『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』 今福龍太



ソローの提示する静寂の前に、恐れをなして逃げだすか、

見てみぬふりをするか、のどちらかを現代人は選択するのかもしれない。

ぼくも二十代前半から、ソローの『森の生活』を手に取ってはいるが、

その静寂に耐えられず、本を開いては途中で閉じをずっと繰り返していた。

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(一八一七~一八六二)。

十九世紀のアメリカ東部マサチューセッツ州の小邑コンコードに生まれ、

四五年に満たない生涯をそこで終えた孤高の著述家。

『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太

先住民によってマスケタキッド(草の平原)と名づけられ、

最古のイギリス清教徒の入植地の一つとなったソローの故郷コンコードは、

ソローが生きた一九世紀半ば二二〇〇人ほどの住民がいるだけの小村といっていい

集落だった。

『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太

生前に本を二冊出版したが、それほど売れることも評判になることもなく、

死んだ時点で作家ソローの名を知っている人はごく身近な場所に限られた。

『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太

アメリカ合衆国という新興国家が、

西部開拓の理念に突き動かされてフロンティア征服に邁進し、

インディアンを軍事的に平定し、

さらにメキシコ領土を西へ、南へとひたすら拡張しようとしていたこの時代に、

ソローの精神的不動と内的沈潜はきわめて例外的に映る。

『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太

今福龍太氏の独特の瑞々しい文体で、

忘れ去られたヘンリー・ソローを現代人の前に甦らせている。

鳥の視線にも比せられる木登りの視線。

ソローはそれをエアリアルaerialな知、とも言い換える。

『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太

「歩くこと」。

それはすなわち人類の歴史における思考の軌跡のなかで、

ある一つの道を選び取ることを意味する。

そしてソローにとって、それは「知識」への道ではなく、

「知性」への道につながっていた。

ソローの多くの文章のなかで、

意識的に、「知識」knowledgeと「知性」inteligenceという

二つの語を峻別して使用している。

そしていうまでもなく、ソローにとって重要なのは、「知性」のほうであった。

『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太

ソローは、

この実利的で「役に立つ」知識と言われるものの化けの皮をはがそうとする。

『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太

野生の学舎とは、

山の学舎であり、霧の学舎であり、霧の見えない谷底の大学を山頂で想像しながら、

ソローは教室から飛び出して、山の陰翳のなかで野生の気配とともに

学び直す可能性を信じようとする。

『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太

ソローは人間が耕作されない土地、

すなわち文化にとっての夜を待つことの大切さを強調した。

『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太

太陽が沈むと砂は流れなくなるが、翌朝、小川はふたたび動きはじめ、

枝分かれをくりかえしながら無数にふえてゆく。

ひょっとすると、血管がつくられるときの様子はこんなふうかもしれない。

『森の生活』ヘンリー・ソロー

ソローの著作を読むことは、知性の森を逍遥しながら、

この清冽で慎ましい水を飲むことに等しい。

『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太

その知性の森の清冽な水を飲みに行こうと、再び思わせてくれた今福氏に感謝。

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今福 龍太 みすず書房 2016-07-16