拝啓 中国の皆様へ



中国は今日の世界にあって、漢・満・蒙・回・蔵の土地、その一部を失うことはできないし、

漢・満・蒙・回・蔵の人民、その一種を失うことはできない。

[中略]蒙・回・蔵の地の交通と教育が内地と同時に発展し、満・漢が混じって一家となり、

蒙・回・蔵の地に大いに植民すれば、人民の交際が密接になり、種族感情は消えやすくなり、

混合も自ずと容易である。

蒙・回が同化した後は、国内に満・漢という対立語がなくなるだけでなく、蒙・回・蔵という語も

なくなり、ただ数千年間に万種を混合した中華民族があるだけとなる。

『金鉄主義説』 楊度(よう・たく/一八七五~一九三一/立憲派)

「中国には漢族以外に一億人近い国民がいる。

彼らは公式に認められた五五の少数民族に属し、国境地域に居住している。

それは国土の約三分の二に相当する広大な地域で、多くはどちらかといえば最近になって中国

に吸収された。

ほかにも四〇〇ほどの民族グループがあるが、いずれも五〇〇〇人に満たず、与党である中国

共産党から少数民族として公認されていない」(本書)

「国境地域は内部に火種を抱えている。

「山高く、皇帝遠し」という中国の古いことわざは、地元の人びとに対する北京の支配力は弱

く、その威光は疎んじられるといった意味だが、今もそれが心に響く土地だ」(本書)

デイヴィッド・アイマーは、1985年に初めて中国を訪れて以来、中国行脚を続け、ほぼ全省を

踏破し、2005年~12年には、北京に滞在、2007年~12年には『サンデー・テレグラフ』北京

特派員を務めていた、中央ヨーロッパにも出自を持つイギリスのジャーナリスト。

デイヴィッド・アイマー

「一九八八年以降、私は何度か中国に戻ってきた。だが、二〇〇五年前半に当地に移住し、

ジャーナリストとして働くようになってようやく、そろそろ新疆を再訪しなくてはと思い至っ

た。

するとそこからもっと大がかりなプランが浮かんできた。とくに論議を呼ぶ国境地方を旅し、

多様な少数民族と漢族との関係を調べる、というものだ。

どうして中国人を植民地大国の代表と見なす人がいまだに多いのか、そのわけを知りたかっ

た。

各民族グループに声―中国国内でほぼ封じられているもの―を与えること、そしてそのために

世界有数の知られざる片隅に旅することが、この本の執筆したいちばんの動機だ。・・・」(本書)

本書では、その中国辺境地域・国境地域の新疆ウイグル、チベット、雲南、東北部をジャーナリ

ストという身分を隠し、現地の人々に助けられながら旅した記録が収められているので、

そこに住む少数民族と呼べれている人たちが、どのように暮らしているのか、その地に対して

中国共産党政府は、どのような政策を実行しているのか、その政策に対してどのように思って

いるのか、などの生の声を窺い知ることができる。訳は近藤隆文氏。

第1部 新疆―ニューフロンティア 第2部 チベット―ワイルドウェスト

第3部 雲南―楽園のトラブル   第4部 東北部―境界を押し広げる

最近、アメリカのペンス副大統領がウイグルでの人権問題について言及していたのが、

日本のニュースなどでも流れていたが、そのウイグルでは、ビリーという英語の別名をもつ、

生粋のウイグル人の友人とウルムチで行動を共にする場面が描かれているのが印象的。

友人のビリーは「僕らは中国人となんのつながりもない」とよく言い、

「中国人には見えないし、話す言葉も違えば、食べ物だって違う。それに僕らはムスリムで、

アッラーを信じている。中国人が信じているのは金だけだ」、

「独立したいと言うウイグル人は大勢いる。自分たちの伝統と文化のある自分たちの国がない

のはウイグル人だけだから。でも僕らはずっと前に土地を失った。漢族はあまりにも強力だ。

権力と兵器を独占している」、

「二〇年後に起きているんじゃないかってことが二つあるんだ。

ウイグル人なんてもうなくなって、同化させられるか、アメリカみたいな別の国に助けられる

か。アメリカが中国と戦争したら、僕らは自分の国を持てるのかもしれない」

とも言い、このように終末論的な心情を吐露するウイグル人は少なくない、と著者は指摘す

る。それもそのはずで、

「一九四九年九月、ウルムチの住民は人民解放軍の第一陣を空港まで迎えに行くよう命じら

れ、さもなければ顔を銃撃された。

このときの部隊の指揮官は王震(ワンチェン)上将で、のちに中国の副主席に上り詰める。

長征[一九三四年に中国共産党が江西省瑞金の根拠地を放棄してから翌年陝西省延安に至るまで

の一万二五〇〇〇キロにわたる大移動]に参加した筋金入りの毛沢東信奉者で、時代錯誤な見解

で知られていた。

一九八九年六月、天安門広場で民主化を求める抗議運動が起きた際には、「ブルジョア自由派

の知識人ども」を新疆に追放するように提案している。

王震は毛沢東の命令を受け、一九五〇年以降に大幅に増加した漢族入植を監督した。

これは大規模な帝国拡張事業で、旧人民解放軍の部隊と敗れた敵軍である国民軍の数百万人が

西に向かっている。

新疆の中国人が少数派のままでは、ウイグル人の反乱にダメージを受けやすいと毛沢東は認識

していた。それを防ぐことで王震は悪名を馳せたのだ。

漢族の歴史家たちでさえ、一九五〇年代には六万人ものウイグル人が北京による支配への抵抗

および、毛沢東の言う「迷信打破」の関連で死亡したことを認めている」(本書)

それから六十余年経っても、ウルムチは兵士でいっぱいで、人民解放軍から派生した武警(ウー

チン)、人民武装警察の車隊が四六時中道路を走り、鉄製のヘルメットをかぶり、AK-47を手に

して主要な交差点を見張っているという。

中国の武装警察の兵士たちと、そばを通り過ぎるウイグル人市民

さらには、新たに組織された特殊部隊も、脇道に止めたバンに潜み、待機していると。

近年、中国人の移住者が押し寄せていて、ウイグル人は現在、ウルムチの人口一〇パーセント

を占めるにすぎず、それに対して、新疆にいる漢族は一一〇〇万人強で、一九四七年の二二万

人から大きく上昇している。

当然、地元の経済を牛耳っているのは漢族であり、中国の企業は、ウイグル人は北京官話を話

せる者が少ないから雇えないと訴えたり、ウイグル人は仲間内で働きたがると言い立てたりし

ていると。

新疆のGDPの半分以上を占める、急成長中の石油・天然ガス産業の労働力のうち、ウイグル人

は一パーセントにすぎず、著者は経済的アパルトヘイトだ、と指摘してもいる。

ウイグルと言えば、二〇〇九年の抗議運動が記憶に残っているが、その事件の流れにも著者は

言及している。

二〇〇九年七月七日、こん棒や刃物などを持ってウルムチ市内を行進する漢民族。

デモ隊の一部は「ウイグル族を襲え」と叫び、ウイグル族の商店を破壊してまわった。

「二〇〇九年の抗議運動の発端は、香港に近い広東省南部の工場で二人のウイグル人従業員が

殺害されたことだった。漢族女性を強姦したと濡れ衣を着せられ、同僚たちに暴行されたの

だ。(中略)ところが、北京は騒乱の罪をウイグル人の常連容疑者、ラビア・カ-ディルに着せ

た。かつては成功をきわめた実業家で、中国の形式的な議会、全国人民代表大会の議員だった

彼女は、漢族からウイグル人のロールモデルに挙げられていた。

だが、新疆における共産党の政策を批判したことで当局の不興を買う。

六年間収監されたのち、大きな在外ウイグル人コミュニティのある米国ワシントンDCの亡命を

認められた。その後、ラビアは世界ウイグル会議の議長に就任した。

同会議はミュンヘンを拠点とし、ウイグル人国家の独立を呼びかける亡命者グループの連合体

で、新疆の中国人支配に対する抵抗のもっとも目立つ看板である。

これに対し、北京はしきりとラビアを分離派のテロリストとしてやり玉に挙げており、彼女を

世界ウイグル会議が暴動を組織したのだといち早く糾弾した。

ラビアの東トルキスタンの独立を平和な、暴力によらない、民主的なプロセスで確立したいと

主張している」(本書)

ラビア・カ-ディル

著者は、その暴動の二日後に賽馬場(サイマーチャン)を訪れているが、五七歳未満の男性はほ

ぼ全員、警察に連行されていた、「からくもウルムチの端にしがみつく賽馬場は、敵陣内の前

哨地―漢族にほぼ征服された都市におけるウイグル人最後の抵抗の地だ」と指摘する。

共産党政府は、ウイグル人の信教の自由に対する制限をどんどん強めてきていて、現在では、

十八歳未満はモスクでの礼拝を禁じられ、さらには、学校で北京官話のみを学習するよう強制

されている。

西の街カシュガルでは、旧市街の住民ニニ万人がカシュガル周縁の小屋のような共同住宅に、

活動を監視しやすくするため転居させられていると。

清朝時代に満洲族支配の敵対者が追放される流刑地だった南の街チャルチャンでは、共産党の

不興を買った者が入れられる強制労働収容所「労改(労働改造所)」の所在地になっており、

そこでは、ウイグル人の政治囚や、ほかの地方の反体制分子も収容されているという。

その「労改」は、新疆生産建設兵団(XPCC)が管理しており(中国では「兵団(ピントゥアン)」

で知られている)、ウルムチに近い小都市の石河子(シーホーツー)に拠点を置き、

事実上の影の地域政府で、トマトや綿の農場、新聞、テレビ局を有し、新疆のGDPの約一〇パ

ーセントを占め、すべての町と産業を支配しているという。

新疆生産建設兵団(XPCC)

「彼らにとって、新疆は中国人に押しつけられた名前だ。

独立を求める無数の人びとは、ここを東トルキスタンと呼ぶ」(本書)

チベットでは、ラサからチベット西端、そしてヒンドゥー教徒と仏教徒にとって世界一神聖な

カイラス山を目指す。

ガイドについたのは、ダラムサラでダライ・ラマと会ったことのある、チベット人のテンジン。

そのテンジンが次のように語っていたのも印象的だった。

「あれからチベットの状況は随分ひどくなっている」、

「ますます軍隊と警察がやってきているし、あいつらはまるでけだものだよ。

みんな怖がってる。だからもう抵抗しないんだ。みんな刑務所には行きたくない」

「あれから」というのは、二〇〇八年三月のチベット騒乱での中国人の対応で、ただ、僧侶だ

けは抗議の焼身自殺を、今でも東チベットなどで続けているという。

「彼らがいちばん怒っている。祭日を祝う自由も、思うままに礼拝する自由もないんだ」とテ

ンジンは言っている。更に、

「チベット人はみんなここで彼に会えるようになったらいいと思っている。

僕もそうなることを願っているし、彼が政治から引退した今なら、そうなるんじゃないかな。

中国人が嫌がっているのは彼が政治にかかわることだから」

と言い、「彼」とは勿論ダライ・ラマのこと。

その証拠にチベットのどの僧院にも、ダライ・ラマが北インドのダラムサラでの亡命生活から戻

ってきたときに備えて玉座が残されていて、一般人の民家でも、奥の壁には、ダライ・ラマとチ

ベット第二の高僧である先代のパンチェン・ラマの写真を並んで立て掛け、さらには、

ラジオ・フリー・アジアのチベット語チャンネルにテレビを合わせ、静かに音声が流れていたと

いう。

「ほとんどのチベット人は現在のパンチェン・ラマを認めようとしない。

ダライ・ラマがパンチェン・ラマの次代の転生者として選んだ六歳の少年を共産党が却下し、

その後、新たに選定した人物だからだ。

少年は一九九五年五月にダライ・ラマから指名された三日後、中国当局に連れ去られ、以来その

姿を見た者はいない」(本書)

共産党政府は、テクノロジーを使ってチベットや各自治州の鎮圧に努めており、

五万人の住民の九割をチベット人が占める、常時監視下にあるリタンという町では、CCTVカ

メラがあらゆる通りをモニターし、武警の大部隊の拠点は都合よく僧院の近くに置かれている

という。

古都のラサでも同様で、僧院は廃れ、新しい集合住宅群とのどちらかを取るか厳しい選択を迫

られ、舵取りのいないまま漂う都市で、観光客に踏みならされ、テーマパークと化している、

と著者は指摘する。

チベット・ラサにあるポタラ宮

「消毒され鎮圧され、チベットはテーマパークと化している。まもなく私はこう悟った。

観光客に踏みならされた道を避けなければ、もっと本物らしいラサは見つからない。

ポタラ宮のようにミイラ化されることもなく、中国全域を支配する物質主義的光景に呑み込ま

れていくこともないラサは―」(本書)

「漢族の誰もがチベットや新疆の民族と地形は漢族と中国の地域に似ても似つかないことに同

意するのに、その二地域が中華帝国の領土でなかったことは断じて認めないのだ」(本書)

中国でもっとも民族が多様な地域の雲南では、現地の民族グループの一部は「模範的少数民

族」として挙げられており、北京政府も当地の少数民族に覇権を脅かされることはないと確信

していることもあり、緊張とは無縁な場所として知られており、著者は、それを見極めたかっ

たとして、東南アジアとの長さ四〇〇〇キロにわたる国境地帯にも足を運ぶ。

漢族とは緊張関係にはないとされているが、あるダイ族の人は次のように語っている。

「地元の人間はここに来る漢族を快く思っていない。競争が厳しくなって、ダイ族の人間は事

業を始めにくくなっているのです。漢族は土地や家をほかの漢族から借りることも多いし」

漢族の中国少数民族観に溢れる無自覚なオリエンタリズムでは、ダイ族は従属的な民族グルー

プの模範となる夢のような存在だ、と著者は指摘する。

この地に初めてやってきた多くの中国人が、どうしてあの恩知らずのウイグル人やチベット人

たちは漢族による統治をダイ族のように潔く受け入れられないのかと疑問を抱いている、

というから滑稽だ。

ただ、それは表向きのダイ族の姿であり、自分たちの文化の表層が中国人によって観光業に使

われても、それを黙って認めることで、増えていく漢族をものともせず、根本にある独自性を

守る余地をつくり出している、と著者は指摘し、時間が経つにつれ、ダイ族こそ中国のあらゆ

る民族グループでいちばん権謀術数的(マキャヴェリ)だと思うようになったとしている。

雲南の西端、ミャンマーに程近く、徳宏ダイ族チンポー族自治州に位置する瑞麗(ルイソー)

は、中国全土に犯罪の中心地として悪名をはせる国境都市であり、密輸や女性売買と切っても

切れない関係にある。毎年何千人のミャンマー(ビルマ)人女性が中国で売買されるのか、正確

なところを知る者はいないという。

「ビルマ人の人身売買業者が女性を国境まで連れて行き、そこで中国の業者に受け渡されま

す。事前に売買が取り決められていることもありますが、多くの場合、瑞麗の公園で開かれる

市で売買されるのです」

「人身売買業者からすてきな服を着せられ、メイクを施されてから、女性たちは売りに出され

る。本当に残酷な話です。それまで縁のなかったすてきな服を着せられて喜んでいると、いき

なり野菜みたいに売られていくのですから」

と実際に売買された女性は語っている。

それは、近年とみに増えており、こうする以外に結婚相手を見つけようのない中国人男性(多く

は農家)の花嫁として売られていく。

ムヤという町で生まれ育ったアバという女性は、十二歳の時に近所のある女性から、瑞麗に行

きましょう、必ず家まで送り返してあげるからと説得され、騙されて中国にやってきて否応な

しに妻にさせられたという。アバは運よく脱出に成功し、無事生まれ故郷の町に帰還すること

ができたが、その多くは、家族やわが家を目にすることは二度となく、最悪の場合は、そんな

境遇に絶望し、一部の女性は自ら命を絶とうとする。

花嫁の値段は六〇〇〇元から四万元で、女性の年齢と容姿に応じて幅があり、男の跡取りを産

んだ後で再度売買される女性もいるそうだ。

「女性は子供を産む機械としか見なされていない。

出産後は別の家族に、ときには性産業に売り飛ばされて、売春婦として働くことになるので

す」

「最初は中国語を話せないから、家や農場でどんな仕事をしないといけないのかわからなくて

失敗する。そうすると母親にぶたれるんです」

そこでは、ずっと見張られ、一人で出かけることは許されない。

強制結婚を目的に売られた女性はほぼ全員、買い手の男と結婚するほかなく、逃げ出せる見込

みがない。

お金を払わない限り、警察は事件について中国当局に問い合わせようとしなく、絶望的な状況

だ。

中国が境界線を再度押し広げる可能性がもっとも高い地域であり、近隣国の脆弱さや地理的に

離れていることにつけ込み、事実上の植民地にしようとしている、と著者が指摘する東北部で

は、現在、満洲語を話せる者は、わずか一〇〇〇人しかいないという。

なかには少数民族と分類されることを選ぶ中国人もいて、満洲族を名乗る人が増えていると言

う。

北朝鮮との国境に近い延吉では、朝鮮族が多く、その中にはキリスト教徒も多数いて、宣教師

は東北部や隣国の朝鮮でも活動し、延辺や吉林省は信仰の拠点になっているという。

彼らは、集合住宅や人けのないオフィス、レストランの奥の部屋に信者が集まり、家庭教会で

礼拝している。

さらに著者は、北に位置する黒龍江省に入り、アムール川に沿って西に行き、ロシア国境に近

い黒河という町を目指し、そこから船に乗り、対岸にあるロシアのブラゴヴェシチェンスクに

入る。

そのブラゴの町では、二〇〇〇年以降から、中国系移民が驚くべき勢いでアムール川をわたっ

てきており、現地の大学教師のロシア人女性のアナスタシアは、

「最近、ここは中国人だらけです。あまり増え過ぎたら、ロシアのためにならない」

と意見を述べており、その教え子のセルゲイは、

「たくさんの中国人がわがもの顔でブラゴを歩き回っていて、失業中のロシア人のなかには、

連中が安い賃金で働くものだから仕事がないと腹を立てている者が大勢います」

と述べている。

ブラゴの町では、人口に占める中国人の割合は一〇パーセントであり、地元の人が何より恐れ

ていることは、中国は外満洲を取り戻して極東ロシアをこっそり植民地化したがっている、

ということ。セルゲイは、

「極東のこの辺りに暮らす人たちはモスクワから見放されていると感じているし、

僕たちはロシアのほかの地域から切り離されているんです。

ロシアの人口が減りつつあること、中国の人口が多過ぎて領土を必要としていることを考えれ

ば、絶対に起きないとは言い切れません」

と語っている。ちなみに、アムール川の対岸には、東北部だけでも一億人以上の中国人が暮ら

している。中には、この中国との距離感にチャンスを感じ、北京官話を習うロシア人もいると

いう。どうなることやら。

以上が、著者が苦労して辿った中国国境地域の概要であり、

ぼくの目に留まった箇所をピックアップした。

特にウイグルやチベットの現地での生の声を記し、伝えてくれているので、

内部でどんなことがおこなわれているのか、ということを窺い知れることができるのでとても

参考になる。


「中国は外部からの影響を遮断した国家であるとの考えに異議を唱えることも、中国の果てま

で行く必要性を感じた理由だ。

周囲から切り離されているどころか、中国は近隣諸国と分かちがたく結びついている。

中国の陸の国境線は二万二一一七キロにわたり、世界最長だ。

ロシアと並び、中国が国境を接している国は一四カ国で、これはどの国よりも多い。

北東、南西、そして西側を、中国はひどく孤立した東南アジアの国々、中央アジア諸国、アフ

ガニスタン、ブータン、インドにパキスタン、モンゴル、ネパール、北朝鮮、ロシアに囲まれ

ている」(本書)

「いわゆる「儒者の責務」として、漢民族は被征服民を文明化するのが務めだと感じていた。

それは彼らを漢族化することにほかならない」(本書)

冒頭で引用した楊度も「儒者の責務」のスタンスであり、本書第2部冒頭で著者は、

「中国人は蛮族に関して、

彼らを虐殺することは無慈悲な行為ではなく、彼らを騙すのは不実ではなく、

彼らの土地や財産を盗むのは不正ではないと考えてよい」

という、明末から清初の儒学者・王夫之の言葉を引用しているが、王夫之も「儒者の責務」のス

タンスであり、今でも多くの漢人は、何故、ウイグル人やチベット人たちは漢人による統治を

潔く受け入れないのか、と思っており、「儒者の責務」のようなスタンスでいるのが理解でき

る。

漢人は統治能力が無いのを自覚していないのが最大の問題であり、力関係でしか物事を把握で

きないのも問題だ。

端的に言えば、ガキだということだろう。

つまり、誤解されやすいことをやって、それが国外に及ぼす影響にまったく無頓着なのが、

中国の政治の特徴である。

『東アジア史の実像 Ⅳ』岡田英弘

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デイヴィッド・アイマー 白水社 2018-03-24