『情報と戦争』ジョン・キーガン



『戦略の歴史』(中公文庫)や『チャーチル』(岩波書店)や『戦場の素顔』などが日本でも翻訳さ

れている、イギリスの軍事史家ジョン・キーガン。本書のテーマは、

「情報というものはいかに良質であっても、戦争においては勝利への道筋を正確

に指し示すものではない。

勝利は得がたい戦利品であり、頭脳よりも血をもって得られるものである。

インテリジェンスは戦の家臣であって、その君主ではない」

「いつ、どこで、何を、どのように、という重要な問いに答えることでこちらが

有利になり、敵には不利になると、どうして断言できるのか」

としている。原題は「戦争におけるインテリジェンス」。

ジョン・キーガン (1934年5月15日~2012年8月2日)

古代や現代の戦例などにも言及しているが、基本的には、ナポレオン追跡戦(ナイ

ル戦役)、南北戦争のシェナンドア渓谷戦役、第一次世界大戦のフォークランド諸

島沖海戦、第二次世界大戦のクレタ戦、ミッドウェー海戦、Uボート戦、V兵器に

対する作戦、の七つの軍事インテリジェンスを検討している。

ナイル戦役、フォークランド諸島沖海戦、ミッドウェー海戦、Uボート戦では、

インテリジェンスをいかに利用すればインテリジェンス勝者に有利な条件で敵を

戦いに持ち込めるかを、シェナンドア渓谷戦役では、インテリジェンス勝者に不

利な条件にならないように戦えるかを、クレタ戦、V兵器に対する作戦では、イン

テリジェンス活動が奏功しながら不利な結果がどうして避けえなかったのか、

について示している。冒頭で触れている通り、キーガンの答えは、

インテリジェンスがいかに優れていようとも、勝利の手段には必ずしもならない

ということであり、最後に物を言うのは欺瞞や先見ではなく、武力だというこ

と。

「有名な決戦のどれ一つにおいても、思考が勝利の獲得に多大な役割を演じたこ

とはなかった。

勝利をもたらしたものは勇気であり、顧みられることのない自己犠牲だったので

ある」(本書)

スパイ小説や映画などによって、情報活動に対する大衆の態度にも深い影響を及

ぼしたが、実際のインテリジェンス実務の多くは面白みのない、お役所的なもの

であり、退屈極まるもの。

そのインテリジェンス業務には、五つの基本段階があるが、要約すると以下のよ

うになる。

一、獲得

情報は見つけなければならないもので、公表された形であっさり入手できる場合

もあるが、見逃しがちな形態の場合もある。

一番ありきたりの手段はあらゆる形態のスパイ行為であり、今では専門的に「ヒ

ューマン・インテリジェンス」あるいは「ヒューミント」として知られる。

暗号解読をたいてい要する通信傍受によるものは「信号(シグナル)インテリジェ

ンス」あるいは「シギント」と呼ばれる。

航空機や衛星による画像偵察や知覚偵察を通じた視覚監視や撮像による手段もあ

る。

スターリン下のソ連では、電話帳や市街地図といった目印印刷物の配布を規制す

ることによって、生情報の獲得がなるべく困難になるようにした。

二、送付

収集された情報は潜在利用者に送る必要があり、送付は最も困難な段階である場

合が多く、人的情報の伝達については特にそう。

情報は迅速に可能なら「リアルタイム」に送られてこそ行動基盤になりうるので

あり、そうでなければ価値を失ってしまう。

三、受理

情報は信じてもらう必要があり、情報機関に志願するエージェントは自らの信頼

性を確立しなければならない。

彼らは囮である可能性もあり、配下の諜報員が転向していたり、敵の防諜機関の

管理下にあったりする場合もある。

正直に提供したものが間違っていたり、半分しか真実が含まれていなかったりす

ることすらある。

四、解釈

ほとんどの情報は断片の形でやってくる。

一枚の完全なカンヴァスにするには、断片をつなぎ合わせて完全無欠な布にしな

ければならない。

五、履行

インテリジェンス・オフィサーは従属的な地位で働いている。

彼らは生情報の信憑性を確信しなければならないが、それと同じように、彼らが

作った提出物の信憑性を意志決定者や政策責任者、指揮官に納得させる必要があ

る。

ヒューマン・インテリジェンスは別の制約に悩まされることがある、とキーガンは

指摘する。

第一に、効果的な速度で本拠と連絡することが難しいこと。

第二に、迷った生情報の重要性を本拠に納得させることができない。

ヒューマン・インテリジェンスの世界はあまりに作り話に覆われているので、その

有効性を明確に証明することは困難であるとも指摘している。

正確無比の情報などないし、情報の価値は事態の展開によっても変わる。

迅速かつ安全に連絡する能力は、リアルタイム・インテリジェンスを実践するため

の核心。

本書でのキーガンの結論は、インテリジェンスはたいていの場合に必要であろう

が、勝利への十分条件ではないということ。

そして、戦争におけるインテリジェンスの重要性が最近になって過大評価されて

いるが、その理由は二つあるとキーガンはいう。

一つは、よくあるように諜報(エスピオナージ)と防諜(カウンター・エスピオナー

ジ)が純然たる作戦インテリジェンスと混同されていること。

もう一つは、非公然手段によって軍事的優位を得ようとして行われる転覆工作と

作戦インテリジェンスとが混同・混交されていること。

作戦インテリジェンスと諜報では、機能する時間枠が違うともキーガンは指摘す

る。

諜報は必ずしも国家的活動ではないが、たいていはそうであり、太古からある連

続的な作業であり、それと対になる防諜も同様。

諜報の手段は、誰もが知っているように、スパイの採用、信用ある地位にいる外

国人の買収、コードとサイファーの使用、暗号解読・傍受機関の維持管理。

作戦インテリジェンスは、戦時の活動に特化したものであり、テンポも速く、比

較的に短い敵対期間に限定されるもの。

「有能なスパイは自分を守るために嘘をつき、自分の仕事を進めるために人目に

曝されることを避けるため、その行動は英雄的と考えられていることとは正反対

である。

英雄とは、敵の一撃を胸で受け止める戦士である。スパイは争いごとを避け、人

目を引くことなく仕事の完遂を考える」(本書)

戦後の軍事史においては、作戦インテリジェンスに影響を受けた結果例は、ほとんど存在しな

いという。

核時代の世界における情報機関はかつてなく多忙であり、かつてないほどの予算が消費されて

いる。

しかし、労力と国費の圧倒的大部分が投じられているのは早期警戒と通信傍受。

これらは継続的な作業であり、特定の環境あるいは短期的な環境における成果達成を意図する

ものではなく、安全の維持を目的とするもの。

早期警戒の複雑なインフラである、レーダー局、水中センサー、宇宙衛星システム、無線傍

受、は建設、維持、運用に莫大な費用がかかり、機動的補助手段、特に空中監視部隊も同様。

収集された情報素材は専門家によってシギント(信号インテリジェンス)として分類され

(シギントはコミント=通信インテリジェンスとエリント=電子インテリジェンスとも重複す

る)、加工と解析に数千人もの分析官とコンピューター技術者を必要とする。

彼らが何を行い、何を成し遂げたかについては、公になることはめったにない、と指摘する。

情報戦も敵に対する攻撃としては消極的な形態であり、知は力なりと一般的には言われてい

る。

しかし、物質的な力が伴わなければ、知識だけでは敵の先制攻撃を破ることも、かわすこと

も、阻止することもできないし、拒むこともできない、ともキーガンは主張する。さらには、

「インテリジェンスの本質的核心は(中略)戦争においては二次的な要素であると

いうことだ」

「暗号解読、悲痛な努力、英雄的な業績、これら全てがあってもポーランド軍の

助けにはまったくならなかった。インテリジェンスは力を通じてのみ役立ちうる

のである」

という、デヴィッド・カーンの言葉が最も重要であり、あらゆる時代の中でも、

現代の情報革命とスーパーハイウェーの時代の軍人と政治家が特に銘記すべきも

のであるとしている。

カーンは、ポーランドがエニグマを破ったのにも関わらず、電撃戦でドイツに敗

北したことを顧みて上の言葉を残している。

「敵ができること、意図していることについての知識があったところで、抵抗す

る力と意志、さらに願わくは敵の機先を制する力と意志がなければ、安全を確保

するには不十分だ」(本書)


日本ではインテリジェンスが万能のように語られることが多いが、決してそういうわけではな

く、ポジティブに機能することもあれば、ネガティブに機能することもあり、過大評価するも

のでもなく、過小評価するものでもない、ということをキーガンは本書で示してくれている。

ちなみに、intelligenceとは、informationを分析・評価した結果として産出された、より高次

の知識であり、それ以外に情報活動と情報機関の意味も含まれることもある。