20世紀フランスの知性と謳われるポール・ヴァレリー。
いつも行く大型書店に、筑摩書房から刊行されている『ヴァレリー全集』(全12巻、補巻2)が
奥の本棚に置いてあり、パラパラと立ち読みすることがある。
さすがに全集を揃える予算と時間に余裕が無いので、庶民の財布にも時間にも優しい文庫で刊
行されているものをある程度揃えた。
フランス人でもなく、専門の研究者でもないのだが、資金が貯まったら全集にも手を出そうと
思わせてくれるのがポール・ヴァレリー。
「ジェノヴァの夜」の“知的クー・デタ”以降からなのか具体的には知らないが、視野が広く深
く、それだけ多彩な作品を残してくれたことに感謝している。(出版関係者にも)
ヴァレリー自身が「偉大な人というのは、自分の去ったあと、他の人々を途方に暮れさせる人
のことだ」(言わないでおいたこと)『ヴァレリー・セレクション』
と書いていることが、ヴァレリーにも当て嵌まる。
ポール・ヴァレリー (1871~1945)
本書はヴァレリーの評論から「精神」をキーワードに選んでまとめたもので、
最も有名な評論であり表題の『精神の危機』や『方法的制覇』を含む16篇が収録されている。
以下、気になったものを抜粋。
『方法的制覇』は、ドイツ帝国ができて20年ほどたち、重工業がいちじるしく発達して国力が
急速に充実し、ビスマルクの下で軍備を強化して(富国強兵)、隣国やヨーロッパの脅威の的と
なっていた時期に、詩人のウィリアム・ヘンレーが『ドイツ製』と題する論文をみずからが主
宰する雑誌『ザ・ニュー・レヴュー』に発表し、標題が流行語となり、事態を見たヘンレー
が、さらに論旨を発展させ、哲学的な結論をあたえてほしいと依頼して、25歳のヴァレリーが
書いたもの。
ヴァレリーは初め当惑していたが、それを引き受け、1897年一月に『ザ・ニュー・レヴュー』
誌にフランス語で、最初『ドイツの制覇』として発表し、第一次世界大戦の勃発ののち、大戦
を予想した論文として注目され、『メルキュール・ド・フランス』誌に再発表された。
1924年以来『方法的制覇』と標題を変えている。
「ドイツの成功には、私の見るところ、何よりも一つの方法の成功があるのだ。私が関心する
のはその方法である」
「初めは一つの要塞、一つの学校にすぎなかった。
そこに、今、人々は巨大な一つの工場、いくつものとてつもない造船台を見る。
さらに人々は、それらの要塞、工場、学校が、相互に連絡し合って、同じ一つの強固なドイツ
の多面体を構成しているのではないかと疑っている。
ドイツ国家の礎を築いた数々の戦勝は、同国がすでに手中に収めている経済的な勝利に比べた
ら、物の数に入らないというのが大方の見方である。
すでに世界市場の多くがドイツに支配されている。それは同国が戦争によって獲得した領土よ
りも広大である」
「ドイツは軍国化したと同時に、意識的に、工業化し、商業化したことが分かる」
「野心から野心へと、夢をふくらませながら、ドイツは作られていった」
「ドイツは国家として新しいということがある。
大国の仲間入りをする国、より古く、より安全な大国がすでに存在する時代にその仲間入りを
果たす国は―古くからの大国が何世紀もかけて築いたものを駆け足で模倣し、よく考えられた
方法にしたがって、自らを組織しようとする―
それは人工的に作られた都市がつねに幾何学的な構造の上に建てられるのと似た理屈である」
近年の欧米の新聞などでは、今の中国はこの頃のドイツに似ているという論も出ているが、
上の文を「中国」と置き換えても読めるし、戦前の日本にも当て嵌まること。
国内を統一して近代化を推し進めるということは、アーノルド・トインビーが指摘した
「創造―勝利―昏睡―大失敗」のサイクルに陥りやすいということでもある。
別の箇所でヴァレリーは「国家が国民を作るのです」と書いている。
あまり中国を買いかぶり過ぎるのもよくないと思うが、
それはヴァレリーの言う「野心から野心への、方法の成功」ということだろう。
トインビーが示した一連の流れに到る過程の方法をヴァレリーは指摘した、
といえなくもない。
ただ、年齢もさることながら専門家でもないのに、その方法に着目して冷静に分析し、
書くことによって自己の立場を明確にさせたことは凄いことだろう。
第一次大戦の終戦の年、シュペングラーは『西洋の没落』を世に問う。
翌年にヴァレリーは、本書表題の『精神の危機』をロンドンの批評家ジョン・ミドルトン・マ
リーの依頼で英語で発表し、その後フランス語で発表する。
この期間にヴァレリーは、アンドレ・ジット宛の手紙に
「ぼくは恐ろしく疲れている。本当に極限状態だ。愚かにもいくつか出版することを約束して
しまい、もう打ち切るまでだと限界が感じられるのにすべてを投げだして余所へ行ってしまう
財力がないものだから、仕方ない、続けるだけだ」
と愚痴をこぼしている。
『精神の危機』は、(第一の手紙)と(第二の手紙)、(付記〈ヨーロッパ人〉)の構成になってい
る。
(第一の手紙)は、「我々文明なるものは、今や、すべて滅びる運命にあることを知っている」
という有名な書き出しから始まり、第一次世界大戦が起こった原因や、戦前の知的状況の分析
を通して、ヨーロッパの精神の崩壊の危機が指摘されている。
(第二の手紙)は、そのヨーロッパの方法を習得することによって、ヨーロッパ以外の後進国と
思われていた国々が、先進国に追いつき、勢力図が変わってしまうのではないか、という危機
感が窺える。(付記〈ヨーロッパ人〉)も同様の流れで論じられている。
「これまでも跡形もなく姿を消した多くの世界、すべての乗員・機関もろとも深淵にのみこま
れていった数々の帝国の話を耳にしてきた。
それらはすべて、彼らの神々、法律、学術の府、純粋・応用諸科学、文法、辞書、古典、ロマ
ン派、象徴派、批評家たち、批評家の批評家たちもろともに、諸世紀の測り知れない深淵に沈
んでいった。
我々はすでに知っていたのだ、目に見える大地はことごとく灰塵で作られ、灰塵は何かのしる
しであることを。
我々は歴史の厚みを通して、かつ財宝と精神を積んでいた巨船の幻影を垣間見てきたのであ
る。
その数は我々には数えきれないほどある。
しかしそれらの難破は、つまるところ、我々の関与するところではなかった」(第一の手紙)
「歴史の深淵はすべてをのみこむ容量を持っていることである。一個の文明は一個の生とかわ
らぬ脆さを持っていることを我々は感じる」(第一の手紙)
「最も美しいもの、最も古くから伝えられてきたもの、最も見事で秩序あるものが、いかにし
て、偶発的な要因で、滅びていくものであるかを、我々の世代が体験的に学ぶだけでは不十分
であった。我々の世代は思想、常識、感情の分野において、幾多の驚くべき現象、逆説の突発
的な実現、明証性の突然の崩壊が起こるのを目にしてきた」(第一の手紙)
「戦争の間ほど、人々が本をあれほど沢山、しかも、夢中になって読んだことはなかった」
(第一の手紙)
「ヨーロッパ文化という幻想がはじけ、知識では何も救えないという知識の無力が証明され
た」(第一の手紙)
「精神の危機に深みと重みを与えるのは、危機に陥った患者の状態である」(第一の手紙)
「一九一四年のヨーロッパは恐らくこの種の近代主義が限界に達していたのだ」(第一の手紙)
「あくなき貪欲、熾烈にして無私の好奇心、想像力と論理的厳密さの幸福な混合、悲観主義に
ならないある種の懐疑主義、諦念とは一線を画す神秘主義……そうしたものがヨーロッパ
『魂』の最も深甚な力を発揮する特性になっていることだ」(第二の手紙)
「その物質面の応用によって、有効性が確認され、報われてしまうと、我らが科学は力の手
段、物質的支配の道具となり、富の刺激剤、地上の資本活用の道具となって、―《自己目的》
的な探求、一種の芸術的活動ではなくなってしまった。
かつて消費財であった知識が交換価値になったのだ。
知識の効用が知識を一つの商品に変え、そのことによって、いくばくかの傑出した愛好家によ
ってではなく、『普通の人』の欲望の対象になったのだ」(第二の手紙)
「人間は不断に、かつ、必然的に、存在しないものを念頭に浮かべて、存在するものと対立す
る存在だということである。
人間は自分の夢に、営々とした日々の努力によって、あるいは天才の発動によって、現実世界
が持つ力と精度を与えようとする。
その一方で、現実世界に徐々に大きな変更を加え、現実世界を自分の夢に近づけようとするの
だ」(付記〈ヨーロッパ人〉)
「我々の思考は発展しなければならないし、同時に、保存されなければならない。
思考は極端なものによってしか前進しないが、存続するのは平均的なものによってである。
究極的な秩序は自動性であるが、それは思考の敗北である。究極的な無秩序はさらに迅速に思
考を奈落へ導くだろう」(付記〈ヨーロッパ人〉)
「ヨーロッパ『精神』が支配するところには、必ず、最大限の欲求、最大限の作業、最大限の
資本、最大限の能率、最大限の野心、最大限の勢力、最大限の外的自然の変形、最大限の関係
および交換が出現する。
この最大限の集合がヨーロッパ、あるいはヨーロッパのイメージである」
(付記〈ヨーロッパ人〉)
第二次世界大戦や冷戦などを経験し、ヴァレリーが指摘した通り、それらが地球規模に拡大さ
れ、今又、雲行きが怪しくなっている。
ヴァレリーの立場は、端的に言えば「あまりやりすぎるな」ということで、オルテガやケナン
や鈴木大拙らが指摘したことと同様に感じられる。
100年前に書かれたものだが、現代にも通じ、示唆に富む。
渺茫とした地平線の彼方に、廣い豐かな世界、
『帝國』が、夕暮を强烈極まる暁に變へるであろう
稻妻を 至上命令を 火の薪を、待つてゐるのだ。
(皇帝) ポール・ヴァレリー