波書店 1995年11月
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藤森武/日本民芸館 世界文化社 2008年06月
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尾久彰三 世界文化社 2010年05月