一〇〇冊の自己啓発書より、一冊の『氷川清話』 



おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南州とだ。

『氷川清話』勝海舟

あまりにも有名な一節なので、ご存知の方も多いと思われる。

その後、さらに続けて、

横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配して居たに、

果たして西郷は出て来たワイ。

『氷川清話』勝海舟

小楠は能弁で南州は訥弁だった、とも言っている。

松本健一の『明治天皇という人』によれば、“維新”という言葉を最初に使ったのが、

横井小楠であり、孔子の『詩経』大雅・文王編に出てくる

「周は旧邦なりといえども、その命維れ新たなり」から取った言葉。

その後、弟子の坂本龍馬が分かりやすく表現したのが、

「日本を今一度せんたくいたし申し候」である。

今日は小楠や西郷を論じるのはここで止めておく。楽しみにとっておく。

ちなみに、海舟という名は、

十二歳年上で師の佐久間象山の木挽町の塾の書斎の「海舟書屋」からとったもの。

象山は海舟の妹を娶っている。

『氷川清話』の冒頭でも、ちらっと言及もされている。(象山も後に紹介したい)

赤坂氷川で晩年に語った『氷川清話』は、たまに読み返したくなる。

お風呂で読む時もあり(湯読)、それくらい示唆に富み参考になる。

ぼくは、海舟の眼識に惚れこんでいる。

皮肉屋で自慢話には少し辟易させられるが、江戸っ子の歯切れが良い言葉使いやリズムには、

読んでいて気持ちがよい。

勝海舟 (1823~99)

西洋に行って少しばかり洋書が読め、英語で談判でも出来れば、

早今第一の外交家と仰いで居る。上も下も似たり寄ッたりのものサ。

かういう風では、やはり幕府の末路と同じようになるかも知れないから、

しっかりやって貰ひたいものだ。

『氷川清話』勝海舟

支那人は昔時から民族として発達したもので、

政府といふものにはまるで重きを置かない人種だよ。

これがすなわち堯舜の政治サ。

この呼吸をよく飲み込んで支那に対せねば、とんでもない失敗をするよ。

『氷川清話』勝海舟

全体、支那を日本と同じように見るのが大違ひだ。(中略) あれは人民の社会だ。

政府などはどうなっても構わない。自分さへ利益を得れば、それで支那人は満足するのだ。

『氷川清話』勝海舟

幕府と同じ末路を辿ってしまった、昭和を考慮すると、海舟の先見の明には驚かされる。

現代も変わらずに引き継がれている悪い癖だろう。中国に対しての見方も同様だ。

まあ、中国側も大失敗しているが。海舟のいう呼吸のリズムが合ってない。

さらに目を引く箇所が、

「王陽明を孟子以来の大賢だ。唐宋八家以外におのづから一旗幟を翻して居る」

(陽明学と孟子が幕末を動かしたと言っても過言ではない)、

そして、「禅と剣術で鍛錬を積んだ。文字は大嫌いだよ」と言っている箇所。

海舟の奥に脈搏っているのは、

「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」

で、禅剣一如。

“呼吸”という言葉も重要な概念で、頻繁に使われている。

面白いのは、“文字は大嫌い”と言っているわりには、文芸に精通していたこと。

維新後の文芸は、幸田露伴と尾崎紅葉の評価が高く、「露伴は一等だ」と述べていて、

当然、芭蕉や基角(その奥にいる西行)、近松などの江戸文芸全般をとても高く評価している。

屏居を命じられている時には、源氏物語も読んでいるのには驚いた。

勿論、西洋かぶれの広いけれども浅い小説には批判をしている。

軍艦奉行や外交官、政治家としての面を強調して語られることが多いが、

ぼくはこういった面からも海舟を眺めることが、重要なのではないかと思っている。

ロシアが対馬を不法占領した(ポサドニック号事件)時に、バランス・オブ・パワーを

利用し、イギリスの力を借りて対馬を取り戻したことも魅力的なのだが。

     「失題」 七言律詩

多年蹤跡没埃塵   多年の蹤跡(しょうせき)埃塵に没す

揣摩心情思天真   心情を揣摩(しま)して天真を思う

華屋雖美是浮栄   華屋は美なりと雖も是れ浮栄

富如泡沫名如烟   富は泡沫の如く名は烟の如し

笑看江山依然碧   笑って看る江山は依然として碧なるを

行蔵豈亦関手人   行蔵 豈に亦た人に関せんや

風捲敗葉夜寂寂   風は敗葉を捲いて夜は寂々

嘯響凛然一剣寒   嘯響(しょうきょう)凛然として一剣寒し

多年にわたって国事に尽くした足跡は、ごみとほこりのなかに湮滅した。

みずからの心情を、揣摩、おしはかってみれば、天真で少しも邪心はなかった。

富貴は小泡のごとく、虚名は消え失せる煙のようなものである。

ただ山河が依然として変りなく碧(ふかみどり)であるのを、笑って見るだけである。

行蔵、わたしの出処進退はけっして他人に左右されることはない。

窓の外では、寒風が落葉を吹いて音をたて、夜のしじまは寂莫にとざされている。

一剣を手にして天に嘯けば、凛々として剣光より寒さがほとばしる。

『幕末維新の漢詩』林愼之助

『氷川清話』には収録されていないが、

海舟晩年の漢詩であり、藩閥支配の明治政府への批判でもある。

一つの時代が終わり、もののあわれや無常を感じていたのだろう。

だが余裕も感じられていて、それが海舟らしい。

巷に溢れている自己啓発本を買いあさっている人や、

インターネットで目先の情報に惑わされている人などは、

この『氷川清話』を読んだ方がいい。

「世の気運が一転するには自ずから時機がある」、

「人はどんなものでも決して捨つべきものではない」、

「他人に功を立てさせよ」、「大胆に無用意に」、

「根気が強ければ敵中にも知己」、「精根には限りがある」、

「人間の事業は浅はか」、「一生懸命では根気が続かん」、

「人材は製造できない」、「無神経は強い」、「仕事をあせるな」、

「人材は探す側の眼玉一つ」、「必ずこれのみと断定するな」、

「人には何か使ひ道がある」、「不平不足も進歩の一助」、

「潔癖と短気は日本人の短所」、「八方美人主義はだめ」、

など、色々と心に響くし、その眼識の深さに今読んでもドキッとさせられる。

もう、この様な人材は出て来ないだろう、と思うとさびしい限りである。

海舟は経済も得意だったが、それだけじゃないのが、薄っぺらい現代人との

大きな違いである。

「時勢は、人を造るものだ」と海舟は言っているが、そのまま本人にも当て嵌まる。

そんな『氷川清話』の最後で海舟は、次のように述べている。

処世の秘訣は“誠”の一字だ。

現代日本のあらゆる所で、その“誠”が問われている、と思うのは、ぼくだけでしょうか?