『シナ(チャイナ)とは何か Ⅳ』 岡田英弘



本書は稀代の歴史学者、岡田英弘氏の著作集第4巻。

ちなみに、

第1巻 歴史とは何か   第2巻 世界史とは何か 

第3巻 日本とは何か   第4巻 シナ(チャイナ)とは何か 

第5巻 現代中国の見方  第6巻 東アジア史の実像 

第7巻 歴史家のまなざし 第8巻 世界的ユーラシア研究の六十年

(藤原書店)

と、なっている。

いずれも分厚く、内容もぎっしり書かれているが、

わかりやすく書かれているので、あっという間に気持ちよく読めてしまう。

そこがすごい。

岡田英弘氏の学説が主流ではない事は知っている。

時代の先駆者はそいうもんだと思われるが、でも、何か少し寂しい。  

学会で評価されなければ、一般人で評価すればいい、と個人的には思っている。


始皇帝の統一で生まれた第一のシナは、後漢末の黄巾の乱以降人口が激減し、

隋の統一から始まる第二のシナでは、北から入った鮮卑族が新しい漢人になった。

モンゴル人が建てた元朝から満洲人の清朝までが第三のシナであるが、

元と清の時代、漢人の住地はその植民地であった。

中華民国からが第四のシナで、

つまり、シナは、時代ごとに支配層も支配範囲も変化してきたのである。

『シナ(チャイナ)とは何か Ⅳ』 岡田英弘


漢族がすべて神話の最初の帝王、黄帝の血をひく子孫であるという観念、

「黄帝の子孫」としての中華民族という観念が発生したのは、

一八九五年、日清戦争で清朝のシナが日本に敗れ、

近代化、西洋化に踏み切ってからのことであって、

それまでは、現在「漢族」と呼ばれる人々のあいだにさえ、

同一民族としての連帯感なぞ存在していなかった。

そうした「血」や「言語」のアイデンティティの代わりに存在したのは、

漢字という表意文字の体系を利用するコミュニケーションであって、

それが通用する範囲がシナ文化圏であり、

それに参加する人びとが漢人であった。

『シナ(チャイナ)とは何か Ⅳ』 岡田英弘


「シナ」って差別語じゃないの、と言われそうだけれど、


江戸時代の一七〇八年、シドッティというイタリア人宣教師が潜入し、

カトリック教徒と連絡を取ろうとしたが、捕らえられて江戸に連行された。

白石はそのなかでイタリア語の「チーナ」を「支那」と音写したが、

もともと「支那」は仏典のサンスクリット語の音写に用いた言葉である。

そして西洋の「チャイナ」が当時の清朝の概念とは異なるため、

白石は「支那」を用いたのである。

『シナ(チャイナ)とは何か Ⅳ』 岡田英弘


となっている。白石とは、新井白石のこと。


もともと、英語の「チャイナ china」に対応する日本語は「シナ(支那)」だった。

ところが、第二次世界大戦後、日本を占領下に置いたGHQの命令と、

日本人自身の過剰な自己規制により、すべて「中国」と言い換えてしまったために、

その後、嘘が拡大して今日に至った。

今後は、秦という王朝名を起源とするシナを使って、正しくこれをシナ文明と呼ぶ。

『シナ(チャイナ)とは何か Ⅳ』 岡田英弘


日本は長らくシナ文化圏にあった。ところが、それが逆転して、

シナが「日本文化圏」に入るという世界史上の大事件が起こった。

日清戦争における清国の敗北である。

『シナ(チャイナ)とは何か Ⅳ』 岡田英弘


たとえば、「中華人民共和国」の「人民」も「共和国」も「共産主義」も

「社会主義」も、「改革」「解放」も、「同士」「進歩」「思想」「理論」「階級」

など中国共産党の大好きな言葉はどれも、日本人が西洋語を翻訳してつくったものである。

『シナ(チャイナ)とは何か Ⅳ』 岡田英弘


おあいこってことで、今日は終わり。(中国側はそうさせてくれないが)

岡田英弘氏は、2017年 5月25日に、86歳で永眠された。

岡田英弘氏の功績は、偉大な先人達と引けをとらないものだと個人的には思っている。

ご冥福をお祈りします。