人間が創り出したさまざまな道具のなかでも、最も驚異的なのは紛れもなく書物である。
それ以外の道具は身体の延長にすぎない。
たとえば望遠鏡や顕微鏡は目の延長でしかないし、電話は声の、鋤や剣は腕の延長でしかな
い。
しかしながら書物はそれらとは違う。書物は記憶と想像力の延長なのである。
著者のフェルナンド・バエスはベネズエラ出身で、二〇〇八年にはベネズエラ国立図書館館長
を八カ月間務め、現在も複数の団体で顧問を担当している。
二〇〇三年にはユネスコの使節団の一員として、イラクにおける図書館や博物館などの被害状
況を調査している(その様子は第三部第一〇章で綴られている)。
フェルナンド・バエス Fernando Báez
副題には「シュメールの粘土板からデジタル時代まで」と付けられているが、本書は、古今東
西の「書物の破壊の歴史」を綴ったものとなっている。
本書のタイトルを“書物の破壊の歴史”でもよさそうなものだが、著者は“書物の破壊の世界
史”とした。その理由は、世界中で起こっている身近な問題として捉えてほしかったからだ、と
している。
バエスは貧しい家庭で育ちながらも、幼い頃から一日中、図書館の中で書架と本に囲まれて過
ごし、その頃から書物の破壊に怯えて生きてきたという。
初版は二〇〇四年のことで、スペイン語圏やポルトガル語圏を中心に、さまざまな版が出てい
たが、出版されるとたちまち反響を呼び、ウンベルト・エーコも絶賛したという。
その反響の大きさに対して著者は、「私が自分が文明の古傷に触れたのを実感した。何よりも
書物が伝える記憶の価値を大勢の読者に認識してもらえたことが嬉しかった」と記している。
本書の執筆に際しては、資料の蒐集などの準備に六年、研究に一二年費やしている。
日本語版は、初版の出版から一〇年近くが過ぎた、二〇一三年にメキシコの出版社から最新版
として再販されたのを翻訳したもの。
翻訳者は、マリオ・バルガス=リョサの『悪い娘の悪戯』や『チボの狂宴』、カルロス・フエン
テスの『誕生日』でお馴染みの八重樫克彦氏と八重樫由貴子氏。
本書は全三部構成で、第一部旧世界、第二部東ローマ帝国の時代から一九世紀まで、第三部二
〇世紀と二一世紀初頭。イラクで始まり、イラクで終えている。
五〇世紀以上も前から書物は破壊され続けているが、その原因のほとんどは知られていない。
本や図書館に関する専門書は数あれど、それらの破壊の歴史を綴った書物は存在しない。
何とも不可解な欠如ではないか?
『書物の破壊の世界史』フェルナンド・バエス
人類最初の書物は今から何千年も昔に、メソポタミアのシュメール地方(イラク南部)、ティグ
リス川とユーフラテス川に挟まれた未踏の半乾燥地帯に登場したといわれている。
シュメールの人々は、書物の超自然的な起源を信じていて、穀物の女神ニダバ(ニサバ)に書記
の女神としての役目も担わせていた。
しかし不可解なことに、それらの書物は間もなく消滅してしまう。その原因は、粘土という材
質によるもの、洪水など自然災害によるもの、あるいは人間の暴力によるものと推測されてい
る。
前一五〇〇年から前三〇〇年のあいだに、近東には少なくとも五一の都市があり、二三三の文
書庫と図書館が存在していたといわれているが、その内訳は一七八が文書庫、五五が図書館だ
とわかっている。
それらの図書館のうち二五は前一五〇〇年から前一〇〇〇年、三〇は前一〇〇〇年から前三〇
〇年までに存在したもので、いずれも廃墟と化しているという。
古代エジプトでは、前三〇〇〇年頃から初期の書類や書物にパピルスが使われ始めたといわれ
ている。
しかし、耐久性に乏しいため、保存に適した気候条件を有する地域を除き、ほとんど現存して
いない。
エジプト新王国第一九王朝ラムセス二世(在位前一二七九年頃-前一二一三年頃)は、即位後二年
目にテーベの都(ルクソール近郊)に葬祭殿の建設を命じ、完成までに二〇年の歳月を費やし
た。その神殿内にあった図書館を、ラムセウム(ラムセス二世葬祭殿)と名づけられていた。
しかし、エチオピア人やアッシリア人、ペルシャ人による侵攻と略奪で、ラムセウムは破壊さ
れ、そこにあった書物もエジプトの他の多くの初期文書と同様に消滅してしまったと考えられ
ている。
一世紀にはキリスト教徒に占拠され、カトリック教会に転用されたが、その時点ですでに図書
館は存在していなかったという。
同じくエジプト新王国第一八王朝のアメンホテプ四世(在位前一三五一年頃-前一三三四年頃)
は、焚書を初めて行った人物のひとりだといわれている。
一神論者だった王は、アケナトン(アクエンアテン)と改名すると宗教改革を断行し、世界初の
一神教とされるアテン神信仰を国民に強要し、国家神アメンと神々を捨て、テーベからアケト
アテンに遷都した。その際、秘密の文書をすべて破壊したという。
ギリシャの文学・哲学・科学などの書物は、控えめに見積もっても七五パーセントは失われてい
るという。
現存する古代ギリシャの文書の断片は、前三四〇年に成立したデルヴェニ・パピルスと名づけら
れたもので、部分的に炭化している。
ギリシャにおける最初の書物は、ことごとく消滅してしまったが、とりわけ多くの書物が失わ
れたのは、ヘレニズム期(前三二三年頃-前三〇年頃)のことだという。
古代ギリシャ時代の書物は巻物状のパピルスだが、文書の長さはさまざまで、巻物ゆえに一
巻、二巻と数えた。
エジプトからパピルスを輸入していたギリシャ人は、中継地だったフェニキアの港湾都市ビブ
ロス(現レバノン)にちなみ、パピルスを別名“ビブロス”とも呼び、そこから転じて書物は“ビブ
リオ”と名づけられた。
また、読むという行為は“アナグノーシス(読書)”と命名されたが、とりわけ“公共の場で読
む”ことを意味していた。
読書の際には右手で巻物を支え、左手でパピルスの端を繰り出して、読み終わった部分を心棒
に巻き取っていく。この行為を“アネリットー”と呼んだ。
古代ギリシャの文書の喪失は、全時代を通じて文字・科学・哲学などあらゆる分野で発生してい
る。
どんなにプラトンを引用し、ソクラテスや悲劇詩人で強迫的なまでに完璧な詩を書いたアガト
ンを称えても、彼らの作品は断片としてしか今日には存在しない、とパエスは指摘する。
マケドニアのアレクサンドロス大王が征服した各地にギリシャ人を入植させて建設したアレク
サンドリア。
前三三一年にナイル川デルタの西岸、マレオティス湖畔に創設されたエジプトのアレクサンド
リアは有名で、大王亡き後、部下だったプトレマイオス一世がエジプトを支配すると、プトレ
マイオス朝エジプトの首都として栄えた。
前三世紀から前二世紀にかけて、アレクサンドリアでは図書館・学術機関を中心に文献学上の学
統が形成され、優れた人材を輩出した。アレクサンドリア学派。
アレクサンドリア図書館はムセイオンとセラペウムに分かれていたが、ムセイオンの図書館本
館を破壊した説が三つあるという。
(1)図書館を破壊したのはローマ人であるという説
(2)図書館を破壊したのは地震だったという説
(3)怠慢さが図書館を破壊したという説(政治対立や軍事的な衝突が多発し、図書館まで頭が回
らなかった)
前二世紀、小アジア(現トルコ)にあったペルガモン王国のエウメネス二世(在位前一九七-前一
五九年)が、アレクサンドリアの王朝に対抗して創設したのがペルガモン図書館(歴史家ストラ
ボンによる)。
エウメネス二世は長年かかって二〇万なし三〇万冊の羊皮紙写本を確保するに至った。
しかし、ローマ将軍アントニウスがペルガモンの都を破壊後に、アレクサンドリアのセラペウ
ムに寄贈する目的で、ペルガモン図書館所蔵の羊皮紙文書約二〇万冊を愛人のクレオパトラ七
世に送ったとされている。
この逸話はカルウィシウスという人物が唯一の情報源となっているが、いずれにしてもすべて
は消えてしまい、図書館も今日では瓦礫の山と化している。
古代イスラエルでは、一世紀のユダヤ戦争(六六-七三年)でユダヤ人はローマ人に屈服させら
れ、膨大な量の書物が破壊された。
七〇年のエルサレム攻城戦では神殿が炎上し、多くの文書が消滅したが、一部は隠して残存で
きたという。
前二一三年、アレクサンドリア図書館がすべての書物を集めようと奮闘していた頃、
中国では秦の始皇帝が、農業、医学・薬学、卜占を除く、すべての書物の焚書を承諾していた。
始皇帝は法家に傾倒し、彼らの著作を保護すべく宮中に書庫を作り蔵書を充実させる一方、個
人蔵書を禁じ、没収・焚書するよう命じた。
役人たちは一軒一軒しらみつぶしに探し、書物を奪い取り、公の場で焚き火に放り込んだ。
その翌年には始皇帝の政策を批判したかどで、あるいは始皇帝が信頼していた方術士たちの欺
瞞と暴言の発覚をきっかけに、約四六〇人以上の学者が懲罰として生き埋めにされ、家族は屈
辱にさらされた。これが世にいう焚書坑儒。
始皇帝の怒りは法家を除く五つの学派にも向けられ、特に孔子の著作を目の敵にし、ことごと
く燃やされた。
前二一三年、始皇帝が命じた焚書の様子(18世紀作)
古代ローマでも書物の体裁はパピルスの巻物と羊皮紙で、書物に対する執拗なまでの破壊行為
は継続された。
皇帝コンスタンティヌス一世(在位三〇六-三三七年)の時代の国勢調査によると、当時ローマに
二八の公立図書館が確認されているが、そのいずれも現存していないという。
キリスト教の時代では、新プラトン主義の開祖である師プロティノスの遺作を編纂したことで
知られる、三世紀の哲学者テュロスのポルピュリオス(二三四年頃-三〇五年頃)がいる。
彼には、キリスト教の矛盾する側面について端的に分析した全一五巻の『反キリスト教論』と
いう著作がある。
そのなかでポルピュリオスは福音書の日付や教義の内容、イエスの言動を否定し、単なる見せ
かけにすぎぬキリストに対する信仰を批判しているという。
四四八年に焚書にされ、それ以来、同書は完全な形では残っていない。
今日『反キリスト教論』の内容は、神学論文中に引用される形で断片的に伝わっている。
聖書の写本は二世紀の時点ですでに羊皮紙の割合がかなりの比重を占め、三、四世紀にはほと
んどが羊皮紙になっているという。
その一方で非キリスト教の文書については、羊皮紙化が遅れ、早期の作品が現存していること
が稀だという。
異教とみなした文学に対するキリスト教徒の対応は、他の原因とも相まって多くの書物を絶滅
に追い込んだ。
教会から軽薄で不道徳、信者に悪影響を及ぼすとの有罪判決を受けて、ギリシャの劇作家の何
千という喜劇が葬り去られ、劇場の舞台設定や俳優の演技も追害の対象となった。
六九一年のトゥルロ教会会議では古代ギリシャの信仰や慣習の禁止が決まり、喜劇の上演も禁
じられた。
そうして多くの作品が書棚の奥に隠されたまま何世紀も眠り続けることになり、後代に考古学
的遺物として発見されていると指摘する。
キリスト教は当初、地中海世界で教えを広めるべく、ヘブライ語その他の聖書の原語を切り捨
ててギリシャ語になびいたが、ローマ帝国での勢力拡大のためラテン語に鞍替えした。
その後、徐々にラテン語が浸透していくなかで、キリスト教徒は古代ギリシャに対する蔑みを
顕著に示すようになったという。
三三〇年ローマ皇帝コンスタンティヌス一世は、帝国の東方、ギリシャ文化圏の中心地ビザン
ティウムに遷都した。
同年五月一一日、正式にローマ帝国の首都となり、当初はラテン語でコンスタンティノポリ
ス、のちにギリシャ語でコンスタンティノープルと呼ばれる。
一二〇四年、国内の権力争いが激化していたコンスタンティノープルは悲劇に見舞われる。
第四回十字軍の襲撃で難攻不落を誇った城塞都市が陥落し、何千冊もの写本が破壊された。
兵士らに同行していた聖職者らは、略奪する兵士らに許しを与え、自らも聖遺物などを持ち去
ったという。
中世ヨーロッパでは学問が盛んになり、修道院に併設された主要な図書館も賑わったが、その
後の運命は無残なものだったという。
七四七年にベネディクト会が創設し、西ローマ帝国滅亡後の暗黒時代に失われた古典写本の再
生に努めたドイツ・フルダ図書館は、同国キリスト教新旧両派の内乱をきっかけとする三十年戦
争の最中に完全に破壊された。
五二九年頃イタリア・カッシーノのアポロン神殿跡に建設されたモンテカッシーノ修道院の図書
館も、学芸の中心地として各地から修道士が集まり、盛んに写本が製作されたが、要衝の地と
いう立地条件が災いし、何度となく壊滅的被害を受けている。
五世紀前後に編纂されたタルムード。ユダヤの律法の口伝と注解の集大成であるこの書物は、
中世から現代に至るユダヤ人の精神文化を知る重要文献といわれている。
それと同時に人類史上、最も追害された書物のひとつでもある。
一二四四年のパリでは、カトリック聖職者が、何百冊のタルムードを燃やし、同じ時期のフラ
ンスでは王権の強化が進んでいたが、ルイ九世も配下にタルムードの破壊を命じている。
フランス南部の教会でも何十冊と燃やし、教皇ヨハネ二二世は公衆の前で燃やさせている。
一四〇七年のスペイン・サラマンカでは、アウトダフェ(異端審問判決式)が行なわれ、タルムー
ドをはじめとするヘブライ語書物が焚書にされている。
一五五三年にはローマの聖職者らがタルムードをかき集め、広場の前で燃やす決定を実行し
た。ユダヤ教の本の印刷所があった町でも、ヘブライ語の書物一万二〇〇〇冊が燃やされてい
る。
中世のスペインでは、レコンキスタに勝利し、教皇アレクサンデル六世から“カトリック両
王”の称号を与えられたフェルナンド二世とイサベル女王は、聴罪司祭だったシスネロスから、
住民らが秘密裏にイスラム教の本を読むような町に寛容であるのは危険だと進言され、迷うこ
となく焚書を許可した。
アラブ世界では、モンゴル軍によってバグダード全域の図書館にあった写本はティグリス河畔
に運ばれ、残らず川に投げ捨てられた。ティグリス川はにじみ出たインクと血でどす黒く染ま
ったという。
一二九八年、イングランド王エドワード一世はスコットランドを侵略後、レステンノスの図書
館に火を放った。
スコットランド人に過去の栄光を思い出させないようにすることで、抵抗運動を繰り広げた英
雄の出現を回避するための記憶の消去だったとしている。
中世のベトナムには仏教の学校がいくつもあったが、明の侵攻により、学校所有の何千冊もの
本が一掃されている。
翌年には、首都のタインホアを陥落させた明の永楽帝が、ベトナム語の本をすべて没収するよ
うに命じ、ベトナム胡朝の皇帝父子とともに南京に運ばせ、そこでどちらも処分している。
一一世紀から一九世紀に至るまで、火災によって幾千もの公共および個人の図書館が破壊され
た。地震や洪水もそこに加わる。
日本の室町時代の応仁の乱では、京都の文書庫が破壊され、アジアでも有数の貴重な蔵書、桃
華坊文庫も失われた。
植民地時代のアメリカでも書物は燃やされた。
一六三四年、マサチューセッツ湾植民地に入植した英国人イスラエル・ストートンの著作が、特
許植民地の憲法を愚弄したこどで破壊されている。
同じ時期に、マサチューセッツ議会は、プロテスタントの一派、クエーカー教徒トーマス・モー
ルのパンフレットを、虚偽を煽動するとの理由で焚書にするよう命じた。
著作のなかでモールは、マサチューセッツ州セイラム村で魔女裁判を強行した、ピューリタン
のリーダーたちを公に批判している。
フランスでは一六五七年、思想家・物理学者・数学者のパスカルの『田舎の友への手段(プロバン
シャル)』が、イエズス会の放蕩を糾弾したとの理由で焼かれている。ルイ一四世も本の内容を
認めず、かがり火で燃やすことを命じたという。
フランスはヨーロッパの自由発祥の地といわれるが、検問の中心地でもあった、とバエスは指
摘する。
モンテスキューの『法の精神』(一七四八年)も焚書にされているが、
一七五一年にはカトリック教会の『禁書目録』に加えられ、スペインの歴代の王たちは、
同作品の植民地ラテンアメリカでの普及を阻止すべく、船の積み荷から没収して定期的に処分
していたという。
史上最も論争の的となった本であり、最も重要な一冊といえるのが、チャールズ・ダーウィンの
『種の起源』。
反響はさまざまで、科学者のなかでも、支持を表明して普及に協力するものもいれば、道徳的
に受け入れられないと反対する者もいて、賛否両論が飛びかった。
天地創造説というキリスト教の教義に反するため、とりわけ熱心な信者からの反発が大きく、
なかには過剰に反応して本を燃やす者もいた。
近現代では戦争によって図書館などが破壊されたケースが多いが、スペイン内戦では、一九三
七年にマドリードのスペイン国立図書館が空爆され、書店や出版社が多いことで知られている
バルセロナ市内だけでも、七二トンの書物が破壊された。
第二次大戦中、ナチス政権によって何百万人ものユダヤ人が組織的に大量虐殺された出来事
は、“ホロコースト”と名づけられている。
だが同政権は人間に先立って、何百冊もの本を破壊する“ビブリオコースト”を行っていた。
ドイツ文化への大いなる償いとしてゲッベルスが組織した焚書の集会は、毎晩のように各地で
繰り広げられた。ドイツ国内の各地でほぼ同時に本が燃やされている。
一九三三年五月に行われた焚書は、多大な衝撃を世界に与え、詩人・劇作家のベルトルト・ブレ
ヒトは、自分の著作が破壊されたと知って間もなく、「焚書」というタイトルの詩でその行為
を非難している。
第二次世界大戦中にイタリアで失われた本は、楽観的に見積もっても、二〇〇万冊以上、写本
は三万九〇〇〇冊に上るという。
近現代は大災害の世紀でもあるが、日本では関東大震災で東京帝国大学の図書館が全焼、蔵書
七六万冊中七〇万冊が消滅した。
失われた資料のなかには、江戸時代の市町村の登記簿や政府の記録文書、サンスクリットや仏
教学関連の書物、八代将軍吉宗が購入した清の百科事典『古今図書集成』九九九五冊など。
ソ連では、教育人民委員部の成人教育部長に就任したレーニン夫人、ナデジダ・クルプスカヤ
が、国内各地の図書館かたツァーリズムと資本主義を擁護する書籍を粛清する作業に着手して
いる。カントやデカルトといった哲学者らの著作をはじめとする、多くの作家の本が焚書にさ
れた。
秘密警察チェーカーの中心的人物、フェリックス・ジェルジンスキーはためらうことなく、何十
人もの作家を死刑に追い込んでいる。
文化大革命下の中国では、革命に称揚せぬ作家たちは弾圧され、彼らの著作も同様。
一九四九年の建国以来、焚書はすでに見慣れた光景ではあったが、文化大革命の時代には、中
国全土で書物の大量破壊が実施され、北京大学では国民の精神に有害とみなされた本がすべて
没収され、燃やされた。
二〇〇一年一二月二〇日、アメリカのニューメキシコ州南部のアラモゴードにて、宗教団体の
キリスト・コミュニティ教会が『ハリー・ポッター』シリーズ数百冊を公衆の面前で燃やしてい
る。
牧師のジャック・ブロックは複数のメディアを駆使して世の人に警告していた。
ハリー・ポッターは悪魔の産物で、子どもたちに魔術を学ぶよう促し、人々を退廃に導いている
と。
著者は、二〇〇三年にイラク図書館の被害状況を調査する国際使節団の一員としてバグダッド
に滞在しているが、その時のイラクの状況を「私も同僚たちもそれなりに覚悟はしていた。だ
が実際に現場で惨状に直面すると、ショックで何日間も不眠に陥った」と記している。
イラクは二一世紀における最初のメモリシディオ(記憶殺し)の犠牲者であり、それは邪悪極ま
りない無処罰特権によって引き起こされたものといえる、とも指摘している。
「デジタル時代の書物の破壊」についても著者は述べているが、よい面もあれば悪い面もあ
る、ということで落ち着いた結論になっている。
「五〇〇〇年以上の時を経て、書物がシュメールの粘土板からデジタル時代に移ろうとも、破
壊の歴史は基本的には変わらない。すべては扱うわれわれ、人間次第だということだ」(本書)
著者は「イントロダクション」という章のなかで、書物について述べているが、
それは、口承から文字への革新的な飛躍、特に書物が崇拝の対象となっていく過程で必要とさ
れたのは、感性をコード化し、均質かつ真正な状態に変える、より確実で不変の方法だった、
と指摘し、そうして書物は、あらゆる物事を混沌としてではなく理性的に形作ろうとする動き
に貢献していくことになる。書物は集団や個人の記憶を形あるものにして支える構造物以上の
存在だとする考え方は、多岐にわたる強力なメタファーを生み出した、として主だったものを
いくつか列挙している。
(1)書物は魔除け ― 四世紀のキリスト教神学者で聖人のヨハネス・クリュソストモスによる
と、当時アンティオキアの人々は首から写本をかけて魔除けにしていた。
(2)書物はいのち ― 使途ヨハネが新約聖書「黙示録」に記している、最後の審判の際に救われ
る人々の名前が記された神の書物に対する信仰
(3)書物は自然 ― ギリシャの哲学者プロティノスは、星々は天に永遠に書かれた文字のような
ものだと語っている
(4)書物は万物 ― 宇宙から作られた参考文献であるという考え
(5)書物は世界 ― フランスの詩人ステファンヌ・マラルメは、世界は一冊の書物になるために
存在していると確信している
(6)書物は人間 ― 米国の詩人ウォルト・ホイットマンは『草の葉』で、この書に触れる者はひ
とりの人間に触れるものだと述べている
(7)書物は夢 ― 書物を分かち合う夢と捉えたもの
これらのメタファーのひとつひとつは、永続する言葉があって初めて理解できるものであり、
書物と人間が分かちがたく結びついているという意識の表れである、と指摘する。
「書物は記憶を神聖化・永続化させる手段である。
文化は各民族の最も代表的な遺産であるという前提で物事を理解しなければならない。
文化遺産そのものが伝達可能な所有物なのだという思いを人々に抱かせるだけに、領土内の帰
属意識、民族アイデンティティを高める性質がある。
図書館、古文書館、博物館はまさにその文化遺産であり、各民族はそれらを記憶の殿堂として
受け入れている。
だからこそ私は、書物は単なる物質としてではなく、個人や共同体のアイデンティティ、ある
いは記憶として破壊されていると考えるのだ。・・・」(本書)
バエスが調べた限りでは、書物破壊の全体の六〇パーセントは故意の破壊によるものであり、
残りの四〇パーセントはそれ以外の要因で、内訳は一位が自然災害、次いで事故、天敵による
被害(虫やネズミや昆虫など)、文化の変化、書写材の劣化、となっている。
本書は六〇〇ページ以上の大著であり、上で紹介した書物破壊のケースはごく一部。
特に上では紹介しなかったが、著者はスペイン語圏の出身ということもあり、スペインやラテ
ンアメリカの書物破壊の歴史を多くのページを割いて想像以上に詳細に論じてくれている。
書物好きには是非ともおすすめしたい一冊。バエスの博覧強記ぶりには驚かされるばかりであ
るが、書物に刻まれ古代から現代に届いた死者たちの声は、一部にすぎないということを実感
した。
書物の破壊は、自身の憎悪や無知に気づけぬ者たちの行為だと思われがちだが、それはまった
くの見当違いである。
一二年間の研究の末に私は、個人や集団の教養が高くなればなるほど、終末論的な神話に影響
され、書物の抹殺に向かうとの結論にたどり着いた。
『書物の破壊の世界史』フェルナンド・バエス
人気のない広間で、沈黙を守る
書物は時間のなかを旅する。背後に
取り残された夜明けと夜の時刻、
そしてわたしの生、この慌しい夢。
『創造者』ホルヘ・ルイス・ボルヘス