『進化の存在証明』リチャード・ドーキンス



進化を支持する証拠は日に日に増し、かつてないほど強力なものになっている。

しかし、同時に、逆説的ではあるが、無知にもとづく反対も、私の知るかぎり最強になってい

る。

本書は、進化の「理論」と呼ばれているものが実際に事実―科学における他のいかなるものに

劣らず明白な事実―である証拠をまとめた、私の個人的な要約である。

『進化の存在証明』リチャード・ドーキンス

ドーキンスはこれまで書いてきた本を振り返った時、進化を支持する証拠そのものについては

っきり論じたことはなく、埋めなければならない重大な空白(ギャップ)であるということに気

がついたという。

ダーウィン誕生の二〇〇周年、『種の起源』出版から一五〇周年にあたる二〇〇九年が、

それを実行するにふさわしい時だと思い、本書を著した。

原著『THE GREATEST SHOW ON EARTH』とリチャード・ドーキンス

アメリカでは四〇%以上の人間が他の動物から進化したことを否定し、

人類やあらゆる生物も、ここ一万年以内に神によって創造されたと考えている。有名な話。

一九八二年以来、不定期ではあるが継続して、アメリカでもっとも有名な世論調査組織である

ギャラップは、次の問いに対する国民の意見をサンプル調査し続けている。

人類の起源と発達について、以下の発言のうち、どれがあなたの考え方にもっとも近いでしょ

うか?

1、人類は何百万年のあいだに原始的な生物から発展してきた。

しかし、この道程は神によって導かれた(三六%)

2、人類は何百万年のあいだに原始的な生物から発展してきた。

しかし、この過程に神はかかわらなかった(一四%)

3、神は人類を、現在と非常によく似た姿で、ここ一万年ばかりのうちに一遍で創造した

(四四%)

()内の数字は二〇〇八年のものであるが、八二年に調査を開始してからほぼ一貫して同じ数値

であるという。

現在の調査結果を確認した訳ではないが、この結果は十年以上経過した今でも変わらない気が

する。(後で調べたが、2013年にビュー・リサーチ・センターが進化論に関する調査結果を発

表しているが、それによると、アメリカ人の33%進化論を受け入れていないという)

ドーキンスは、このような人々を「歴史否定論者」という呼び名を使い、「四〇%派」とも呼

んでいる。

「・・・今日多くの理科教師がおかれた状況はそれ以上に悲惨である。

生物学の中心的な基本理念をくわしく述べようとするとき、生物の世界を歴史的な文脈のなか

に正しく位置づける―それはとりもなおさず進化を意味する―とき、生命そのものの本質を探

究し説明するとき、彼らは責め立てられ、窮地に立たされ、煩わされ、虐められ、職を失うぞ

と脅されさえする。少なくとも、ことあるごとに時間を浪費させられる。

おそらく父兄から脅迫的な手紙を受け取り、洗脳された子供たちからの嘲りの笑いや堅く腕を

組んだ拒絶の姿勢に耐えなければならないだろう。

彼らは「進化」という単語が一律に削除されたり、あるいは「時間につれての変化」に修正さ

れたりした国(または州)認定の教科書を与えられる」(本書)

ドーキンスは最初、こうした事柄をアメリカだけに特異な現象として笑い飛ばそうとしてい

た。しかし、今やイギリスやその他のヨーロッパの教師たちも同じ問題に直面していると認識

するに至った。

その理由の一つはアメリカの影響であるが、もう一つの重大なのは教室のなかでのイスラム教

徒の数が増えていることだった。

さらに、当局が「多分化主義」に肩入れし、人種差別主義者と指弾されることへの恐怖とが、

その後押しをしていた。ダグラス・マレーの『西洋の自死』のようなものだろう。

「もっとも馬鹿馬鹿しいのが次の二つ(あるいは、無数にあるその変形版)である。

一つめは、「もし人間がカエルや魚を経て、サルから生まれたものなら、なぜ、化石記録に

『カエル猿』が含まれていないのか?」である。

私はイスラム教徒の創造論者が喧嘩腰で、なぜワニ鴨がいないのだと質問するのを見たことが

ある。

二つめは、「サルが人間の赤ん坊を産むのが見られれば、私は進化を信じよう」というもので

ある。

この二つめは、他のあらゆる異議申し立てと同じ誤りを犯しているが、それに加えて、大きな

進化的変化が一晩で起こると考えているという誤りが付け加わっている」(本書)

他の創造論者のなかには、「化石はありません。私に証拠を見せてください。たったの一つで

も化石を見せてください・・・」というように指導されている連中もいるという。

そして、この台詞をたびたび言っているうちに、それを信じてしまうと。

「もし、進化が事実であることを疑う歴史否定論者が生物学に無知であるとすれば、

世界が過去一万年以内に始まったと考えている者たちは無知よりたちが悪いのであって、

その思い違いは邪悪の域にまで達している。

彼らは生物学上の事実を否定しているだけでなく、生物学、地質学、宇宙論、考古学、歴史お

よび化学上の事実も否定しているのである」(本書)

言わずもがな、創造論者たちは、世界のすべては創造主(神)がデザインした、という見方であ

るが、ドーキンスは、もし神が何かをしたとすれば、たとえば、自動的に進行する胚発生過程

を指示する遺伝子配列をつなぎあわせることによって、生物の胚発生を監督することであった

ろうと指摘している。

「個体発生には全体的な計画は存在しないし、青写真も、建築家の図面もなければ、建築家も

いない。

胚の発生、そして究極的には成体の発生は、局所的な基盤で他の細胞と相互作用する細胞に実

装されたローカル・ルールによって達成される」(本書)

「大きな設計者の欠陥が、その後の取り繕いによって埋め合わせるというこのパターンは、

もし本当に現実の設計者がいたとしたら、まさに起こるはずのない事態である。

ハップル望遠鏡の主鏡の歪みのような不運な誤りは考えうるとしても、前後が逆さまに取りつ

けられた網膜のような、明らかに馬鹿げたものはありえない。

こういった種類の大失態は、へたな設計ではなく、歴史の産物なのである」(本書)

「軍拡競争が知的設計説(インテリジェント・デザイン)の熱心な支持者を悩ませるかもしれない

事柄の一つとして、それがあまりにも大量の無用さを背負い込んでいるということがある。

もしチーターの設計者がいると仮定するなら、彼が最高の殺し屋を完成するという任務に、

もてる設計技能のすべてを注ぎ込んでいるのはまちがいない。

このみごとな走行機械を一目見れば、疑いの余地はまったく残されていない。

もしともかく設計について語ろうとするなら、チーターには、ガゼルを殺すためのすばらしい

装備をもつガゼルの設計に、同じように明らかに、全力を傾けているのである。

いったいぜんたい設計者はどっちの味方なのだ?チーターの張つめた筋肉としなやかな背骨を目

にしたあなたは、設計者がこの競争でチーターが勝つことを望んでいると結論するにちがいな

い。

しかし、疾駆し、身をかわし、跳ね上がるガゼルを見たあとでは、まさしく正反対の結論にた

どりつく。

この設計者の左手は右手のしていることを知らないのだろうか?

神はサディストで、勇壮なスポーツを楽しみ、追跡劇のスリルを増すために、賭金を永久につ

り上げ続けているのだろうか?

子羊をつくられた神がほんとうに汝をつくりたもうたのか?」(本書)

具体的には書かなかったが、本書では、地質学、分子遺伝学、進化発生学、分岐系統学、育種

学、生物地球学などのあらゆる学問から、進化が事実であるという証拠を積み上げている。

ドーキンスによれば、進化学者は犯罪現場にやってきた探偵のようなものであると述べてい

る。

「訳者あとがき」で垂水氏は、「反進化論者はたぶんこの本を手に取ることはないだろうし・・・

この本を読むべきは、正しい情報に接することができないために、進化論はよさそうに思える

のだが、確信をもてないと思っている人々である」と述べているが、そのような一般向けに書

かれた内容になっている。


このままいくと日本の学校でも、「進化論を教えない」ということになるのかもしれない。

少し大袈裟かもしれないがね。

捕食者と獲物、寄生者と宿主のつねにエスカレートしつづける軍拡競争がなければ、

ダーウィンの「自然の戦い」がなければ、彼の言う「飢饉と死」がなければ、

なにかを認めたり理解したりすることはさておいても、そもそもなにかを見ることができる神

経系が存在しなかっただろう。

私たちは、はてしない、きわめて美しくきわめて驚くべき種類(フォーム)に取り囲まれてお

り、それは偶然ではなく、非ランダムな自然淘汰による進化の直接の結果なのである―

自然淘汰こそ、考慮に値する唯一のもの、地上最大のショーなのである―

『進化の存在証明』リチャード・ドーキンス

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リチャード・ドーキンス 早川書房 2009-11-20