ボブ・ウッドワードの『FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実』



現実には、二〇一七年のアメリカは、感情的になりやすく、

気まぐれで予想のつかない指導者の言動にひきずりまわされている。

ホワイトハウスのスタッフたちは、大統領の危険な衝動から生まれたと見なした事柄を、故意

に妨害している。

世界でもっとも強大な国の行政機構が、神経衰弱を起こしている。

『FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実』ボブ・ウッドワード

著者のボブ・ウッドワードは、同僚とともにウォーターゲート事件をスクープし、

ニクソン大統領退陣のきっかけを作ったアメリカを代表するジャーナリスト。

本書は、トランプ政権の意思決定の仕組みを克明に描くことに的を絞っている。

二〇一八年九月一一日にアメリカで発売され、たちまちベストセラーとなり、

世界三〇ヵ国以上で刊行が決定している。

「ホワイトハウス内の混乱や内輪揉めは、ほとんど毎日のように報道されているが、

内部の状況がじっさいにどれほどひどいかを、国民大衆は知らない。

トランプは変わり身が激しく、不変・不動であることはめったになく、気まぐれだった。

大小さまざまな物事に腹を立て、機嫌が悪くなる」(本書)

『FEAR: Trump in the White House』とボブ・ウッドワード

そのホワイトハウスの内部の状況を知りたくて手にとったのだが、予想以上に面白かった。

トランプ凄すぎる。

まず本書のプロローグでは、トランプが大統領に就任してから八ヵ月過ぎた二〇一七年九月初

旬、当時国家経済会議(NSC)委員長を務めていたゲーリー・コーンが、大統領執務室(オーバル・

オフィス)のレゾリュート・デスク(大統領の執務机)に近づいていく描写から始まる。

デスクには、韓国大統領の大統領親書の草稿一枚が置いてあり、米韓自由貿易協定(KORUS)を

破棄する、という内容だった。

トランプはKORUSについて「きょう破棄する」というようなことを口していたが、それがいま

大統領新書になってデスクの上に置かれていた。

トランプはまだその新書に署名したわけでもなかったのだが、コーンは不安になってデスクか

ら新書の草稿を取り、“保管”と記された青いフォルダーに入れた。

のちにコーンは、このことについて同僚に次のように語っている。

「デスクから盗んだ」「あの男には見せない。ぜったいに見られないようにする。国を護らな

ければならない」。

ホワイトハウスもトランプの頭のなかも無秩序に乱れ切っていたので、新書の草稿がなくなっ

たことに、トランプは気がづかなったという。

通常、韓国大統領宛の新書のような書簡は、大統領の書類仕事を取りまとめている秘書官が作

成を担当するが、今回トランプに届けられた草稿の出所が不明だった。

書簡の草稿には何枚かのコピーもあり、秘書官とコーンはデスクに置かれることがないように

気を配っていた。

トランプが草稿をデスクに置いて校正しようとすると、コーンがひったくり、トランプはその

まま忘れた、ということを繰り返している。

アメリカ合衆国大統領の意思と憲法であたえられた権限を脅かす、クーデターにもひとしい行

為だった、とボブ・ウッドワードは指摘する。

しかし、KORUS問題は、消え去りはしなかった。

コーンは、当時のトランプの閣僚のなかでも、もっとも発言力が大きかったマティス国防長官

に相談する。

「私たちは崖っぷちでよろけている」「今回はすこし応援がほしい」とコーンはマティスにい

った。

マティスは、ホワイトハウスを訪れるのを控えて、できるだけ軍事のみに集中しようとした

が、非常事態だと察して、オーバル・オフィス(大統領執務室)へ行く。

マティスは米韓同盟の重要性をトランプに説明するが、トランプは、

「韓国の弾道ミサイル防衛システムに、どうしてアメリカが年間一〇億ドルも支出しなければ

ならないのか?」

と質問する。

THAADへの出費が腹立たしくてたまらないトランプは、韓国からそれを引き揚げてオレゴン州

ポートランドに配備すると脅していた。

マティスは、「韓国のためにやっているのではありません」「韓国を支援しているのは、それ

がアメリカに役立つからです」といい、トランプは、不服そうに同意しかけたが、それは一瞬

だったという。

第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・ジョン・トランプ

本書では、このような面白い話がたくさん書かれているが、以下、個人的に面白かった箇所を

ピックアップしたい。

イギリスMI6(情報局秘密情報部)のロシア課長だったクリストファー・スティールの一連の報告

書(スティール文書)の二ページ目には、次のように書かれているという。

「情報源Dによれば、本人がいるところでトランプの(変態的な)行為が行われた。

トランプは、モスクワのリッツ・カールトン・ホテルのプレジデンシャル・スイーツに宿泊した。

(憎き)オバマ大統領夫妻がロシア公式訪問の際に滞在したことを、トランプは知っていた。

売春婦を何人も呼んで、目の前で“放尿(ゴールデン・シャワー)”ショーをやらせ、ベッドを汚し

た。

同ホテルはロシア連邦保安庁(FSB)の支配下にあり、主な部屋には隠しマイクや隠しカメラが

あって、当局が望むものを記録できることで知られている」

この話は軍事アナリストの小川和久氏が静岡県立大学ジャーナリズム公開講座の動画で言及し

ていたので知っていたが、本書でそのことを目にした時には、爆笑してしまった。

トランプはロシアに対しては、選挙中も大統領になってからも宥和的な発言をしている。

エドワード・ルトワックは二〇一七年の秋にウラジオストクでプーチンの政治アドバイザーたち

に会い、「なぜトランプからのラブレターに返事を出さないんだ」と聞いて回り、プーチンの

外交アドバイザーの一人から「モスクワは贈り物を信じない」との答えが返ってきたという。

“ゴールデン・シャワー”は関係していないと思うが、トランプはロシアと手打ちをしようとして

いた。トランプのターゲットは中国だから。

しかし、習近平には好印象だったみたいで次のように述べていたという。

「習とはほんとうにいい関係だ」「習とは気が合う。習は私を好きだ。私が北京を訪問したと

きには、レッドカーペットで歓迎してくれた」

見兼ねたマクマスターは、習に利用されているのだと、トランプに説明しようとした。

中国は敵対的な経済政策を採用し、世界のナンバー1になろうとしていると。

トランプは、そういうことはすべて理解しているといい、しかし、習との信頼関係は、そうい

った問題を超越している、といっていたという。

そのマクマスター(当時は国家安全保障問題担当大統領補佐官)との関係だが、マクマスターが

予定されていた会議のためにオーバル・オフィスに来ると、トランプはしばしば「またきみか?

さっき会ったばかりじゃないか」といっていたという。

マクマスターのブリーフィングのやり方は、トランプにぜんぜん合っていなかった。

というよりも、あらゆるやり方が、トランプとは反対だったという。

陸軍出身のマクマスターは、規律、秩序、上下関係を重んじ、直線的な思考しかできない。

トランプはAからGへ、LからZへと飛び、あるいはDかSに逆戻りする。

マクマスターは、Bを通らずにAからCへ行くことができない。

最近話題のボルトンだが、マクマスターと同時期に国家安全保障問題担当大統領補佐官の面接

をしているが、その時のトランプのボルトンの印象は、大きなもじゃもじゃの口髭が気に入ら

なかったという。役柄にふさわしく見えないからだと。

マティスとティラーソンは、トランプとホワイトハウスは正気ではないと判断したにちがいな

いと、マクマスターは確信していたという。

その結果、二人はマクマスターの干渉や関与抜きで、政策を実行したり、ことによっては立案

したりしようとしていたという。もちろん大統領抜きで。

ティラーソンは「あの男はものすごく知能が低い」と、一同に聞こえるようにいっていた。

マティスの手法は、対立を避け、敬意と服従を示し、仕事を抜け目なく進め、できるだけ出張

して、ワシントンDCにいないようにすることだった。

ある日、スティーブ・バノンが国防総省を訪れ、マティスと退役海軍少将のケビン・スイーニー

と会話をしているが、「私が気づいた問題点は、こういうことだ」「きみたちは太平洋のこと

をまったく考えてこなかった。中国のことを考えなかった。詳細な研究がない。きみたちは中

央軍にばかりこだわっている」とバノンはいっている。(中央軍は中東と南アジアを担当してい

る)

バノンは、マティスは二〇一〇年から二〇一三年にかけて中央軍司令官だったので、その思考

法をひきずったまま国防長官を務めているのだろうと、バノンは見ていた。

さらに、中国の政治指導者と知識人のアメリカに対する観点は、真っ二つに割れていると、バ

ノンはマティスに指摘する。

マティスは、IS掃滅は、トランプ大統領がことに自分に命じた任務だ、と反論する。

バノンは「取引しようじゃないか」と提案する。中国封じ込めをそちらが支持すれば、アフガ

ニスタンからの撤兵を求める圧力を弱める。(アフガニスタンは、中国の一帯一路政策にとっ

て、重要な地域でもあった)

それに対してマティスは、「私は世界貿易を重視しているんだよ。そういう貿易政策はすばら

しいと思っている」といった。

バノンは驚くとともにあきれたという。

トランプのいうとおりだ。マティスはビジネスや経済のことが、まったくわかっていない。軍

人にとっては、なんであろうと、コストなど知ったことではないのだ。

この辺りのことは、「南シナ海でも海上封鎖を辞さない態度で中国の動きを止めたいのだが、

今度はマティス国防長官が反対している」とエドワード・ルトワックが『日本4.0』の中で指摘

していたことと通じる。

バノンは、トランプは改革者としてはほとんど失敗している、国家安全保障の旧秩序が一年目

のトランプを打ち負かした、という見方であり確信していたという。

バノンは大統領首席戦略官を辞めさせられるが、トランプは、バノンとの言葉の戦争が長引く

のを恐れていたが、バノンが静かに辞めなかったことに腹を立てていたという。(バノンは来日

してBSフジのプライムニュースに出演していたのを見かけたことがある)

しかし、トランプは、どれほど意見が衝突しても、辞める段になると、電話か面と向かってあ

りがとうという。

北朝鮮に関してトランプは、一九九九年一〇月の〈ミート・ザ・プレス〉で公に発言したという

前歴があり、「私なら正気を失った人間みたいに交渉します」といっている。

そんなトランプでも苦手なことがあり、戦没兵士の家族たちとのやりとりがそれで、かなり過

酷だったというのをホワイトハウスのスタッフは察している。

特に、幼い子供がいる親の死が、ことにこたえたようだったという。

「それがトランプに大きな影響をあたえたのが、あたゆることからうかがえた」と。


本書では、その他にも色々と面白い話が尽きないが、トランプの特徴をいくつかひろってみ

る。

・耳で聞いて演奏し、衝動的に演技する

・午前一一時ごろにならないと、仕事をはじめない。一日に六時間か八時間、テレビを見ている

・外交問題で重要なのは、個人的な人間関係

・トランプとの関係は、近づけば近づくほど遠ざかる。最初が一〇〇点で、それ以上にはならな

・イエスという返事を得るために、まずノーといえというのが、トランプの交渉論

・もとは存在していなかったリスクの大きい緊急事態を創りあげて、自分の手札のほうが強いよ

うに思わせるのは、トランプの得意技

・調和は集団思考につながりかねない。自分のもとで混乱が起こり、波が立つのを、よしとする

・真の力とは恐怖。力で肝心なのはそれだけ。弱みを見せてはいけない。

つねに強くなければならない。脅しに負けてはならない。それ以外のやり方はない

本書では、日本や安倍首相のことはほとんどでてこないが、韓国に関しては、最初から最後ま

で頻繁にでてくる。

「二〇一八年一月一九日には、もっと差し迫った問題があった。トランプ就任一周年のちょう

ど前日だった。

韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領との数回にわたる秘密電話会談で、トランプは米韓で結ん

でいるKORUSへの批判を強めていた。

貿易赤字一八〇億ドルと在韓米軍二万八五〇〇人の駐留費三五億ドルの問題を、けっして取り

下げようとはしなかった。

トランプは文在寅を嫌っていたうえに、それらの問題をしつこくくりかえしたので、二人の関

係は悪化していた」(本書)

ご存じの通り、最近では韓国が一方的に日本とのGSOMIAを破棄してしまったので、トランプ

の怒りはさらに足されたことだろう。

トランプといえば、エリート連中が手厳しく批判するが、ジョージ・W・ブッシュやクリントン

夫妻に比べたら数段いいだろう。

トランプはブッシュを馬鹿にして「ひどい大統領だ」といい、「彼は戦争屋だった。アメリカ

の影響力を行使し、民主主義を世界中にひろめ、世界の警官になりたくて、これらの戦争をは

じめたんだ」「無謀だったし、誤りだった」と述べている。

トランプは、恐怖を感じさせるために口では勇ましいことをいい、たまに行動に移すが、基本

的には不介入主義者であり、戦争は嫌いだろう。

いずれにしても、本書はホワイトハウスでの赤裸々なやり取りが記されているので面白い。

確かにトランプは「恐怖の男」であり、その下で働くとなると大変だ。

ちなみに、トランプは本書のためのインタビューを断わっている。

核兵器を保有していて暴発しそうな北朝鮮を脅すのは、ちょっと考えられないやり方だが、

トランプはそれをやった。それはほんの手はじめだった。

ようすを見ながらうまく進めていくという歴代大統領のやり方は、終わりを告げていた。

『FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実』ボブ・ウッドワード

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ボブ・ウッドワード 日本経済新聞出版社 2018-12-1