明治維新以降の脱亜入欧 ( 今は脱亜入米 ? ) に嫌気が差し、
日本の伝統文化の重要性や、面白さを認識したのが、20代前半の頃。
初めて海外に一人旅をしたのが関係しているのかもしれない。
さらに、五感に入ってくるステレオタイプで表面だけなぞった、軽薄な日本文化論にうんざりしていた。( 僕の勉強不足もあり )
その頃に出会ったのが、鈴木大拙の『禅と日本文化』。
禅を縦糸に、伝統文化の美術、武士、剣道、儒教、茶道、俳句を横糸にし、
染料が糸の奥まで染み込み丹念に織り上げられている。
特に「美術の章」は、当時の僕に大きな指針を与えてくれた。
日本人の芸術的才能のいちじるしい特色の一つとして、
南宋大画家の一人馬遠に源を発した「 一角 」様式を挙げることができる。
この「 一角 」様式は、心理的にみれば、日本の画家が「 減筆体 」といって、
絹本や紙本にできるだけ少ない描線や筆触で物の形を表すという伝統と結びついている。
『禅と日本文化』 鈴木大拙
ここに、わび・さび・数寄・余白などに連なるのではないかと感じる。
そして、その奥には老荘・道教( タオイズム )の世界観があるのを、
岡倉天心「茶の本」を読んで後から知った。
昭和十一年( 1936 ) 六月四日、大拙は横浜港からアメリカ、そしてロンドンに旅に出る。
(二・二六事件が起き、国内政治は混乱していた時期)
その時の講演の草稿を元に、昭和十三年五月、
『Zen Buddhism and Its Influ-ence on Japanese Culture』を
京都の The Eastern Buddhist Society から刊行し、これを北川桃雄が翻訳し、
昭和十五年 ( 1940 ) に『禅と日本文化』として、岩波新書から刊行された。
日独伊三国同盟、バトル・オブ・ブリテンの年。
「 禅は仏陀の精神を直接に見ようと欲するのである」
禅のモットーは「 言葉に頼るな 」( 不立文字 ) 。
禅に研磨した勝海舟も「 俺は言葉が嫌いだよ 」と発言している。
禅は言葉を嫌う。
言葉は代表するものであって、実体そのものではない、
実体こそ、禅において最も高く評価されるものである。
『禅と日本文化』 鈴木大拙
読後、この本をきっかけとして、井筒俊彦や禅の公案、解説書を読み、
雪舟、芭蕉、蕪村、利休、世阿弥に辿り着き、
道元、一休、武蔵、華厳を目指そうと思ったのが大きな収穫だった。
禅がどのように日本文化に馴染み、吸収し、呼吸しているのかが、
ハッキリとわかりやすく書かれている。