2015年にたまたまテレビを見ていたら、インタビューを受けていたル・クレジオを見かけた。
NHK のニュース番組でパリで起きたテロについて語っていた。
「ヨーロッパにとって“危険な動き”と言えるだろう。
国境を封鎖してもテロの解決方法にはならない。
テロを起こすかもしれない人物は国境の内側にいるのだから。
テロの実行犯は私たちの社会が生んだ若者の一部だった。
しかし、人生に何の目標もなく道を見失ってしまったのだ。」
そして最後に
「彼らの一番の問題は、職に就けるかではなく、
“ アイデンティティーを持てるか ”だ。鍵となるのは“ 教育 ”だ。
孤立している人たちに適切な教育をすれば、
アイデンティティーを持ってもらうことができる。
彼らが人生に希望を持てるようにしなければならない。
さもないと再び殺人者が生まれ、問題を起こすことになるだろう。」
(以前まで NHK が文字で残してくれていた)
本当にそれだけでテロを防げるかどうかは分からない。
もっと深く刺さったままの棘があるのだと思う。
イスラームのことは追々綴りたい。しかし、ノマドなル・クレジオらしい回答だと思った。
ちなみに小説『砂漠』でフランスの植民地化に抵抗するサハラの民の物語を書いている。
そして、僕が一番好きなエッセイ『物質的恍惚』の中で書いている一節をふと思い出した。
自分たちが漠然と感じていたこと、それは教育の結実なのだが、
彼らはそれをイデオロギーに変貌させる。
たしかに、隣人を愛し、戦争を憎むことは役に立つだろう。
だがそれでは十分ではない。何よりもまず、意識を持たねばならぬ。
意識こそは、教育し、繊細にし、感受性を鋭くするものだ。
それは真の天賦であり、およそそれ自体として安心できるあらゆるものを与える天賦なのだ。
『物質的恍惚』 ル・クレジオ 訳 豊崎光一
クレジオの小説もいいが、エッセイ『物質的恍惚』や『悪魔払い』もいい。
私が最初にクレジオに出合ったのが『悪魔払い』でした。
インディオに興味を持っていたので。
ル・クレジオは時代の裂け目や帝国主義の負の遺産に目を逸らさず、
誤魔化さずに言葉で綴り、
同じ過ちを繰り返さないために現代に生きる私たちに伝えてくれているのだと思う。
言葉の結晶が、頭だけではなく体にも沁みわたる。読んでいてそれが心地いい。
色もなく形もない広大な帝国のもの憂さ、壮麗さよ、放棄、もの言わぬ晴朗な沈下、
運命よ!運命、世界を隠している葬いの仮面よ。
ぼくはあの未知なる肉体を見るためにわれとわが手でおまえをもぎとり、引き裂く。…
『物質的恍惚』 ル・クレジオ 訳 豊崎光一