靴にすべてを捧げた男の物語―フィル・ナイトの『SHOE DOG(シュードッグ)』



世界は戦争や苦痛、貧困に溢れていて、単調な毎日は心身を消耗させ、不公平なことばかり

だ。

そんな中でのただ一つの解決策は、けた外れに大きくてありえない夢、追い求める価値があ

り、自分に見合った楽しい夢を見つけて、アスリートのように一心にそれを追い求めること

だ。

好もうと好むまいと、人生はゲームだ。その事実を否定しプレーを拒む者は、脇に取り残され

るだけだ。

そうはなりたくない。それだけは絶対に避けたい。

そう考えるうちに行き着いたのが、いつもの馬鹿げたアイディアだ。

もしかすると、自分の馬鹿げたアイディアにもう1度立ち返るべきかもしれない。

馬鹿げたアイディアは実現する・・・・・・かもしれない。

『SHOE DOG(シュードッグ)』フィル・ナイト

手元に置いといたまでは良かったのだが、最初は数ページ捲って綴じる、ということを繰り

返していた。

そこらへんに溢れ返っている薄っぺらいビジネス書や自己啓発書の類だと思っていたが、

読み進めるとそうではないと気がついた。

斜め読みしていたその数ページを越えたところで、「予想していたより面白そうだ」と思い、

もう一度振り出しに戻り、読み直した。

フィル・ナイト(1938年2月24日~)

「シュードックとは靴の製造、販売、購入、デザインなどすべてに身を捧げる人間のことだ。

靴の商売に長く関わり懸命に身を捧げ、靴以外のことは何も考えず何も話さない。

そんな人間同士が、互いにそう呼び合っている。

熱中の域を越し、病的と言えるインソール、アウターソール、ライニング、ウェルト、リベッ

ト、バンプのことばかり考えている人たちだ。だが私には理解できる。

人が1日に歩く歩数は平均7500歩で、一生のうちでは2億7400万歩となり、これは世界一周の

距離に相当する。シュードッグはそうした世界一周の旅に関わりたいのだろう。

彼らにとって靴とは人とつながる手段であり、だからこそ彼らは人と世界の表面をつなぐ道具

を作っているのだ」(本書)

シュードッグであるフィル・ナイトはナイキの創業者。

ご存知の方が多いのかもしれないが、ぼくは知らなかった。

オレゴン大学時代には陸上チームに所属し、中距離ランナーとして活動してもいた。

1年間のアメリカ陸軍勤務を経て、スタンフォード大学大学院に進学し、MBAを取得。

1962年、「ブルーリボン・スポーツ」の代表者として日本のシューズメーカーであるオニツカ

をアメリカで売るビジネスを始める。

その後、独自ブランドの「ナイキ」を立ち上げ、社名もナイキに変更。

株式公開し、紆余曲折ありながらも巨大企業にまで成長し、現在に至る。

本書は、ナイキを創業するまでの経緯や、創業初期の頃の様子、株式公開に至るまでが克明に

綴られている。

フィル・ナイト自身もNHKBS-1で放送されていた『ナイキを育てた男~“SHOE DOG”とニ

ッポン~』(2018年4月放送)という番組の中で(録画していたのを最近観た)、

「大企業になってからのナイキのことは皆知っているが、最も語りたかったのは、創業当初の

ことです。スメラギやイトウのことを知っている人はほとんどいない。

彼らのことこそ知ってほしいのです」

と語っていた。

日本人からしたら本書の最大の見所は、なんといっても日本との関係であり、日本なくしてナ

イキは創業出来なかった、と単純化していいたくなるぐらい良くも悪くも深い関係にあった。

フィル・ナイトが、アメリカで日本のシューズメーカーであるオニツカを売るアイディアは、

スタンフォード大学時代の宿題のレポートの中にあらわれている。

「大学の最終学年時、起業についてのセミナーがあり、私は靴に関するレポートを書いた。

初めはただの宿題だったそのレポートに、私はすっかり夢中になってしまった。

ランナーだった私は、ランニングシューズについて知っていたし、ビジネスについても詳しか

ったので、かつてはドイツの独壇場だったカメラ市場に日本のカメラが参入したことも知って

いた。

レポートの中で、日本のランニングシューズにも同じように可能性があると力説した。

私はそのアイディアに強い興味を持ち、刺激を受け、そしてとりこになった。

非常に明白かつシンプルで、大きな可能性を秘めているように思えたのだ」(本書)

スタンフォード時代は毎朝走りながら、日本に行き、靴会社を見つけて、自分の馬鹿げたアイ

ディアを売り込もう、と考えていた。

日本への行き帰りの途中で異国に寄り道することも考えていて、「まず飛び出して異国を見な

いことには、世界に足跡を残せるわけがない」として、父に相談してそのまま世界旅行にも旅

立つことになった。

日本に着いたらアポイントを取って、神戸にあるオニツカに訪問した。

フィル・ナイトは、まだ会社を設立していなかったが、その商談の最中に「ブルーリボン」とい

う会社の代表ということにして、アメリカでのオニツカタイガーの代理店としての契約がまと

まる。

その後、7年間タイガーシューズに身を捧げ、シューズをアメリカに紹介した。

立ち上げ当初のフィル・ナイトは、会計士や大学の教員として働きながら靴を売っていた。

(大学での教え子であったペニーが後の妻)

新たなモデルを陸上のコーチであったバウワーマン(ナイキの共同創業者でもある)や、陸上仲

間でもあり友人のジョンソンなどと開発し、その改良したモデルをオニツカに見せて、それが

基となり売り上げを伸ばし、業界の様相も変えていった。

その間、資金繰りに苦しんでいた時にも日本の貿易会社である日商岩井に助けられた。

特に日商岩井の社員であり、総合商品部を切り盛りしていたスメラギ氏が尽力した。

ドキュメンタリー番組でも出演されていた。

オニツカとの契約がグダグダになると、自分たちで生産(製造)を始めることになった。

(オニツカに内緒で)

友人のジョンソンが「ナイキ」というネーミングのアイディアを思い浮かべ、フィル・ナイトは

それを気に入った。日本に工場の視察に訪れ、広島や久留米などを回った。

再び資金繰りに苦しみ、銀行口座の資産凍結にあうが、その時もまた日商岩井が助けた。

この時尽力したのは、フィル・ナイトがアイスマンと呼ぶ、イトウ氏だった。

イトウ氏もドキュメンタリー番組に出演されていた。

日本の人件費が上昇したため、円の変動とあわせて、日本で多くの製品を作っていた会社は先

行きが不安定になっていた。

シューズの大半を日本で作るというビジョンも崩れ、新たな工場と新たな国を探す必要が生じ

るようになった。

日本以外のアジアの国(韓国、台湾)などに生産拠点をシフトさせ、日本への依存は完全に終了

した。

ソ連を封じ込めるための米中国交正常化後の1979年に、中国にも進出することにもなった。

「問題はどうやって中国に進出するかではない。すでに一部の会社が進出を予定しており、

そうなれば他社も続くだろう。

問題は、どうやって最初に乗り込むかだ。最初に進出すれば数十年有利に立てる。

そうすれば中国の製造部門だけでなく、中国市場や中国の政治指導者との関係も有利に運ぶこ

とができ、大きな成功が見込める。

中国についてミーティングを重ねた最初の頃、私たちは常にこう言っていた。

あの国には10億人の足があると」(本書)

そして、株式を公開した所で綴じられている。

かなりまとめて記述したので、ぼくの拙い文章能力では、ご理解いただけないのかもしれない

が、フィル・ナイトが、起業したきっかけも日本企業のオニツカだったし、新しくブランドを立

ち上げたきっかけもオニツカだった。(端的に言えば)

資金繰りに苦しんでいた時に、手を差し伸べたのも日本企業の日商岩井だった。

もし、日商岩井が助けていなかったら世界的ブランドのナイキは誕生していなかったのかもし

れない。特に、スメラギ氏とイトウ氏の気転がなかったなら、そうなっていた可能性は高い、

と個人的にも感じる。

そのドキュメンタリー番組の最後では、スメラギ氏がフィル・ナイトに動画メッセージを送って

いるのだが、それを観たフィル・ナイトは、感慨に耽りながら注視していた様子が伝わり、最後

には眼を潤ませていた姿が印象的だった。

本書の最後には、「死ぬまでにしたいこと」と題して直近の出来事が語られている。

ナイキの今、アスリートとの思い出、息子の最期、師のバウワーマンとの別れ、もし日商岩井

がなかったなら、仲間達のこと、工場改革、新たなリスト作り、など。

「金があろうとなかろうと、それを望もうと望むまいと、金はその人の日々を決定づけようと

する。人として私たちは、金に翻弄されないようにありたいものだ」(本書)

「毎年1億ドルを寄付しているが、私たちが死んだら残ったお金のほとんどは寄付するつもり

だ」(本書)

ページ数も500ページを超え、読むのに戸惑ってしまう方もいるかと思うが、内容もさること

ながらリズミカルな訳にも助けられ、あっという間に読めてしまう。

特に、新しく何かを始めようとしている人、新しく何かを始めたがうまくいっていない人、

などにはお勧め。背中を押してくれる。


フィル・ナイトも、

「すべてをやり直せたらどんなにいいだろうか。

それが無理なら、せめて浮き沈みの経験を若い人たちに伝え、彼らがどこかで同じ試練や苦境

を経験した時、何かしらのヒントの慰めを得てくれたらと思う。

あるいは糧として、若き起業家やアスリート、画家や小説家たちが前に進んでくれたらいい」

(本書)

と言っているのだから。

個人的には、パットンやマッカーサー、禅などに言及していた箇所にも目が留まった。

Nissho Iwai Garden

現在のナイキの本社には日本庭園らしきものがあり、日商岩井の名前がつけられている。

左手にはパルテノン神殿がある。プラトンが建築家と作業員の仕事を見守った場所だ。

右手にはアテナ・ニケ神殿がある。ガイドブックによると、そこは2500年前に女神アテナの描

かれたフリーズがあったそうだ。

「ニケ(NIKE)」、つまり勝利をもたらしたとされる美しき女神だ。

『SHOE DOG(シュードッグ)』フィル・ナイト

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フィル・ナイト 東洋経済新報社 2017-10-27

コメント

  1. リョーマ より:

    常識で生きてたらハードゲームだよね。
    人生1回だしやりたいことをやったほうがいいでしょ。

    この本はあと一歩が踏み出せないでいるときの、ほんのひと押しをしてくれる。
    勇気をもらえる1冊だね。