感情とはホメオスタシスの心的表現であり、文化的な営みは感情に起源を持つ。アントニオ・ダマシオ『進化の意外な順序ー感情、意識、創造性と文化の起源』がそれを奏でる


思い切っていえば、私たちが現在真の文化と見なしているものは、ホメオスタシスの規則に導

かれた効率的な社会的行動という形態で、ごく単純な単細胞生物によって粛々と始められたの

である。

しかし文化がその名に十分に値するようなものになるのは、それから数十億年が経過し、文化

的な心、すなわち依然として同じホメオスタシスの規則のもとで機能する創造的な探究する心

によって息吹を吹き込まれた、人類という複雑な生物が登場してからのことである。

『進化の意外な順序ー感情、意識、創造性と文化の起源』アントニオ・ダマシオ

主に鎌倉時代に活躍した仏師・運慶は、円成寺の仕事を始めた頃、僧侶として『法華経』の写経

(『運慶願経』)を発願している。

運慶にとって『法華経』の写経には、いま一つの宗教的に重要な意義があったといわれてい

る。それは『法華経』「法師功徳品」(第十八)に書かれている功徳であり、それによると、写

経を実践した人の心は浄化され、目、耳、鼻、口(舌)、皮膚(身体)の五官と意識が清められる

とされている。これを「六根清浄」という。

そして、それらの感覚は心が浄化されることで、天上の宇宙(大三千世界)から地上、そして、

六道の地獄まで、すべてを人間の感覚によって認識できるとしている。

人間が肉体の感覚器官を通じて、それを超える超感覚的な世界をも認識できるとするものであ

ったという。

この記事を書くまでにかなりの時間が掛かった。

読むだけならそんなに時間は掛からないのだが、ある意味においては運慶と同じように、

ぼくは世界的に著名な神経科学者のアントニオ・ダマシオが著した本書をノートに取りながら

(写経みたいに)読み進めた。

世間ではコロナウィルスの渦中におかれているなか、気づけばノート四冊分にまで及び、殆ん

どの箇所を書き写していた。

本書はダマシオがこれまで行なってきた研究の応用の集大成ともいわれている。

しかも専門領域を大きく超えて、様々なジャンルを射程に収めている。

訳者はダマシオの同僚でもあるスタニスラス・ドゥアンヌの『意識と脳』などを翻訳されている

高橋洋氏。この手の翻訳に慣れている高橋氏でさえ、翻訳の過程を含めて七、八回本書を通読

したという。

そんな高橋氏は、「本書は気軽に読めるたぐいの本ではない。そもそも英文そのものが読みや

すいとはとてもいえず・・・」という言葉も書き残している。

邦訳を読んだだけだが、高橋氏の言に全く同意したい。上述のように、ぼくもノートに記し線

を引きながら何度も読んでいるとはいえ、うまく飲み込めていないのが現状だ。

記事の下には、本書の出版を記念してかダマシオがポーランドで講演を行なった動画を貼りつ

けている。ぼくはこの動画を何度も視聴しイメージは鮮明になったとはいえ、全てを飲み込ん

だ訳ではない。

さらに続けて高橋氏は、「しかしだからといって本書は、観念的な思索に終始する、現実的、

実践的な意義を欠いた本として過小評価されるべきではない」とも指摘されている。この点も

同意したい。

本書は、細菌から高度な文化を発達させた人類に至る進化の歴史を検討している。

その具体的な主題や大まかな見取り図も高橋氏の見立てに依拠するが、主題は、「生物学的観

点から見たとき、細菌のような単細胞生物から高度な文化を持つ人類に至る進化は、どのよう

な作用、機能、メカニズムが、いかなる順序で出現することによって可能になったか」を検討

することにある。

見取り図の方は、第1部では細胞生物学的なミクロの事象から神経系の誕生まで、

第2部では高度な神経系の発達にともなって生じた心、感情、意識などの生物学的現象、

第3部では文化や社会などのミクロの社会学的事象が取り上げられている。

さらに図式的に表した順序を列挙すると、ホメオスタシス(単細胞生物でも作用している)→

全身体システム(多細胞生物の登場以後)→全身体システムの内分泌系、免疫系、循環系、神経

系への分化→神経系によるイメージ(表象)形成能力の獲得→感情→主観性→意識→文化(言語を

含む)となっている。

これらの概念のなかでもキーワードになるのは「ホメオスタシス」「身体」「感情」になる。

そのなかでも本書の通奏低音となっている概念は「ホメオスタシス」。

ぼくはこの概念が縦横無尽に語られていると認識したので、ノートに取ることを決めた。

ぼくの視野の狭さもあるのかもしれないが、この「ホメオスタシス」について愉快に明快に語

っているのは、本書でのダマシオと認知科学者である苫米地英人博士ぐらいしかいないと認識

している。

アントニオ・ダマシオ(1944年リスボン生まれ。右はFrench translation)

神経科学者・神経科医。南カリフォルニア大学教授。同校の脳・創造性研究所所長。

ダマシオによれば、ひとことでいうと、文化的な営みは感情に起源を持ち、それに深く根差し

ている、と大胆に掲げている。

感情とはホメオスタシス(恒常性)の心的表現であり、感情の庇護のもとで作用するホメオスタ

シスは、初期の生物を、身体と神経系の並外れた協調関係へと導く機械的な糸と見なしてい

る。これは大事なポイント。

この協調関係は意識の出現をもたらし、かくして生まれた感じる心は、人間性のもっとも顕著

な現れである文化や文明をもたらした、とダマシオは捉えている。

さらに付け加えると、通常の状況下では、感情は心に、体内の生命プロセスが順調に機能して

いるか否かについて、言葉を用いることなく常時伝達している。

そうすることで感情は、その瞬間の生命プロセスの状態が、幸福や繁栄につながるのか否かを

自然に評価しているという。

ダマシオの真骨頂をもう一つ付け加えると、感情は、脳が単独で作り出したものではなく、体

内を駆けめぐる化学物質と神経回路を介して相互作用する身体と脳の協調の産物。

こうした特別な連携から感情が生じることは見過ごされやすいが、感情はこの連携を通じて、

普段は整然と流れていく心の作用をかく乱することができると説明している。

その感情の源泉は、繁栄と死のあいだでバランスを保ちながら存続している生命活動にあり、

それゆえ感情は、ときに過酷に、ときに輝かしく、あるいはときに穏やかに、ときに激しく心

を揺さぶる。

感情は私たちを、知性化された方法でそっと揺さぶることもあれば、はっきりとわかるほどの

激しさで動揺させ、注意を引くこともあり、もっともポジティブなケースでも、感情は平和を

乱して静寂を破ることが多い、とダマシオは感情の重要性をこれでもかというくらい強調して

論を展開する。

感情と文化の関係に話を戻すならば、感情は三つのあり方で文化的なプロセスに貢献している

という。

1、知的創造を動機づけるものとして

a、ホメオスタシスの不備を検知し診断することによって

b、創造的な努力に値する望ましい状態を特定することによって

2、文化的な道具や実践の成功や失敗の監視役として

3、時間の経過につれ文化的プロセスで必要になる調節を調整する参加者として

感情は、問題への対処を促す動機として、そしてその対処の成功、失敗を追跡する監視役とし

て機能し、また、現実のできごとによって引き起こされたにせよ、想像上のできごとによって

喚起されたにせよ、どんな感情も動機を提供し、知性を動員すると説明する。

文化的な反応は、自分の生活より快適で喜ばしいものに改善しようと努力し、そもそもそのよ

うな創造性を育んできた艱難辛苦や損失の少ない幸福な未来に、実践的にも究極的にもつなげ

ようとする人びとによって生み出されてきた。

そのような人々は、単に生存が可能なだけでなく、暮らしやすい未来を希求してきたのであ

る、と両者の関係を説明する。そして嘆きながら次のような言葉も残している。

「私は文化の自然史における感情の役割の軽視を非常に残念に思っているが、ホメオスタシス

や生命活動それ自体となると状況はさらにひどい。完全に無視されているのだ」(本書)

ダマシオの感情と文化の関係に関してまとめると、「感情は、ホメオスタシスの代理として、

人類の文化を始動した反応の媒介者の役割を務めてきた」という仮説を提起している。

感情が動機となって、(1)芸術、(2)哲学的探究、(3)宗教的信念、(4)道徳規範、(5)司法制度、

(6)政治的ガバナンスと経済制度、(7)テクノロジー、(8)科学、などの知的発明がもたらされた

という結論に至っている。

これらのいずれの面でも、文化的な実践や道具は、ホメオスタシスの低下(痛み、苦しみ、窮

乏、脅威、喪失など)や潜在的な恩恵(報酬をともなう結果など)を実際に感じたり、もしくは予

期することを人々に求めた。

また、恩恵として示される豊かさを利用しつつ必要性を満たしていくための方法を、知識と理

性という道具を用いながら探究する動機づけとして、感情が機能した、とダマシオは述べてい

る。

しかし、文化的な反応が成功すると、感情による動機づけは低下するか解消する、とも主張し

ている。このプロセスは、ホメオスタシスの変化の監視を必要としているという。

そのような単純な反応に代わって、さまざまな社会集団の長期にわたる相互作用に基づく複雑

な過程を経て、知性による反応が採用され、それが文化体系へと取り込まれるか棄却されるよ

うになった。

そして、それは規模や歴史から地理的な位置や内的、外的な権力関係に至るまで、集団の持つ

特質に依存し、知性や感情が関与する段階を含んでいる。

ダマシオは一例をあげているが、たとえば文化的な闘争が起こると、ネガティブな感情やポジ

ティブな感情が動員され、それによって闘争が解決したり、悪化したりする。

かくして文化的選択が適用されたのだという。ここでは取り上げられないが、文化的な心の働

きに関しては本書の後半で詳細に綴られている。

「感情の出現は、ホメオスタシスの誕生よりはるかに新しいできごとであるとはいえ、人類が

登場するよりはるか以前に起こった。

あらゆる生物が感情を持つわけではないが、感情の先駆である調節装置は備えている」(本書)

今まで見てきたとおり、感情は本書のキーワードの一つだが、その力はホメオスタシスに由来

している。ホメオスタシスは、生命の根幹に関する一連の基本的な作用を指している。

ホメオスタシスという概念の背後にある考えは、一九世紀の後半に活躍したフランスの生理学

者クロード・ベルナールに負っている。これはオリヴァー・サックスも『意識の川』などでベル

ナールに触れて説明している。

ベルナールは、「生命が存続するためには、生命システムは自己の内部環境のさまざまな変数

を、所定の狭い範囲内に維持しなければならない」という画期的な発見をした。

この厳格なコントロールなくしては、生命はいとも簡単に潰え去ってしまう。

この「内部環境(milieu intereieur)」の本質は、無数の化学的プロセスが相互作用し合うこと

にある。

少し込み入った説明をダマシオはしているが、それは典型的な化学的プロセスと、そのカギと

なる分子は、血流、内臓(そこで代謝の補助をする)、膵臓や甲状腺などの内分泌腺、生命活動

の調節の諸側面を調整する、視床下部を始めとする神経系の特定の領域や神経回路に見出せ

る。

これらの化学的プロセスは、生体の各組織に必要な水分、栄養素、酸素を確保することで、エ

ネルギー資源のエネルギーへの変換を可能にする。

この変換は、あらゆる身体の組織や器官を構成する細胞が、各自の生命を維持するのに不可欠

なものとなっている。

以下は重要なポイントだが、個々の生きた細胞、組織、器官、系(システム)の結合体たる生物

は、ホメオスタシスの制限が厳密に遵守される限りにおいて生存し続けられる。

それは特定の変数値が制限範囲から逸脱すると病気になり、その状態がいつまでも修正されな

いと死という結末がもたらされる。

そのため、いかなる生物も自動的な調節メカニズムを備えており、このメカニズムはゲノムに

よるサインが入った保証書つきで容易に手に入るという。

単細胞生物であれ、ぼくたちのような複雑な生物であれ、生体が持つ作用のほとんどは、自身

を抑制するこの義務から逃れられない。

ダマシオはわかりやすく血圧の例でも説明しているが、血圧には許容可能な範囲があり、限ら

れた変動しか認められない。生体は、自動的にこのプロセスを調節し、上限や下限を超えない

ようにすることが求められる。

それゆえホメオスタシスのメカニズムは、厳密に自動的であって、内部環境の状態にのみ関係

する概念として一般的には定義されている。

この定義に合わせれば、ホメオスタシスの概念はサーモスタットのたとえを用いて説明される

ことが多い。

サーモスタットは、あらかじめ設定された温度に達すると、それまで実行していた(温めたり冷

やしたりする)作用を、状況に応じて自動的に停止するか、または始動する。

「ホメオスタシス」という用語そのものは、ベルナールが活躍していた頃から数十年が経過し

たあと、アメリカの生物学者ウォルター・キャノンによって造り出されたもの。

ベルナール含めこの辺りのことは、ダマシオの『意識と自己』でも紹介されている。

ただし、数行ではあるが。

キャノンは生命システムを指して、そのプロセスを「ホメオスタシス」と名づけた。

そしてそのとき、接頭辞としてギリシア語の「homo(同じ)」ではなく、「homeo(類似す

る)」を選んでいる。

なぜかといえば、水分、血糖値、血中のナトリウム濃度、体温などの変数が一定の範囲をとる

ことの多い、自然によって作り出されたシステムを考えていたからだった。

ダマシオによれば、明らかにキャノンは、サーモスタットのような人間が作ったシステムによ

く見られる固定された設定値を考えていたわけではなかった、と見極めている。

ホメオスタシスの類義語には「アロスタシス」「ヘテロスタシス」という言葉もある。

これらの言葉も、範囲の問題、すなわち生命活動の調節が、固定値ではなく一定の範囲内で

変動する値に応じて作用するという事実に注意を向けさせるという意図をもって、のちに導入

された用語であった。

これはベルナールによって暗示され、キャノンが「ホメオスタシス」と名づけたもとの考えに

合致するという。

ダマシオは通俗的なホメオスタシスの概念にはかなり不満を抱いている。

そこでは「平衡」「バランス」という考えを思い起こさせ、生命を対象にする場合、「平衡」

という概念はふさわしくないと指摘する。

なぜなら、熱力学的にいえば、「平衡」とは熱的な差異がないこと、言い換えると死を意味す

るからであり、「バランス」も沈滞や倦怠を思い起こさせるからふさわしくないといってい

る。

ダマシオはこれまで長く、「〈ホメオスタシス〉とは、中立的な状態を指すのではなく、生命

作用が健康や幸福に向けて上向き調整されるかのように感じられることである」と述べてきた

という。それは、幸福の感情が基盤にあれば、力強い未来像を描けるということ。

苫米地博士はこのような観点から活動されているのは明白だろう。

ダマシオは苫米地博士が喜びそうな言葉も残している。

「私たちは自己の生の一部ではなく、予期される未来において生きているともいえよう。

おそらくこれは、つねに現在の瞬間を超えて自己を未来に託し、次に何が来るのかを探索して

いるホメオスタシスの本質のもう一つの現われだとも見なせる」(本書)

またダマシオは、ミゲル・アオンとデイヴィッド・ロイドが造語した「ホメオダイナミクス」と

いう用語に多大な好感を寄せている。

この言葉に関しては、『意識と自己』のなかでも取り上げられているし、ダマシオの講演をみ

ても度々語られている。

ホメオダイナミクスは、安定を失うと、それを取り戻す作用を自己組織化する。

そのような分岐点では、システムは、双安定スイッチ、閾値、波、勾配、動的な分子の再配列

などの創発する(部分の性質の総和を超えた特性が、全体として出現する)性質をともなう、複

雑な振る舞いを示し始めるという。

さらに最近では、ホメオスタシスの静的な見方、言い換えると「現状維持」説を否定するジョ

ン・トーディの説明にも類似の視点を見出したという。

トーディの説明では、ホメオスタシスを進化を駆動する一因と見なし、細胞内の保護された空

間、細胞内で触媒サイクルが仕事を果たし、文字どおり生命になることができる空間の形成を

促す手段としてとらえているという。

ダマシオはホメオスタシスが、原初の細菌の細胞レベルで作用していたと見なしている。

この見方は苫米地博士もそうだろうし、きっとトーディの説にも賛成することだろう。

細胞は、いくつかの「安定した状態」をとり得るが、その能力がピーク状態にあるとき、正の

エネルギーバランス、すなわち生命を最適化し、未来に向けて発足するために使える余剰がも

っとも得られやすい安定状態へと自然に向かう。その結果、細胞は繁栄を享受できるのであ

る、と説明する。

さらにこの文脈では、繁栄とは、生存に資するより効率的な手段の確保と、繁栄の可能性の両

方を意味し、何があっても生存し未来に向かおうとする、思考や意思を欠いた欲求に実現する

ために必要な、連携しながら作用するもろもろのプロセスの集合をホメオスタシス、とダマシ

オは呼んでいる。

「想像力を働かせて分子や原子の動きに生命の前兆を読み取ることができたとしても、生命が

誕生する以前はホメオスタシスに比肩し得るプロセスは存在しなかっただろう。

それでも生命の誕生は、特殊な素材や化学的プロセスに結びついていたと考えられる。

ホメオスタシスは、細胞レベル、すなわち生命のもっとも単純なレベルにその起源を持つとい

っても、大きな間違いではないはずだ」(本書)

ダマシオが描いているシナリオでは、生命活動は当初、いかなる種類の感情も持たないまま調

節されていた。心も意識もなかった。存在していたのは、より生存に資する結果を生むような

選択を盲目的に行なう、ホメオスタシス関連の一連のメカニズムだけだった。

その後、マッピングやイメージ形成の能力を持つ神経系が登場すると、単純な心が生まれる道

が開けた。

カンブリア爆発のあいだに無数の変異が生じたあと、神経系をもつある種の生物は、外界のイ

メージばかりではなく、背後で忙しく働いている生命活動の調節のプロセスに関するイメージ

を生むようになった。

そしてこのイメージが、対応する心的状態の基盤になり、そのコンテンツは、体内におけるそ

の瞬間の生命活動の状態を反映する色合いを帯びるようになった。こうして、その瞬間の生命

活動の質が感じられるようになった。

ダマシオのいう心とは、ホメオスタシスの指令のもとで実行される、神経系と、それに関連す

る身体部位の共同作戦によって複雑な形態で出現し、あらゆる細胞、組織、器官、システム、

さらには各人におけるそれらのグローバルな表現のなかに顕現すると定義している。

また、意識は、生命活動に関連する相互作用の連鎖から生じ、生命活動に関わることで、化学

作用や物理作用の世界(生体の基盤を構成し、私たち自身が住まう世界)にも関連するとしてい

る。特定の脳領域や脳システムで生じるとは捉えていない。

そしてダマシオの真骨頂でもあるが、感情は、私たちのような生物において、ホメオスタシス

を維持するために必要な機能が働いた結果生じるのであり、他の心の側面と同じ布地から織り

上げられ統合されたものとしている。

初期の生物の器官に浸透していたホメオスタシスの規則は、その生物の統合性の維持を保証す

る化学経路や行動の選択を導いた。

神経系とイメージ形成能力を備えた生物がひとたび出現すると脳と身体は連携して、統合性の

維持を多角的に保証する複数の段階から成る複雑なプログラムをイメージ化していった。

そしてそれが感情を生んだ。

さまざまな対象、構成要素、状況に関して、化学的プログラムや行動プログラムから得られる

ホメオスタティックな利点、ないしはその欠如を心的なものに翻訳するメカニズムとして、感

情はその瞬間のホメオスタシスの状態を心に知らせることで、貴重な別次元の調節オプション

をつけ加える。

感情は、心的プロセスの一貫した随伴物として、自然が選択しないはずのない決定的な利点を

与えている。

感情によって評価されることを通じてのみ、心的状態はホメオスタシスにもっとも合った行動

をその生物にとらせるよう導くことができるのである、とダマシオは自信を持って説明してい

る。

さらに続けてダマシオは、私たち人間のような複雑な生物は、感情を欠いては生きていけない

だろう、と述べる。自然選択は、感情が心的状態の恒久的な性質になるべく作用したから。

感情とは、身体が不可避的に関与しており、内分泌系、免疫系などのホメオスタシス関連の他

の重要なシステムも参加している。

感情は徹底して、身体と神経系の両者が相互作用しつつ同時に顕現する現象である、とダマシ

オは説明する。

ダマシオは、感情は、私たち人間のような炭素を基盤とする生物の進化を変えた、とまで言い

切っている。

しかし、感情が最大の影響を持ち始めるのは、進化の歴史のもっとあとの段階になって、感情

の経験がつけ加えられ、さらには主体の持つ包括的な視点から評価され、固体にとって重要な

意味を持つようになってからであり、それが想像力、理性、創造的な知性に影響を及ぼすよう

になるのはそのあとのことだという。

そのうような結果は、本来は孤立していた感情の経験が、イメージによって構築された主体の

内部に位置づけられることで初めて得られたのである、と述べている。

日常生活において快い感情をもたらすできごとは、有益なホメオスタシスの状態が達成される

よう私たちを導く。

誰かに愛されていると感じていれば、あるいは自分の目標を達成できれば、私たちは幸福に感

じるか、ラッキーだと思う。

その際、何か特別なことをしなくても、全体的な生理状態を表わすいくつかのパラメーター

は、良い方向へと変化する。たとえば、免疫反応が強化されるなどだ。

感情とホメオスタシスとの関係は非常に緊密であり、ポジティブな方向にもネガティブな方向

にも影響が及び得る。だから疫病をもたらす生命活動の調節の乱は、不快に感じられる。

言い換えると、疫病によって変えられた身体の表象に反応して起こる感情は不快なものにな

る。

主にホメオスタシスの混乱に起因する不快な感情より、外的なできごとによって引き起こされ

た不快な感情のほうが、実際には生命活動の調節に混乱をもたらしやすい、とダマシオは述べ

ている。

たとえば最愛の人を失ったことで引き起こされた長く続く悲しみは、免役反応を低下させる。

日常の危害から自分を守る警戒心をそぐなど、さまざまなあり方で健康を蝕み得る。

感情の持つ広い側面も悪い側面も、道具の発明や文化の実践の背後にある動機の役割を果たし

ている、とダマシオは主張する。

ダマシオに依拠しながら、ホメオスタシス、感情、文化の関係をもっと直截的に書こう。

生命活動を調節する自然なプロセスは、生命の維持と繁栄に資する範囲内で生命活動が行なわ

れるよう生物を仕向ける。

生命の維持という英雄的な営為は、個々の細胞レベルでも生体全体のレベルでも、正確きわま

りない超人的な調節プロセスを必要とする。

そして、複雑な生物では、感情は二つのレベルでこのプロセスに重要な役割を果たす。

一つは、生体の状態が健全な範囲から逸脱し、病気になって死の危険にさらされるような状況

に追い込まれたときに見出される。

そのような状況に陥ると、望ましいホメオスタシスの状態を取り戻すよう促す激しい動揺が、

感情によって思考プロセスに注入される。

もう一つは、感情は、懸念を喚起し思考や行動に何かをさせることの他に、反応の質の調整者

としての役割を果たし、究極的には文化的な創造プロセスの判事を務めるという。

なぜなら文化的な発明はたいてい、感情を媒介として有功か無功かが最終的に判定されるから

だとしている。

痛みの感覚は、それを除去するソリューションを実行するよう動機づけるが、その効果は感情

によって告知される。

つまり感情は、自分にとったソリューションが有功か否かを判定するための決定的なシグナル

になる。

このような観点に立った場合、感情と理性は、循環的に反映し合う不可分のペアと見なせると

している。

この連携はどちらか一方を優位な立場に置くかもしれないが、両方が関与することに相違いは

ないという。

端的に言えば、文化的な反応のカテゴリーは、機能不全に陥ったホメオスタシスを矯正し、も

との正常な範囲内にうまく戻してきた。

これらの文化的な反応のカテゴリーが現在でも残存しているのは、有益な機能的目的を果たす

ことで、文化的進化の過程で選択されてきたからであると述べる。

興味深いことに有益な機能目的は、特定の個人や集団の力を高め、テクノロジーはその可能性

を示す好例であり、航海術、交易、会計、印刷、そして現代のデジタルメディアもそうだとい

う。かくして新たに追加された力が、それを支配する人々に有利に働いた。

しかしそのような力は、相応の野心にたきつけられ、報酬となるアフェクトをともなって得ら

れるとしている。

ダマシオの定義によるアフェクトとは、あらゆる感情のみならず、それらを生み出す(すなわ

ち、その経験が感情になる行動を生み出す原因になる)状況や仕組みを包みこむ大きなテントと

して捉えている。

もっと具体的に説明するならば、人間存在を支配している(ように見える)心の側面は、今現在

の世界であろうが記憶から呼び起こされたものであろうが、他者や諸事象で満ちた周囲の世界

に関係している。

それらは、あらゆるタイプの感覚に由来する無数のイメージによって表わされ、往々にして言

葉に翻訳されナラティブとして構造化される。

しかし驚くことに、かくも多様なイメージのすべてをともなうパラレルな心的世界も存在す

る。

その世界は非常にとらえがたく、私たちの注意を引かない場合が多いが、おりに触れて非常に

重要なものになって、心の支配的な部位における処理の流れを顕著に変えることがある。

このパラレルワールドはアフェクトと呼ばれ、この世界では感情が、通常はより突出したイメ

ージにともなって生じると説明する。

この文脈のなかでは取り上げていないが、ヴェイレンスという概念もある。

感情は、その生物の内部、すなわち内臓や内的作用の状態を反映しているが、その内界の描

写、すなわち感情の経験は、ヴェイレンスの特質に満たされている。

ヴェイレンスは、生命活動の状態を、一瞬一瞬直接心的な言葉に翻訳し、その状態が望ましい

か、望ましくないか、その中間かを必然的に明示する。

生存に資する状態を経験すると、私たちはそれをポジティブな用語で記述し、たとえば「快

い」と呼ぶ。

それに対し生存につながらない状態を経験すると、ネガティブな用語で記述し、不快を口にす

る。ヴェイレンスは感情、さらにはアフェクトを特徴づける要素をなしている。

ヴェイレンスという概念が表出したところで、ヴェイレンスと身体との関係も少し書きたい。

これは高橋氏がうまくまとめて説明してくれているので、それに依拠する。

ダマシオの身体(body proper)の定義は、神経系を含んでいない。

この神経系を除外した身体に、感情の形成をめぐって独自の意義を与えている。

それを大きく三つに分けている。

身体の領域を、

①外界からの情報を収集する任務を担い、外界の様相の特定の側面をサンプリングし記述する

ことに特化した器官である感覚プローブ(五感の入力を司る各器官)。

②古い内界(心臓、肺、腸などの内臓、平滑筋、皮膚)。

③古い内界を堅牢に包み込む(ダマシオはパワードスーツと形容している)より新しい内界(骨

格、骨格筋)。

と分類している。

②、③の内界に属するあらゆる事象の質が、ホメオスタシスの観点から評価され、その結果と

して健全と評価されれば快の感情が、また不健全と評価されれば不快の感情が自発的に生じ

る。高橋氏は推測して、体性感覚や内受容感覚がそれに該当するのだろうと述べている。

ダマシオはこれらのことに関しては明確には述べていない。

それに対し①の感覚プローブから入力された刺激は、自発的な感情ではなく喚起された感情を

生み、ダマシオはこの作用を感情表出反応(emotive response)と呼んでいる。

高橋氏によれば、これは、一般にいう情動作用(それによって引き起こされた感情は情動的感

情)に相当すると推測されている。

さらに高橋氏は言及していないが、②の古い内界に属するあらゆるものがホメオスタシスの観

点から、健全か不健全かその中間かという尺度に従って、その質を評価することが、ヴェイレ

ンスの世界に属する。③の新しい内界もまたヴェイレンスを生むと、ダマシオは指摘する。

なぜなら、生きた身体はホメオスタシスの変動の影響を免れられないからだと説明する。

情動や感情表出という言葉が出てきたところだが、感情が生じる直接的な要因には大きく三つ

ある。

(a)人間存在の背景をなす生命活動の流れ。自発的な、言い換えるとホメオスタシスに関わる感

情として経験される。

(b)味覚、嗅覚、触覚、聴覚、視覚などの無数の感覚刺激を処理することで生じる感情表出反

応。その経験はクオリアの源泉の一つをなす。

(c)衝動(飢えや渇きなど)、動機(欲望や遊びなど)、従来の意味での情動に起因する感情表出反

応。

これらの感情表出反応は、数々の、ときには複雑な状況に直面した際に活性化される活動プロ

グラムである、とダマシオは述べている。

情動の例としては、喜び、悲しみ、怖れ、怒り、羨望、嫉妬、軽蔑、思いやり、賞賛などをあ

げている。

そして、(b)と(c)で言及されている感情表出反応は、基本的なホメオスタシスの流れから生じ

る自発的なものとは異なり、喚起されることで生じるタイプの感情を生むとダマシオは定義し

ている。

先程の高橋氏がまとめてくれたものと照らし合わせると、(a)は②、③に該当し、(b)は①に該

当するということだろう。

続けてダマシオは不満も示している。それは何かといったら、情動を感じる経験にも、同じ

「情動」が使われているといことであり、そのせいで、区別されてしかるべき情動と感情が、

まったく同一の現象であるという誤った考えが広まっていると指摘する。

学者によってその定義が異なるのは百も承知しているし、どちらが正しいかということも一概

にはいえないが、苫米地博士は情動と感情を同じように使っている印象を受ける。

ダマシオは本書のなかで、情動と感情の関係やその違いをあまり多くは語っていない。

ぼくが確認した限りでは上述で指摘しているぐらいだった。

しかし、『意識と自己』のなかでは、ある程度ページを割いて説明してくれている。

同書では、情動と感情の関係を一つの連鎖のはじめと終わりとして捉えている。

さらには、情動が比較的公なものであるのに対し、その後に起こる感情は完全に私的なものと

して位置づけている。

それは、情動のあとに感情が起き、感情が認識されるとまた新しい情動が生まれるという、情

動の連続的サイクルの周辺で編まれている織物のようであり、また多声音楽だと述べている。

ホメオスタシス、感情、文化の関係に話を戻す。

ダマシオは、ホメオスタシスという文脈を中心に据えて考察した場合、単細胞生物に「文化」

の萌芽のようなものがあったとみなしている。

細菌のような単細胞生物では、熟慮のプロセスを欠きながらも、他個体の行動が集団や個体の

生存に資するか否かに関する暗黙的な判断が、豊かな社会的行動に反映されている。

単細胞生物は、判断しているかの「ように」振る舞っているとダマシオは述べる。

そして、この振る舞いは、「文化的な心」を持たずに達成された初期の「文化」と見なしてい

る。

十分に開花した心が、問題を考え抜いて解決する能力をひとたび獲得すると、知性や明確な理

性によって図式的な解決方法(ソリューション)が用いられるようになり、ここにその初期の現

われを見出している。

さらに、精巧な神経系を備えた多細胞生物である社会性昆虫では、「文化的な」行動の複雑さ

はより高度になったと指摘する。

行動は複雑さを増し、具体的な道具の構築(たとえばコロニーの構築)が見られ、精巧な巣にせ

よ、単純な道具にせよ、何らかの構造物を作り出す生物種は、他にもたくさん存在する。

だがもちろん、人間以外の生物が示す文化的な営為は、特定の状況に合わせて組み込まれた既

存のプログラムを、ステレオタイプ化された方法で適用した結果である場合が多いと指摘す

る。

そしてこのプログラムは、ホメオスタシスのコントロールのもとで、自然選択を介して悠久の

時間をかけて構築され、遺伝によって受け継がれてきたと述べている。

脳もなければ細胞核すらない細菌の場合、プログラムを実行する指令センターは細胞質の内部

に置かれている。それに対し、昆虫などの多細胞の後生動物では神経系に置かれ、ゲノムによ

って形作られている。

ダマシオはここに境界線を引き、進化と系統樹を眺めれば、「前」心的生物と「後」心的生物

を分かつと述べる。

そしてこの境界は、「前文化的な行動」と、「真に文化的な行動や心」の相違にある程度対応

すると見ている。

さらには、「前」心的生物と純然たる遺伝的進化の、また、「後」心的生物と遺伝的進化+文

化的進化(後者が大部分を占める)の相応は非常に興味深いとまで言いのけている。

人間の文化的な心と、文化それ自体に関して描くことのできる構図は、同じホメオスタシスの

規則に準ずる点では変わりはないが、種々の側面で細菌や社会性昆虫のものとは異なり、結果

に至るまでのステップの数は多いとしている。

人類に系統的に先行する生物種の多くは、競争、連携、単純な情動、あるいはバイオフィルム

のような防衛手段の集団的な構築など、細菌の出現以来存在していた単純な社会的反応の体系

に依拠しながら、ホメオスタシスの規則に準ずる、複雑な感情表出反応(社会的反応になること

も多い)を形成できる一連の介在メカニズムを進化させ、遺伝によって受け継いできた。

このメカニズムに必須の構成要素は、アフェクトの装置に組み込まれているとダマシオはい

う。この装置は、衝動や動機を動員し、さまざまな刺激や状況に情動的に反応する役割を果た

している。

さらに続ければ、この介在システムが複雑な感情表出反応とそれに続く心的経験、すなわち感

情を生むという事実をうまく利用して、ホメオスタシスは円滑に作用し始めたとダマシオは見

ている。

そしてその感情は、人間の豊かで創造的な知性と運動能力によって生み出された新たな形態の

反応を始動する動機として作用するようになったという。

この反応は生理的パラメーターをコントロールし、ホメオスタシスの維持には不可欠な正のエ

ネルギーバランスをもたらすことができた。

このような新たな形態の反応は、別の点でも革新的なものだった。

人間の文化に由来する観念、実践、道具は、文化的な手段で受け渡すことが可能であり、文化

的選択の対象になった。

決まった状況下では一定のあり方で反応できるようにする遺伝的要件に加え、文化的生産が独

自の歩みを始め、その産物は、ホメオスタシスとそれに基づく価値に導かれながら、有用性の

度合いに従って存続したり廃れたりするようになった。

そしてこの革新は、感情と文化の関係におけるもう一つの非常に重要な特徴を生んだ。

感情は、このプロセスの調整者としても機能するようになったという。

その産物は初期のテクノロジーに最初の文化の顕現を見出すのは簡単であり、狩猟や防御や攻

撃のための道具、住居、衣類の製作は、基本的なニーズに対応してなされた知的な発明の好例

をなすと指摘する。

その種の基本的なニーズは、個人の生命活動を管理し、ホメオスタシスの狂いを知らせる飢え

や乾き、極端な暑さや寒さ、不快感、痛みなどの自発的な感情によって各人に気づかされるよ

うになった。

食べ物に対する基本的なニーズ、エネルギーが比較的迅速に得られる肉類などの食糧源の探索

の必要性、厳しい気候から身を守り、乳児や子どものための安全な避難場所を提供する住居に

対するニーズ、捕食者や敵から自己や自集団を守る必要性、これらはすべて、たとえば親子の

絆や愛着、あるいは怖れに関連する感情によって効率的に告知されたという。

まさに冒頭近くで記したように、「感情とはホメオスタシス(恒常性)の心的表現」というこ

と。

そしてこれらの感情は、知識、理性、想像力、すなわち創造的知性の影響を受けた。

同様に、負傷や骨折から感染に至る病的状態は、第一にホメオスタテックな感情によって検知

され、時代が経過するにつれ次第に効率性を増してきた医学と呼ばれる新たなテクノロジーに

よって対処されるようになった。

このような文脈の先に、芸術、哲学的探究、科学などがあり、とりわけ広範に感情や、ホメオ

スタシスの状態を利用してきたとダマシオは捉えている。

しかし、文化的道具のなかには、ホメオスタシスの調節の効率を低下させたり、その阻害の主

因になったりするものもあると指摘する。

その好例の一つとして、大規模な社会的苦境に建設的に対処するために導入したにもかかわら

ず、やがては人的な災厄を生むに至った政治的、経済的ガバナンスの採用があげられ、その代

表は共産主義だと指摘する。この展開には度肝を抜かれた。

共産主義制度という発明が当初はホメオスタテックな目的を持っていたことは否定すべきもの

ではなく、ダマシオの仮説にも適合すると説明する。

しかしそのことは、短期的なものにせよ、長期的なものにせよ、得られた結果には当てはまら

ず、このシステムの普及を脇から支えた第一次世界大戦以上に苛烈な貧困や暴力的な死を生み

出してしまった。

共産主義は、不正義の否定という理論的にはホメオスタシスに資するはずのプロセスが、意図

せずしてさらなる不正義を生み、ホメオスタシスの衰退を導いた逆説的な例をなしているとい

う。

上述の共産主義の失敗のように、ダマシオの提起する一般的な仮説は、ホメオスタシスに啓発

された営為の必然的な成功を保証するわけではない。

その成功は、その文化的反応がそもそも妥当なのか否か、それが適用される状況、実践方法の

性質の如何にも左右されると主張している。

ダマシオの仮説では、反応の成功は、それを動機づける役割を担ったシステムと同じシステ

ム、つまり感情によって監視されるという。

共産主義のような社会システムによって生み出された不幸や苦しみは、そのシステムの終焉の

要因を作り出したといえるのかもしれないとダマシオはいう。

だが、なぜ共産主義が実際に終焉を迎えるのに長い年月を必要としたのか?とダマシオは提起す

る。

一見すると、文化的反応の採用や棄却は文化的選択に依存する。理想的には、文化的反応の結

果は、感情によって監視され、集団によって評価される。また、理性と感情の協議によって有

益か有害かが判定される。しかし文化的選択が前提とする条件には、真に有益であっても、実

践上は失敗を招き得るものであると指摘する。

たとえば政治的ガバナンスや道徳体系においては、文化的選択は特定の反応の採用や拒否が強

制されないよう、民主的な自由を前提とする。

さらには知識、推論、判断に関して、公平に検討する場の存在も前提としている。

だから共産主義や全体主義体制下では、文化的選択は機が熟すのを待たねばならなかったと結

論する。

そして、ダマシオはそのような政治的ガバナンスの機能について次のように表明している。

「政治的ガバナンスに必要とされる長期にわたる調節プロセスは、アフェクト、知識、理性、

意思決定に関わる生物学的作用に必然的に埋め込まれている。

つまり人間は、アフェクト、ならびにそれと理性を調節する装置の内部に必然的にとらわれて

いるのである。この人間の条件から逃れるすべはない」(本書)

冒頭に引用したダマシオが思い切っていった、

「私たちが現在真の文化と見なしているものは、ホメオスタシスの規則に導かれた効率的な社

会的行動という形態で、ごく単純な単細胞生物によって粛々と始められたのである」

という観点を持ち出せば、太古の時代の心を持たない前駆的生物と、のちの文化的な心の繁栄

のあいだには、あとから振り返るとホメオスタシスの要件に合致していたと見なすことがで

き、また、そこには一連の発展段階を見出すことができるとして、七つの発展段階をダマシオ

は掲げている。

以下、長くなってしまうが重要なポイントなので載せたい。一部要約した箇所もある。

①心は、二種類のデータをイメージの形態で表象する能力を獲得しなければならなかった。

一つは外界に関するデータで、そこでは社会という布地の一部をなす他者が際立って存在し、

影響を及ぼしてくる。

もう一つは、生体内部の状態で、感情として経験される。この能力は、神経回路の外部に存在

する事象を神経回路内にマッピングする中枢神経系の働きに依存する。この構築されたマップ

は、事象の「類似性」をとらえるという。

②心はそれら二種類の表象、つまり内界と外界の表象に関係づけられた、生体全体を対象とす

る心の視点を構築しなければならない。

この視点は、それ自身や外界を知覚している最中の自己を身体全体(ボディフレーム)の枠組み

に参照してとらえられたイメージで構成され、ダマシオが意識の決定的な構成要素と見なす主

観性の不可欠な構成要素をなすという。

社会的、集合的な意図を必要とする文化の構築は、複数の個人の主観性の働きなくしては考え

られない。

この主観性の働きは、最初の自己の利益や関心のために、やがて個人の関心の輪が拡大する

と、集団の利益を促進するために必要となる。

③心がすでに確立されてはいるが、文化的な心といえるものがまだ形成されていない段階で

は、新たな特徴を獲得することで心を豊かにする必要があった。

新たな特徴は、学習、想起、個々の事実やできごとの関係づけを可能にするイメージを基盤に

した強力な記憶機能、そして非言語的なナラティブの形成を可能にする想像力、推論能力、象

徴的思考能力の拡張、さらには非言語的なイメージやシンボルをコード化された言葉に翻訳す

る能力などがある。

そのうちの言葉への翻訳能力は、文化の構築に決定的な役割を果たすツールである、言葉によ

るナラティブの発明に至る道を開いた。

またその発展途上で、アルファベットと文法は「遺伝子のようなツール」として機能した。

やがて発明された書き言葉は、創造的な知性(感情に動機づけられたホメオスタシスの問題や可

能性に対応する知性)の最上の道具になった。

④あまり強調されることはないが、文化的な心の重要な道具である遊び、つまり一見すると無

用に思われる行為と行なおうとする欲求が生まれた。

それは、ほんものであろうがおもちゃであろうが、外界の物体を動かすこと、ダンスや、道具

を使った遊びなどで自分の身体を動かすこと、リアルなものであれ空想によるものであれ、心

に思い浮かんだイメージを動かすことがあげられる。

想像力が密接に関係するのはもちろんだが、想像力だけでは、遊びが持つ自発性と奥深さを十

全にとらえることはできない。

⑤他者と協力し合いながら、共通の目的を達成する能力が獲得された。

これは人類においてとりわけ顕著な発達を見た。協調性は、人類において十全に発達したもう

一つの能力である共同注意に依存する。

遊びと協力はそれ自体、結果の如何にかかわらず、ホメオスタシスに資する活動であり、「プ

レイヤー/協力者」に一連の快い感情を与えて報いる。

⑥文化的な反応は、心的表象によって始まったが、やがて動きによって体現されるようになっ

た。

動きは文化的なプロセスに深く埋め込まれている。文化的な介入を動機づける感情は、生体内

部で生じる情動に関連する動きから構築される。

また文化的な介入は、情動に関連する手の動きや、顕著な例では発声器官の動き、あるいは顔

面筋肉(コミュニケーションで重要な役割を果たす)や身体全体の動きから生じることも多い。

⑦生命の誕生から人間における文化の発達や伝達へと至る推移は、ホメオスタシスに駆り立て

られたもう一つの発達、すなわち細胞内の生命活動の調節を標準化し、新たな世代に生命を受

け継ぐことを可能にした遺伝装置の発達なくしては考えられない。

くどいようだがダマシオは、人間の文化の興隆は、意識された感情と創造的な知性の両方のお

かげで可能になったと指摘する。

その理由は、初期の人類にも、ネガティブな感情とポジティブな感情が必要であった。

さもなければ、芸術、宗教的信念、哲学的探究、道徳体系、司法制度、科学などの高度な文化

的営みは、その発達に必要な原動力を得られなかっただろう、と。

さらに続けて、痛みの背後にあるプロセスを経験することがなかったら、身体の状態と規則正

しい生体作用のパターンがあるにすぎなかった。そのことは健康感、喜び、怖れ、悲しみにも

当てはまり、痛みや快が経験されるには、それらに関与する作用のパターンが感情に変換され

ねばならない。

言い換えると、それらは心の顔を獲得しなければならず、心の顔は、生体によって所有される

ことで、主観的なものに、つまり意識的なものになければならないと示している。

ダマシオのいう主観性とは、プロセスであって実態としてはとらえていない。

このプロセスとは、心的なイメージに対する視点の構築と、イメージにともなう感情という二

つの重要な構成要素に依存している。

そのイメージが生体の視点から見て適切に配置され、相応の感情をともなうと、心的経験が生

じる。

そして、そのような心的経験が、より広いキャンバスのなかで適切に統合された場合、完全な

意識が生じると説明する。意識の背後にある謎の本質とも表現している。

『意識と自己』の末尾では、意識を生み出す秘密として、

「対象と有機体の関係の筋書きをつくることが、ある特定の感情を感じ取ることになる。

神秘的な一人称的視点の意識は新しくつくられた知識、言うなれば感情として表現された情報

である」

と語られていた。本書の本文ではなく「註」のなかでダマシオは、「意識の概念に感情を含め

る著者はほとんどいない」と書いている。

本文に話を戻すと、ダマシオは、主観的な観点を獲得すると、意識が生まれる可能性が生じる

と指摘する。

その意識が行き着くところは、統合化された複雑な多感覚性の経験の成層圏であり、そこでは

主観性が適応される。

この経験は、外部の世界と、過去の複雑な世界、すなわち想起された記憶から組み立てられた

過去の経験の世界の両方に関係する。

主観性のプロセスを支え、それゆえ意識の不可欠の構成要素をなす現在の身体の状態に基づく

世界にも関係すると述べている。

なお本書では、『意識と自己』のなかで、「自己という難物を克服すれば、意識全般の神経的

基盤も明らかにできるのかもしれなかった」と語られ、

「原自己[proto-self]」、「中核自己[core self]」、「自伝的自己[autobiographical self]」

などのように展開されていた「自己[self]」という言葉は頻繁には使われていない。

ダマシオは『意識と自己』などでは、「自己」という言葉に訴えることで、主観性の問題に対

処していたが、「自己とは、単純なレベルから複雑なレベルに至るまで、固定されはっきりと

境界が画された何らかの実体、あるいはコントロール中枢である」とする間違った印章を与え

るからだとその理由を説明している。これも本文には出てこない。

ダマシオは末尾の章で辟易しながらいう。

著名な神経科学者や心を論じる哲学者たちは問答無用で、高度な発展を遂げた主観性は、人間

以外の生物には生じ得ないとする考え方、感情や意識のような洗練されたプロセスは、最高度

の進化を遂げた中枢神経系の構造、すなわち大脳皮質の作用のみから生じる、という間違った

想定をしていると。

身体と脳の関係、特に身体を重視している点は皆さんもご存じのはずだし、ダマシオならでは

の嘆きでもある。

そんなダマシオは、感情と主観性の出現は最近のできごとなどではなく、ましてや人間だけに

見られるものでもないと見ている。

感情と主観性は太古の時代から存在する能力であり、その出現は、脊椎動物や、人間が備える

高度な大脳皮質には依存していなかった。この結論は否定すべくもないと言い切っている。

カンブリア紀よりはるか以前の時代に、単細胞生物は自身の統合性を損なう損傷に対して、安

定を回復させるための化学的、物理的な防御反応を示すことができた。

物理的反応としては、ひるむ、たじろぐなどといった行動に似た反応を見せていた。

そのような反応は、実際には感情表出反応ともいえるもので、のちの進化の過程で、感情とし

て心的に表象されるようになる、一種の行動プログラムと見なしている。

視点取得のプロセスも、その起源は非常に古い可能性がある。

単細胞生物が行なう感知や反応は、その「個体」に固有の暗黙の視点が備わっていることを前

提としている。ただし、この視点は別のマップ上に二次的に表象されたわけではないという。

この能力は主観性の祖先、やがて心を備えた生物にはっきりと出現する主観性の萌芽と見なし

ている。しかし、強調して指摘しているのは、これらの初期のプロセスは輝かしきものではあ

るが、徹頭徹尾行動であったこと、賢明で有用な動作に関するものである点。

ダマシオの見る限り、そこに心的な要素や経験的な要素は認められず、心もなければ感情もな

く、意識もなかったという。

私たちにとっての感情や意識になるものは、徐々に、ただし進化の歴史のさまざまな系統に沿

って不規則に形成されてきた、とダマシオは洞察している。

単細胞生物、海綿、ヒドラ、頭足類、哺乳類、社会的行動やアフェクトに基づく行動が共通し

て見られるという事実は、生命活動の調節をめぐる問題には共通の起源があり、ホメオスタシ

スの規則に従う同一のソリューションが共有されてきたことを示唆するという。

ホメオスタシスの規則を充足する機能が付加されてきた背景は、神経系の出現という重大なで

きごとに存在し、神経系は、ものごとの構造に関する「類似した」表象を立てるためのイメー

ジングとマッピングに至る道を開いた。

神経系は過去も現在も単独で機能しているのではなく、複雑な生物の生産的な生命活動を、ホ

メオスタシスの規則に従って維持するという、より大きな仕事を手伝う召使であったにせよ、

神経系の誕生は、深い意味で革新的なできごとだった、とダマシオらしく指摘する。

そのような文脈に則ったら、重要だが微妙で見逃しやすいもう一つの点へと私たちを導くとダ

マシオはいう。

それは、神経系の個々の部位も、脳全体も、心的現象の唯一の製造者でも供給者でもないとい

うこと。

また、感情もそうではあり得ず、生物では、神経系とそれ以外の身体構造の双方向の密接な相

互作用が必要とされ、神経系と非神経系の構造やプロセスは、単に隣接し合っているばかりで

なく、相互作用する連続的パートナーだと指摘する。

それは、脳と身体はともに、心の存在を可能にしている同じスープに浸されているのであると

述べている。ダマシオの面目躍如といったところだろう。

ダマシオは本書の締めくくりに、自身の仮説に反論する人々に向けての決意表明みたいなもの

を掲げている。

第一に、科学の強力な新発見の影響のもとでは、やがて容赦なく切り捨てられるはずの未熟な

見解や解釈に魅力を感じるのはごく自然なこと。

ダマシオには、自分の見解を擁護する準備があるが、それらを訂正する必要が近い将来出てく

る可能性があることも自覚している。

第二に、私たちは今や、生物の持つ特徴や機能、そしてその進化についてある程度の確信を持

って語ることができる。また、宇宙の起源をおよそ一三〇億年前に位置づけることができる。

しかし、宇宙の起源や意味を満足に説明する科学的理論、すなわち私たちに関係するあらゆる

ものごとを説明する科学的理論は存在しないということ。

この事実は、私たちの知的な営為がいかにささやかで一時的なものであるかを、また未知の事

象に対処するにあたり、もっと心を開く必要があることを思い出させてくれる拠りどころにな

るだろうと指摘し、筆を置いている。

ダマシオは『意識と自己』の末尾で、

「重要なのは、感情を意識の原形とすると、今度は感情の詳細な本質について問わないわけに

はいかなくなることだ。感情は何でできているのか?感情は何の知覚か?われわれは感情の背後

にどこまで達することができるのか?現時点ではまったく答えられない問いである。

それが現在の科学の地平である」

と述べていた。その答えにダマシオなりにたどり着き、それを表明したのが本書である、とい

うようにも捉えることもできる。


本文では表明していなかったが、「註」のかでダマシオは、東洋の伝統的な「非二元性」の考

え方と、自身の主張する、脳と身体はともに、心の存在を可能にしている同じスープに浸され

ている、という考え方との類似性をそれとなく指摘している。

「東洋の伝統的な思考体系では、二元性は正常な人間の知覚に固有なものではあれ、私たちが

知覚する、種々の個別的な物体や現象に満ちた世界は、より根本的な「非二元性の」リアリテ

ィの基体をおおい隠す知覚的な覆いであると主張する。

「非二元性」の考えは、心と身体とあらゆる現象が密接に結びついた、絶対的な相互依存の世

界を描く」(本書)

古代中国の人々は、万物の有機的な連関を脈と称したといわれている。

脈はお互いをつなげる役割を果たし、風水では気の流れる脈を龍派と称し、気の充満する龍穴

に住宅や墓を建てる。中国伝統医学では、身体に流れる脈を経路とし、それらの有機的ネット

ワークをとらえたといわれている。

森羅万象が気のネットワークにより相互に関連し、影響を及ぼしあう。

それぞれが所を得て役割を果たし、全体の調和を生み出す。

そこに優劣はなく、すべてが気脈によって有機的に連関しているとしている。

それは「一即多、多即一」でもあり、ひとつのなかに全体があり、全体のなかにひとつが包含

される。(『易、風水、暦、養生、処世 東アジアの宇宙観』水野杏紀から)

ダマシオがいいたかったことの一つには、そういったことだろうと勝手に解釈している。

「重々帝網」「融通無礙」。

コロナウイルスの感染爆発を食い止めるため、緊急事態宣言が東京、埼玉、千葉、神奈川、大

阪、兵庫、福岡の各都府県に発令されたのは4月7日。その後16日には対象地域が全国に拡大さ

れていった。ぼくはこの期間はチャンスだと思い、ダマシオと真剣に向き合うことを心に決

め、ノートに記しながら読み進めた。

もちろんすべてを綺麗に咀嚼したわけではないが、それは貴重な経験となった。

ホメオスタシスに乾杯!感情にSaúde!