平成が終わる前に松岡正剛を読む



初めて松岡正剛を読んだ時は天を仰いだ。もっと早く読んでおけばよかったと。

たまにある読書体験のひとつ。

松岡正剛氏の著書に出会ったのは、アカデミックでタコ壺化した日本文化論や、

( 以前にも書きましたが)五感に入ってくるステレオタイプで、

表面だけなぞった薄っぺらい日本文化論にうんざりしていて、

戦後日本人は自国の文化を置き忘れているのではないのか? と日々感じ、

憂えていた時期だった。

そんな中、松岡正剛氏の著書に出会い、

縦横無尽で鳥瞰的な視点の方法の日本文化論に読み浸った。


本書は、二〇〇三年から全八回の連塾の講義を文字に起こし、

三冊にまとめられた構成となっている。


       連塾方法日本

Ⅰ 神仏たちの秘密  日本の面影の源流を解く 

  第一講 日本という方法

  第二講 神話の結び目

  第三講 仏教にひそむ謎


Ⅱ 侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力

  第四講 「 文 」は記憶する 目の言葉・耳の文字・舞の時空・音の記譜

  第五講 日本美術の秘密 白紙も模様うちなれば心にてふさぐべし

  第六講 「 負 」をめぐる文化 正号負号は極と極。いずれ劣らぬ肯定だ


Ⅲ フラジャイルな闘い 日本の行方

  第七講 面影と喪失 誰そ我にピストルにても撃てよかし 伊藤のごとく死にて見せなむ 

  第八講 編集的日本像 雪が舞う鳥が舞うひとつはぐれて夢が舞う( または一宿一飯の義理 )


特に、この連塾方法日本の三冊は読みやすくおすすめ。


縄文と弥生、唐様と和様、王法と仏法、真名と仮名、和歌と漢詩、あわれとあっぱれ、

現( うつつ ) と夢、てりとむくり、神と仏、アマテラスとスサノオ、聞得大君と斎王、

hereとthere、穢れと浄め、御祓いと支払い、触発と創発、京都五山と鎌倉五山、

禅の文化と法華の文化、黄金と侘び、雅びと鄙び、青磁と黄瀬戸、白磁と志野、

天皇と将軍、顕教と密教、北朝と南朝、東国と西国、和事と荒事、義理と人情、

類と個、空と無、柔道型と相撲型、漢ごころと古ごころ、本来と将来、

知行合一と格物致知、和魂と洋才、外発と内発、恐外病と侮外病、JAPAN と JESUS、

二項対立と二項同体、柳田国男と折口信夫、にほんとにっぽん。


すべては「絶対矛盾自己同一」の「一途」で「多様」な無常迅速 “JAPANS” を、

松岡正剛流の編集的世界観で語られています。

JAPAN ではなくJAPANS 。


松岡氏は、主語や主題は二十世紀までに出尽くした。けれども、何ひとつ実現していない。

方法が取り沙汰されないでいるから。

今日の日本に欠けているのは、「 負 」をかかえるという方法。

壊れやすい、傷つきやすい、負けそうな経験、フラジャイル ( 壊れもの注意 )が

大切だと言っている。

そして日本は、

「アワセ・ソロイ・キソイ」を重視してきた。これが日本の方法の秘密なんです。

とも言及していて、この方法が古くて新しい視点なので、引き込まれたのだと思う。

それと「 負 」の捉え方。


“何か”に対して失望を感じている人、世界に日本の”何か”をあらわす必要がある人、

これからあらわしたい人は、強く松岡正剛を読まれることをおすすめします。

きっとその大切な”何か”が新たに浮かんでくるはず。

擬(もどき)だということだ。