「冷戦」という特異な現象の叙事史 |『冷戦 ワールド・ヒストリー』O.A.ウェスタッド

今日、地球上に、異なる点から出発しながら同じゴールを目指して進んでいるように見える二

大国民がある。それはロシア人とイギリス系アメリカ人である。

『アメリカのデモクラシー』アレクシ・ド・トクヴィル

アメリカ人は自然がおいた障害と闘い、ロシア人は人間と戦う。

一方は荒野と野蛮に挑み、他方はあらゆる武器を備えた文明と争う。

それゆえ、アメリカ人の征服は農夫の鋤でなされ、ロシア人のそれは兵士の剣で行なわれる。

目的の達成のために、前者は私人の利害に訴え、個人が力を揮い、理性を働かせるのに任せ、

指令はしない。後者は、いわば社会の全権を一人の男に集中させる。一方の主な行動手段は自

由であり、他方のそれは隷従である。両者の出発点は異なり、たどる道筋も分かれる。

にもかかわらず、どちらも神の隠された計画に召されて、いつの日か世界の半分の運命を手中

に収めることになるように思われる。

『アメリカのデモクラシー』アレクシ・ド・トクヴィル

トクヴィルの遠縁にあたる青年貴族であり、裁判所の同僚でもあったギュスターヴ・ド・ボーモ

ンとともにニューヨークに向かう客船ル・アーヴル号に乗船したのは一八三一年四月二日。トク

ヴィル二五歳、ボーモン二八歳のとき。裁判所の仕事を休職し、アメリカの刑務所制度につい

て、費用は自己負担で視察を行なうという口実であった。この職業が自分に合っているとは思

えなかったトクヴィルにとって、本当に肝心であったのは、現在の職場を離れること、かねて

から関心を持っていたアメリカに実際に行ってみることであった。それはフランスのおける共

和政の実現可能性を念頭に置きつつ、現実に存在する共和国としてのアメリカの実情を観察す

ることにあった。

そんなトクヴィルの予言は、米ソ冷戦が激しかった時期に、さかんに取り上げられ、第二次世

界大戦後の一九五〇年代には「全体主義の預言者」として注目されてもいる。

本書はそのトクヴィルの「予言」の続きが書かれている。

その続きを書いたのはノルウェー生まれのオッド・アルネ・ウェスタッドである。

オスロ大学卒業後、ロンドン大学とハーヴァード大学教授を経て、二〇一九年からイエール大

学で教授を務めているヒストリアンである。もともと一九四〇年代から一九五〇年代の中国を

対象に研究活動を開始していたが、二〇〇〇年代以降は広く冷戦研究に携わり、特に第三世界

と冷戦の関係に焦点を当てた『グローバル冷戦史』(二〇〇五)を著している。

同書は外交史研究に与えられるバンクロフト賞を受賞し、これによって冷戦史研究の第一人者

としての地位を確立した。

オッド・アルネ・ウェスタッド(1960-)と『The Cold War: A World History』(2017)


本書の特筆すべき点は主に二つある。一つは、米ソ関係やそれを中心とする両陣営の大国間の

関係だけではなく、冷戦という現象をグローバルに捉えたところにある。副題は「ワールド・

ヒストリー」。もう一つは、冷戦は一九四五年から一九八九年にかけて頂点に達した資本主義

と社会主義の間の対立であるが、主役を演じた米ソ両国のイデオロギー面や国際システムを一

九世紀末まで遡って浮き彫りにしたことである。言い換えれば、冷戦を一八九〇年から一九九

〇年の一〇〇年に及ぶ視点の中に位置付けたことである。なので分量も豊富で全部をフォロー

することはできないが、気になった箇所をさらりと記述したい。

その一〇〇年は、一八九〇年代に最初のグローバルな資本主義の危機が発生し、ヨーロッパの

労働運動が急進化し、アメリカとロシアが大陸横断型の帝国として拡張を遂げるとともに始ま

る。一九世紀半ばに登場した社会主義運動は、一八九〇年代のグローバルな経済危機への対応

をめぐって分断され、改良主義的な社会民主主義者と革命的な社会主義者の分裂が生じてい

た。資本主義、植民地主義、そして家父長制に反対する人々が体制側との戦いを繰り広げてい

る一方で、国際的な国家システムの内部でもグローバルな変化が生じつつもあった。

ヨーロッパと東アジアではドイツと日本がそれぞれ地位を強化したが、一九世紀後半までには

ヨーロッパの辺縁に位置する二つの大陸国家、アメリカとロシアが大きく膨張しつつあった。

米露はいずれもヨーロッパ的な価値をグローバルに拡散する営みに従事しており、その膨張に

は理念と使命感が不可欠な役割を果たしていた。ウェスタッドはその要因として宗教が果たし

た役割を重視する。組織宗教の地位はヨーロッパとその他多くの地域では、一九世紀末までに

はすでに衰退しつつあったが、ロシア人とアメリカ人は依然として、宗教は自分たちの生活の

中で中心的な地位を占めると考えていた。アメリカの福音主義プロテスタンティズムとロシア

正教には類似点があった。両者とも他のキリスト教諸宗派で一般に見られている以上に、目的

論と信仰の必然性を強調していた。両者はいずれも原罪という発想に囚われておらず、社会を

完璧なものにすることができると信じていた。なかでも特異だったのは、福音派も正教も彼ら

の宗教は彼らの政治への直接の啓示であると信じていたことだった。神が人間のために人間と

ともに定めた計画を実現する運命にあるのは、唯一、彼らだけであった。

ウェスタッドは冷戦の起源を、一九世紀から二〇世紀への転換期の前後に生じた二つの過程に

あるとしている。その一つは、アメリカとロシアが強烈な国際的な使命感をみなぎらせた二つ

の帝国に変容していったこと。もう一つは、資本主義とそれを批判する者との間に存在するイ

デオロギー的な分断が先鋭化していったこと。これらの過程は、アメリカの第一次世界大戦へ

の参戦、そして一九一七年のロシア革命と資本主義に代わる選択肢としてのソヴィエト国家の

創設とともに生じたものであった。世界大戦と経済不況の結果、ソ連型の選択肢は世界中で多

くの支持を集めたが、同時にその敵対者と競争相手もそれに注目するようになった。

第一次世界大戦はやがて冷戦の超大国となる二国が辿るべき運命を後押しした。

この大戦によってアメリカはグローバルな規模で資本主義を体現する存在と化し、ロシアは資

本主義世界に絶えず挑戦し続けるソ連へと変貌した。二〇世紀後半の完全な二極システムの出

現までには紆余曲折があったにせよ、第一次世界大戦の結果は国際システムとしての冷戦の予

兆となった。とは言え、イタリアのファシストとドイツのナチスもまた、同じ大戦の混沌の中

から生じたものだった。しかし世界最大の帝国ロシアでの共産主義権力の誕生こそがソ連とい

う国家を生み出し、世界の他の地域に衝撃に与えることによって、冷戦という二〇世紀で最も

長い対立の進路を定めた、とウェスタッドは捉えている。その通り。

この第一次世界大戦の世代こそが冷戦を形作ることになった。これはアメリカ製作のドキュメ

ンタリーでも描かれていた。第一次世界大戦はヨーロッパを荒廃させ、急進的な反資本主義運

動による一連の挑戦をもたらした。この反資本主義運動は世界を集団主義的な方向に変化させ

ようとするものだった。植民地では抵抗運動も生まれつつあった。アメリカは世界の最強国と

なっていたが、経済的な部分を除けば、自らのグローバルな役割について確信を抱いていなか

った。共産主義対資本主義というイデオロギー的な冷戦は激化していたが、しかしそれはま

だ、互いに対立する国々からなる二極的な国際システムを生み出してはいなかった。

そして第二次世界大戦は六年間におよび、半世紀にわたる冷戦の枠組みを定めた。

ドイツ、イタリア、日本の敗北により、ソ連が率いる共産主義勢力とアメリカが率いる反共産

主義勢力の間の対立が世界政治の新たな中心的焦点となった。まずフランス、ついでイギリス

の順で二つの主要なヨーロッパ植民地帝国の地位と影響力は劇的に低下し、アメリカは圧倒的

な世界最強の国となった。第二次世界大戦の結果、アメリカのグローバルな覇権は確実とな

り、それに対立する主なチャレンジャーとして唯一残されたのは、ソ連とソ連に刺激を受けた

各地の共産主義政党だけだった。

ここまでは冷戦の起源から出発点までをまとめた序の口であるが、資本主義と共産主義の間、

アメリカとソ連の間の冷戦は、ヨーロッパを襲った災厄にふさわしいものであった。

第二次世界大戦の軍事的な結果により、アメリカとソ連がヨーロッパ大陸を管轄することにな

っただけではなく、国土が荒廃し、物質的・精神的に飢えていたヨーロッパ人はワシントンあ

るいはモスクワに答えを求めることになった。ヨーロッパ近代史のなかでも特異な現象であ

り、大陸のほとんどは、当面、自らの支配がおよばないところで事態が進展するのを無抵抗で

待つという状態に陥っていた。アメリカの外交官だったジョージ・ケナンはこの頃を回想して

次のように述べている。「アメリカが十九世紀の孤立主義に後退することができないことは明

白であった。しかし制度的にも、あるいは気質のうえでも、アメリカは尊大な帝国となるため

にはふさわしくないし、特に西ヨーロッパの偉大な諸国民をある種の父権的な保護のもとに無

期限におく帝国となるには適していないことも明らかであった」。それはソ連も同様のことで

あろう。

本書は冷戦の「ワールド・ヒストリー」であり「ビッグ・ヒストリー」である。

冒頭の章ではその起源とヨーロッパへの影響を書き出し、その次に東アジアや東南アジア、中

東やアフリカ、ラテンアメリカまで対象範囲を広げていく。

冷戦の対立をグローバルな規模で軍事化した朝鮮戦争。奇妙な対称性があり、その大部分はイ

デオロギー的な冷戦と結びつき、破壊と再建、熱狂と冷笑、そしてほとんど果てしなく流れ続

ける血に染まった中国。冷戦と脱植民地化の出会いから生まれ、二極システムに順応するつも

りもなかった第三世界の国々。キッシンジャーがグローバルな冷戦のなかの不確定要素(ワイル

ドカード)と呼んだインド。一九七〇年代の後半までに、その多くが軍事独裁者によって支配さ

れたラテンアメリカ。冷戦も植民地主義とそれに対抗する勢力の間の長期的な闘争の一部とし

て理解されなくてはならないとした中東。そしてそれらの間に米ソが鎬を削った出来事が言及

されている。国際的な国家システムとしての冷戦は、モスクワでミハイル・ゴルバチョフがソ

連を消滅させる文書に署名した、一二月の寒くどんよりと曇った日に終焉した。ベルリンの壁

崩壊やマルタでの会談ではない。本書が示している冷戦が終焉した主な理由は、世界全体が変

化していったことである。一九七〇年以降、グローバルな経済の変容が生じていき、それは第

一にアメリカに特権的な地位をもたらしたが、やがては中国や他のアジア諸国にも、ますます

有利な状況をもたらしていった。日本のことは経済復興や冷戦によってもたらされた政治構造

にも言及されている。「日本語版への序文」では「グローバルな現象としての冷戦は日本とっ

て決定的に重要であり、冷戦にとって日本は決定的に重要だった」と書いている。

ぼくはすき好んで冷戦のドキュメンタリー番組を何本も観ているのだが、本書を読んで目新し

く感じたところはほとんど無かった。大体の冷戦の本筋はCNNで放送した『Cold War』と変

わりはない。しかし先程も述べたように、本書の特筆すべき点は、冷戦という現象をグローバ

ルに捉えたところにあり、イデオロギー面や国際システムを一九世紀末まで遡って浮き彫りに

したことである。ただ、筆致も巧みで小説のように読めるし、まとめ方も素晴らしいのだが、

それが災してか頭に入りづらくなっている。個人的には冷戦の起源について語られている箇所

が最も参考になった。他にも書きたいことがあったが、最近、記事が長文になっているので今

日は短めに概要を述べるにとどめた。本書を読んでトクヴィルの偉大さを改めて思い知った。

本書では言及されていないが、「冷戦」という言葉はジャーナリストのハーバート・スウォー

プがオーウェルの小説から借用し、それを政治評論家のウォルター・リップマンが広めたもの

である。その冷戦の流れを掴みたいのであれば本書は最適である。そこから細部の出来事を扱

った著作に進むのがベストな選択だろうと思う。

歴史学者の視野には入っていないだろうが、神経科学者のアントニオ・ダマシオは、「共産主

義は、不正義の否定という理論的にはホメオスタシスに資するはずのプロセスが、意図せずし

てさらなる不正義を生み、ホメオスタシスの衰退を導いた逆説的な例をなしている」と述べて

いる。ガンマンとガンマンが相対したような殺伐とした冷戦は嫌いだ。大嫌いだ。

created by Rinker
O.A.ウェスタッド(著),益田実、山本健、小川浩之 岩波書店 2020-7-4
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O.A.ウェスタッド(著),益田実、山本健、小川浩之 岩波書店 2020-7-4