竹久夢二のように人情の哀音を聞きたい



社会主義やキリスト教の影響などと一緒に語られること多いが、

ぼくは夢二の奥にある「日本」に惹かれ、注目している。

マンドリンを持つ竹久夢二

少年が、憧れている世界は、「真」でも「善」でもない、ただ「美」くしければ好いのだ。

世の忠臣孝子が、楠正成や二宮尊徳の美談を熟読している時に。

僕は、淡暗い蔵の二階で、白縫物語や枕草子に耽って、

平安朝のみやびやかな宮廷生活や、春の夜の夢のような、

江戸時代の幸福な青年少女を夢みていた。

『(夢二画集 夏の巻)序文より 竹久夢二詩画集』

夢二は、明治17(1884)年9月16日、岡山県邑久郡本庄村に、

父菊蔵、母也須能の次男として生まれる。本名・茂次郎(もじろう)。

兄は前年に夭折している。

邑久は、面浄瑠璃や人形浄瑠璃、村芝居など伝統芸能を好む土地柄で、

祖父や父も、みずから三味線を弾き、浄瑠璃を語っていた。

幼い夢二も浄瑠璃を習わされて育った。

そんな環境で生まれ育った夢二は、

後年、義理と人情が絡み合う歌舞伎や浄瑠璃の場面の絵も描いている。

アールヌーヴォーや世紀末絵画などの影響もよく注目されるが、ここにも注目している。

そして人類の心にいつも響く人情の哀音を聞きたい。

『(日記 明治43年8月28日)竹久夢二詩画集』

街を流るる掘割の水は 三味の音と昔の唄とをのせ

恋人の髪の香のごとく ほのかにやさしく忍びよるなれ。

『恋慕夜曲(れんぼやきよく)より抜粋 竹久夢二詩画集』

ぼくはこの本を読み、夢二の印象が大きく変わった。

最初は大正ロマンを代表する、「バタ臭い」或いは「西洋かぶれ」で、

恋多き放浪のモダニストのイメージが強かったが、そうではないことがわかった。

夢二には三味線の音が響いている。マンドリンの音だけではなかった。

しっかりとした日本の歴史や伝統文化の土台がある。

その上にモダンな要素を注ぎ、融合させた。和洋折衷の名人。

千代紙、絵封筒、半襟や帯や浴衣のデザイン、書籍、雑誌、楽譜表紙、広告デザインなどを

数多く手掛け、大正モダンガールを急増させた夢二と、現代のデザイナーやクリエイターなど

との違いはそこにあるのではないか、と思っている(今のカワイイは苦手)。

挿絵は内より描くものと、外より描くものと二種に分ちたい。

内より画く絵というのは、自己内部生活の報告だ。感傷の記憶だ。

外より描くというのは小説や詩歌の補助としての、

或いは絵画専門の雑誌へスタデーとしてのスケッチだ。

『(夢二画集 夏の巻)竹久夢二詩画集』

大正初期の頃から、書画一体の作品が増えてくる。

その頃に書かれたエッセイに「わが敬愛せる鉄斎翁」と綴られていて、

自由な文人精神に憧れていた節もある。

夢二の評伝などを幾つか読んでみたが、やはり自身のことばで綴ったものや、

筆で描いたものの方が夢二と直接会話が出来て、想像が膨らむと、改めて実感した
(実物に接すると、もっと感じられるのだろう)。

本書は文庫なので、絵画はあまり載っていないが、「夢二式美人」も、又素晴らしい。

絵画は『別冊太陽 竹久夢二の世界 描いて、旅して、恋をして』に豊富に載っていて

参考になる。

私の細君は夢二式の女ではなかった。

その時、いわゆる夢二式の女がぞくぞく生きて生まれて街をあるくのを見たが、

その頃、現存した人物をモデルにしたのではなくて全く空想から生れたものだった。

『(画房漫筆)人物画及モデル 竹久夢二詩画集』

とくに伏し目がちで、寂しげな瞳に引き込まれる。

着物姿の美しい女性のうなじや、綺麗で繊細な手を描くのも上手い。

歌麿にしても春草にしても、女の手足をひどく小さくして、なるべくかくすようにしている。

手や足がどんなにその人物の感情を語っているかを彼等は知らなかった。

『(机辺断章)竹久夢二詩画集』

ほんのりと黄色を帯びた白い肌の、この日本人の美しさは無類だとおもう。

臙脂(えんじ)色の半襟とか黒の掛襟とか、黄八丈のキモノが、しっくりとはまる。

『(週刊朝日)大正14年4月19日 竹久夢二詩画集』

その一方、大正時代の女性の着物の着付けに、

「アメリカ娘がジャパニーズキモノを着たような恰好に、帯をやたらに上の方へしめ、

腰から下はスカートの感じがするほどぶっきらぼうです」

と、苦言を呈している。

そんな夢二は詩も数多く残している。

     月の散歩

月は 銀座の柳の下で 宝石を買ふ人を見た

月は お寺の築土の前で 八雲琴弾く人を見た

月は 横町の土蔵の影で まだ眼のあかぬ猫も見た

月は 誰にも言はなんだ

『(童謡集 凧)竹久夢二詩画集』

夢二には月を歌った詩が多い。

ぼくも銀座のビルの隙間から、すましてこっちを見ている月を眺めたことがあるが、

不思議な感じがした。

     宵待草

まてどくらせどこぬひとを

宵待草のやるせなさ

こよひは月もでぬさうな

『(どんたく)竹久夢二詩画集』

夢二の代表作の抒情詩。

明治43年8月に避暑のため訪れた千葉県銚子の海鹿島で、

民宿の隣に住んでいた長谷川賢(お島さん)と、ひと夏の恋をするのだが、失恋する。

賢(かた)への思いを作詩したもの。最初は雑誌『少女』に寄稿するが、

詩を削って(最初は8行)、今の詩形にして、著作本『どんたく』で発表。

多忠亮が作曲し、楽譜出版されて、流行歌になり、現在に至る。

“人情の哀音”が響いている。

数多くの作品と言葉を残した夢二から、汲みとれることがたくさんあると感じている。

夢二を題材にした作品を残している方もいる。



特に、鈴木清順監督の『夢二』はアーティスティクで素晴らしい。名作。

その後、夢二は47歳にして、初めての外遊に旅立つ。

アメリカとヨーロッパ、台湾へと。

帰国後、病を患い、悪化し、昭和9年(1934) 49歳で永遠に旅立った。

夢二の辞世の句

死に隣る 眼薬や 蛙なく

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石川 桂子 岩波書店 2016-09-17
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谷口 朋子 ピエブックス 2005-09-30