「少年の記憶」を巧みに出入させてもいる松岡正剛の『自然学曼陀羅』



人間はイメージを非常によく利用する。

とくにそれを図式化することがありますね。

たとえば仏教でいうと曼陀羅。

これなどはおもしろいものですけれども、

ほんとうは多くの人がそういうイメージや図式を盛んに利用しているのではないか。

(湯川秀樹)

『人間にとって科学とはなにか』湯川秀樹/梅棹忠夫

『自然学曼陀羅』というタイトルは、フリッチョフ・カプラの『タオ自然学』を連想させる

が、松岡氏は本書に収録したエッセイを書いた時点では、それらのニューエイジサイエンスの

動向を知らなかったという。

『自然学曼陀羅』の初版本(1979年)と松岡正剛

本書は、松岡正剛氏が二〇代の頃―一九七一年の『遊』創刊号から連載をはじめた『自然学曼

陀羅』とそれ以前のエッセイが収録されている。

「自然に論理を読む方法」(自然学曼陀羅1)

「東洋思想と感覚論」(自然学曼陀羅2)

「全自然学と超自然学」(自然学曼陀羅3)

「ガウス―彗星と重力」(付論1)

「マッハとアインシュタイン」(付論2)

「同定と仮説」(付論3)

「科学者は宇宙の観客にすぎないか」(付論4)

「科学者は宇宙の観客にすぎないか」は、寺山修司の依頼によるもので、「科学っていうのを

切ってみてほしいんだけどね」という注文だったという。

『自然学曼陀羅』(フィシカ・マンダラ)の直接の発想は、アリストテレスの『自然学』を読んだ

後、一方はプラトンへ、他方はベルグソンへ、それぞれ前史と後史へ両跳びしたときに生まれ

たという。

その飛躍した時に松岡氏が感じたことは、「物理学」と呼ばれる世界がギリシャ期には「自然

学」(physica)と呼ばれていながら自然観念に乏しくなってしまっていること、ヨーロッパ合理

思想の底流が精神解放のためのアニミズムを必ずしも放棄していなかったこと、ギリシャから

二〇世紀自然学に至る系譜は、「光と重力」に対する清烈な闘いであったこと、などが見取図

となって浮かんできたという。

そして、このような見取図に、学生時代から松岡氏の心を揺さぶっていた東洋思想が出入り

し、『自然学曼陀羅』が誕生したという。

それを松岡氏は、科学思想と東洋思想の相互放電だと呼んでいる。それは接木ではなく、その

両者にうずくまっている〈相似〉や〈同時〉のおもむきをもって彼方へあてどもない旅へ出

た、と松岡正剛氏らしく指摘している。

南方曼荼羅とエルンスト・ヘッケル『生物の驚異的な形』

「物理学とインド哲学、定常宇宙と空海=覚鑁の密教論、生物学と神秘学、ピタゴラスとゾロ

アスター、ダンテ世界相とヴァスバンドゥ世界相、現代美術とタオ・カリグラフィ、空衣派マハ

ーヴィラと哲人クロポトキンのアナキズム、バッハのフーガとインドのラーガ(これはビートル

ズが気がついた)、西洋錬金術と東洋錬丹術、セフィロートと太極図、バイエル・アスピリンと

葛根湯・・・。

これまで別々の軌道を歩んでいたかに見えたものたちが一斉に重なりはじめた。

考えなければならないことはいくらでもある。閉塞した専門性と分業性の中に分け入って、

片手片脚だけをもぎとってこなければならないこともあろう。

まったく的はずれのアソシエーションで迂遠する回路も出てくるだろう。

―それでも、全自然学は、全マンダラだ」(本書)

本書のメインである『自然学曼陀羅』。「自然に論理を読む方法」(自然学曼陀羅1)では、

火山の話からはじまり、鉱物や一七世紀フランスの自然学者であるピエール・ガッサンディ、

ミンコフスキーの光円錐やユークリッド幾何学、「ガウスの不安定数」(曲率)やベルンハルト・

リーマン、マンダラや密教、ヴァスバンドゥやインド哲学などが変幻自在に「松岡節」で論じ

られている。

「自然に接するにあたっては、時に体の片隅に置き去りにしてきた“子供の言霊”を呼びさまさ

なければならないこともある。真実はそんな割れ目や裂け目からほとばしりでるものだ」

「鉱物こそわれわれの関心が最後に赴くところの沈黙者であっても、またいかに鉱物が自然界

きってのダンディストであろうとも、この沈黙者をもって最初っから「結論」とするのはいさ

さか早合点とも言わなければならないからだ」

「まったく自然学は「物質が光になろうとする努力」にいかに参入するかという闘いの現場で

あった」

「線を過小評価すべきではない。〈線〉はわれわれがおもいつくリニアな観念のいっさいの原

動力だ。

〈線〉の概念がなかったならば「光線」という概念さえ生まれなかったはずだからである」

「自然を単なる自然に放置しないことだ。老子や荘子は、この最初に自由に引かれた線を「道

(タオ)」と呼んだことだろう」

「ヴァスバンドゥは世界は生きとし生けるものが有意的につくった器であって、何もあらかじ

め世界があったのではない―とする考え方にある。だから、その有意化されすぎた世界をいっ

たん場所化して、そのうえで論理がこれをその内側へ引き取って終熄するがよい、とした」

本章では、一八五〇年前後の充実した精神技術年表をオリジナルで作成している。

この時代は、自然史と人工史が、ちょうど精神史的頂点で真向から差し違えた時代的事件なの

である、と線を引く。

ちなみに、このオリジナルに編集された年表は、『日本という方法』の中でも日本の近代―明

治三十三年前後を、ここには、今日こそ考えるべき多くの行動と思想とが、勇気と愛情とが、

冒険と計画とが集中するとして、作成している。

『NARASIA』のなかでも、奈良と日本と世界の年表を並列させてもいる。

松岡氏の年表にはいつも大変お世話になっている。

「東洋思想と感覚論」(自然学曼陀羅2)では、松岡氏の周期病からはじまり、それを「わが重力

異常」と呼び、脳髄に話を広げ、ひからびて見える本郷の標本室の大脳皮質の前での話し、

ヒトや生物の進化、宇宙生物や生気象学、重力感覚や電磁力感覚、瞑想やタオイズムやルナテ

ィックス、などの話にまで及ぶ。

「今日に至るまで自然が変貌したことなど過去の一度だってありはしない!

それなのにどういうわけか生物のみ進化などという変動相場ふうの特権が与えられている有様

である。

どうして生物にのみこの特権は授けられたのか。自然は生物樹においてのみ突起的に変質を遂

げたと言いたいのだろうか?鉱物には進化がないとでも言いたいのだろうか?」

「生物学が生物の機能を研究しているかぎり、僕は生物学から遠い。

生物学が生命の可能性に挑戦しているかぎり、僕にとって生物学は単なる科学である」

「ロボットに関して言うのなら、むしろ、人間の機能からできるかぎり遠のいた人形の方が僕

には魅力的である」

「g感覚とb感覚を較べるとき、g感覚とは「内側から外側への物理学」であるようにおもわ

れ、b感覚とは「外側から内側への物理学」であるようにおもわれる。

これを意識のアリバイの方から言い直せば、g感覚を「内側の生理学」であるとしb感覚を「外

側の生理学」であるとすることができる。

ふたつの原感覚の間にはいささか主語のアクセントの置き方による差異があらわれている」

「瞑想は白昼のきらめきを弱め、そうすることによって存在学的量子流が内側でせせらぎとな

って水音をたてているのを聴きやすくする方法である。

禅もスーフィズムも、タオイズムもカバラも白昼的なるものよりも夜光的なるものを重視す

る」

「全自然学と超自然学」(自然学曼陀羅3)は、〈存在〉や「内側」と「外側」、「無と加速度」

や超自然学、〈同期性〉や〈相似律〉、古代道教の「真人」や古代日本の「カタ」、最後は鉱

物で終えている。

「「自然」とか「生物」とか、また「感覚」とか「時間」とかの枠を設定してみても、これら

は究極のところ〈存在〉というフィクションにかかわってくる。

とはいえ、〈存在〉を語っているからといって、そこに自然史や生物史が析出してくるとはか

ぎらない。

おおむね〈存在〉とは自分のことの漂白にすぎなかったり同義反復であったりするからだ」

「結局、われわれにとって面倒なのは「内側」と「外側」の関係なのだ。

何が内側で何が外側なのか―それがわかれば問題の大半に片をつけられると言ってよい」

「「無はつまむべきであること」あるいは「無は人工化すべきであること」―これが僕の

〈無〉であった」

「超自然学はアインシュタインが物質すなわち質量、エネルギーとを区別してその関係を述べ

ようとしたその右端にはじまって、質量とエネルギーとをほとんど同一視しようとする意図の

左端へとつながってゆく」

「鉱物は禅である、三昧である、サンスクリットである、アタラクシアである、夢である。

だから屍体は鉱物をめざし、エロスまたアルフレッド・ジャリの戯曲のごとく鉱物をめざす」

松岡氏は二十三歳の春に父がガンで急逝し、その夜、屍体を凝視しているうちに〈重力観念〉

に逢着したという。

それ以来、重力観念は〈場所〉と〈存在〉の極点に松岡氏を運び、四年にわたってフィジカ・マ

ンダラが継続された。

付論1の「ガウス―彗星と重力」は、数学や天文学を民俗学的な光や魂の問題としてとらえな

おそうとしたものであり、付論2の「マッハとアインシュタイン」は、自然観念と人工観念の

同定を試み、付論3の「同定と仮説」では、マルクス学と物理学の止揚という意図がしだいに

「混沌と論理の共存」の方へ傾いてゆくプロセスを対話篇にし、最後の「科学者は宇宙の観客

にすぎないか」は、ダイソンの半球や重力、宇宙のつくりかたやローレンツ変換の未練などが

論じられており、稲垣足穂が死ぬ直前まで枕元に置いていたという。

本書の全体に関しては、ヴィトゲンシュタイン、ガウス、ヴァスバンドゥ(世親)の三者を連れ

て綴られている。

本書の帯びには“編集工学の原点”と書かれているが、まさにその通りで、

本書の五年後に出版された『空海の夢』にも『自然学曼陀羅』で展開された方法が窺えるし、

その他の『ルナティックス』や『フラジャイル』にもひしひしと感じる。

上述で引用した「結局、われわれにとって面倒なのは「内側」と「外側」の関係なのだ」とい

うのも、田中優子氏との対談本である『日本問答』でも、「最も重視したのは、この国が「内

なる日本」と「外なる日本」を異なる様相をみって歩んできたことだ」と、そのコンセプトは

継続されている。これには驚いた。

そして、「g感覚とb感覚」というのも、稲垣足穂の「A感覚やV感覚」のミームも感じられ

る(『フラジャイル』も松岡氏のオリジナル性も感じるが、足穂ミームも感じる)。

本書の最後の「科学者は宇宙の観客にすぎないか」の終盤では、「宇宙などと言わないで、

「記憶」と言って済ました顔をしてみた方が、例の宇宙にはふさわしい、とおもうことがあ

る。ともかく夜空に貼りつくほとんどの星が大昔に光っているわけなので、星もまた記憶であ

ろう、と言ってもまちがいではないだろう」としているが、それは「情報」のことを指してい

るではないかと思う。

本書には初版のあとがきと九〇年代に書かれた「二〇年後のフィジカ・マンダラ―物質と情報」

のあとがきが収録されているが、その「二〇年後」のあとがきでは、今現在に繋がる情報の問

題が論じられている。

最近YouTubeで松岡氏と為末氏の対談している動画をみたのだが、そこでは松岡氏が全盲者の

叔父(日本で初めて聖書を点字訳した)の話や、耳がまったく聴こえないが読唇術の使い手だっ

た仕立屋のおばさんの話、などを松岡氏はしゃべられていたが、本書でも感覚について論じて

いる箇所でその話が出てくる。

「耳が目であり、手が耳であるということ。必ずしも眼球は見るためだけにあるのではなく、

また必ずしも耳管は聴くためだけにあるのではないということ。

青年期以前に感覚や知覚に関してこのような拡張と変換の可能性を告示されていたという体験

は、その後の僕自身の感覚力にも大きな影響を与えた。

感覚力ばかりではない。人間関係に対する基本の姿勢にも何らかの変化を与えてきたようだ」

「少年時代の記憶」ではなく「少年の記憶」を今でも大切に偲ばせていることにも恐れ入る。


本書は「変」や「ちぐはぐ」や「あべこべ」になっていて、とても読みづらくなっているが、

上述のように松岡氏の編集工学の原点を垣間見れる。

それは「アワセ・ソロイ・キソイ」からの「見立て」ということになるのかもしれない。

いずれにしても、本書を二〇代で書いているのが凄いし、その方法はもっと評価されるべきだ

と思う。政治思想の違いだけで非難するのはもったいない。

松岡正剛氏のどの著作も、“知(読書)の楽しさ”を想いださせてくれるし、もっと自由に本を読

んでいい、ということも放電される。

松岡正剛氏は「少年の記憶」を保持したままの、ヘビースモーカーであり、鉱物人間であり、

電気人間なのである。

蕪村に「凧(いかのぼり)きのふの空のありどころ」という句がある。

わが半生の仕事でめざしてきたものがあるとしたら、この一句に終始するというほど好きな句

だ。ぼくの編集人生はこの句に参って、この句に詣でてきたといっていい・・・

このように「ありどころ」を自在に変化できればディマケーション(demarcation)の妙がつく

られるようになる。

ディマケーションというのは、観察している該当システムの境界がそれなりに決まっていくこ

とをいう。日本語ではしばしば「分界」という。

蕪村は俳諧におかける分界を「あたり」や「ほとり」に及ばせて、詠みたい「ありどころ」を

みごとな十七音に収めて果たした。

その分界は祇園南海や池大雅らもそうしたのだが、水墨の絵に描けるものになっていった。

『擬 MODOKI:「世」あるいは別様の可能性』松岡正剛

科学はかえって老子や荘子が理想としているところへゆくのかもしれない。

エピクロスは原子論者だが、人生観には、老子や荘子の考えと似たところがある。

何が科学で、何が科学否定か、簡単には割り切れない。

あるいは宗教が求めているところのものへ、科学だからこそ、かえって普遍的なやり方でゆけ

るかもしれない。

(湯川秀樹)

『人間にとって科学とはなにか』湯川秀樹/梅棹忠夫