楽しんでゐる首斬役人、泣き啜ってゐる殉教者。
流血が 味と匂ひを附けてゐる 大饗宴。
専制君主を苛立たせる 権力の毒、
自分を白痴化する鞭に 慕い寄る民衆。
『悪の華』 ボードレール
ボードレールの詩からは腐臭がする。色はもちろん黒。味は苦い。だしが効きすぎている。
だが、それが病みつきになる。読み返す度に啓示を受ける。
そしてぼくも腐臭に塗れる。数日経つと臭いが取れるのだが。
ボードレールを読む時はいつもこんな感じです。
同時にカラヴァッジョが脳によぎって同じ臭いを感じる。
私の心は、群衆に踏躙られた王宮だ、
そこには人が 酔い痴れて、殺し合ひ、髪を掴んで争ふのだ。
― 馨が あなたのはだけてゐる胸のあたりに漂って ……
『悪の華』 ボードレール
ジョン・キーツが亡くなった年にボードレールはパリで生まれている。
ポーの影響を受けたのは有名な話。
1847 年イザベル・ムーニエによるポーの『 黒猫 』の翻訳が『 平和民主主義 』紙に掲載された。
ボードレールはこれによってポーを知ったといわれている。
さらに、その後ポーの作品を複数翻訳もしている。
ボードレールは住んでいる人間も都市も描写しない。それをしないことで、
一方をもう一方の姿のうちに呼び起こすことができたのだ。
彼の大衆はつねに大都会の大衆である。
彼のパリはつねに人口過剰のパリである。
(ヴァルター・ベンヤミン)
とベンヤミンは書いている。今日の世界の大都市にボードレールが居ないのが残念だ。
翻訳された鈴木信太郎氏の後記によれば、
われわれが抒情詩に近代性を感じ得られる作品は、
ようやく百年前に、ポーの脳髄から出発してボードレールの肉体を通過して生まれ、
全世界に徐々にしかも確実に浸透して行ったのであった。
と述べている。
ちなみに、同じフランス人のポール・ヴァレリーは、
ボードレールがマネのなかに見てとったにちがいないのは、
すでに消滅しかかっていた絵画的なロマン主義と、
そこからごく基本的な対照をなして生まれ、
それに飽きた精神のしごく単純な作用と反動からあっという間に席巻したレアリスムとの、
ある種の混在であった。
(ポール・ヴァレリー)
さらには、「批評家としてのボードレールは間違えたことがなかった」とも述べている。
ロマン派なのか?
いや、マニエリスムなのか!?
わが心 赤く冰りし一塊の土くれならむ。
ぼくが一番好きなボードレールの一節
没後出版された散文詩、『巴里の憂鬱』もいい。