『梵雲庵雑話』 淡島寒月



人の文は苦みて以て成る。寒月居士の文は楽しみて以て成る。

人の画は希ふところありて生ず。居士の画は求むるところなくして生ず。…

梵雲庵柱聯維摩経の語を書す。居士の塵寰における殆ど維摩の仏界におけるが如し。

幸田露伴が維摩のようだと評価している人物が、「雲烟去来」を掲げていた淡島寒月。

玩具に囲まれている淡島寒月

安政六年(一八五九)の日本橋生まれで、大正十五年(一九二六)に歿す。本名、淡島宝受郎。

父は椿岳といい、画をやっていてので、高橋由一や五姓芳柳などがよく家に遊びに

来ていたらしい。椿岳も変わり者だ。

祖父は服部喜兵衛といい、『淡島屋』という「かるやき屋」(菓子屋)を創業している。

たまたま見つけたのだが、『とらや』のサイトの「歴史上の人物と和菓子」というページでも

紹介されている。

寒月は明治・大正を通じて趣味人として生き、江戸(幕末)から東京(明治)への移り変わりを

本書で懐古している。江戸の面影を彷徨っている。

そんな寒月の有名なエピソードは、

明治の文豪、幸田露伴と尾崎紅葉に西鶴を紹介したことだろう。

山内神斧が

「翁の歴史の上で最も大きな事は、明治文壇に井原西鶴を紹介されたことであって、

翁なかりせば、西鶴が今日の時代に、今のように知られていなかったかも知れないのである」

と述べてもいる。

明治十三、四年の頃、西鶴の古本を得てから、私は湯島に転居し、『都の花』が出ていた頃

紅葉君、露伴君に私は古本を見せた。

『梵雲庵雑話』(明治十年前後) 淡島寒月

そうして西鶴を研究し出した諸君によって、西鶴調なるものが復活したのである。

これは、山田美妙斎などによって提唱された言文一致体の文章に対する反抗となったもの

であって、特に露伴君の文章なぞは、大いに世を動かしたものであった。

『梵雲庵雑話』(明治十年前後) 淡島寒月

露伴とは聖堂の図書館で出会い、紅葉とは石橋思案に紹介されて出会う。

私は福沢先生によって新しい文明を知り、京伝から骨董のテエストを得、

西鶴によって人間を知ることが出来た。

いま一つは一休禅師の『一休骸骨』『一休草紙』などによって、

宗教を知り始めたことである。

そして無宗教を知り―無というよりも空、即ち昨日は無、明日は空、

ただ現世に生き、趣味に生きる者である―

故にバラモン教からも、マホメット教からも、

何からも同一の感じをもつことが出来るようになった。

私は江戸の追憶者として見られているが、

私は江戸の改革を経て来た時代に生きて来た者である。

新しくなって行きつつあった日本文明の中で生きて来た者であって、

西洋の文明に対して、打ち克ち難い憧憬をもっていた者である。

私は実に、漢文よりはさきに横文字を習った。

実はごく若い頃は、あちらの文明に憧れたあまり、

アメリカへ帰化したいと願っていたことがある。

アメリカへ行くと、日本のことを皆から聞かれるだろうと思ったものだ。

そこで、実は日本のことを研究し出したのである。

私の日本文学の研究の動機の一つは、まったくそこにあったのである。

『梵雲庵雑話』(明治十年前後) 淡島寒月

少年の頃は、異人に憧れ、断髪して髪を赤く染め、眼の色を碧くし、

家では、柱を削ってペイントを塗り、カーテンを下げ、ベットに寝て、

バターやコーヒーを口にして、漢文ではなく英語を習っていた。かなりのハイカラだった。

内田魯庵も

「晩年こそ元禄趣味になったが、昔は、ハイカラな人で、始終洋服を着ていた。

家の中も西洋趣味で畳の上に、椅子やテーブルを並べたり、柱の四角いのを丸く削ったり、

身体でも頭髪を赤く染めて見たり、眼の中に青い物を入れたりしていた」

と述べている。

江戸の人は田舎者を馬鹿に為切っていた。

江戸ッ子でないものは人ではないような扱いをしていたのは、

一方からいうと、江戸が東京となって、地方人に蹂躙せられた、

本来江戸児とは比較にもならない頓馬な地方人などに、

江戸を奪われたという敵愾心が、江戸ッ子の考えに瞑々の中にあったので、

地方人を敵視するような気風もあったようだ。

『梵雲庵雑話』(江戸か東京か) 淡島寒月

向島も全く昔の俤が失われて、西洋人が賛美し憧憬する広重の錦絵に見る、

隅田の美しい流れも、現実には煤煙に汚れたり、自動車の煽る黄塵に塗れ、

殊に震災の蹂躙に全く荒れ果て、隅田の情趣になくてはならない屋形船も乗る人の気分も

変り、型も改まって全く昔を偲ぶよすがもない。

『梵雲庵雑話』(亡び行く江戸趣味) 淡島寒月

散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする、や富国強兵もいいが、

失った物もたくさんある、ということだ。

それを身に沁みて感じていたのが寒月らの世代であった。

江戸人はとにかく其処いらにあるものではいけぬ、

何か変わったものでなければ承知しない。

『梵雲庵雑話』(行楽の江戸) 淡島寒月

維新後の日本が、纔(わず)か四十年の間にまるで昔の面影も残さずに変わってしまった。

『梵雲庵雑話』(明治初年の東京) 淡島寒月

こういう変人が文化を保持し、新しく創造する。

パソコンやスマホをいじっているだけでは無理だね。

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淡島 寒月 岩波書店 1999-08-18
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淡島 寒月 平凡社 1999-08-01