中国との正しい付き合い方 / 『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘



いつの時代も中国との付き合い方(距離感)を、問われる宿命にあるのが日本。

日本だけではなく、東アジア全体に言えることなのかもしれないが、

それは今後も変わらないことだろう。それを地政学的要因と言うのかもしれない。

日中友好、東アジア共同体、パンダ外交などと称して距離を縮めるのか、

はたまた、必要最低限の付き合い方をして、距離を取り、じっと静観するのか。

どちらを執るにしても、悩ましい限りである。

詳しくは説明しないけれど、歴史を鑑みてもそうだ。



本書は、以前にも紹介した、藤原書店から刊行されている、岡田英弘著作集の第五巻。

専門の満洲、モンゴル史の研究に於いて、世界トップクラスの実績をもつ、

(ぼくは世界一だと思っている)

稀代の歴史学者が、現代中国(七〇年代からの)を論じたらどうなるのか、

というような構成。(ぼくの要約)

歴史学者ならではの「眼」と、ジャーナリスティックな「眼」を融合させているので、

骨太な著作となっていて、ページ数も多く、一般人は敬遠しがちだが、

噛み砕いて綴ってくれているので、読みやすくなっている。

「一九七二年十月、日本が現代中国と国交を樹立する直前から

 私は現代中国についての解説を始めた。

 まだ文化大革命の余波が続いていた頃である」。

「実際に中華人民共和国との国交樹立であった『日中国交正常化』当時すでに、

 私は今の日中関係を予測していた。

 しかし、四十年前には、私の言うことに日本人はほとんどだれも耳を貸さなかった」。

として、Ⅴ部構成で、

第Ⅰ部「現代中国はいかに形づくられたか」 第Ⅱ部「中国人とは何者か」は、

朝食勉強会、エグゼクティブ・アカデミーにおける講演要旨。

第Ⅲ部「時局を読み解く」は、本書の核。

第Ⅳ部「現代中国の諸相」は、柔らかいテーマを扱った現代中国論。

第Ⅴ部「発言集」は、シンポジウムや対談や座談会や質疑応答における発言。

と、なっている。


日本人が、中国人をどういうものと認識しているか、

中国との関係をどういうものと意識しているか、

この二つが非常に問題なのである。

しかも、これが今、日中間にある問題の半分ぐらいを占めているのではないか。

『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘


岡田氏の一貫した立場は、中国との間にある問題をごまかさずに直視して、

その事実をしっかりと把握して、距離を取りなさい、というもの。

そんな中国に対してどういう態度をとればいいのかとして、大きく四つあげている。

まず第一に、日本は中国には非常に大きい恩義を受けてきたのだ、という

       アプローチを止めることである。そういう事実はまったくない。

第二に、  今の中国をつくったのは日本だということを認識することである。 
    
       今、中国にあるものは、ほとんど日本に起源がある。

       ということを認識するだけでも、ずいぶん話は違ってくる。

第三に、  開国以来、日本にとって、

      中国は災厄以外の何物でもなかったということである。

      日本は日清、日露、満洲事変、支那事変とどんどん貧乏くじを引いていって、

      最後は大東亜戦争に負けたのである。

四つ目になるが、日中友好を日本の対アジア政策の中心に捉えることは危険だ。

『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘

まあ、政治体制も違うし、安易な考えで「日中友好」を謳って、

懐に飛び込むのは危険だということ。

当たり前だが、向こうは本心で「日中友好」を言っているのではないのでね。

(メディアでは、最近、又パンダで騒いでいるが)

鳩山政権下での「東アジア共同体」の失敗を見れば明らかなことでもある。

ちくま文庫の『日本史の誕生』に詳しいが、

“日本の誕生”も中国離れを起こして形成されたもので、本書でも少し言及されている。


シナの建国は紀元前三世紀、日本は紀元七世紀だが、天智天皇の日本建国は、

そもそもシナの皇帝と対立し、それから身を守るため、自衛のため、

天皇という、皇帝に相当する対等な称号を採用したということで、

それが日本の出発であり、同時に「日中関係」の出発であったということである。―

注目すべきことに、日本は建国以来、明治四年(一八七一)まで、ただの一度も、

大陸のどんな政権とも正式な国交を結んでいない。

『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘

それは、文字の発明にも繋がることでもある。(もしくは文字が最初だったのかもしれないが)

漢文を基礎にして訓読し、倭人の言葉に置き換えてゆくという方法によって、

日本語を開発したのである。

『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘

山本七平も、

「日本人は自らの言葉を記す自らの文字を創造し、それによって自らの古典を記し、

 それと並行して組織的な統一国家を形成した。

 このとき日本ができたと言っても過言ではない」

と、同じような解釈で述べている。「かな」の発明がいかに重要だったのかがわかる。

それは、「文字」と「文学」と「中央集権的統一国家」とを併行して形成していった。

和魂漢才。

これは、明治にも繰り返しているのが面白いところ。対象は西洋に移ったが。

和魂洋才。

そして、日本ではよく、

中国人は長期的なビジョンがあり、したたかに考え、行動していると、

認識されることが多いのだが、岡田氏は、それを否定されている。


日本人はとかく、

中国人は長期的な視野からものを考える人たちのように思いがちだが、

そうではない。

中国人の基本的な生活の智恵は、明日のことはわからない、ということである。

彼らは、そのときにならなければわからない翌年の計画を、

今から立てるのは、愚かしいことだと考える。

『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘

さらに

「中国人は刹那主義である。中国人は悠長な大人ではない。目の前のことしか考えない」

としている。

災害など頻繁に発生するが、日本の社会は比較的安定しているといえる。

だが中国では人口が多く、人間の地位が非常に不安定な社会。

そして、法に対しての考え方も違う。

法律の観念が中国と日本では全然違うのだ。

中国では、伝統的に、

法律というのは人民を取り締まるためのガイドラインにすぎないのであって、

為政者はこれに束縛されないというのが原則である。

『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘

そのことを裏付けるかのように、中国のある幹部が岡田氏に、次のように述べている。

「マルクス主義の教えるところによると、

 社会主義は、資本主義が発展して爛熟し切った基盤の上でしかできないはずのものである。

 ところが中国では、いまだかつて資本主義を経験したことがない。

 資本主義を知らない中国人が社会主義建設などできるはずがない。

 また、社会主義法治、民主と盛んに言うが、

 中国が法治国家であったことはない。法律の条文など、だれも信じない。

 民主や自由も、それを経験したことがないのだから、実行できるはずがない」。

その原因は以下の事と、関係しているのかもしれない。

中国人の社会では、持って生まれた「人を信頼する」という

人間の自然な気持ちを矯めなくては出世できない。これは文化である。

そうしないとすぐに人に付け込まれるということは、

自分も人の誠意や弱みを見つけたら、その瞬間に踏み込んで付け込まなくてはいけない、

ということだ。

そうやって、先のことを考えずに、すぐにその場で取れるものは取ってしまえ、

というのが中国人の処世術の基礎だということなのである。

『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘

上で指摘していることが、

チベット、ウイグル、内モンゴル、満洲、台湾、南シナ海、東シナ海での行動と、

一致しているのは、気のせいだろうか?

確かに考えてみれば、南シナ海も長期的なビジョンに立って事を進めていたら、

こんなに騒がれずに、簡単に獲得できたのかもしれない、とも思える。

あからさま過ぎて、周辺国に警戒感を与え、団結させると、

エドワード・ルトワックも書いている。

そして、中国自身が招いた結果なのに“孫子の兵法”だと、言わんばかりに、周辺国に対して、

切り崩しに懸命になっているのは、滑稽にも見える。

一帯一路も、国内の経済が行き詰まり、やむをえず国外に眼を向けた結果、

として捉えることもできる。

上述の事象を、さらに踏み込んで、一九九八年の論文で岡田氏が的確に指摘している。

外国をあまり意識しないために、外交政策が確立してしかるべき国際戦略の面でも、

平気で横紙破りの行動に出る。

教科書検定問題も、李登輝の訪米問題も、台湾の直接選挙にからむ台湾海峡ミサイル危機も、

そうした一例である。

中国の国益にとってはマイナスにしかならないことを、

政府のいろいろな部局が平気でやるのである。

もっとも心配なのが中国人民解放軍で、かつての日本の関東軍のように独走しかねない。

彼らが暴走すると、政府が不拡大方針で懸命に引き締めようとしても、

起こってしまったことはどうしようもない、ということになりかねないのである。

中国には外交政策はない。そのときどきの事象に反応しているだけである。

あたかも先のことを見通して政策や戦略を立てているかのように見えるが、

それは買いかぶりであって、実際は中央の狭いサークル内での勢力争いの跳ね返りが、

国際関係に出ているにすぎないのである。

『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘

最近では、日中関係改善の兆しか、と思われた矢先に、潜水艦問題で台無しになったのも、

上の指摘通りだろう、と個人的には思っている。

一度動き出したら止めることが出来ないのも中国の宿命の一つ。

どの国でも言われることだが、外交は内政の延長である。

しかし、中国の場合はそれがさらに極端で、外交は“内政そのもの”であると言ってよい。―


外国に対して誠意を示せば示すほど、

国内では地位が危うくなるというのが中国のポリティックスで、本当に気の毒な宿命である。

『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘

それと中国人は、「世界一頭がいい」、「世界一優秀な人種である」と確信しているらしい。

素晴らしい認識だとは思うが、他国に振りかざすのはやめた方がいいだろう。

これは『東アジアの実像 Ⅳ』での言葉だが、

中国人を論じる場合(付き合っていく場合も)、自覚しておいたほうがよい原則が、

三つあるとしている。

1、中国人の行動はヴァルネラビリティという物差しで判断するのがよい。

2、中国人にとって、言葉は言葉、行動は行動、現実は現実で、別である。

3、本心というものは、かならず二股以上である。

としている。

同書で、外交に関する三つの常識、としても述べられている。これも三つ。

第一に、外交について理想を持ってはいけない。

    この相手国との外交はどうあるべきか、などと考えるのは禁物で、

    国際関係がいろいろの要因によって動かされ、

    絶えず微妙に変化し続ける生き物である以上、

    安定した国際関係などというものは、どだいあるわけがない。

第二に、外交で問題とするべきは、そのときそのときの状況下で、

    何がなしえるか、であって、何をなすべきか、ではない。

つまりどんな国にしても、外交の大方針は、地政学的な条件によって、

好むと好まざるとにかかわらず決定されているのであって、
    
外交の役割は、その枠の内での調整しかないのである。

第三に、とくに言われることだが、外交は内政の延長、どころか内政そのものなのである。

    言い換えれば、一国の外交の論理は、その内政の論理そのままなのであって、

    内政が国ごとに異なる社会や文化によって規定される以上、

    外交を律する原理も国によって同じではない。

つまり外交とか国際関係は、けっしてすべての国々が同じルールで演ずるゲームではなく、

一見よく似た動きであっても、それぞれの国にはそれぞれの理由と意味があるのである。

『東アジアの実像 Ⅳ』 岡田英弘

そして、本書のなかで、

中国人が本心を言っているのか、それとも建前を言っているのかについて、

判別の方法がある、として、四つあげている。

まず第一に、中国人は人の目を見て話をしないので、

      こちらかじっと相手の目を見つめることである。

二つ目は、話の場にほかの中国人を交えるな、ということである。

三つ目は、話の文脈を注意深く読み解くというのも、有効な判別方法である。

四つ目は、相手の中国人が外国語ができる場合は、

      中国語ではなく、外国語で話をすることである。

『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘

第Ⅲ部「時局を読み解く」にはあまり触れなかったが、

七十年代の日中国交正常化以降の、当時の世界情勢を多角的に踏まえながら、

しかも一年ごとに詳細に、日中関係を綴っているので、

国際政治学者や、チャイナウォッチャー、ジャーナリストなどには、

とても有益になるかと思う。

最後に、本書の“おわり”で述べられている言葉で、今日は綴じたい。

さて、本書を読んだ読者は、では今の中国と将来の中国についての私の意見はどうなんだ、

と欲求不満の気持ちになるかもしれない。

しかし、私は日本に生まれた一日本人として、自分の責務はもう充分に果たしたと思う。

本書で私が行ったような中国人の言動の分析方法を応用して、

今後は、若い日本人が間違わずに日本の舵取りをしていって欲しいと願うだけである。

『現代中国の見方 Ⅴ』 岡田英弘

それは、松本健一の言う、

死者が生者(わたし)を捉えた瞬間にあったることなのかもしれない、

と、感じた。