『脳はすごい』 クラーク・エリオット と 『脳はいかにして治癒をもたらすのか』 ノーマン・ドイジ



脳の神経可塑性に注目するようになった。

オリバー・サックスなどを読んでいると薄々感じられた事なのだけれど、

クラーク・エリオットの『脳はすごい』を読んでから決定的になった。

そんな『脳はすごい』は、脳に外傷を負った時から、十年後の回復に至るまでを、

克明に記録したノートに基づく構成になっている。

クラーク・エリオットは人工知能と認知科学を専攻するデポール大学の教授で、

シカゴ近郊のモートングローブで信号待ちをしているときに、運転していた車が追突された。

その事故で、脳震盪を起こし脳に深刻なダメージを受けた。外傷性脳損傷(TBI)。


垂直面と水平面の関係を見失い、横たわるには自分の身体を三次元空間のなかにどう位置づけ

ればよいかがまるでわからないのだ。

脳震盪症を抱えた私の脳は、運動や、運動の継続に対する理解を欠いていた。

『脳はすごい』 クラーク・エリオット


健常者が無意識で行動できる事が、実行できない。

パターンマッチング、認知的判断、意志決定の能力の低下、

過剰な感覚入力などの障害によって、運動制御の破綻が生じる。

思考から行動に移行する事が出来ない。

外部から見ると健常者のように見え、脳に障害を抱えているとはわからない。

周囲の冷たい視線に著者は歯痒い思いをし、苦悩する。


脳震盪症者の私は、脳が疲労すると、カレンダーの形状を「見る」ことができなくなり、

それらと現実世界のできごとの結びつきを概念化できなくなる。

『脳はすごい』 クラーク・エリオット


その後、クラーク・エリオットは、

素晴らしい医師(神経可塑性療法家 ニューロプラクティシャン)に出会い、

投薬には頼らないで(投薬を全否定しているわけではない)、

「魔法の眼鏡(プリズムメガネ)」をかけ、ドットパズルを解き、視覚システム、

脳の配線を可塑性を使い矯正する。

簡単に説明するとこのような感じ。

あきらめずに治療を続けた著者に胸が熱くなったし、

同じような症状に苦しんでいる方への励ましの書物にもなっているので、

興味がある方は是非覗いてみてほしい。

そして、その「脳の神経可塑性」とは一体なんだろうかと思っていた矢先に、

ノーマン・ドイジ『脳はいかにして治癒をもたらすのか』を立て続けに貪り読んだ。

翻訳者は両著とも高橋洋さん。


本書は、人間には治癒メカニズムが備わっているという発見について検討し、

脳は自己修復したり失われた機能は回復しないと、

過去四〇〇年考えられていたことが誤りだと提唱する。

端的にいえば、“脳は可塑性を持つ”と。

そして、神経可塑性の核心的な原理の一つは、

「同時に発火するニューロンは互いの結合を強める」。

副題には神経可塑性研究の最前線と書かれている。


神経可塑性(neuroplasticity)とは、

脳のある部位を、損傷を負った他の部位の代わりに機能すべく鍛練できると考える。

『脳はすごい』 クラーク・エリオット


自己の活動や心的経験に応じて、脳が自らの構造を変える性質。

『脳はいかにして治癒をもたらすのか』 ノーマン・ドイジ


本書は、500頁以上の大著なのだけれど、

専門知識を持たなくてもすらすらと読めてしまう。

ノーマン・ドイジはカナダ・トロントの精神科医で、作家、エッセイスト、

詩人でもあり、多彩な顔をもつ。コロンビア大学で精神医学と精神分析学を学んだ。

慢性疼痛、パーキンソン病、外傷性脳損傷、視覚障害、神経疾患、多発性硬化症、自閉症、

学習障害などの症状を、光や音、振動、運動、電気などの外部からのエネルギーを使って、

脳が持つ治癒力を活用する。

さらに、エネルギーと心を組み合わせた治療で、東洋医学も取り入れる。

最初、読み進めていて「プラシーボ効果なのでは」と思ったが、

そのことも踏まえて著者はこう説明する。


「プラシーボ(placebo)」という言葉は、ラテン語で「私を喜ばせるでしょう」を意味する。

プラシーボは疼痛、抑鬱、関節炎、過敏性腸、潰瘍など広範な疾病の治療に適用できる。

しかしあらゆる疾病に効くわけではなく、がん、ウイルス性の病気、統合失調症などには効き

目がない。

脳画像研究によって、プラシーボ効果が生じると脳の構造が変化することが示されている。

プラシーボ効果による治癒は、投薬による治癒より「非現実的」というわけではない。

それは、心が脳の構造を変えるという、神経可塑性の作用の一例なのである。

『脳はいかにして治癒をもたらすのか』 ノーマン・ドイジ


それも神経可塑性の一例なのだと。別の箇所では、

「脳は他のあらゆる生体組織と同様、つねに安定を求めている」と書いている。

その生体が安定を求めるのは、「ホメオスタシス」の効能なのではないかと、

頭に浮かびながら読み進めていたら、


人間は通常、三六度台の体温を保ち、身体はその状態にあるとき最善の働きをする。

体温が上昇すると身体はもとの体温に戻ろうとし、戻れなければ私たちは死ぬであろう。

肝臓、腎臓、皮膚、神経系など、多くの身体組織が、このホメオスタシスの機能に寄与してい

る。

『脳はいかにして治癒をもたらすのか』 ノーマン・ドイジ


と、ホメオスタシスにも言及されている。

ホメオスタシスという用語の概念は、生理学者のクロード・ベルナールが提唱したもの。

日本では、カーネギーメロン大学博士、認知機能科学者で、

コーチングを日本で広められている、苫米地英人さんの著作などでも、

ホメオスタシスを論じられているのを、目にしたことがある。

あと、松岡正剛氏の『フラジャイル』でも。

以上。ぼくが気になった箇所しか紹介していないが、

全体の構成は、神経可塑性による治癒の過程の様々なエピソードを詳しく紹介している。

最初に紹介したクラーク・エリオットに似た症状の患者も述べられていて、

参考になり、“やわらぎ”を持つ生命への奥深さも感じられる著作にもなっている。

病に苦しめられている方は勿論のこと、その関係者にも向けられた励みになる二冊。


ぼくが脳科学に興味を持ち始めたのが、

中学生時代にこめかみ辺り(前頭葉)にラケットが当たり、

気持ち悪くなり、さらには言語が上手く発せられない状態になって、

半日寝込んだことがきっかけ。

頭にかすっただけで、こうなってしまうのかと驚愕し、

脳という神秘で不思議な物体、機能に興味を抱いた最初のことだった。