『大政事家 大久保利通 近代日本の設計者』 勝田 政治



西郷隆盛より、木戸孝允より、伊藤博文より、大久保利通が昔から気になっていた。

残されている写真を眺めていると、一筋縄じゃいかなそうな面構えなんだけれども、

その背後に流れている悲哀も感じられるから。

巷の評価は決して高いとは言えない。銅像が建立されたのも戦後になってのこと。

西郷と比べると雲泥の差。


本書のタイトルにもなっている「大政治家」とは、中江兆民が評したもので、

「『大政治家』とは、一定の方向と動かすべからざる順序をもって政治を行い、

 『俊偉』の観があり、有限実行であり、『真面目』な人物である」。

家康とともに、『大政治家』だと評している。

「内治を整へ、国力の充実を図る」国家運営に置いての初期の目的が両者は同じ。

(国家の創業者はあたりまえなのかもしれないが)

家康は『貞観政要』を参考にしていたと思うが、大久保もそのような節がある。


明治維新の『誠意』を貫徹するには三〇年を要する。

明治元年から一〇年は『創業』の第一期であり、

一一年から二〇年までの第二期が最も『肝要』である。

内治を整え『民産』を殖する時期であり、

私が内務省長官として十分に尽くすことを決心している。

とくに、士族授産としての開墾、

水運を中心とする交通網の整備などは『必成』を期す次第である。

その後の二一年から三〇年までの第三期は、

後進が継いで『誠意』を貫徹してくれるであろう。

『大政事家 大久保利通 近代日本の設計者』 勝田 政治


と、本書でも引用されているが、出典は福島県権令、山吉盛典の『済世遺言』。

大久保が山吉に語ったもので、この後すぐに暗殺される。


松本健一の『明治天皇という人』のなかでも、上の大久保の発言が記されており、

こちらの方がわかりやすく要約されている。


大久保によれば、

第一期十年は『創業』、第二期の十年は現在の『緊要』、

第三期の十年は『守成』で後進に継承させて、「大成を待つ」時期である。

『明治天皇という人』 松本健一


『貞観政要』の影響を受けているのは明白だろう。

ちなみに明治天皇も『貞観政要』を学ばれている。(歴代の天皇も)


本書は評伝ではなく、

大久保の描いていた近代日本像に焦点を絞り、明治時代を中心に語られている。

幕末動乱から王政復古、廃藩置県、欧米視察、征韓論政変、大久保政権まで。

大久保の理想としたものは、イギリスの「君民共治」(立憲君主制)。

旧習を脱し中央集権化。どの国にも媚びない国造り。(大まかに言ったら)

欧米視察の時には、イギリスで製作所を廻覧し、ドイツで鉄血宰相ビスマルクの演説を聞き、

フランスでパリ・コミューンを鎮圧したフランス大統領ティエールに興味をもった。

幕末動乱で徳川慶喜や、廃藩置県で島津久光を見限ったのも、

欧米視察で木戸孝允と感情的齟齬を来たしたのも、征韓論で西郷と決別したのも、

すべては、内治を整へ、国力の充実を図り、不平等条約改正のため。

著者は「民力養成」としている。


「非情」であり、「冷酷」であるというイメージは、

近代国家の建設に向けた不退転の決意と行動から生じたものである。

『大政事家 大久保利通 近代日本の設計者』 勝田 政治


そして、中江兆民はこうも評している。


大久保の『屹然』たる態度は激流のなかでも動じない柱のようである。


大久保は暗殺されるまで、明治国家を体現していたリアリストの大政治家だった。

特に、清国に対して、沖縄の帰属をハッキリさせたことも、もっと評価されていい、

と感じる。(ぼくは沖縄生まれ)


2018年のNHK大河ドラマは「西郷どん」。



そこで大久保利通がどう描かれているのか見ものだ。