『芭蕉入門』でもあり『俳句入門』でもある



19世紀後半から20世紀前半に活躍した建築家ブルーノ・タウトが、来日した時に、

次のことばを書き残している。

「最小の芸術的手段を用いて、同時に最大の心的・精神的内容を含むところ完成せられた芸術

様式がすなわち俳句である。

目前の光景を簡叙した即吟のごとくしかも同時に円満具足した結晶物である。

実に俳句は日本芸術を― したがってまた日本の建築を闡明する鍵である」(日本雑記)

「古典的な俳句には日本人の文化的・芸術的な感情と思想との精華が圧縮されている」(同書)

露伴と同い年で、明治の国民作家である夏目漱石は、自身の代表作のひとつ『草枕』を

「俳句的小説」と呼び、「天地開闢以来類のない」小説だと語り、

漱石の五高時代の教え子で、『猫』の寒月のモデルであり、物理学者で随筆家の寺田寅彦は、

「客将漱石は西洋文学と漢詩の素養に立脚して新しきレトリックの天地を俳句に求めんとし

た」と、『草枕』を指していると受け取れることばを書き残している。

戦後に世界を股にかけて活躍した日本を代表する映画監督の黒澤明は、

「僕はね、ドストエフスキーと同時に芭蕉や蕪村が好きなんです…」

と語っている。

何が言いたいのかというと、俳句的な表現方法が日本人にとってとても重要な要素を占めて

いると思うが、その表現方法を現代人は忘却しているのではないのか、と思っている。

先に引用した寺田寅彦は、さらに続けて、

「俳諧風雅の道は日本文化を貫く民族的潜在意識発露の一相である」と述べ、

「俳諧の滅ぶる日が来ればその時に始めて日本人は完全なヤンキー王国の住民となるであろ

う」とも述べているが、その状態に現代人は陥っていないかと思い、最近色々と俳句を読みあ

さっている。

芭蕉は勿論のこと、蕪村、鬼貫、井月、芥川、漱石などにも眼を通したが、深まった読みにい

たらなく、最近出版された、案内書や解説書などにも眼を通してみたのだが、それにも違和感

を感じていた。そんな時に出会ったのが本書。

本書は、露伴が芭蕉を深くまで読み解き、解説している構成となっているが、

それが「俳句を読むとはどういうことか」を教えてくれてもいるので、かなり参考になる。

「解説」を書かれている小澤實氏が「俳句の読みとは、俳句の一句から想像力を羽ばたかせて

行くことでもある。句の奥へと誘う想像力も露伴鑑賞の魅力のひとつだ」

さらに、「俳句の読み方を学ぶために、鑑賞書がある。そのすぐれたものの一冊として、

本書『芭蕉入門』が掲げられる」

と述べられており、一読してまったくその通りだと思った。

現在の俳句は江戸時代に盛んであった俳諧を受け継いでいる。

俳句は俳諧の発句が単独で作られるようになったもの。

と、現代の専門家の間で言われているが、本書のなかで露伴はそれだけではないとしている。

「俳諧を發句のみであるといふやうに早合點する人は、やゝもすると俳諧は詩歌同様のもので

あるに關らず、詩歌の大部分を占むべき戀愛も人情も度外にして置いて、世相にも觸れずに、

たゞ單に花鳥月露、四季の節物を取扱ふのみで、平淡無味に近い、興味の少い、風流人的情趣

のみを盛つたもののやうに看做す傾も有る。

然しそれは後來の趨勢を以て眼を掩はれた上の感じで、俳諧が所謂「月並俳諧」「床屋俳諧」

に墜堕したから生じたことである。

少なくとも元祿の勃興期はそんなものでは無かつたのである。

俳諧の盛期は決して發句のみで一世に歡迎されたのでも無く、又發句のみで興隆したのでも無

い。

いや寧ろ矢張り俳諧之連歌の其の連聯賡續して行くところの面白味、世相の記述も有れば批評

も有り…」

「俳諧は和歌より系を引いた連歌の庶子の如く世に出て來たので、本より自由自在を本質とし

て立つてゐる上に、傳統的から云つても戀愛などを扱ふを憚る譯は無いので、和歌的なのがあ

るのみならず、小説味的、戲曲的のものをさへ含んで人情世態の記敍批評風刺慨歎等を縦横揮

灑するに至つてゐる。

發句一章の性質論は別として、俳諧の興趣を世に認められたのは、其實却つて此の方面に存し

たのを看過しては錯看である」

本書では、露伴が芭蕉の肩越しから眺めて論じられているかのような不思議な印象を抱く。

そして、その視点で芭蕉を論じていると同時に俳句とは何かも論じられているので、

理解が深まる。

小澤實氏が「丁寧に生きていれば、さまざまな事物に対する実感が溜まってくる。

俳句を読む力とは、そんな実感の集積と関わっているのではないか、と思う」

と述べているが、これから歳を重ねていくとともに俳句を深く味わって行こうと思っている。

今ではそれが高級な日本人の生き方のひとつであると信じている。

本書はその指針になる一冊。

散る花や鳥もおどろく琴の塵

芭蕉

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幸田露伴 講談社 2015年04月15日
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ブルーノ・タウト/篠田英雄 中央公論新社 2008年11月
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夏目漱石 新潮社 2005年09月
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寺田寅彦/小宮豊隆 岩波書店 1963年