ワールドカップで盛り上がってはいるが /『プーチンとロシア人』木村汎



ここ数年「国際政治でもっとも大きな影響力をもつ人間」に何回も選ばれているロシア大統領

ウラジミール・プーチン

そんなプーチンだが、直近の二〇一八年三月一八日に大統領選挙が行われ、色々と反対デモな

どもあったみたいだが、見事に再選を果たしたのは記憶に新しい。

その選挙が行われた三月一八日というのは、四年前にウクライナのクリミアをロシアへ併合し

た日であり、プーチン大統領の偉業を思い出して、ロシアの有権者たちが投票所へ赴くよう

に、わざわざ法改正をおこなって、この日を投票日に選んでいる。

選挙集会に到着したプーチンとロシア国民

もちろん反対派などのデモもあったが、多くのロシア国民は熱狂しているように感じられ、

非常に不気味な印象を抱く。

プーチンの得票率は七割超。任期は六年で、二〇二四年までとなり、旧ソ連の指導者スターリ

ンに次ぐ長期政権となる。

ロシア連邦の人口は一億四六五一万人(二〇一六年)、構成している諸民族は一二〇~一五〇も

あるといわれ、国土は一七〇八万平方キロメートルの広さで地球の全陸地のおよそ八分の一、

中国の約二倍、アメリカの約二倍、日本の約四五倍の大きさ。日本からは地理的には近いが、

心理的には遠い存在がロシアだろう。

本書は、現ロシアの政治、経済、社会の諸側面の解明に、“人間学的アプローチ”を意図的に持

ち込んでみるささやかな実験、としている。

著者は、北海道大学名誉教授で六〇年近くにわたってロシア研究に携わってきた木村汎氏。

二〇〇〇年に最初に大統領になって以来、プーチンが発し続けている一貫したメッセージがあ

る。

「ロシア国民よ、あなたがたは、アメリカ人のようにリッチにはなれないし、フランス人のよ

うにエレガントにはなれないし、イタリア人のように美味しいものも食べられない。

しかしあなたがたは、世界最大の領土を持つ帝国の人間であり、これは誰にも与えられたもの

ではなく、戦争に勝つことによってロシア人自身が獲得したのである。

前任者はロシアの帝国の多くを失ったが、私(プーチン)は絶対に領土を失うことはない。

むしろ取り返すつもりである。だからその代わりにロシア人は耐えなければならない。

帝国の人間として耐え忍んでほしい」

二〇〇五年四月の年次演説では、ソ連解体を「(二〇世紀)最大の地政学的惨事である」

と断言してもいる。

端的に言えば、これらのメッセージに対して「Yes」と熱狂的に応えているのが、

多くのロシア国民ということだろう。(選挙結果でも明らか)

本書では、そのロシア国民の底流に流れているものを考察、解明している。

著者は、そんなロシア人やロシア社会の性格に影響をあたえた歴史的な体験が複数あるとして

いる。それは「ビザンティン」「モンゴル(蒙古)」「タタール(韃靼)」。

「古代ロシアが、狭い意味のヨーロッパではなく、そこから分かれた東ローマのビザンティン

の文化圏と接触した歴史的事実である。

ロシアは、ビザンティンから宗教、文化、思想などを受け入れた」(本書)

「ギリシャ正教はあたかもあの世において天たる神に仕えるように、この世においては地上の

ツァーリに仕えよと説く。

地上の俗世界では、政治的支配者、すなわちロシアではツァーリ(帝政君主)が、他のあらゆる

者に優る支配者である。

人々はあたかも天の主に仕えるのと同じく、この地上の権威にたいして絶対的服従を捧げるこ

とが義務づけられる」(本書)

ロシアの帝政君主「ツァー」という言葉も、ビザンティン皇帝「カエサル」に由来し、

ツァーリズム(ロシア帝政)の紋章となった双頭の鷲は、ビザンティン皇帝の紋章に従ったも

の。

「タタールというのは、モンゴルに従ってきたトルコ系の住民の子孫を、当時ヨーロッパが呼

んだ名称である。

ロシアは、一三世紀のはじめジンギスカンを総指揮官とするモンゴル軍による襲撃を受け、

ついに一二四〇年、その軍門にくだった。

そして、一四八〇年にいたるまで何と約二四〇年間ものあいだ、その支配下におかれた」

(本書)

ロシアの諺には「招かれざる客は、タタール人よりも始末が悪い」というものがあり、

ロシア人がいかにタタール・モンゴルを憎み恐れていた存在だったのかを示している。

もともと城塞を意味する「クレムリン」、コサック騎兵隊の「カザック」、貨幣を意味する

「デェーンギ」、ルーブルの下の小銭の単位「コペイク」など、現在も用いられているロシア

語は、トルコ・タタール系に由来する言葉であるという。

「タタールの軛」がロシアに捺した刻印の最大のものは、統治法だったとして次のようにも述

べている。

「モンゴルの場合は、ビザンティンの場合と少し異なり、そのロシアに対する影響は、

宗教的、文化的なものというよりも、むしろ主として政治的、行政的な類のものだった。

ロシアは、モンゴル民族から、税金の集め方、人口統計のとり方、情報・検閲のやり方、軍役、

財政、郵便の諸制度などの分野で大きな影響を受けたのである」(本書)

「アジア草原の遊牧民族たるモンゴルは、多種多様の諸民族が棲息する広大な地域を単一の中

心から統治する術をロシア人にのこしたのである。それは、一言でいうと“専制支配”という方

法だった」(本書)

「モンゴル族は、後につづく政治支配者たちに、統治のため制度やテクニックをのこしたばか

りではなく、人民大衆に無条件的服従の原理を教え込んだ。

すなわち、モンゴル国家は個人の集団にたいする絶対的服従の原理にもとづいて形成されてお

り、個人はまず己の属する部族に服し、ついでその部族への忠誠を通じて全体国家に服従する

よう教え込んだ。

裏返していうと、集団の意義が最高で、個人のそれは、二の次、三の次ということである」

(本書)

著者は、わかりやすく次のように結論する。

「ビザンティンから来たギリシャ正教は、この世の神であるツァーリにたいする絶対的服従の

教義、モンゴルがもたらしたアジア的専制主義は、同様に個人の国家への奉仕の原理を、ロシ

ア人にたいしても植えつけた」(本書)

それに加え、天然の障壁で守られていない大陸国家であり、国土の大半が「草原(ステップ)」

と「森林(リェース)」という要素もあり、強大な政治権力をもつことなしには、広大な空間に

またがるロシアの国土を統治するのが難しい、という認識を官民ともに暗黙裡に同意している

という。

なので、社会に秩序をあたえ、人民の財産、内的世界の自由を保障さえしてくれる者ならば、

治者は誰でもよい、ということに繋がっているとしている。

自由を求めるが、混沌を嫌うアンビバレントな特性があると。

さらに驚きなのが、上述の事が影響してか、ロシア人のあいだで圧倒的に人気が高いのは、

スターリンだとしていること。

「スターリンは大「祖国」戦争を結局は勝利へ導いた偉大な功績者であり、

領土や勢力圏を拡大し、ソ連を米国と並ぶ超大国へとのしあげたリーダーなのである」(本書)

ぼくは中国を思い出したが、著者も次のように指摘している。

「ロシアの愛国心は、世界がまるでロシア中心に動いているかのようにみなしがちな独善的な

代物である。その意味では、中華思想に似通っている」(本書)

「ロシア人のインフェリオリティ・コンプレックス(劣等感)、不安感、被包囲意識、自信欠如な

ど、ひじょうに屈折した心理に根ざしている。

いわば田舎者の愛国心だけに、厄介かつ取り扱い要注意な類のものなのである」(本書)

ロシア人は他人から「二ェ・クルトゥールヌイ(文化的でない)」と批判されることを極度に嫌う

という。これも中国人みたいだ。

さらにロシア人は、外部の世界に対して劣等感を抱き、外国の列強諸国は、隙さえあれば自分

たちに襲いかかろうとする、と頭から信じ込んでいる。

臆病者で自信を欠くがゆえに、脆弱性を相手に気どらせまいとして、故意に煙幕をはったり、

攻撃的にみえる行動に出るケースが多く、“力”を最重要視する点も中国と瓜二つだと感じた。

「ロシア人の崇拝や憧憬の対象となるべきものは、中途半端な大きさや強さのものであっては

ならない。図抜けて強く、圧倒的に巨大な存在でなければならない」(本書)

「ロシア語では、ジャイアント(巨人)のことを“ギガント”という。

ロシア人は、本当にギガント好き、ギガントマニア(巨大癖)の病にかかっている」(本書)

「ロシア人には、ずば抜けて高い、大きい、強いものを手放しで崇める傾向がある。

この性向が、続いてのべるこれまた並はずれた愛国心と結びついて、

なんでも世界一にならないと気がすまない傾向を助長することになる」(本書)

準独裁者のプーチンを支える土壌、意識が多くのロシア国民にはあり、現状変更の拡張主義を

支持し、今後も続けられるだろう。

東西のロシア研究者やプーチン自身も引用したことがある、十九世紀に活躍した詩人フョード

ル・チュッチェフの有名な一句が、逆説的にロシア人のメンタリティーをよく表していると思

う。(以前にも引用したが)

頭だけでロシアを理解することはできない

並の尺度では計りようがない

ロシアには唯一無二の特別な姿があるのだから

この国でできるのは、信じることだけ

フョードル・チュッチェフ

フョードル・チュッチェフの詩は、

「ロシア人は、われわれの想像をはるかに超える程度に臆病で、劣等感を抱き、

自信を欠如している人々なのである」(本書)

と著者が指摘しているように逆説的に捉えることもできるだろう。


ぼくは最後に、戦略家エドワード・ルトワックが指摘しているロシアの三つの特徴を

思い出した。

第一、戦略は上手だが、それ以外はすべて下手

第二、経済がまるで分かっていない

第三、大きなスケールで考えることができる

本書は、著者も指摘している通り学術書ではないが、よく整っていて読みやすい。

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木村 汎 産経新聞出版 2018-01-15