オリヴァー・サックス晩年の傑作・『見てしまう人びと:幻覚の脳科学』



「幻覚」(hallucination)という言葉が一六世紀初頭に初めて使われたときは、

「さまよう心」というほどの意味しかなかった。

一八三〇年代になってようやく、フランス精神科医ジャン=ティエンヌ・エスキロールが、

この言葉に現在の意味を与えた。

「幻覚」という言葉の厳密な定義は、いまだに状況によってかなり異なるが、その理由はおも

に、幻覚と誤知覚と錯覚の境界線を定めるのが、必ずしも容易ではないことにある。

しかし大まかに言うと、幻覚は外的現実がまったくないのに生まれる知覚、

つまりそこにないものを聞いたりすることである。

『見てしまう人びと:幻覚の脳科学』オリヴァー・サックス

本書は、脳神経科医であったオリヴァー・サックスの晩年に著された(原著2012年)お馴染みの

医学エッセイ。

サックス自身は本書を「幻覚体験とそれが体験者におよぼす影響を語る、幻覚の自然経過記

録、またアンソロジーのようなものと考えている」、「幻覚体験の幅広さと多様さが感じら

れ、人間のありようの根幹を伝えられると思う実例を示している」と書いている。

翻訳を担当された大田直子氏も、サックスが本書を著した意図を“あとがき”で、

「幻覚の原因はじつに多種多様であり、精神にまったく異常がなくても起こりうる。

そのような症例を数多く診てきたサックス医師は幻覚はけっして狂気のしるしではないこと

を、それどころか脳の働きを洞察するための貴重な情報源であることを、広く世間に伝えたい

という思いで、この本を書いている」と書いている。

サックスは、『レナードの朝』や『妻を帽子とまちがえた男』で登場する患者たちの生涯を特

徴づけているのは、「事実と夢のような話の交錯」だとしているが、本書も同様に感じるし、

『音楽嗜好症』もそうなのかもしれない。

オリヴァー・サックス (1933年7月9日 – 2015年8月30日)

「多くの文化は幻覚を、夢と同じように特別な意識状態と見なし、到達できるのは幸運なこと

と考えて、精神修養、瞑想、薬物、または孤独によって、積極的に求めている。

しかし現代の西洋文化においては、狂気の兆候か、脳に悲惨なことが起こる前触れとされるこ

とのほうが多い―大部分の幻覚には、そのような暗い意味合いはないのだが」(本書)

本書では、現代社会において理解されなかったり、疑われたり、ネガティブに捉えられたりし

ている、幻視、幻聴、幻嗅、幻肢などのさまざまな幻覚の原因と症状が網羅されている。

第1章では、視力の喪失や衰えたりする「静かな群衆―シャルル・ボネ症候群」を取り上げてい

る。

シャルル・ボネ症候群(CBS)の患者の幻覚は、まばゆいばかりの強烈な色がついているとか、

人が目で見るよりもはるかにディテールが細かく豊かであり、みな同じような服を着て同じよ

うな動きをしている人の列や群れが見え、反復や増加が現れる傾向が強く、さらに綿密である

傾向が強いという。

幻覚で見ている人物は、たいてい「異国風の衣装」のゆったりしたドレスで、奇妙なかぶりも

のを身に着けている。場違いなものが現れることこも多く、花が誰かの顔の真ん中から突き出

ることもあるというから驚きだ。

さらには、幻覚の人物は漫画に似ている場合もあり、特に目や歯などが誇張された顔が見える

こともあるという。

中には文字や楽譜の幻覚を見る人もいるというが、よくある幻覚は、正方形、市松模様、

ひし形、四辺形、六角形、れんが、壁、タイル、碁盤目、亀甲模様、モザイクなどの幾何学的

な図形だという。

「CBSの患者は、少なくとも部分的に、一次的な視覚世界、知覚の世界を失った。

しかし不完全で気まぐれなかたちであっても、幻覚という二次的な視覚世界を獲得している」

(本書)

近年、ロンドン大学の教授等が、幻視の神経基盤に関する先駆的な研究をし、

患者それぞれの特定の幻覚体験と、視覚野にある腹側視覚路の特定部分の活性化に、著しい対

応があったという。

それは、顔、色、テキスト、物体の幻覚はそれぞれ、特定の視覚機能に関与することが知られ

る領域を活性化した、とされている。

色のついた幻覚を見たときには、色の構成に関連する視覚野の領域が活性化し、スケッチや漫

画のような人物の顔の幻覚が生じたときには、紡錘状回が活性化する。

変形した顔や、目や歯などが誇張された顔の幻覚は、顔のパーツの表現を専門とする上側頭溝

の活動増大と関係し、テキスト幻覚は、左脳半球の高度に分化した視覚性単語形状領域の異常

な活性化と関係しているという。

さらに研究者らは、通常の視覚的想像と実際の幻覚の明確な差異も観察している。

色つきの物体を想像しても視覚野のV4領域は活性化しなかったが、色つきの幻覚は活性化し

た。

サックスによれば、このような発見は、主観的にだけでなく生理学的にも、幻覚は想像とはち

がうもので、知覚にかなり近いことを裏づけている、としている。

これらの研究で初めて、幻覚も知覚と同じ視覚野と視覚伝達路を使っていることを裏づけた。

ただ、最近の研究者の論文では、脳の機能を脳の特定領域に帰することには限界があり、領域

間のつながりにも同様に注意を払わなくてはならないとしている。

その他にも、感覚遮断、パーキンソン病、片頭痛、癲癇、薬物中毒、半視野、入眠状態の場合

などの幻覚(おもに幻視)を論じている。

感覚遮断は、脳は知覚の入力だけでなく知覚の変化も必要であり、変化がないと、ぼんやりし

て注意散漫になるばかりか、知覚異常が生じるほそれもある、として「囚人の映画」と呼ばれ

ている現象に言及している。

それは、修道者や僧侶などが暗闇と孤独を求めて洞窟に籠もったり、囚人が明かりのない地下

牢に閉じ込められたりすると、正常な視覚入力を遮断され、代わりに心の目が刺激され、夢や

鮮明な心像や幻覚が生まれる可能性があるという現象。

枯山水的な方法の「負」の想像力とでもいえようか。なんか、空海や上杉謙信や宮本武蔵など

にも当て嵌まりそうな気がしてならない。

さらに、その幻覚を生じさせるには、完全な視覚遮断は必要なく、目に見えるものが単調なだ

けで、まったく同じ結果になりえるという。

なので昔から、船乗りや砂漠を行く旅人や探検家やパイロットやトラックドライバーなどが、

幻を見る(または聞きもする)、幻視を起こしやすいと言われている。

ある研究者は、被験者が視覚を遮断されると視覚野の興奮が強まり、その変化は数分のうちに

起こることを示しているから、生理学的にも裏づけられている。

「自由意志による視覚心像がトップダウンのプロセスであるのに対し、幻覚は、正常な感覚入

力の欠如により異常に興奮しやすくなった腹側視覚路の領域が直接ボトムアップで活性化した

結果なのだ」(本書)

パーキンソン病の患者の幻覚は、上述のような単発の幻覚も起こすこともあるが、多感覚で複

雑で恐ろしい被害妄想的な幻覚を起こすこともあるという。

その異常は患者にLドーパや類似の薬物を与えることによって、悪化する恐れがあり、薬はす

でに弱ってストレスに苦しんでいるコリン作動系に、さらなるドーパミンの負荷をかけるとし

ている。それらの様子は『レナードの朝』にも詳しい。

片頭痛で生じる幻覚は模様が多く、イスラム芸術、古代ギリシャ・ローマや中世のモチーフ、

メキシコのサボテカ族の建築物、オーストラリアのアボリジニ芸術の樹皮絵画、アメリカ先住

民のアコマ族の陶器、アフリカのスワジ族の籠細工など、ほぼあらゆる文化に何万年も前から

見られるものだという。

さらに、これらの模様と雪の結晶の生成、荒れ狂う波のうねりと渦巻き、などに重ね合わせ

て、神経機能の普遍的特性だけでなく自然そのものの普遍的特性を、自分自身のなかで経験で

きるのだ、と面白いことをいっている。

サックス自身も片頭痛を患っており、一種の自発的な自然の実験と考え、神経系を知る手段と

見なしていたという。

このことも、サックスが神経科医になると決めた理由の一つだとしている。

ちなみに、ぼくも片頭痛が約二カ月に一回ぐらいのペースで起こることがあるが、模様は見え

ない。しかし、立ってられないぐらいひどい時もある。

サックスらの経験する片頭痛には、聴覚の誤知覚もあり、音が増幅され、反響し、ひずむこと

もあり、声や音楽が聞こえ、時間そのものがゆがむように思えることもあるという。

世界の人口の一部とはいえ、多くの数の人を悩ませ、有史時代から認知されている癲癇(「倒れ

病」とも呼ばれていた)。

癲癇発作(引きつけとも呼ばれている)は、さまざまな形態がありえるとしているが、

共通するのは、突然始まる(兆候がない場合もあれば、前兆がある場合もある)ことと、脳内に

おける突然の異常放電によって起こるということ。

全身発作の場合、放電が脳の左右両半球で同時に起こり、大発作では筋肉が激しく痙攣し、舌

を嚙んで、口から泡を吹くこともあり、耳鳴りで異様な「癲癇叫声(きょうせい)」といったも

のが伴うこともあるという。大発作を起こしている人は数秒で意識を失い、転倒する。

小発作では、いっときだけ意識喪失が起こるが、数秒のあいだ放心状態に見えるが、本人は気

がつかない場合もあるとされている。

片頭痛では複雑な幻覚を起こすのはまれであるが、癲癇は脳のもっと高次の領域を侵し、非常

に複雑で多感覚の回想や夢のような空想が起こる可能性があると、サックスは指摘する。

ロシアの文豪ドストエフスキーは、こどものころに発作が始まり、四〇代になったころに頻繁

に起こるようになったと指摘している。

大発作が起こるとドストエフスキーは、「恐ろしい叫び声、人間らしさがみじんもない叫び」

を発し、気を失って倒れる、と妻は書いているという。

発作の前は霊的な前兆や恍惚とする前兆がある場合と、前兆だけでそのあと痙攣も意識喪失も

ないことがあったという。

ジャンヌ・ダルクも恍惚前兆をともなう側頭葉癲癇を患っていたかもしれないことが、示唆され

ているという。

ジャンヌ・ダルクは一三歳のときから幻視と幻聴を経験し、散発的に発現し、数秒か数分しか続

かなかった。

最初はおびえたみたいだが、のちに自分の幻覚から大きな喜びと明確な使命感を覚え、症状が

現れると、前兆として教会の鐘の音が聞こえることがあったという。

半視野の幻覚は、片頭痛や癲癇の幻覚が比較的短時間のパターン化した幻覚なのに対して、半

盲の幻覚は何日も何週間も続くことがあり、つねに変化することがあるという。

ふだんは制御したり組織化したりしている力が低下する影響で、脳の広い範囲、全領域のニュ

ーロンが慢性的に過活動状態になり、制御不能でおかしな振る舞いをしている、というのが実

情であり、どっちらかというとシャルル・ボネ症候群に似ているという。

突然半盲になった患者の約一〇パーセントが、幻覚を起こし、すぐに幻覚だと気がつく、とサ

ックスは指摘している。

「人は目で見るのではなく、脳で見るのであり、脳には目からインプットされる情報を分析す

る多種多様なシステムがある。脳の後方の後頭葉に位置する一次視覚野には、網膜から皮質へ

の二地点間マッピングがあって、そこに視野の光や形や方向や位置が表現される。

目からのインパルスは大脳皮質まで回り道をして、一部はその過程で脳の反対側に渡るので、

それぞれの目の視野の左半分は右後頭葉へ、右半分は左後頭葉に行く。

したがって、一方の後頭葉が(たとえば脳卒中で)損傷を受けると、視野の半分が見えなくなっ

たり損なわれたりする、半盲が生じる」(本書)

薬物中毒の幻覚では、大麻、メスカリン、LSDなど、幻覚剤の効果は非常に幅広く多様である

と指摘している。

色の経験は強められることが多く、方向感覚の突然の変化や、見かけの大きさの衝撃的な変

容、小視症(小人などの小さい存在を見る)、巨視症などが見られるという。

奥行きや遠近感の誇張や縮小、立体視の誇張といったものもあり、立体幻覚、平面的な絵に三

次元の奥行きが加わって立体的に見えることもあるという。

時間が伸びたり縮んだりするように思えることもあり、運動が加速したり、減速したり、止ま

ったりするのも幻覚の基本パターンとしてはよくあるものだとしている。

ハクスリーやボードレールやド・クインシーなどに触れながら説明しているが、

なんせサックス自身も若いときから(1950年代)、30過ぎぐらいまで薬物を使用した経験があ

り、幻覚も見ているからたまげるよ。

入眠時心像の場合は、明るくてとても鮮やかな色がついていて、入眠時幻覚は、光度も輪郭も

異常に強くはっきりしていて、影やしわが誇張される場合があるという。

ポーは入眠時幻覚によって想像力が豊かになると感じ、自分が見た異様なものをメモできるよ

うに、幻覚を見ているあいだに突然身を起こして完全に目を覚まし、そのメモをたびたび自分

の詩や短編に織り込んだという。

その他にも、幻嗅についても論じられているが、

視覚を失った人の一〇~二〇パーセントがシャルル・ボネ症候群になるのとおなじように、

嗅覚を失った人のうち同じくらいの割合で、そのにおい版を経験するという。

鼻炎や頭のけがのあとに幻嗅が起こる場合もあるが、片頭痛、癲癇、パーキンソン病、

PTSD、その他の疾患と関連している場合もある。

嗅覚がかなり衰えているが完全には失っていない人も、不快なにおいの変容に悩まされる傾向

もあるという。

幻聴に関しては、「声」と「音楽」の場合が論じられている。

統合失調患者がときどき聞く声は、責めたり、脅したり、ののしったり、しいたげられたりす

る傾向があるが、正常な人たちに聞こえる幻覚の声は、平凡なものである。

「声の幻聴はあらゆる文化で起こり、たいていはかなり重要視されている。

ギリシャ神話の神々も、一神教の神も、しばしば人間に話しかける。

この点では、声のほうが幻影よりも意義深い。なぜなら、声や言葉はメッセージや命令を伝え

ることができるが、イメージだけではそれはかなわないからだ」(本書)

さらには、ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』に言及してもいるが、

幻聴は、一次聴覚野の異常な活性化と関係があるかもしれない、として、これは精神病をわず

らう人だけでなく、一般の人々についても、もっと調べる必要があるテーマだ、としている。

雑音が聞こえてくる現象は、ほとんどの場合聴覚の問題と関連していて、譫妄、認知症、毒

物、ストレスなど、さまざまな要因でひどくなるおそれがあるという。

楽節や歌が声やほかの音と一緒に聞こえる場合もあるが、大部分の人は、楽曲や楽節だけが聞

こえる。

音楽の幻聴は、脳卒中、腫瘍、動脈瘤、感染性疾患、神経変性疾患、中毒性や代謝性の障害に

よって生じえるという。

音楽幻聴の原因を特定するのは難しいとしているが、サックスが診ている老齢の人たちの場合

は、音楽幻聴の一番多い原因は、聴力の低下または消失だという。

PET(ポジトロン断層撮影法)やfMRIのスキャニングにより、音楽幻聴も実際の音楽知覚と同じ

ように、聴覚野、運動野、視覚野、大脳基底核、小脳、扁桃体などの脳のさまざまな領域、広

いネットワークの活性化と関連していることもわかっている。

音楽はほかのどんな活動よりも数多くの領域に訴えかけるので、音楽療法はさまざまな病気に

有効である、とサックスは指摘している。

これは、『身体はトラウマを記憶する』のなかでベッセル・ヴァン・デア・コークも指摘して

いる。

幻肢に関しては、視覚や聴覚を失った人のうち、幻視や幻聴を起こすのは一〇~二〇パーセン

トだが、手足を切断された人はほぼ全員が幻肢を起こすという。

視力や聴力を失ってから幻覚が起こるまでは、数カ月または数年が過ぎることもあるが、

幻肢は切断されてすぐ、あるいは数日以内に現れるという。

それはほかの幻覚とちがって、自分自身の体の一部分として感じられる。

幻肢とほかの幻覚の最も根本的な差異は、幻肢は自分の意のままに動かせるのに対し、

視覚や聴覚の幻覚は勝手に進行し、自分ではコントロールできないとされている。

それは、脳には身体表象、身体地図が存在し、身体の表面だけでなく、身体の内側の組織、

さらには外部世界の各種属性まで地図にしているということだろう。

他にも譫妄やトラウマやドッペルゲンガーなどについて詳述されているが、以上ぼくの気に

なった箇所を略述した。

サックスの著作は、観察結果だけをそのまま書くのではなく、古典文学や哲学などに言及し、

重ね合わせたりしながら書いているので、知的なよい香りがして一般人にも読みやすい。

サックスは、若いときにアンフェタミンを大量に服用して、その効果が切れたときに、片頭痛

についての啓示のようなものを受けた、と書いている。

さらには、十九世紀に医学博士であったエドワード・リヴィングが『片頭痛と関連の障害につい

て―神経急発の病理への寄与』という本を著しているが、このような本を書く能力がある、

自分こそ現代のリヴィングになれる、という決意の気持ちもあったみたいだ。

自分の本を書き始めてから二度とアンフェタミンをやらなかったという。


ぼくは医者ではないが、サックスの患者に寄り添う姿には見習うべきだと思うし感動を覚え

る。最近の日本では、めんどくさい人とは付き合わないほうがいい、などの声が多く聞こえて

くるが、あらゆることに親身になって理解することの大切さ、その姿勢や精神をサックスを通

して再度認識できたのが一番大きかった。

私たちは、互いにきずなを結びやすくなるよう抑制を緩めたり、時間の意識や死すべき運命の

自覚に耐えられるよう何かに夢中になったりすることを求める傾向がある。

心の内および外界の束縛から逃れる休日を、自分はいまここにいるという強い感覚を、

自分が暮らしている世界の美しさと価値を、私たちは求めている。

『見てしまう人びと:幻覚の脳科学』オリヴァー・サックス

幻覚はたいてい、想像や夢や空想のような創造性、あるいは知覚のような細部の生々しさと外

在性があるように思える。

しかし、それぞれと神経生理学的メカニズムの共通点はあるかもしれないが、幻覚はそのどれ

でもない。

幻覚は、他に類のない特別なカテゴリーの意識であり、精神生活なのだ。

『見てしまう人びと:幻覚の脳科学』オリヴァー・サックス

created by Rinker
オリヴァー・サックス 早川書房 2014-10-24
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オリヴァー・サックス 早川書房 2018-03-20