『歴史とは何か Ⅰ』岡田 英弘



私の著作集の第Ⅰ巻となる本巻『歴史とは何か』は、私の歴史理論の原論でもあり、

また総決算でもある。

『歴史とは何か Ⅰ』岡田 英弘

E.H.カーは「歴史とは現在と過去との対話である」としていたが、

岡田英弘氏は「歴史は、たんにむかし何があったかというようなものではない、というのが私

の基本的立場である。歴史を歴史たらしめているのは、われわれ人間が、時間と空間の両方

で、同じくらいの遠い距離まで、つまり自分個人の知覚が及ぶ範囲を超えて世界を把握し、そ

れに構造を与えることである。

歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、一個人が直接経験できる範囲

を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」

と定義している。

そして、世界中で自前の歴史文化を発明した文明は、地中海文明とシナ文明の二つだけである

とし、それ以外の文明は、歴史という文化要素を、これら二つの文明からさまざまに借りて、

歴史叙述を行なうようになった、と岡田氏は考えている。

さらに、この場合、歴史文化を成り立たせているものに、四つの要素があると指摘する。

一つ目が時間は直進するものであるという観念、二つ目は、一定不変の歩調で進行する時間に

一連の番号を振って管理する技術、三つ目が、人間界のできごとを書き留める文字、四つ目が

ものごとには原因があるから結果があるという、因果律の観念。

ヘーロドトス(ヘロドトス)と司馬遷(「晩笑堂画譜」より)

世界で最初に書かれた歴史は、紀元前五世紀に地中海世界の人だったヘーロドトスがギリシャ

語で書いた『ヒストリアイ』(邦題『歴史』)と岡田氏は指摘する。

ヘーロドトスはギリシア人とアナトリア半島の原住民カリア人の混血。

ヒストリアイというギリシア語は「自ら研究調査したところ」という意味で、ヒストリアイは

複数形で、単数はヒストリア。ヒストリアは「調べてわかったこと」という意味。

語源をさかのぼると、形容詞のヒストール(知っている)で、それを動詞化してヒストレオー(調

べる、知る)になり、それをさらに名詞化したのがヒストリアで、複数形がヒストリアイ。

なので、この本の題名は「研究調査したところ」という一言であり、ヒストリアイとは歴史と

いう意味ではない。「調べたこと」という意味。

なぜかというと、ヘーロドトスが『ヒストリアイ』を書くまでは、世界中どこにも歴史という

ものはなかった。ギリシア語にも、どこの言葉にも、歴史に当る言葉はなかった。

ヘーロドトスの本の題名として『ヒストリアイ』が採用されたために、ヒストリアという言葉

が歴史という意味になった。

英語のヒストリーも、フランス語のイストワールもここから来ている。

これは非常に注目すべきことである、と指摘する。

ヘーロドトスの『ヒストリアイ』の根底には二つの考えがあって、一つは、歴史は二つの陣営

の対立と抗争によって引き起こされる変化を描くものだということ、もう一つは、それには正

義の側の勝利があって、歴史はめでたし、めでたしで終わるということ。

『ヒストリアイ』は紀元前四八〇年のサラーミスの海戦におけるギリシア軍の勝利で終わって

いる。これで歴史の決着がついたとうことであると。(ペルシア帝国と)

そして、この『ヒストリアイ』でヘーロドトスが言っていることを、三つに要約している。

その一は、世界は変化するものであり、その変化を語るのは歴史だ、ということ。

その二は、世界の変化は、政治勢力の対立・抗争によって起こる、ということ。

その三は、ヨーロッパとアジアは永遠に対立する二つの勢力だ、ということ。

地中海文明の歴史観は、ヘーロドトスの『ヒストリアイ』が開発したものであり、

ヘーロドトスの歴史の筋書きは、アジアとヨーロッパの宿命的な対立、強大なアジアに対する

ヨーロッパの雄々しい抵抗と最終的な勝利というものだったと指摘する。

さらに、このヘーロドトスの筋書きと、サタンの軍勢と主の軍勢のあいだの最終戦争で、主の

軍勢が勝利して世界が完結するという「ヨハネの黙示録」のヴィジョンが重なり合う。

「ヨハネの黙示録」には、ヤハヴェの神を信仰するものだけが復活し、生まれ変わって千年間

地上を支配する、というヴィジョン(見方)があり、世界の最後のときに悪魔の軍勢とイエスに

従う軍勢とが戦って、悪魔が滅ぼされる、という筋書き。

紀元一三五年に、ローマ軍が、イェルサレムを攻め落としてユダヤ人たちを追放する。

それを恨んだユダヤ人たちが、ローマを呪って書いた文献が「ヨハネの黙示録」。

そうすると、アジアはサタンの軍勢であり、ヨーロッパは主の軍勢で、ヨーロッパがアジアを

征服するのが正義の実現であり、そのときに歴史が完結するのだ、ということになる。

十一世紀に西ヨーロッパのキリスト教徒が起こした十字軍にも、こうしたヴィジョンが影響し

たと。

もう一つの自前の歴史文化を発明した文明である、シナ文明だが(本書では土地や文明として

「シナ」、人は原則として「漢人」としている)、ヘーロドトスの『ヒストリアイ』が紀元前五

世紀に初めて書かれたのに対して、シナでは歴史が始まるのはずっと遅れ、紀元前百年前後に

司馬遷が書いた『史記』が最初の歴史。

この『史記』を現代人の感覚では歴史の記録というふうに受けとっているが、本来はそういっ

た意味ではない。

著者の司馬遷は前漢の武帝に仕えた太史令(たいしれい)だった。太史令というのは、職掌とし

て占星術を司る人で、宮廷占星術師の長。

父親の司馬談も太史令で、父親の死後三年して司馬遷も太史令になった。『史記』にはっきり

書いていあると。

太史令である司馬遷が書いたものだというので、『史記』という題がついた。

漢字の「史」は、「中」というものを「又」(ゆう)というものが持っている形であり、それが

略されて今のような字形になった。

これは帳簿を右手で持っているという象形文字であり、帳簿係という意味で、「史」とは歴史

のことではなく、人のこと。

シナには、歴史という概念を表す漢字はなかった。歴史という言葉自体日本語の「歴史」の借

用語で、もともとは日本語。

日本語の「歴史」はヒストリーの訳語として、明治時代日本人が発明した言葉。

それ以前にシナでは上述のように「史」という言葉はあったが、歴史という意味ではなかっ

た。

しかし、太史令の司馬遷が『史記』を書いたことによって、二次的に「史」に歴史という意味

がシナでも発生した。これは東西軌を一にしているわけであると指摘する。

その著『史記』(原名『太史公書』)百三十編は、黄帝に始まって、著者自身の仕えた漢の武帝

の治世までの「通史」。

その構成は、帝王の在位中の政治的事件を年代順に記述する「本紀(ほんぎ)」、政治勢力の興

亡・交替の時間的な関係を示す「表」、制度・学術・経済など、文明のいろいろな面を概説する

「書」、シナ世界の統一以前の地方王家と、統一以後に皇帝から封ぜられた諸侯の歴代の事蹟

を記述する「世家(せいか)」、そして著名人の事蹟を伝える「列伝」の五部から成っている。

そのうち「本紀」と「列伝」がもっとも基本的な部分を成し、「史記」の体裁を後世のシナの伝

統的な歴史学では「紀伝体」と呼び、本書に続いて編纂された、歴代王朝の「正史」の模範と

なった。

ヘーロドトスは『ヒストリアイ』で抗争によって引き起こされる変化を描いたが、司馬遷の

『史記』ではそれとは反対に描いている。

宇宙の最初の状態と、今の武帝の時代の天下の状態が同じだ、という前提で書かれているので

変化があってはならない。

世界に変化があれば、そのときには本当の天子がいないことになるので、それは正統の天子で

はない、ということになってしまう。

正統の理論によると、天下にはいつでも必ず一人、正統の天子がいる。そのときの正統の天子

がだれであるかは、そのときそのときの状態で決まるが、そのようにして順次に受け継がれ、

武帝に至っているとする。

なので、変化しない正統の歴史というのが司馬遷の意識。

これは、中国という国家の歴史でもないし、中国人という国民の歴史でもなく、正統の皇帝の

歴史。

これがシナにおける歴史文化の伝統になってしまい、これからのち、現代に至るまで、漢人の

歴史観を支配している正統の論理であると。

天下には一人しか正統の天子はいない、ということになる。

「どの政権がどの政権を継承したかという正統の観念は、シナの歴史観の中心を成す観念であ

るが、これはシナ世界の最初の歴史である『史記』にすでに完成した形で表われている」

(本書)

ちなみに、日本の歴史観は、七二〇年にできた『日本書紀』によって決まってしまった、と指

摘する。『日本史の誕生』でも述べられている。

ここで、万世一系の皇室を中心とする、純一の大和民族の日本というパターンができあがっ

た。

それ以来、歴史叙述の対象に値するのは、日本列島のなかで起こったできごとだけであり、外

国との関係はまったく考慮に入っていない。

「歴史というものは、何年も経ったからこの辺でまとめておこう、というので書くものではな

い。

何か大事件が起こって、昨日までの世界が消え失せてしまった、今はまったく新しい世界にな

った、という実感がない限り、だれも書き残そうとは思わないものである」(本書)

本書は五部構成になっており、第Ⅰ部は「歴史とは何か、民族とは何か」で、「エグゼクティ

ブ・アカデミー・シリーズ」という冊子になった講演記録を再録したもの。

第Ⅱ部の「歴史の定義と国民国家」は、セミナーの基調報告として作成したものなど、さまざ

まな機会に著者が書いたものを収録。第Ⅲ部の「歴史観の葛藤」もほとんど同様。

第Ⅳ部「発言集」は、対談や討論会での発言、講演での質疑応答を整理したもの。

第Ⅴ部「わが足跡」は、本巻のために書き下ろしたものと、『東方学会報』や『諸君!』などで

発表したものが収録され、岡田氏がどのように歴史学者になられたのか、などが詳しく論じら

れている。


ヘーロドトスと司馬遷の歴史観を論じたものが、本書のメインの部分であると思うけど(『世界

史の誕生』でも簡単に論じられている)、その他にも個人的に気になった箇所があり、中国とロ

シアの資本主義の行方を論じているが、

「資本主義でロシア人や中国人が成功できるだろうか。経済成長して世界の他の国々に追いつ

けるだろうか。まずこれはありえない。今の中国が経済発展しているのも、見せかけである。

なぜなら第一に、資本主義に必要な自発生とか個人の責任観念、信用の観念というものが、中

国人やロシア人には欠けているからである。これがなくて資本主義経済が成功するわけがな

い」

とはっきりと断言している。

サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』に関しても論じているが、

「ハンチントン論文の「文明」には定義がなく、はっきりしない点がある」、

「ハンチントンは新たな仮想敵としてまずアジアを想定したが、それだけでは説得力に欠ける

ため、儒教やヒンドゥおよびイスラムという三つの文明が連合して西欧社会に対抗するという

筋書きをつくり上げたのである。

上院外交委員会の場で国務省の予算について委員たちから疑問が出た場合、それを正当化する

ために用意されたものである。したがって好戦的なトーンが強いのは当然である」

としているのも、あまり見掛けない解釈で参考になった。

他にも「歴史の捉え方」について、

「極端に言うと、史料のすべて嘘をついているという前提から出発しなければならない。

それが歴史家の宿命である。

しかも、もう一つ難点がある。歴史上の大事件に出会って、その現場を目撃したとする。

しかしその場合、われわれは本当にその史実を目撃したといえるだろうか。

じつはそれは、そう思ったということにすぎない。ひとつの解釈にすぎない」

と論じられているが、それは、

「私たち人間は―しばしば残酷な現実が割り込んでくるとはいえ―かなりの程度まで脳が作り

直した世界の中で暮らしている」(『ヒトの起源を探して』イアン・タッターソル)

「人間の脳は、与えられた事実を基に、因果関係のある筋の通ったストーリーを作り上げてし

まう」(『ビッグデータの正体』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー,ケネス・クキエ)

ということを、歴史を通して認識していたことに素晴らしいと思った。

岡田英弘氏は「自らの力を信じ、自らを決する者だけが、道を切り拓いてゆける。国も同じで

あることを、歴史は物語っている」とも書いているが、本書『歴史とは何か』は既存の枠組み

にとらわれないで論じられている。その証拠に、

「歴史にもっとも近いのはSFである。SFは、現在ある世界から一つだけ条件を変えたらどうな

るかという一種の思考実験だから、きわめて歴史に近い」

と歴史とSFとの方法の類似性を指摘されている。

こんなことを平気で言えるのだから、稀有な歴史学者であったことは間違いない。

視点も高いので、読んでいて心地がよい。

それは抽象度が高いということで、この点も特別な歴史学者だったことの証しだろう。

歴史は言葉による解釈だから、いくら時間が経過しても、人間のいないところには歴史はな

い。しかし、人間がいたからといって、歴史が自動的に発生するわけではない。

言葉になった瞬間に歴史が誕生する。

歴史は言葉そのもので、あくまでも文章の力によってイメージを喚起する。

その意味では、歴史は文字である。

『歴史とは何か Ⅰ』岡田 英弘