『アメリカとヨーロッパ-揺れる同盟の80年』渡邊啓貴



本書執筆の第一の動機は、日本ではまだ体系的に論じられていない米欧関係史の全体像を描く

ことにある。

軍事同盟としての北大西洋条約機構(NATO)について書かれた研究成果はいくつもある。

しかし米欧関係は軍事・安全保障の次元だけではなく、政治・経済・文化・価値規範を含む広範な

関係として捉えるべきであることは今日明らかである・・・

第二に、米欧関係は日本外交、とくに日米関係を考える上で、大いに参考になると考えられる

からである・・・

第三に、言うまでもなく多様な類似点や連関性はあっても、米欧関係は同じではない。

たとえば北大西洋同盟が多国間協力の枠組みであるのに対して、太平洋の同盟関係は日米・米

韓・米台・米比といったアメリカとの二国間同盟の集積である。

これは同盟の枠組みのあり方の違いであるが、それ以上に意識の上でも違いは大きい。

『アメリカとヨーロッパ-揺れる同盟の80年』渡邊啓貴

著者の渡邊啓貴(わたなべ・ひろたか)氏は、パリ第1大学大学院博士課程修了、在仏日本国大使

館公使などをへて東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。他にもフランス関係の著作を

多数出版されている。

その北大西洋同盟と太平洋諸国(アジア)のアメリカとの同盟関係における「意識の違い」とは

何か。

「一つは改めて言うまでもなく、米欧諸国はキリスト教的な歴史・価値規範・思考行動様式を共

有する共通文化圏である。「民主主義と市場経済」とはまさにこの米欧共通の文化圏の発明で

ある。これを「安全保障共同体」と呼ぶ・・・

もう一つは、近代以後米欧諸国は、世界秩序の形成と維持に対する責任感と自負を共有してき

たことである。それは米欧が世界のリーダーシップを握ってきたことを意味する」(本書)

本書は、冷戦の始まりから現代までの、歴史的にもっともよく機能したと言われている米欧の

同盟関係の協調と競争・対立の連鎖の80年が綴られている。しかもコンパクトに上手にまとめ

られているので読みやすい。

北大西洋条約機構(NATO)の旗

日本国内では「欧米」や「西洋」としてアメリカとヨーロッパを一緒にして語られる傾向があ

り、いつでも関係が良好なイメージがあるが、ながらくヨーロッパの人々にとってはアメリカ

は植民地のイメージが強く、逆にアメリカの人々にとってのヨーロッパのイメージは、古臭く

貴族的な堕落の大陸であった。

「単純化による誤解を恐れずに言えば、米欧関係の底流には後者の優越感と前者の劣等感があ

る。一九世紀を通して米欧関係の基本はそこにあった。そして、文化や精神生活面での人々の

深層意識の中で、この構図は根強い」(本書)

オルテガやトクヴィルなどもそうだが、現代でもイギリスのロジャー・ブートルが「多くの人々

にとって米国は美徳の鑑とはほど遠い」と書いている。

しかし、一九世紀末の米西戦争や第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て、本格的にアメリカ

優位の時代が到来する。

再びブートルを引用すれば、「戦中から戦後にかけて、米国は世界市場で英国よりも優位に立

つこと、そのために大英帝国を解体に向かわせることに熱心だったのである」ということも一

理あろう。

第二次世界大戦が終焉すると、西ヨーロッパとアメリカにとっての脅威は、ドイツからソ連(共

産主義)へ移り、ソ連に対抗するための防衛体制の確立が急務となった。

ヨーロッパは疲弊しており、アメリカの支援なくしては立ち行かなくなっていた。

それはアメリカの覇権を後ろ盾とした協力関係となった。

著者は、冷戦時代を通じて、アメリカの欧州政策には三つの特徴があったとしている。

「第一は、ヨーロッパは米軍にとって対ソ政策の安定した基地の確保を意味した。

第二に、ヨーロッパ統合の支援であった。トルーマン大統領は欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の創

設を主張したシューマン・プラン(一九五〇年)を支持し、アイゼンハワー大統領も欧州経済共同

体(EEC)・欧州原子力共同体(EURATOM)の設立を定めたローマ条約(一九五七年調印)を支持し

た。そして、第三に、こうした冷戦下でのアメリカのヨーロッパ保護政策の代償としてヨーロ

ッパに独立した戦略的役割を与えないことだった」(本書)

アメリカは拒み続けていた集団防衛体制=北大西洋条約機構(NATO)の原加盟国にもなり、

国内ではヨーロッパ市場統一がアメリカの脅威となることを懸念する議論もあったが、アメリ

カはそれを受け入れた。

「一連のヨーロッパ援助は、アメリカの覇権国としての自負であり、余裕であった」

と著者は指摘する。

「べヴィン(英外相)は「事態が急速かつ攻撃的に進展している」と危機感を抱き、アメリカに

協力を働きかけアメリカはそれに応じた。

こうしてアメリカの支援を得て、一九四八年三月一七日には英仏ベネルクスの西欧五ヵ国はブ

リュッセル条約を締結し、経済・社会・文化面の協力に加えて「ソ連のヨーロッパ支配の危険」

に対抗するための軍事的協力を約した西欧同盟(WEU)を誕生させた。

これは前年三月にドイツの脅威に備えて調印された英仏同盟相互援助条約(ダンケルク条約)を

母体にしていた。

WEU条約が調印された直後ジョルジュ・ビドー仏外相はマーシャル国務長官に共同防衛体制の

組織化を提案した。それこそNATOの萌芽であった。

フランスはNATOによってソ連軍に対する防衛ラインが東西ドイツ国境に引かれ、アメリカ軍

がそこに駐留することでドイツの軍事大国化を阻む効果をもつと期待した。

いわゆる独ソ双方に対する「二重の封じ込め」としてのNATOの存在であった」(本書)

さらには、一九四九年四月四日にワシントンで北大西洋条約が欧米一二ヵ国の代表によって調

印されることになり、ヨーロッパはアメリカ軍の駐留を強く望み、一九五〇年代末には最大時

在欧米軍は約四〇万人規模に達し、三分の二は西ドイツに駐留した。

軍事支援額のほうも、アメリカからヨーロッパへは一五〇億ドルという巨額に上った(五〇年~

六二年)。対してヨーロッパ諸国は、五〇~六五年の間、軍事費総額の六〇%しか自己負担した

に過ぎなく、残りの四〇%の大半はアメリカの支援だったという。

軍隊に関しても同様で、五四年の段階でNATO諸国は予定していた九六師団を大きく下回って

三五師団を創設したにすぎなかった。

それらに対し、アイゼンハワー大統領は「自分たちの要望通りアメリカのお金を使うことに慣

れきっているヨーロッパを不安に思う」と不満を述べている。今現在と同じだ。

ちなみに、この頃のアメリカの国内総生産は、五〇年では世界の総生産の四〇%、六〇年では

三〇%となっている。

「NATOは米欧諸国が共同行動をとるための共通の価値や規範を育成する場所、

すなわち米欧「安全保障共同体」(セキュリティー・コミュニティー)の象徴的な存在となってい

た。このことは日米同盟やアジア各国とアメリカの同盟関係を考えるうえで意識しておいた方

がよい点である。

米欧の大西洋同盟が行動規範・慣習・価値観の近い諸国の同盟であるのに対して、アメリカとア

ジア太平洋諸国との同盟関係はそうではない」(本書)

現在のフランスのマクロン大統領にも顕著だと思うが、フランスは反米的で自立外交をしたが

る傾向が強いと感じることがあるが、そうではなく、親米路線に終始し、ヨーロッパにおける

アメリカのプレゼンスを肯定的に捉えていた。

「 六〇年代の米欧関係は、覇権的関係の時代であったが、ヨーロッパの復興を背景に、

これまでよりも「相対的に対等な」関係の中で協調を模索する、いわば「穏和な覇権協力」の

時代になっていった」(本書)

キューバ危機やベルリンの壁構築に対する、アメリカとヨーロッパ諸国の認識の違いなどもあ

り、アメリカは本気でヨーロッパ(ドイツ防衛)に取り組む気はあるのか、と疑念も抱かせると

いったこともあったが、米欧同盟の深化への期待もあり、ケネディ政権から「大西洋共同体」

という言葉が使われ始めた。

そんなヨーロッパの人々は、アメリカの豊かさに憧れ、ケネディ夫妻のヨーロッパ歴訪には熱

狂し、一九六三年のケネディの死には涙した。これもほとんど日本と同じだ。

そしてこの頃、フランスのドゴールが「拡大していく共同体は、アメリカへの従属とその配下

での巨体な大西洋共同体の様相を呈するであろう」などと語り、同盟における信頼性の問題を

提起している。

「ドゴールにとって、危機に際してアメリカがどの段階でその核ミサイルを用いるのかという

疑問はいつまでも払拭できなかった。

いわゆる同盟における「decoupling」=「切り離し」である。それは、大戦時の一連のドゴー

ルへの冷たい対応の記憶と結びついていた。

なお、日本における日米同盟の議論には、しばしばこの「切り離し」の議論が欠落している」

(本書)

と著者は指摘しているが、日本に対するアメリカの「切り離し」は無い、と断言できる。

日本とアメリカの同盟は、非対称ながらもっとも対等な同盟関係であり、アメリカが日本を失

えば世界の覇権国としての地位を失うから。日本以外にアメリカ軍を支えられる国は存在しな

い。日本よりアメリカの方が、日米同盟を破棄されたときのデメリットの大きさを認識してい

るので、危機感を抱いている。なので、日本でのナショナリズムの高揚に対しては、懸念を示

す。(小川和久氏の『日米同盟のリアリズム』で触れた)

「防衛面での最重要パートナーはアメリカであることはヨーロッパ防衛の原点である。

そのうえで、アメリカがどの程度頼りになるのか、どこまで期待してよいのか、という疑問は

常に付きまとった」(本書)

「アメリカには、西欧諸国はできるだけアメリカの核抑止力の傘下で従順な同盟国にとどまっ

てほしいという気持ちと、他方で自立してほしいという葛藤があった」(本書)

「しかし、いずれの場合でも、西欧主要国の突出は回避したい。とくに西ドイツが自立的に行

動することをアメリカは大いに懸念した。西ドイツの核武装に対しては、慎重な姿勢を崩さな

かった」(本書)

ヨーロッパの悩みも日本とほとんど同じだし、アメリカのヨーロッパに対しての葛藤も同様

だ。西ドイツの核武装に関しても、第二次世界大戦でアメリカと互角以上に戦ったドイツと日

本には、他の同盟国にもたれかかった状態でしか行動が許されていない。

そいう歪な構造になっているので、核武装も不可能に近いし、日本にはその技術がないし、ア

メリカはそれを絶対に許さないだろう。

さらにこの頃には、西欧諸国が復興し、アメリカとの経済摩擦が目立つようになった。

「鶏肉戦争(チキン・ウォー)」や七〇年代の「チーズ戦争」、八〇年代の「鉄鋼戦争」など。

日米経済摩擦の少し前であり、これも日本と似ている。

在欧米軍も削減し、アメリカ軍の駐留のコストを請け負うことにも同意したのもこの頃(「思い

やり予算」)。そして、キューバ危機が解決すると、東西間の長期にわたるデタントの時期が到

来した。しかし、ソ連という共通の敵に対する脅威が低下したことにより、アメリカとヨーロ

ッパの協力の必要性も後退した。

東西の緊張緩和は逆に、米ソ両超大国によるヨーロッパ管理の好機になるのではないか、とい

う懸念を呼んだという。これも中国に対する日本の見方と同じだ。

「アメリカの影響力が後退していく中で、当時国際政治・軍事構造は、米ソ二極支配から、米中

ソの三竦(すく)みの関係に変わりつつあった。

六四年一〇月、六七年六月にそれぞれ原爆と水爆実験に成功し、次第に力をつけ始め、ソ連と

の対立を深めていた中国を加えた軍事的三極構造が顕在化した。

その一方で、高度成長に成功した米欧日の経済的三極構造があった。アメリカを頂点とする二

つの三極構造の並存状況が生まれたのである」(本書)

そんな中出てきたのが、「外交大統領」と呼ばれたニクソンであり(キッシンジャーも)、アメ

リカを頂点とする「五大極戦略」を発表し、ルーズヴェルトの第二次世界大戦中に構想した、

戦後の国際体制である「四人の警察官」(米英仏ソ)によって管理するという発想にもなったと

いう。

ヨーロッパでは、それまでアメリカが防衛を担ってきたのだから、今後は西欧の同盟諸国にも

応分の負担をしてもらい、中東地域での防衛負担も視野に入れてほしいという期待をアメリカ

はもっていた。

それが同盟の中の「責任分担(バードン・シェアリング)」の発想であり、GNPの三%の防衛負

担を強く望んだという。

そして、新冷戦から冷戦終結への序曲に入ると、西ヨーロッパが経済的にも軍事的にも強化さ

れ、共産主義の脅威も後退し、以前ほどアメリカに依存してはいなかった。しかし、アメリカ

に対する信頼は次第に後退していき、中でも西ドイツはアメリカにとって、最も忠実な同盟国

だったのに、徐々に最も扱いづらい同盟国になっていったという。

冷戦が終結すると、米欧関係は微妙に揺れ、親密さと協力を強調する立場から、

「協力的勢力均衡(cooperative balance of power)」あるいは「競争的協力(competitive

cooperation)」と表現され、競争的側面を強調すると「指導力をめぐるパートナーシップ

(partnership in leadership)」とも表現されるようになった。

統一されたドイツに関しては、将来ヨーロッパで突出する可能性の高いドイツの力を抑制する

ために、米軍駐留を継続させ、イギリスは統一ドイツがNATOにとどまることを、フランスは

ドイツがヨーロッパ統合に積極的に協力することを条件として、ドイツ統一を受け入れた。

それはアメリカの要請に応じたものだった。

「冷戦終結後、大きな問題の一つはNATOの存続をめぐる問題だった。NATOという軍事機構は

もはや存在理由を失ったのではないのか。それは多くの西側防衛関係者の素朴な問いだった」

(本書)

湾岸戦争が、その軍事機構の重要性を再認識させることになった。この頃にアメリカのチェイ

ニー国防長官は次のように発言している。

① アメリカは欧州共通防衛政策を支持する。

② NATOは安保防衛に関する協議と取り決めの場として残る。

③ NATOはその統一軍事機構を維持する。

④ アメリカはヨーロッパが欧州域外で共通軍事行動をとる権利を承認する。

⑤ 非EU加盟国でNATOのヨーロッパ構成国が欧州共通防衛政策の構築から排除されることはな

い。

この五つのアプローチは、今日までのアメリカのNATOを中心とする対欧政策に一貫して流れ

ている発想だという。

「ヨーロッパが自立的であることを米欧ともに望む。しかし、ヨーロッパから見ると、アメリ

カから完全に離れて行動することはできない。特に安全保障上、アメリカの保護支援は不可欠

である。

他方でアメリカにとってヨーロッパとの関係を完全に切ることはできないが、だからといって

コストの面で全面的に支援もできない」(本書)

一九九〇年のNATO首脳会議で、自主性を主張する西欧諸国の首脳に対して、最近亡くなられ

たジョージ・ブッシュ大統領が、「冷戦時代にヨーロッパの平和が守られたのは誰のおかげなの

か」と激怒したという話も残っている。

その冷戦後もヨーロッパに影響力を維持したいとするアメリカに対して、フランスのミッテラ

ン大統領は対抗し、「欧州安全保障防衛アイデンティティー」などを主唱してアメリカに対し

て自立の気運を盛り上げようとした。冷戦後の経済関係は比較的良好ではあったが、政治的関

係については摩擦がついて回ったという。

九九年一二月にイギリスのシンクタンクは、EUとアメリカの関係は「異常な緊張状態」である

と指摘している。日本だけじゃなかったんだね。

ジュニア・ブッシュの時代には、イラク戦争をめぐって米欧対立は熾烈化した。

アメリカと特別な関係としているイギリスやスペイン、ポーランドをはじめとする旧東欧諸国

は、アメリカを支持したが、大西洋同盟と欧州統合の要となるドイツ、フランス、イタリア、

ベルギー、北欧諸国などはアメリカに反対した。

この頃の米欧関係は、「離婚できない悪しき結婚生活」だったとしている。

二〇〇九年にオバマ大統領が就任するとヨーロッパは好感した。

米欧関係は冷戦が終結した後も、冷戦時代の「覇権的な同盟関係」を引き継いでいた面があっ

たが、オバマ政権は多国間主義を標榜して、ヨーロッパとの協力を模索した。

しかし、ヨーロッパでは、アメリカは潜在的にその優位性を第一と考える、という見方が依然

として根強く存在しているという。そして、現代のトランプショックにいたる。

「米欧関係は常に同じ状態ではない。親しい関係でありながら、常に流動的な側面を内包して

いる。「協調」と「競争・対立」の共存という状態にあるのだ」(本書)

本書は、何らかの賞を受賞するのではないか、と思わせるくらい中身が充実している。

日本に居るとアメリカとヨーロッパの関係がぼやけて見えることが多いが、本書を読むと、

ヨーロッパも日本と同じ様な悩みを抱えているんだな、ということが理解できる。

第二次世界大戦後にアメリカが結成したNATO(北大西洋条約機構)は、このイギリスの戦略の

コピーである。

加盟国には、アイスランドやルクセンブルクのような小国の他に、後にはトルコやギリシャも

加えている。

同盟国のいくつかは、兵力も装備も貧困で、訓練も十分ではなく、忠誠心も高くはない。

しかし戦闘力としてはほとんど無価値に思える小国でさえも、イギリスは無視していない。

彼らを同盟国としてリクルートすることこそ、イギリスを世界の覇権国たらしめたやり方だっ

たのである。

そして、戦後のアメリカは、それを受け継いで、ソ連という「熊」を倒したのである。

『戦争にチャンスを与えよ』エドワード・ルトワック