『反共感論―社会はいかに判断を誤るか』ポール・ブルーム



もちろん共感には利点がある。

美術、小説、スポーツを鑑賞する際には、共感は大いなる悦楽の源泉になる。

親密な人間関係においても重要な役割を果たし得る。

また、ときには善き行いをするよう私たちを導くこともある。

しかし、概して言えば、共感は道徳的指針としては不適切である。

愚かな判断を導き、無関心な残虐な行為を動機づけることも多い。

非合理で不公正な政策を招いたり、医師と患者の関係などの重要な人間関係を蝕んだり、

友人、親、夫、妻として正しく振舞えなくしたりすることもある。

私は共感に反対する。本書の目的の一つは、読者も共感に反対するよう説得することだ。

『反共感論―社会はいかに判断を誤るか』ポール・ブルーム

「他者へ共感」することが無条件に善いことのように思われているが、著者のポール・ブルー

ムはその見方に警鐘を鳴らす。

そんなことだから、かなり過激な内容になっているかと思いきや、そういうことではなく、

「他者を思いやる善き人になりたいのなら、あるいは世界をもっとよい場所にしたいのなら、

共感なしで済ませたほうがよい結果が得られる」

というのが著者の主張。

「本書で私は、共感と呼ぼうが呼ぶまいが、他者が感じていると思しきことを自分でも感じる

行為だが、思いやりがあること、親切であること、とりわけ善き人であることとは異なるとい

う見方を究めていく。道徳の観点からすれば、共感はないに越したことはない」(本書)

ポール・ブルーム / イエール大学心理学教授。

発達心理学、社会的推論、道徳心理学の世界的権威

著者は「共感」を「情動的共感」と「認知的共感」に分けて捉えている。

「情動的共感」は、「他者が感じていることを自分でも感じること」、感情のミラーリングで

あり、「認知的共感」は、「他者の心のなかで起こっている事象を、感情を挟まずに評価する

能力に結びつけてとらえる」、認知的、理知的共感。

著者が本書のなかで問題にしているのは、「情動的共感」であり、「認知的共感」は、善き人

であろうとするのなら必須のものであるが、道徳的には中立に働くとして、わりと肯定的に捉

えている。

情動的共感は、焦点を絞り、共感は限定されると指摘する。

それは、スポットライト的で近視眼的で数的感覚を欠いたものであり、

集団に対する自分の行動の影響を適切に見越せず、統計的なデータや費用対効果に無感覚にな

る、としている。

「白人のアメリカ人は、黒人も白人と同じように重要であると頭では考えていたとしても、

一般的には、黒人の苦難よりも白人の苦難に共感しやすい。共感はこの点で、先入観と同様、

道徳的判断を歪めるのである」(本書)

「私たちが少なくともある程度の公平さや公正さを保てるのは、共感の作用から免れ、

規則や原理、あるいは費用対効果の計算に依拠した場合に限られる」(本書)

たいてい共感は、自分の信念、期待、動機、判断によって変更を受け、その対象になる人につ

いて自分がどう思っているか、そしてその人が置かれている状況に関する自分の判断によって

影響を受ける。

人は共感力の高さによって善き人になるのでもなければ、共感力の低さによって悪しき人にな

るのでもないと指摘する。

しかし、他者の苦しみを緩和し、世界をよりよい場所にしようとする心構えは、重要であると

しているが、そこに、何が最善かを見極められる理性的な能力を組み合わせることが必要であ

ると主張する。

そして、それは「効果的利他主義」と呼ばれる考え方であり、効果的利他主義者は自らを「心

と頭を統合する、発展しつつある社会運動」と定義している。

「哲学者のチャールズ・グッドマンは、仏教の道徳哲学を扱った本のなかで、仏教の教義では、

本書でいう共感に該当する「感情的な思いやり(sentimental compassion)」と、

私たちが通常思いやりと呼んでいる「偉大な思いやり(great compassion)」を区別すると述べ

ている。

彼によれば、前者は菩薩を消耗させるので避けるべきであり、追及する価値があるのは後者で

ある。

偉大な思いやりは、より距離を置いた立場をとり控えめで、いつまでも維持することができ

る」(本書)

著者はかつて、ある慈善団体のリーダーに、人々になるべく共感を働かせないよう促す本を書

いていると話したことがあり、その話を聞いた女性のリーダーは怒りだして、人々の共感を喚

起しないと、得られる寄付金の総額が減り、これまで苦心して救ってきた子どもたちの何人か

が死ぬことになると答えたという。


具体的な例を示さなかったけど、本書では三つのテーマが論じられている。

・私たちの道徳的な判断や行動は共感の強い力によって形作られるところが大きい。

・そのせいで社会的状況が悪化することがままある。

・私たちはもっと適切に行動する能力を持っている。

冒頭の通り、著者はすべての共感を反対しているのではなく、道徳的な領域に限られている。

共感に対する懸念は、ネガティブな効果がポジティブな効果を上回る点にある、としている。

「「共感」という言葉によって親切心を連想する人もいるだろうが、私は戦争を思い浮かべ

る」(本書)

「訳者あとがき」で高橋洋氏も、

「なぜ情動的共感は郷党的な偏見を呼び込みやすいのだろうか?この点に関しては、本書ではあ

まり明確になっていないように思われる・・・」

と指摘されているが、著者の主張すべてを無視する必要もないだろうが、鵜呑みにする必要も

ないだろう。

「情緒的」に判断するな、ということで。

特に東アジアの人々には顕著な傾向であり、現在何処かの半島で日本製品の不買運動が呼びか

けられ、「情動的共感」によって各地に広がり自滅しつつあるけど、著者が指摘しているの

はそういうことだろう。香港ではポジティブに機能していると思うけど。

現代の神経科学では、情動と感情は次のように定義されている。

まず情動とは、刺激に反応して起きる身体の生理学的状態だ。

心拍数や血圧、身体の動き(脅威に反応して凍りつく、逃げだす)、さらにはそのときの認知(思

考が冴えているか、鈍っているか)まで含まれる。

対して感情は、脳と身体をひっくるめて起きている情動の主観的知覚だ。

『私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳』アニル・アナンサスワーミー

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。

兎角に人の世は住みにくい。

『草枕』夏目漱石