『西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム』 ダグラス・マレー



私が「欧州は自死の過程にある」と言うのは、

「欧州委員会の規制の重みが耐えがたくなっている」という意味でもなければ、

「欧州人権条約がある特定のコミュニティを十分に満足させてこなかった」という意味でもな

い。「私たちの知る欧州という文明が自死の過程にある」という意味である。

英国であれ西欧のどの国であれ、その運命から逃れることは不可能だ。

なぜなら我々は皆、見たところ、同じ症状と病弊に苦しんでいるからである。

結果として、現在欧州に住む人々の大半がまだ生きている間に欧州は欧州でなくなり、

欧州人は家(ホーム)と呼ぶべき世界で唯一の場所を失っているだろう。

『西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム』ダグラス・マレー

著者は、保守系の雑誌『スペクテイター』アソシエート・エディターを務めていた、

保守派のジャーナリストである英国人のダグラス・マレー。

本書のハードカバー版は2017年5月に出版され、英国でベストセラーになり、

アメリカとオーストラリアでも好評を博したという。

テレビ、新聞、ネットなどを眺めれば、欧州が移民で苦しんでいる、ということは誰もが認識

しているかと思うが、冒頭で引用したとおり著者は、欧州が大量に移民を受け入れたことによ

り、欧州人のアイデンティティも失われ、「結果として、現在欧州に住む人々の大半がまだ生

きている間に欧州は欧州でなくなり、欧州人は家(ホーム)と呼ぶべき世界で唯一の場所を失っ

ているだろう」とかなり悲観的に書いている。終章でも、

「欧州人は自分自身の物語を十分に信用せず、自らの過去に不信感を持つ一方で、

自分たちの望まない別の物語が入ってくるのを知るという立場に追い込まれている。

すべての選択肢が閉ざされつつあるという感覚が、至るところで膨らんでいる」、

「過去と現在の囚人となった欧州人にとって、未来に向けての穏当な回答は結局存在しないよ

うに思われる。最後の致命的な一撃は、このようにして加えられるのだろう」

と明け透けに書かれている。

ダグラス・マレー

本書では、前半に移民を受け入れてきた一連の流れを詳述し、順を追ってそのことによって欧

州が変質した様子や問題点などが浮き彫りにされている。

「第二次世界大戦後、それぞれの国が外国人労働者の入国を許し、後には奨励するようになっ

たのだ」(本書)

当初はゲストワーカーだった労働者は、渡航した国の一部になり、市民権を得た者もいれば、

二重国籍を取得した者もいる、という感じで移民を受け入れてきた背景を説明しているが、

この辺りのことは、以前取り上げたイスラム学者の池内恵氏が『イスラム世界の論じ方』で、

三つの類型に大別して説明されているが(もとは2007年『アステイオン』で発表したもの)、

そちらの方が理解しやすい。

「ひとつはある時期までのドイツに代表される、「一時的な滞在者」として処遇するモデルで

ある。固有の支配的な国民化を持った「非移民国家」としての自国認識が国民の間に支配的で

あり、移民は何らかの理由で「一時的に滞在している外国人」として扱われるのが基本であ

る。・・・

二番目の類型が、イギリスに代表される、比較的自由な移民・難民政策をとり、移民のコミュニ

ティに教育などで一定程度の権限を認め、固有の文化を保持を可能にする「多文化主義」

「多元主義」による統合政策をとる国である。

特定の支配的文化への同化を求めるのではなく、移民集団の固有文化を尊重しつつ、国民を統

合していくというモデルであり、スウェーデンやオランダもこれに類すると言える。・・・

三番目の類型はフランスに特有なものである。

フランスは出生地主義によって国籍を付与し、統合においては共和主義的な理念に基づいた同

化政策を基本としている。

移民は人種や宗教的背景とは切り離された普遍的な基本的人権を享受する個人として、共和国

に統合されることになる。

共和国の理念の中の重要な要素が、政教分離(ライシテ=「世俗主義」とも訳される)である。

重要なのは公共空間の峻別であり、宗教は個人の内面に限定されたものとされる」

(『イスラム世界の論じ方』)

「・・・イギリスではパキスタン、インドなど旧植民地・英連邦諸国から、フランスでは旧植民地

のマグリブ(北アフリカ)諸国から、ドイツではトルコからおもに渡来した。

一九七三年の石油ショックをきっかけに親規移民受け入れは各国で停止されたが、既存の労働

移民の多くは帰国を選ばず、家族を故郷から呼び寄せて定住した。

第二・第三世代の誕生によって、西欧諸国の国民・住民としての地位を得るものが増えていっ

た。

その後の親規移民としては政治難民・亡命者があり、近年はふたたび経済的な理由による移民が

増加している」(『イスラム世界の論じ方』)

本書の中で著者のマレーは、

「「多人種の社会」または「多民族の社会」と呼ぶ方が正解だったが、もはや「人種」という

考え方は良くないものとされていたので、「多文化主義」という言葉が最良の選択肢だと思わ

れたのだ」

と書き、しかもその「多文化主義」という新語の意図が人々を一つの国の傘の下に糾合するこ

とにあったのだとしたら、結果的には逆効果だった、とまで書いている。

「この言葉が導いたのはアイデンティティの統合よりも、むしろアイデンティティの細分化だ

った。肌の色がアイデンティティの違いを気にかけてない社会を作るかわりに、この言葉は突

如、あらゆるものにアイデンティティを潜り込ませてしまったのだ」(本書)

さらには、サミュエル・ハンチントンを引用しながら次のようにも述べている。

「多文化主義の時代は、欧州の自己放棄の時代だった。

そこでは移民を迎え入れた社会が一歩身を引き、「親切な大家」としてのみ見られることを願

っていた。著名な米国の政治哲学者サミュエル・ハンチントンが、近著の中で「多文化主義は本

質的に欧州文明に敵対的であり、基本的に反西洋的なイデオロギーだ」と述べたのは、それが

一番の理由だった」(本書)

2000年代には、イスラム教徒の若者が関与したテロや暴動などにより、あらゆる場所で多文化

主義というコンセンサスへの反対論が噴出し始めていた。

「2000年代を通じて、こうした極端な多文化主義に対する批判が次第に高まっていった。

欧州人があらゆる場所で熟考していたのは許容の限度を巡る問題だった。

自由主義的な社会は不寛容に対しても寛容であるべきなのか?

それとも最も寛容な社会でさえもが「そこまでだ」と言うべき瞬間があるのか?

我々の社会はあまりに自由主義的にすぎたために、その過程で非自由主義や反自由主義をはび

こらせてしまったのか?」(本書)

そしてこの頃から、「多文化主義」から「多信仰主義」の時代へと変容した、と著者は指摘す

る。

「それまで多文化主義を巡る議論の焦点となっていた民族的アイデンティティが後方に退き、

代わりに宗教的アイデンティティが(大方の人々の目には)どこからともなく現れて、重要な論

点となったのだ。

黒人やカリブ海出身者や北アフリカ出身者の問題だったものが、今やイスラム教とイスラム教

徒の問題になった」(本書)

「しかし新たな千年記に入る頃に「多信仰主義」の時代が欧州に忍び寄り、移民グループにお

ける人種の重要性が低下した。本当の問題は宗教ではないのかと、欧州が疑い始めたのだ」

(本書)

英国で疑いを感じ始めたのは、1989年のバレンタインデーのことだったという。

「革命で成立したイラン・イスラム共和国の最高指導者、アヤトラ・ホメイニが「世界中のあら

ゆる熱心なイスラム教徒」に向けて、ある文書を発布したのだ。それは「イスラム教と預言者

とコーランに敵対して編集・印刷・出版された『悪魔の詩』なる本の著書と、その内容を知りつ

つ発行に加担したすべての者たちに死刑を宣告する」ことを知らせたものだった。

ホメイニはこう続けた。「すべての熱心なイスラム教徒に呼びかける。彼らをどこで見つけよ

うと、迅速に処刑せよ。イスラム教の神聖さを侮辱しようとする者が、他に誰も出ないように

するためだ」」(本書)

1990年には、イスラム教のある宗教指導者が、政府から助成金を得ているアムステルダムのラ

ジオ局の番組で、次のように述べていたという。

「イスラム教とその秩序に反抗する者たちや、アラーとその預言者に敵対する者たちは、シャ

リーア(イスラム法)にあるとおり、殺害し、絞首し、虐殺し、あるいは追放してもよい」

(本書)

2008年にケルンで開かれた集会で、トルコのエルドアン首相(当時)は、欧州各地から集まった

2万人のトルコ人に次のように呼びかけている。

「君たちが同化に反対していることは、私もよく理解している。君たちが同化するなどとは期

待するべきではない。同化は人道に反する罪だ」

さらには、ドイツ政治に関わり、影響力を手に入れるべきだとも訴えている。

移民たちがどこにも行かず、同化もしないと悟った欧州の人々は、移民の存在に抵抗も覚える

が、それを指摘すれば「差別だ」などと汚名を着せられた。

移民が自国内に留まるのなら、もっと居心地をよくするべきだという風にもなり、その一つと

して、受け入れ国の物語を脚色したり改変したりすることが行われた、と著者は指摘する。

「たとえばイスラム教徒のテロ攻撃が、起これば起こるほど、イスラム教の新プラトン主義者

たちの影響力が称えられたり、イスラム科学の重要性が強調されたりもした。

テロが続いたあとの10年間ほどは、スペイン南部のコルドバを都とする8~11世紀のイスラム

教のカリフの統治が、歴史の中に埋もれた存在から、寛容と多文化主義的な共存の模範へと格

上げされている。

このこと自体も慎重な歴史の書き換えを必要としたか、現在に一定の希望を供給するために過

去が呼びだされたわけだ」(本書)

難民危機に伴ってではないが、今日の欧州人は、自分たちが特定の歴史的罪悪感(植民地主義や

人種差別主義)を背負うべきだと感じていて、それも大変な重荷になっているという。

「社会にイスラム教が広がるほど、イスラム教に対する嫌悪と不信が広がるのだ。

だがエリート政治家は共通して、それは違う反応を示した」(本書)

テロ事件が起こるたびに、政治指導者は国民に、「これはイスラム教とは関係ない」「いずれ

にせよイスラム教は平和な宗教だ」とするが、しかし多くの国民はそれに同意せず、エリート

と大衆の乖離があると指摘している。

「大量移民の時代の最前線では、性的・宗教的・人種的な少数派が絶えず脅威にさらされた。

そのことをもっと多くのリベラル派が警告として受け取るべきだったのだ。

「リベラル」な移民政策を追求すれば、リベラルな社会を失う可能性があるのではないかと」

(本書)

「極右が欧州全土で躍進」や「ファシズム」などの言葉の乱用によって、本来の意味がほとん

ど失われた、と指摘しているが、街頭の運動家たちの言語も至るところで劣化している、とも

指摘している。

「一つ確かなのは、政治が悪化するとしたら、それは思想が徐々に悪化したためだということ

だ。そして思想が悪化するなら、それは修辞が徐々に悪化したためだ」(本書)

政界やメディアなどのエリートたちが、一般大衆の見方を受け入れず、

大量移民を支持する比較的少数で極端な人々の見方が欧州政治の主流に唯一適合するものなの

だという立場を取り続けることは、いずれ難しくなるだろう、としているが、どうなることや

ら。


日本では問題が「キリスト教とイスラーム教」の間の対立であるかのような議論も散見される

が、これは基礎的なところから問題を見誤っている。

実態は「世俗主義・自由主義の原則」と「イスラーム教の普遍性の理念」の間のそごと摩擦が表

面化したものと言えよう。

『イスラム世界の論じ方』池内恵 (デンマークの新聞が二〇〇五年に掲載したムハンマドを風

刺した事件について)

昨今、一定の業種で外国人の単純労働者を受け入れることを決定した日本だが、

2025年までに50万人を超える人数を想定しているという。

良くも悪くも日本でも目が離せない問題になるのは間違いなさそうだ。

感受性・文化・理想の多様性はヨーロッパを定義するものですが、

多様なものが衝突すればヨーロッパは分裂してしまいます・・・

ポール・ヴァレリー