『進化とは何か:ドーキンス博士の特別講義』リチャード・ドーキンス



人間の願望や努力は、いかにはかないものであることか。

人間のもつ時間は、いかに短いことか。

そしてこのため、人間のつくりだしたものは、〈自然〉が全地質時代をつうじて集積してきた

ものと比較してみたとき、いかにまずしいものにすぎないことか。

こういうことを考えたとき、われわれは、〈自然〉の産物は人間の産物よりもはるかに〈本物

の〉性質をもつはずだということ、また自然の産物はもっとも複雑な生活条件にたいして無限

によりよく適応しており、明らかにはるかに高度の技能の刻印をもっていることを、うたがう

ことができるであろうか。

『種の起源』チャールズ・ダーウィン

恥ずかしながら、リチャード・ドーキンスの主著『利己的な遺伝子』(メインテーマは「地球上

すべての生物は(自己複製子)の乗物に過ぎず、生物のさまざまな形質や、利他的な行為を含め

た行動のすべては、自然選択による遺伝子中心の進化によって説明できる」)や『神は妄想で

ある』や『盲目の時計職人』や『進化の存在証明』などはまだ読んでいない。

存在自体は知っていたが、手にするまでには至っていない。

しかし、たまたま本書を目にし、ウォーミングアップがてら読んでみたが、予想以上に面白

く、すぐに引き込まれてしまった。

本書は、ドーキンスが「宇宙で成長する」と題して一九九一年に英国王立研究所(The Royal

Institution of Great Britain)で行なった、子供たちを対象にした「進化」についてのレクチャ

ーをまとめ・翻訳し、新たにインタビューを加えて、著作にしたもの。

リチャード・ドーキンス(1941年ナイロビ生まれ。オックスフォード大学、進化生物学者)

その子供たちを対象にしたレクチャーというものは、有名なクリスマス・レクチャーというもの

であり、これは、一八二五年にマイケル・ファラデーが始めたものといわれており、戦時中を除

いて、毎年続けられている。

ファラデーは一九回レクチャーを行なっており、そのなかで最も有名なのが、一八六〇年に行

なわれた「ロウソクの化学史」という題のレクチャー。

いまでは『ロウソクの科学』として本にまとめられている。

ファラデーに関しては、このレクチャーのためだけというわけではないが、市哲学会で講義の

仕方を練習し、雄弁術と修辞法の夜学に通い、一三三ページにわたるノートをとっている。

ファラデーは初め、金曜日夜の実験室での講義に研究所員を招いていたが、これはすぐに大人

気になり、大講堂で行なうようなった。

そして、初期の講義が余りにも好評だったので、クリスマスに子供たちのための、特別講義を

設けた。

そのレクチャーは、一九六六年からBBCなどを通じてテレビでも公開されるようになり、

八〇年代後半ぐらいから日本でもクリスマス・レクチャーが行われるようにもなった。

日本で行なわれたクリスマス・レクチャーの様子は、数年前に放送大学の講義のなかで紹介して

いたのを映像で観たことがある。

マイケル・ファラデーのクリスマス・レクチャーの様子

九一年にクリスマス・レクチャーに講師として呼ばれたドーキンス(翌年夏には日本でも行なっ

ている)。そのクリスマス・レクチャーの題は冒頭の通り、「宇宙で成長する」。

ドーキンスによれば、「成長する」というのは三つの意味を込めて使っている。

第一は、ぼくたちわたしたち自身が一生の中で成長していくという意味、

第二は、生命が進化という過程を経て成長していくということ、

第三は、人間が進化や宇宙に対する理解を深めていくという意味。

レクチャーは五回に分けて行なっている。

1、宇宙で目を覚ます

2、デザインされた物と「デザインノイド」物体

3、「不可能な山」に登る(のちに同じ題で本を出している)

4、紫外線の庭

5、「目的」の創造

最初の「宇宙で目を覚ます」では、生命は宇宙の中で「進化」というゆっくりした過程を経て

成長する、ということを前提として、五つのレクチャーのテーマでもある「生命はどこから来

たのでしょう。生命とは一体何なのか、私たちはなぜこうして生きているのか、何のために生

きているのか、生命の意味は何なのか」という疑問を投げかけ、日常とかけ離れたマクロとミ

クロの世界を様々な例を通じて示している。

「・・・ほんのわずかの「エリート」だけが祖先になることができるわけです。

・・・祖先になるのはそうなる能力があるから。生き残り、配偶者を見つけ、生殖し、食べられて

しまわないよう気をつけ、食物を探し、よき親であり、といったようなさまざまなことができ

る必要がある」

「われわれがここにこうして存在しているのは、驚くほどの幸運であり、特権でもあるので、

けっしてこの特権をムダにしてはならないのです」

「今われわれが祖先を振り返ってみたとき、進化というのは確実にクライマックス、

すなわちわれわれが人間というものに向かって収斂しているのだというふうに誤解してしまう

かもしれないけど、実際は、そのようになっていません。

進化は何万、何百万という異なる方向に向かって、同時に進行しているのです」

「今日生きとし生けるものはすべて、われわれの親類に当ります。魚もゾウもみなわれわれの

親類です。

彼らが親類であることは、みな同じDNAコードを使っていることからわかる。

これまで知られているすべての生物の遺伝コードは、同じなのです。

共通の祖先を持っていないかぎり、そんなことはほとんどありえない。

われわれは三〇億~四〇億年前に生きていたひとつの遠い祖先の子孫であり、したがってみな

親類なのです」

「宇宙で成長するということは、単純から複雑へ、非効率から効率の良いほうへ、

無脳から大きな脳へと進化していくことを意味します」

第2の「デザインされた物と「デザインノイド」物体」は、ドーキンスが生涯をかけて追求し

てきた最大のテーマといわれている(解説・吉川浩満氏による)。

デザインされたものに共通する特徴は、ある目的を持って作られていて、単なる偶然では決し

てそういう形にはならないもの。

「デザインノイド」とは、シンプルな物でもデザインされた物でもないが、あたかもデザイン

されたかのように見えるものを指している。

例えば、表皮はきれいな斑模様で、森の中では優れたカモフラージュ効果を発揮する大蛇など

は、一見何らかの目的のためにデザインされたように見えるが、自然に作られた「デザインノ

イド」物体は、非常に複雑にできている。

カモフラージュする動物は、食べることのできない物体に姿が似てくるが、「デザインノイ

ド」物体は、別の理由でほかの「デザインノイド」物体に似ていることがあり、それは同じよ

うな仕事をしているから似てくる、とドーキンスは指摘する。

これを「収斂(しゅうれん)進化」と呼んでいる。

「人間が意識的に先を読んだ結果、効率のよい素晴らしいデザインをするのに対して、

トリックバチやカマドドリが瓶や巣を効率よく作るのは、先を読んでのことではなく、

むしろ過去の失敗から「自然選択」によって直接選択されてきた結果に過ぎないからです」

進化の始点は、結晶のようにシンプルなものであり、そのシンプルさが積み重なって、複雑な

ものへと変わっていく。

このシンプルな基礎の上に、「デザインノイド」物体が「自然選択」によって作られていく。

さらに重要なのが、この「デザインノイド」物体が、人間の脳のように大きな脳を持って初め

て、デザインするという行為が本当に現れてくる。

ただ、「デザインノイド」物体には、実際のデザインによってデザインされたものにはありえ

ないような「欠点」も入ってくる。

第3の、「「不可能な山」に登る」では、進化の途中過程が語られている。

それをドーキンスは独自の「不可能な山」と呼んでいる模型を使って説明している。

その山の一方は絶壁であるが、反対のもう一方は、複雑に入り組んでいるが傾斜道があり、頂

上まで登っていくことができる。

生物の進化は、このゆっくりと登るルートを長い時間小さな一つ一つの歩みを重ねていくこと

で、高いところまで登っている。これを「傾斜進化」と呼んでいる。

この場合、個体が登るわけではなく、系統、動物群、種が登るのであり、進化の長い時間軸の

中で登っている。

この世代から世代への積み重ねというものは、遺伝を伴う再生産が行なわれ、情報が次世代へ

と確実に伝わっていく場合のみ可能となる。

その情報とはもちろんDNA(デオキシリボ核酸)のことであり、DNAは世代を下って流れる川の

ようなものであり、DNAの川は私たちを通って、同じ姿のまま未来に向かって流れていく。

進化の重要なポイントは、「不可能な山」を何の奇跡も必要とせずに登るということだと、ド

ーキンスは指摘する。

「「進化」は奇跡というシミが付かずにすんでいます。

シンプルでありながら絶大に効果的な「幸運を積み重ねる」というやり方を、

地質学的な長大な時間軸上に引き伸ばすことによって、非常に確率の低いことも可能にしてい

るのです」

4番目の「紫外線の庭」では、人間中心の視点ではなく、ほかの動物の視点からも物が見える

ようになるべきだとして、進化を理解するためには、人間の視点から離れなければならいこと

を説明する。

タイトルの「紫外線の庭」というのは、人間の目には見えないが、ハチにはしっかりとその色

が見えているということ。ハチは、人間とはまったく違った方法で形を見ている。

花はハチを利用し、ハチは花を利用している。お互いにパートナーとして影響を与えあい、

互いに相手を飼いならし、育てている。紫外線の庭は双方向であると。

しかし、花とハチが共生関係の方向に進化してきたからといって、生物が常に互いの利益のた

めに働くと考えるのは早計だとも指摘する。

そして、それらを説明するために、遺伝子の観点から眺め、私たちのDNAは自分の自己複製機

を作り、私たちは、DNAがひたすら同じDNAのコピーを作るために組み立てられた機械である

と言及する。

「この章は、花は何のために存在するのかという問いから始まりました。

それに対して、さまざまな答えを検討した結果、花は、生物界すべてと同じように、

DNA言語で書かれた自己複製プログラムを広めるために存在している、という結論になりまし

た」

最終章の「「目的」の創造」では、生命体が宇宙についての理解を深めるためには、それなり

の装置が必要になる。この地球上ではそれは「脳」ということなる、として脳にスポットライ

トを当てている。

私たちが今そこにあると思っているもの、そこに見える現実だと思っているものは、実は脳の

中に構築されたモデルであり、脳内シュミレーションに過ぎない。私たちが現実として把握し

ているものは、実はコンピュータ・ゲームの世界のように、私たちの頭の中で作られた仮想現実

(ヴァーチャル・リアリティー)であると、今では当たり前に受け入れられていることを、この時

期に指摘していた。

「実は脳は、二つの目と鼻と口らしきものを見ると、ただちに脳内に顔のモデルを立ち上げて

しまうです。

とにかく脳はひたすら顔を見たがる傾向にあるので、ちょっとでもそれらしきものがあれば、

すぐに顔だと思ってしまう」

さらに、進化の過程で人間の脳は短時間で大きくなったことや、人間の脳がなぜ風船のように

膨らんでいったのかを、コンピュータなどからヒントを得られるかもしれないとして説明す

る。もちろん、脳とコンピュータとでは、かなりの違いがあるということも指摘している。

そして、コンピュータの進歩の過程で一つだけ、人間の脳に一体何が起こったのかについての

ヒントになるものを指摘している。

それを「自促型共進化」(self-feeding co-evolution)と呼んでいる。

「共進」とは一緒に進化するという意味で、「自促型」(self-feeding)のほうは、持てば持つほ

どもっと手に入るという意味で使っている。

「共進」は、ハードとソフトの両面とも一緒に進化していくことであり、「自促型」は、前の

世代の進歩が次の世代の進歩を促していくことで両者の関係はらせん状になっている。

ドーキンスは、人間の脳に飛躍をもたらした候補として、想像力、言語、テクノロジーの三つ

をあげている。

さらに、その三つがお互いに作用しあって、三つ巴のらせん型爆発を起こしたのではないか、

と推測している。

しかし、それらの三つの知的道具は諸刃の剣であり、負の部分も指摘している。

「すべては、必ず目的を持って作られていると私たちは認識しているし、子供たちもそう思い

ながら育ってきている。

しかし目的というのは脳が生み出したものであり、脳は進化によってできたものです。

目的そのものも、ほかのあらゆるものと同じように進化してきた。

この惑星で三〇億年もかけて生命は、「デザインノイド」として成長してきました・・・

目的そのものは、ごく最近この宇宙で生まれ育ったものです。

しかし目的そのものも、いったん人間の脳内に誕生すると、今度はそれ自体が、「自促型」ス

パイラル進化をする、新たなソフトウェアとなる可能性が高いのです」

本書の最後には、2009年にオックスフォードで行なわれたドーキンスのインタビューが収録さ

れているが、ドーキンスはこのインタビューの最後に次の言葉で終えている。

「われわれの脳が許すかぎり、この世界やそこに生きる生命について、なるべくたくさんのこ

とを理解するのが望ましい。

世界は冷たく荒涼としたところではなく、素晴らしく美しく親しみの持てるところです。

私は、自分がその中にいることを心から楽しんでいます」

本書はドーキンスのクリスマス・レクチャーをまとめたものであり、編・訳者である吉成真由美

(よしなり・まゆみ)氏によれば、

「優れた進化入門書になっているのはもとより、ドーキンスの著作のエッセンスが網羅されて

いるので、彼の世界への入門編としても格好の書になっていると思われます」

と述べられている。

ドーキンスのクリスマス・レクチャーに関しては、Richard Dawkins FoundationがYOUTube

であげてくれている(全五回で英語だが)。


何かに行き詰まりを感じにっちもさっちも行かなくなった方などに、特におすすめしたい。

この世は広く、また複雑であり、その世界の一部分しかぼくたちは認識していない、というこ

とをドーキンスの講義を通じて易しく理解することが出来るし、いい刺激になるだろうと思

う。時には違った視点から眺めることも重要。

本書は現代版『ロウソクの科学』みたいなものであることは間違いない。

最後にあたって、若い皆さんに伝えたいのは「来るべき皆さんの時代において、

ロウソクのようになってほしい」という私の願いです。

それは、皆さんがロウソクのように、光輝いてほしいということです。

すなわち皆さんのすべての行動において、人類に対する皆さんの義務の遂行において、

皆さんの行動を正しく、有益なものにすることによって、ロウソクのように世界を照らしてく

ださい。

『ロウソクの科学』マイケル・ファラデー