建築家ブルーノ・タウトは、一九三三年から三六年まで日本に滞在していたことがある。
生まれはケーニヒスベルク。カントが八十年の生涯を過ごした場所。
ナチスを逃れ、シベリア鉄道で極東の島国、日本に来日する。
三年あまりの滞在ではあったが、意外なほど深くまで、
近代化の熱に浮かされていた日本を、タウトは冷静に観察している。
建築や庭園は勿論、能、歌舞伎、文楽、禅に俳句に美術や農民に至るまで、
事細かく書かれていて、和服や俳句が似合わない都会に住んでいる、
多くの現代日本人に示唆を与えてくれる。
外国人から教わることほど、情けないことはないのだが、
タウトなら謙虚に受け入れようと思わせてくれる。
例えば、日本の家屋は「虚」である。
或いは、「床の間」は、文化、芸術および精神的な所産を置くべき定めの場所として、
世界に冠絶した想像である。だとか、俳句は日本の芸術、建築を闡明する鍵である。
さらには、奈良の重要性を認識し、奈良は耳には快い音調であり、心に大きな収穫である。
と、見事に言い表している。
特に、ぼくの目を惹いたのが、
行き過ぎた近代化は、自殺行為で日本の憂愁の象徴である。
偉大な芸術作品そのものは、憂愁な性格をひとつも帯びていない。
遠州、雪舟、蕪村、光琳、玉堂、大雅、竹田、鉄斎、元信、探幽、歌麿、写楽
にも憂愁らしいものは少しも認められない。
『日本雑記』 ブルーノ・タウト
と言い切った箇所。
タウトが小堀遠州や桂離宮をべた褒めしていたのは知っていたが、
日本の奥に潜んでいて、外側からみつけるのが難しい文人達を論じ、
評価していたのには驚く。
気韻生動を理解出来る珍しい外国人だったのかもしれない。
青山二郎が『眼の引越し』の中で、
「黙って坐ればピタリと当てる」と書いていたが、タウトにも当て嵌まるのではないのか。
そんなタウトだが、
日本は、中央集権的な傾向において、フランスと相似たところがある。
アメリカは所詮、日本ほど光栄ある文化的過去を誇ることができない。
東京を日本的な「眼の文化」はまったく姿を消している。
『日本雑記』 ブルーノ・タウト
と、現在にも繋がる日本の問題にも言及している。
いずれにせよ、今の寂しい日本をタウトが見たら何を思うのか。
残念な答えが返ってきそうだが。
最後に、タウトが日本を離れる際に残した言葉で締めくくりたい。
私は日本で実に多くの美しいものを見た。
しかし日本の近代的な発展、近代的な力のことを考えると、
この国が何か恐ろしい禍に驚かされているような気がしてならなかった。
『日本雑記』 ブルーノ・タウト
敗戦、高度経済成長、バブル、デフレを経験した日本人は、
タウトの見た日本に何を思うのか。