現在、メディアの転換期なのは誰がどう見ても如実に表れているのだけれども、
(選挙にも影響を及ぼしている)
そこだけをフォーカスするのではなく、歴史的にメディアと人間が
どのように関わってきたのかが知りたくて手に取った一冊。
先に白状すると、マーシャル・マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』や
『メディア論』は、名著であることは知っているのだけれども、まだ読んでいない。
そんなぼくでも、読み進められるのが本書の魅力の一つ。
ここからマクルーハンに向おうと強く思った。
著者のヨッヘン・ヘーリッシュは1951年生まれのドイツ人で、
『神、貨幣、幸福― ゲーテ、ケラー、トーマス・マンの教養小説における愛の論理について』
で教授資格を得ている。
1988年からはマンハイム大学で教授として、近現代ドイツ文学とメディア分析を教えている。
メディアに関する著作は
『パンと葡萄酒―聖餐式の詩』、『裏か表か―貨幣の詩』、『表象の終焉―メディアの詩』
の三部作がある。
広く深い研究をされているのは、上の著作を見れば明らかだろう。
本書の構成は、
さまざまな根源 1 ノイズ 2 声 3 画像
文字の時代 4 文字 5 活版印刷 6 新聞雑誌/郵便
記号以前 7 写真 8 録音と遠隔通信 9 映画
シュミレーション―スティミュレーション 10 ラジオ 11 テレビ
12 コンピュータ/インターネット
となっていて、副題にはビッグバンからインターネットまでとしている。
およそ120億年前のビックバンもメディアの対象とし、
ノイズから意味が生じたとしているが、そこはあまり詳しくは語られていない。
ページ数も少ない。
声と文字に支配されている初期のメディア史は意味中心的であるが、
それに対して比較的新しいメディア技術は、
ますます強い力で私たちの注意力を感覚に向けさせるようになる。
『メディアの歴史』ヨッヘン・ヘーリッシュ
意味と感覚。本書を読み解く上でのキーワードとなっている。
「2 声」の気になった箇所は、
アンドレ・ルロワ・グーランの『身ぶりと言葉』のテーゼを引用されている箇所。
「立った姿勢、短い顔、歩行中自由な手、取りかえのできる道具の所有、
これが実際に人類の基本的な基準である」。
コミュニケーションとは進化の過剰なのである。
声を出すことができるホモ・サピエンス・サピエンスへと通じる発展を
最も整合性よく再構成していると。
話すことのできる生物の出現は、10万年~4万年前とのこと。
ぼくは人間がメディアになったと把握した。
そして、ぼくが特に気になっていたのが、
文字が発明されて人々にどのような影響を及ぼしたのか。
「文字の時代」を読んでいるのが愉快だった。
「文字は自らに対してすら距離を保つことができるほどまでに
抽象度を備えたメディアである」。
「文字の発見は、年代史的にそして論理的に考えても、
人類史上の三大メディアの革命のうち第一位に位置する」。
「文字とは、時間と空間に架橋する卓越したメディアである」。
紀元前3400年から3200年、もしくは紀元前2450年にシュメール人のくさび形文字。
紀元前3200年から3000年頃に、エジプトのヒエログリフ。
紀元前2500年頃に、上部インダス渓谷(西インド、パキスタン)に原始的文字の発生。
紀元前1500年から1200年の殷王朝の時代に、漢字が発生。
紀元前9世紀に、ギリシャで24文字からなる音声アルファベットが形成される。
紀元前7世紀頃に、ラテン文字のアルファベットが成立。
「表音文字は感覚的に知覚可能な声ノ息吹を、
意味を体系化する手続きの出発点として選択することによって、
決定的に抽象的になる」。
ぼくは、この抽象度が上がることで、メディアが次の段階に入ったと思っている。
さらには、ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』のなかで展開されている
“二分心”の話にまで及ぶ。すこし長いが引用する。
ジェインズは簡潔な表現で、次のように述べている。
「『イーリアス』に出てくる人々には自らの意思がない」。
この現象に対して、ジェインズは啓発的な説明を用意している。
その説明は、人間の脳は二つの部分に分かれており、
それぞれまったく異なる課題を引き受けているのだという
異論の余地のない学説と結びついている。
そしてこの脳の両半球は第一次メディアにライバルがいなかった時代、
すなわち文字メディアの発明以前には、まだ十分に調整されていなかったのである。
『メディアの歴史』ヨッヘン・ヘーリッシュ
ヘーリッシュは、ジェインズは文字を過大評価していると指摘している。
第一に、ジェインズは文字の影響をやはり評価し過ぎている。
というのも、文字は長きにわたり、ごくわずかな人々だけが用いる技術だったのである。
『メディアの歴史』ヨッヘン・ヘーリッシュ
そして、ジェインズがあまり言及していない、
文字とほぼ同時期に現われた貨幣を重要視する。
貨幣は非識字者でも使うことができる。
そして第二に明らかなのは、
貨幣は互いに緊密な関係にあるものを関係づけるという点である。
すなわち抽象的な価値と具体的な財物を結びつけるのである。
貨幣は同質性をゆきわたらせるという点では、文字よりもさらに卓越したメディアである。
貨幣は真に重要な方法によって主体を相互に関係づける。
『メディアの歴史』ヨッヘン・ヘーリッシュ
「文字と貨幣は同質化する」、「この両者は引き離すことによって引き合わせる」
とも記している。
次は活版印刷。
グーテンベルクの活版印刷は有名だが、当然、そこも掘り下げて述べられている。
グーテンベルクのメディア技術は、問題のないわけではない「活版印刷術」という
概念で呼ばれる最初の大量生産品産業である。
それは全ヨーロッパに瞬く間に普及する。
『メディアの歴史』ヨッヘン・ヘーリッシュ
最初の聖書の印刷から、10年~20年後には、ヨーロッパ各地に印刷所が出来ている。
その影響で、聖書が神聖なものではなくなった。
そして、グーテンベルクの発明から半世紀経つと、現代と同じように、印刷物を批判し、
写本を褒め称える人たちが出てくる。
その時々で最も新しいメディア技術を批判する者たちが、
以前は同じように批判されていたより古いメディア技術を、
それに競争相手が登場するやいなや賞賛し始めるという、
あまたある例の一つである。
『メディアの歴史』ヨッヘン・ヘーリッシュ
ヘレニズム時代と同様、ローマ文化圏においてもまだ、
ゆっくりと音読するのが通例であった。
十三世紀以降、新たに設立されたパリ大学とオックスフォード大学において
おそらくはじめて、一人で黙読するという実践がはじまった。
『メディアの歴史』ヨッヘン・ヘーリッシュ
この時代に眼鏡が発明され、最初の使用が北イタリアで確認されているらしい。
さらに、大学も各地に設立される。
1348年にプラハ、1365年にウィーン、1386年にハイデルベルク。
有名な音読から黙読への移行期。
日本やアジアがいつ移行したのかが気になる。十九世紀か? 今後の課題のひとつ。
そして、十六世紀になって、ヨーロッパ各地の土着の言葉で書かれた書物が出版されていく。
活版印刷によって新たな読者層が生まれる。
それにもかかわらず、この時代になっても多くの場合は、
今日では奇妙に思えるような学習を続けていた。
つまり、まずは読み方を学んでから書くことを学ぶというものである。
後から学んだことは最初に忘れてしまうので、
近代初期にはまだ、読むことはできるが書くことはできない人がかなり存在する。
逆に、中世においてはすばらしいまでに書く(書き写す)ことができるものの、
読むことはできない写字生がいたと言われている。
『メディアの歴史』ヨッヘン・ヘーリッシュ
音読・黙読が脳にどのような影響や違いを及ぼしているのかが、とても気になった。
マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』はそこも書いているんだっけか。
一般の人たちにも読書が普及し、十八世紀には宗教的な本に代わって娯楽小説の時代に入る。
多読家も登場するのがこの頃。
そして、新聞雑誌/郵便の時代に入る。
その日限りの日刊新聞と不滅の書物がメディア・テクノロジーの観点から見ると同類である
ということが、十九世紀に決定的に明らかとなった。
最も重要な散文作品の多くがはじめは日刊新聞や雑誌の連載小説として発表されている。
『メディアの歴史』ヨッヘン・ヘーリッシュ
記憶保存メディアの書物から、伝達メディアへ移行するのが十九世紀。マスメディアの誕生。
この時代は、教養市民層の黄金時代であり紙の時代であるともいっている。
マスメディアは絶えず新しい情報を伝えることによって体系的に、
新しい情報であるという質を自分から奪う。
昨日付の日刊新聞より古いものは何もない…。
『メディアの歴史』ヨッヘン・ヘーリッシュ
写真(一八三八年)、録音(一八五〇年以降)、電話や映画の発明によって、
書字と印刷によるメディアが、独占的地位を失っていくことになる。
視聴覚優位の時代、感覚の時代。
ぼくが気になった箇所だけピックアップしたので、引用も多く、
長々と膨らませ過ぎて、まとまりにも欠けた記事になってしまったが、
この書物の重要性だけでも感じていただけたら幸いです。
気になった方は手に取って読んでみてほしい。
最後に、
「新しいメディアが登場すると、
古いメディアはアイデンティティと機能を変えざるをえない」。
「新たなメディアが古いメディアの息の根を止めたことは一度もない」。
規模は縮小するが、機能を変えながら現代まで続いている、としている。
書物や演劇、映画や新聞を見れば明らかで、テレビもそれらに追随するのは明白。
なのでテレビ関係者は悩んでいるんでしょ?
メディアは答えを与える。他の誰に、または他の何にそれができると言うのか。
メディアは自分がどの問いに対して答えを与えているかを忘却していないとも限らない。
与える者は奪うのである。
『メディアの歴史』ヨッヘン・ヘーリッシュ