儚い存在であるオクトパスの驚くべき世界|『タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源』ピーター・ゴドフリー=スミス



著者のピーター・ゴドフリー=スミスがタコやイカなどの「頭足類」に興味を持つようになっ

たのは、「ジャイアント・カトルフィッシュ(オーストラリアコウイカ)」との出会いがきっかけ

だった。

カトルフィッシュ(コウイカ)のそばにいると何かが通じ合ったと感じ、こちらのほうをじっと

見つめてくるが、一定の距離を保とうとする。

ただ、時には接近を図ることもあり、あえて近くまで寄った時には、腕をこちらに伸ばしてき

たこともあった。著者は生粋の哲学者であり、純粋なダイバーでもある。

カトルフィッシュは、同じイカでもヤリイカやスルメイカ、ホタルイカなどを含むツツイカと

は少し種類が違うが、タコとは親戚のようなもの。

そして、タコ、コウイカ、ツツイカには一つの共通点があり、それは、大きく複雑な神経系を

持っているということ。

エルンスト・ヘッケルが描いた頭足類

そんなタコやコウイカについて、進化生物学者のリチャード・ドーキンスは、クリスマス・レク

チャーのなかで物珍しそうに次のように語っていたことを思い出す。

「タコは素晴らしく興味深い火星人だという。

つまりほかの惑星からやって来たと言ってもおかしくないくらい、変わっていると。

また、コウイカは体の色を思いどおりに変えることができる」

前回取り上げた「進化認知学」を提唱しているフランス・ドゥ・ヴァールも、タコの存在につ

いて興味深い言葉を残している。

「もし唯一無二という語に最上級をつけていいとしたら、タコはすべてのなかで最も唯一無二

の種と言えるのかもしれない。

構造的に似た体制[生物体の構造上の基本的な形式]と脳を持つ陸上脊椎動物の長大な系統から

派生した人間とは違い、タコはどんなグループとも比較しようのない種だ」

著者も上の二人と同様に、頭足類と出会うことはおそらく私たちにとって、地球外の知的生命

体に出会うのに最も近い体験だろう、と述べている。

「タコが特殊なのは、知性や心の歴史においても非常に重要な存在だからだ。

タコは「生き残ったもの」ではなく、古に存在した何かを、私たちとは違うもう一つの形で体

現するものだ・・・タコは私たちの心の進化の物語を直接、語ってはくれない。

ただ、まったく違った道筋で複雑な内面を進化させた稀有な事例として、語られるべき別の物

語を持っているのである」(本書)

原著『Other Minds The Octopus and the Evolution of Intelligent Life』とピーター・ゴドフリー=スミス

著者の専門は哲学だが、本書では、感覚、知性、意識というものが、物質からどのようにして

生じたのか。生物の感覚、身体、行動がこれまでどのように進化してきたのかをまとめてい

る。それは副題に付いているとおり、頭足類から意識の起源を迫ろうとはしている。

しかし、明解な解を提示しているわけではない。

本書では、頭足類にmindが備わっていることを示唆するエピソードがいくつか紹介されてい

る。

例えば、研究用に飼育されているタコが人の顔を一人ずつ記憶しており、嫌いな人が近づくと

水をかける、水槽の中の電球をわざと壊して遊び、ショートさせて停電が起きるのを楽しんで

いるように見えること、など。

タコは見慣れないものをただ弄ぶだけでなく、有効に活かすこともある。

二〇〇九年、インドネシアのある研究グループは、野生のタコが半分に割れたココナツの殻を

二つ抱えて歩いているのを発見した。

観察を続けると、そのタコは殻を持ち運び可能なシェルターとして利用していた。

殻は綺麗に真っ二つに割れていたので、間違いなく人間が二つの割ってから捨てたものである

が、タコは偶然それを拾ってうまく役立てていた。

さらに、持ち運ぶ時には、一方の殻をもう一方の殻の中に入れることもあり、それを身体の下

に抱えて海底を歩いてもいる。これにはインドネシアの研究グループも驚いた。

タコは好奇心が強く、順応性があり、冒険心もあり、日和見主義なところもあるが、並外れた

技能を持ち、相手が人間であっても、一人ひとりを区別して認識できる。


タコを含む頭足類は、大きな脳も含む大規模な神経系を進化させている。

ごく普通のタコ(マダコ)の身体には、合計で約五億個のニューロンがあるといわれている。

人間のニューロンの数はそれよりもはるかに多い約一〇〇〇億個だが、小型の哺乳類の中に

は、ニューロンの数でいえばタコと同じくらいのものが多くいる。タコのニューロン数は、犬

にかなり近いという。

そして、他のどの無脊椎動物と比べても、頭足類の神経系の規模は異常に大きく発達してい

る。

タコは脳の重量、ニューロンの数のどちらを見ても、無脊椎動物の中では身体の大きさに比し

て大規模と言える。

タコを含む頭足類は非常に優れた目を持っている。目のつくりは、大まかには私たち人間のも

のと同じ。

しかし、脊椎動物の脳とタコの脳を比較しようとすると、まるで対応がつかなくなってしま

う。

タコの脳は、脊椎動物の脳とまったく違った要素からできており、タコの脳のこの部分は、

脊椎動物の脳のこの部分にあたる、といったことはまったく言えない構造になっている。

しかも、タコの場合、持っているニューロンの大半が脳の中に集まっているわけではなく、

ニューロンの多くは腕の中にある。

タコの脳は独立した存在というよりも、「脳を含めた神経全体」が一つになっている。

なので、タコはどこからどこまでが脳なのかがはっきりしない。

多くの動物では、脳と身体が明確に分かれるが、タコはその区別とは関係のない世界に生きて

いる。タコは身体中が神経系で満たされている。

私たちは人間へとつながる道筋で、動物は脊索(脊椎)という構造を持つことになった。

脊索は、動物の背側にあり、身体の中央を貫いている。脊索には神経が通り、一方の端には脳

がある。この身体設計は、哺乳類、鳥類、爬虫類、そして魚類などに共通して見られる。

一方、頭足類は、それとは大きく違った設計の身体構造を持ち、違った種類の神経系を進化さ

せた。

それを著者は、脊索動物の神経系を「中央集権型」、頭足類の神経系はそれよりも「分散型」

と指摘する。

先程のフランス・ドゥ・ヴァールも、頭足類の神経系は、私たちの種におけるような単一の指

令センターではなく、むしろインターネットに近い。広範囲で局所制御が行なわれているの

だ、と指摘している。

さらにタコが凄いのが、タコの神経系は部分ごとに機能する場合と、脳の司令の下、中央集権

的に機能する場合の混合のようなかたちで働いていること。

タコと人間の両者を比べた場合に、類似と相異、収斂と放散が入り混じって見えるような特徴

もある。

例えば、心臓は人間にもあるし、タコにもある、だが、タコの心臓は一つではなく、なんと三

つもある。

また、その心臓が送り出す血液は赤ではなく、青緑色をしている。酸素を運ぶのに鉄ではな

く、銅を使うからだ。

タコは奇妙なライフサイクルを送り、ほとんどは一、二年の寿命しかない。

これほどの知能を備えた動物には珍しく、捕食者を避けつつ短期間で成長し、相手を見つけて

生殖行為を終えると、あとは死ぬだけ。食べるのをやめてしまい、体重が減って老化が進む。

他にもタコという生物の存在を面白くしているのは、他の動物と違って定まった形状を持たな

いということ。

腕を下にして堂々と立っている時と、自分の目よりも大きいくらいの穴を通り抜ける時ではま

るで形状が違う。タコは唯我独尊で我が道を往く不思議な生きものだ。

様々な形態に変化することができるタコ

地球が誕生して現在、約四六億年と言われている。

生物の歴史は約三八億年前に始まったとされ、動物の誕生は約一〇億年前か、それより後と言

われている。地球の歴史の大半は、生物はいても動物はまったくいないという時代だった。

海の中に単細胞の生物がいる、という時代が非常に長く続き、現在でも、生物のかなりの部分

を遠い過去とあまり変わらない単細胞生物が占めている。

現在見られるほとんどの動物の基本型は、約五億四二〇〇年前のカンブリア爆発に始まったと

されている。その中に哺乳類の基本型は含まれていなかったが、魚類はこの時に生まれ、脊椎

動物の基本型は誕生している。節足動物もこの時に誕生し、三葉虫もこれに含まれる。他にも

環形動物など、多様な動物がこの時期に誕生した。

カンブリア紀には、動物の存在の仕方が以前とは変わった。

どの動物も単独では存在せず、他の動物との関係の中で生きるようになった。

そして、その関係の多くは「食う、食われる」の関係であった。

ある動物が少し進化したら、その進化は周囲の環境を変化させることになる。

すると、近くにいる他の動物たちは、それまでとは少し違った環境にさらされるため、それに

対応して進化せざるをえなくなる。幕末の日本や今の国際政治にも当てはまる。

「自促型共進化」(self-feeding co-evolution)。

キンベレラの化石

従来の科学者は「化石の中でも特に重要なのはカンブリア紀のもの」と考えていた。

ところが、一九四六年にオーストラリアの地質学者レジナルド・スプリッグがサウスオーストラ

リア奥地の廃止されたいくつかの鉱山で調査をすると、クラゲらしき生物の化石を発見した。

スプリッグが発見したのは、カンブリア紀の前にすでに動物が生息していた証拠となる化石だ

った。さらに、類似の化石が世界の他の地域でも見つかるようになり、またスプリッグの発見

した「クラゲ」の化石についてもさらに詳しい調査が行なわれた結果、この化石はカンブリア

紀よりもかなり前のものであることがわかり、化石もクラゲではないということもわかってき

た。

現在、この動物の生きた時代は「エディアカラ紀(エディアカラン)」(化石が発見されたエディ

アカラ丘陵に由来する名前)と呼ばれ、六億三五〇〇年前から五億四二〇〇年前とされている。

エディアカラ紀動物の大半は、あまり動くこともなく海底で静かな生活を送っていたと考えら

れている。ただ、DNAには、その時点ですでに神経系が存在していたことを強く示唆する証拠

が残っている。

エディアカラ丘陵で見つかった中には、海底で土埃をあげながら動き回っていたと考えられる

ものがいた。それが特に明らかなのはキンベレラである。アッテンボローがナビゲートする番

組でも紹介されていた。

キンベレラは軟体動物の一種だとされることもあるが、軟体動物に近いが、すでに途絶えてし

まった系統に属するとされることもあるという。キンベレラには這う能力もあり、体長も数セ

ンチメートルくらいにまでなるので、神経系を持っていた可能性を指摘されている。

エディアカラ紀の動物たちは、もともと、互いに関わり合うこと自体ほとんどなかった。

たいていは、微生物のマットの上におとなしく留まって水を入れ、その中から食物を濾し取っ

ているだけだった。時には動き回ることもあるが、化石の証拠から見る限りでは、動物どうし

の関わり合い自体、ほとんどなかったという。

カンブリア紀の初期から、化石記録に見られる動物の身体は、エディアカラ紀のものとはすで

に違っていた。大きな目、触角、爪などを持った動物が現れている。神経系の進化も新たな道

筋をたどるようになった。

カンブリア紀に見られる行動の進化は少なからず、ある種の生物の身体が潜在的に備えていた

可能性を解き放つことによって起きたという。

クラゲの身体は、上下の区別はあっても、左右の区別はない構造になっている。このような構

造を「放射相称動物」と呼ぶ。一方、人間、魚、タコ、アリ、ミミズなどは「左右相称動物」

と呼ばれる。前後の区別もあり、左右の区別もある。

最初の左右相称動物が現れたのはエディアカラ紀で、キンベレラも左右相称動物だったみたい

だが、カンブリア紀には動物が多様化し、その関係が複雑化したが、その多くは、左右相称動

物に起きたことであった。

それは大きな進化の分岐が起きた。長い歴史の中で無数に起きた分岐の中でも特に大きな分岐

であったと指摘する。その時点で、左右相称動物は二種類に分かれた。


始めのうちは、二つの枝のどちらの動物も、似たような小さく平たい「蠕虫(ぜんちゅう)」の

ような生き物だったが、時間が経つにつれ、一方の枝ともう一方の枝の違いは大きくなってい

た。

一方の枝からは脊椎動物が生まれ、ヒトデなども脊椎動物と同じ枝から生じ、もう一方の枝か

らは、多数の無脊椎動物たちが生まれた。

この大きな分岐の直前が、私たち人間と無脊椎動物たちとが進化の歴史を共有していた最後の

時点だった。

そして、大きな分岐のあとには、さらに多数の分岐が起きていった。そのうちの一つの枝から

は後に魚が生まれ、恐竜や哺乳類も生まれた。

もう一方の枝でも無数の分岐が起き、節足動物、軟体動物などが生まれた。

どちらの側も、エディアカラ紀からカンブリア紀、その先と時代を経るに従い、生き方は複雑

になっていった。

頭足類の進化

著者は頭足類の身体は、上の図のような進化の旅を経て現在のようになったと考えている。

初期の頭足類は、身を守るための殻を持ち、その殻を引きずるようにして海の中を徘徊してい

た。しかし、その殻を捨てることになり、拘束物がなくなったことで、自由自在に身体を変え

られるようになった。

中でも極端なのは、硬い部分がないに等しいタコであり、タコの柔軟な体には、骨はないが、

ニューロンが全体に分布している。

この制約の少なさ、動きの可能性の豊かさが頭足類の複雑な神経系の進化にとって重要だと考

えられており、その出来事によって進化のフィードバックが起こり、身体の形態、動きに無限

の可能性が生じ、それを細かく制御するための機能が進化することになった。

大規模な神経系が生じると、身体の持つ可能性はさらに広がり、頭足類の腕にはあらゆる感覚

器が備わることになった。

また皮膚には、色を自在に変化させ、光を感じることもできる機構が備わった。

殻の喪失は同時に別の効果ももたらし、捕食者の攻撃に対して無防備だったが、捕食者に対抗

するため、頭足類は、相手を惑わす能力や擬態の能力を身に付けていった。

しかし、無防備な身体ではそう長く生きられそうにないが、自らも捕食者として活発に動く必

要がある。外に出て動き回る必要があり、当然、動き回るときには、無防備な身体をさらすこ

とになる。こういう動物は、自然の寿命を圧縮する淘汰圧がはたらくのに理想的な候補となる

という。

この淘汰圧があるために、頭足類は「すべきことをなるべき明日に延ばさない」という性質を

身に付けるに至った。常に危険にさらされ、明日はどうなるかわからないから。

その結果、頭足類は、非常に大規模な神経系を持ち、同時に非常に寿命が短い、という珍しい

組み合わせの動物になった。

神経系が大規模になったのは、制約の少ない身体を持っていたからでもあるし、また自分が被

食者になる危険にさらされながら、捕食者としても活動があったからで、常に危険にさらされ

る環境が原因で、寿命は短くなった。

近年になって、頭足類の中に例外的な種が発見され、この理論の信憑性が高まっているとい

う。

二〇一五年、はじめてタコのゲノムが解読された。

遺伝子を調べることで、タコの個体発生における神経系の形成に関して新たに重要な情報を得

ることができた。

神経系を形成するには、神経細胞どうしを正しく接着する必要があり、人間の場合は、プロト

カドヘリンという物質がこの接着に利用される。

なんと、タコの神経系の形成においても、やはり同様の物質が利用されていることがわかっ

た。

さらに別の発見も同時にあり、神経系の形成に利用されるプロトカドヘリンは、ツツイカとタ

コ、どちらの系統でも多様化していたという。

プロトカドヘリンは、タコの進化の過程で一度、ツツイカの進化の過程でも一度、多様化して

いた。

脳を形成するこの物質は、進化の歴史の中で少なくとも三回、多様化をしていることになる。

コウイカについてはかなり高い知力を備えていることを示す証拠が新たに見つかっている。

フランスのジョゼ・アルヴらの研究グループは近年、鳥類のエピソード記憶に関する有名な一連

の実験を参考にして、コウイカの記憶について調査した。

鳥類の研究でもコウイカの研究でも、研究者たちは「エピソード様の」記憶という言い方をし

ている。

これは、人間においてはエピソード記憶は主観的経験を形作る大切な要素だが、他の動物にお

いても同じことが言えるかどうか、定かではないから。

ジョゼ・アルヴの研究でわかったのは、十腕目の系統に非常に複雑な認知能力が見られるという

ことだった。

私たち人間を含む哺乳類、鳥類、そしてコウイカという三種類の動物すべてにエピソード記憶

があるとすると、それぞれ独立した三つの系統で同じような進化が起きていたことになる、と

著者は指摘する。

コウイカのこのような能力は、ある時点からタコの脳とは分かれて進化した脳にその能力があ

るわけだが、言い換えれば、頭足類の中でも知性が複数、平行して進化した証拠であり、この

事実は、頭足類が複雑な神経系を持つよう進化したのは単なる「偶然」ではないことを示唆す

るとも述べている。タコの系統とイカの系統で、同じような神経系の進化が平行して起きたの

だと。

タコとイカの進化上の関係

進化的に見れば、タコとコウイカの関係は、哺乳類と鳥類との関係に近く、哺乳類と鳥類が分

岐したのは、三億二〇〇〇万年前頃と見られているが、両者の身体の構造は現在、かなり違っ

たものになっていて、どちらも大きな脳を進化させた。

タコとイカはどちらも軟体動物の頭足類で、身体の構造は哺乳類と鳥類ほど違わない。

ただ、分岐したのは、同じくらいの時期と見られている。そしてその両方で大きな脳が平行し

て進化した。

少なくとも二つの系統で、大規模な神経系が独立して進化し、頭足類と賢い脊椎動物は、心の

進化の歴史における、互いに無関係な実験だということができると著者は見ている。

哺乳類と鳥類のように、タコとコウイカも、こうした大きな実験の中の小さな実験だと考えら

れると。


本書では、最初に主観的経験をしたのはどんな生物か。最初に「痛み」という感覚を経験した

生物はどのようなものか。もし大きな脳を持つ頭足類になったとしたら、私たちはどのような

経験をすることになるのか。頭足類は主観的な経験などしない、単なる生化学機械なのか。

中は真っ暗で、心と呼べるようなものはないのか。そのような問いのすべてに答えるようなも

のではないが、答えには迫っている。

ウィリアム・ジェームズの意識の「連続性」から「主観的経験」、バーナード・バーズの「グロ

ーバルワークスペース理論」やそれを発展させたドゥアンヌらにも触れられている。

タコやイカなどの頭足類もまた、厳しい環境に適応しながら人間などの哺乳類とは違ったかた

ちで「知性」を獲得していった。

「心は海の中で進化した。海の水が進化を可能にした。ごく初期には、何もかもが海の中で起

きたのだ。生命が誕生したのも海で、動物が誕生したのも海だ。神経系、脳の進化が始まった

のも海の中だった。

また、脳が価値を持つには、複雑な身体が必要になるが、その複雑な身体が進化したのも始め

は海の中だった・・・タコも人間も、地球と海によって生まれた点では同じである」(本書)

タコといえば、ドイツ・オーバーハウゼン水族館のパウルを思い出す。

パウルは2010年の南アフリカW杯で、準決勝まで駒を進めたドイツ代表の7試合および決勝戦

の勝敗を見事的中させて話題となったタコ。

そんなパウルも2歳9カ月で老衰で亡くなっている。

タコは一瞬を懸命に生きる儚い存在だ。

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ピーター・ゴドフリー=スミス みすず書房 2018-11-17