弱点を背負い込み昇華させた北大路魯山人



魯山人から学べる事がたくさんあると思っている。

周りからは、孤独だったと言われることが多いが、

自身は孤独だとは思っていなかったのではないかと思う。

己の内なる声を聞いて正直に生きた人だった。

自然を愛し自然に愛された人でもあった。

北大路魯山人 (1883~1959)

表面ばかりが美しいデザイン、これは今至るところに何かにつけて流行しておりますが、

かような流行には眼もくれないで、ひたすら内容の美しさを主体にしたいと思います。

『魯山人陶説』 北大路魯山人

生意気なことを言うかもしれないが、今の日本にここまで言い切れる人は、

いったい何人いるのか、と思う。

ある時、魯山人は白洲正子にしんみりと、自身の生い立ちを語ったことがある。

― 自分ほどみじめな生い立ちをしたものはない。

文字どおり、藁の上に産み捨てられ、お七夜の晩には、母親の懐に抱かれ、

京都から雪の比良の嶺を越えて、田舎の養家へ貰われて行った。

だから親の顔も知らないのだが、その後転々と、七、八軒もたらい回しにされたあげく、

七つの時には、京都の市内にある木版屋に、丁稚奉公に出されていた。

その頃の生活は、貧乏なんてものじゃない、

どの家に貰われても、飯もろくに食べさせて貰えず、

どこでもここでも、邪魔者扱いにされるばかりだった。

『ものを創る』 白洲正子

人間の弱点という弱点をしょいこみ、かたわら美しい作品を生んだ魯山人は、

やはり私にとってほっとけない人物でした。

『ものを創る』 白洲正子

ちなみに、白洲正子は青山次郎に連れられて魯山人に会っている。

そんな青山次郎は次のように書いている。

魯山人のような特殊な変り種を、何の努力もなしに普通の眼で理解することは難しい。

それは偏見のない好奇心の強い人間が、魯山人との或る関係でしか理解出来ない、

何事かである。地上最悪のサーカスである。

『鎌倉文士骨董奇譚』 青山次郎

孤独な幼少期を過ごした魯山人は、

明治38年(1905)に京橋南鞘町に住む町書家岡本可亭に師事し、

住み込みの内弟子となる。

可亭は漫画家岡本一平の父で、洋画家の岡本太郎の祖父。

岡本太郎とは戦後に、独創的な茶会をしていたのを、何かの美術雑誌で読んだ覚えがある。

気難しいそうな魯山人が、とても楽しそうに写真に写っていたのが印象的だった。

科学の進歩や工業の発達においては彼らが秀れていた。

しかし、それは日本が鎖国という特別の事情が存在していたからであって、

一度彼らと文通するや、たちまちにして世界の知識を学びとり、科学であれ、産業であれ、

すべての文化において彼らを凌駕して一歩も引けを取らない。

それはなぜであるか。

私は地球上日本が、優れた自然天恵を享けて成り立っているからだと思う。

そして、このような地理的に秀れた環境のもとに、日本人が育てられ、

民族としての優秀な素質を培われたにほかならぬと考えざるを得ないのである。

『 魯山人味道 』 北大路魯山人

魯山人の芸術の特長は、その素人的な所にあったと思います。

素人というと、誤解を招くおそれがありますが、技巧におぼれず、

物のはじめの姿というものを、大づかみにとらえていた。

物を見る(うぶな)眼と、職人の(熟練した)手というものは、

中々両立しないものですが、その両方を兼ねそなえていたといえましょう。

焼き物がそうでした。庭作りがそうでした。鑑賞眼もその中に入ります。

『ものを創る』 白洲正子

書画、篆刻、陶芸、美食、を通して日本を語った魯山人から学ぶことがたくさんあると感じて

いる。

漫画やアニメやカラオケやゲームを誇っているでけでは、軽薄で駄目だなとも思っている。

なので、もっと見識を深めたい。

弱点をしょいこんだ魯山人のように。美は儚い物や弱くて小さい物に宿る。

日本はそれが得意だったはず。けれど今は失っているのかもしれない。

日本の花は深い美を蔵し、含蓄ある深味をもっているので、

これを模造することは容易でないわけだ。

(中略)

日本が元来、そういう恵まれた国柄であり、

従って、内容的に美において根本からすぐれている。

アメリカの杉がいかに太く高かろうとも、

また、その木目が揃っていて、ちょっと見にいかばかり美しかろうとも、

日本の杉の有するよさには較ぶべくもない。

すべてがそれであり、その源泉は日本に恵まれた自然の影響ということになる。

これ私が前々から感じている日本讃美の由って来るところであるが、

近来流行の日本自慢はよくこの自覚に立っているかどうか。

今流行の日本主義はともかくとして、幸いにその気運が昂揚されている折柄でもあるから、

この機を逸せず日本の真髄をしかと摑み、

真に日本の特徴、美点についての自覚を高め得れば、まことに結構である。

切にそれを望んで止まぬ。

『 魯山人味道 』 北大路魯山人

白洲正子が魯山人を、

『技巧におぼれず、物のはじめの姿というものを、大づかみにとらえていた』

と評したのが、ピタリと当て嵌まるから凄い。

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北大路 魯山人 中央公論社 1995-06-18
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北大路 魯山人 中央公論社 1992-05-01
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白洲 正子 新潮社 2013-10-28