『日本の近代1-開国・維新 1853~1871』松本健一



アヘン戦争におけるイギリス海軍の力、そうしてペリー来航がみせたアメリカの砲艦の力は、

欧米列強の文明の威力を日本に知らしめた。

このことは、「文明」のヨーロッパと「非文明」の日本(=アジア)という文明観を、

幕末から明治の日本にもたらした。

『日本の近代1 – 開国・維新 1853~1871』松本健一

幕末というのは、ペリー来航(一八五三)から明治維新(一八六八)のわずか一五年間。

藤田覚氏は『幕末から維新へ』のなかで対象を広げ、大きく二つに分けている。

(佐久間象山の記事でも紹介した)

第一段階は、一八世紀末からペリー来航直前までの約五〇年間

第二段階は、ペリー来航から維新までの約一五年間

本書では、ペリー来航(一八五三)から明治維新を経て、米欧回覧使節団(一八七一)までの一八

年間の激動を独特の松本史観で綴られている。

1 ペリー来航 2 開国 3 攘夷と尊王 4 国民国家への道のり 5 戊辰の戦乱

6 維(こ)れ新(あらた)なり

個人的に一番頭に引っ掛かったのは、ペリー来航時に大統領フィルモアの国書と一緒に「白

旗」を日本側に手渡し、「白旗」が降伏のメッセージであることを日本人に教えた、と指摘し

ている点。その証拠として、『ペリー遠征記』には省かれているが、浦賀奉行所側の資料であ

る「役々ノ者異船将官士外士官立会応接之件」や、徳川斉昭が建白した『海防愚存』や、

「白旗」につけられていた添え書き、を引用して説明している。

ちなみに、この「白旗」をめぐる添え書きは、諸大名に回覧せず、極秘として、幕閣のほかは

海防参与の徳川斉昭や、佐久間象山などのごく少数にしか見せなったと。

「それまでの日本人にとって「白旗」は源氏の旗じるし、ひいては東軍のしるしであったが、

ここではじめて「万国公法」(のちの国際法)の戦争ルールにおける降伏のメッセージであるこ

とを、アメリカ側から教えられたからである」(本書)

この「白旗」については、桐原建真氏が『吉田松陰の思想と行動』の中で、

「もとよりこの白旗書簡と呼ばれる文書はアメリカ側の記録にもなく、早くからその真偽が問

われており(中略)その後、綿密な史料批判に基づき、白旗授受の事実性を指摘しつつ、白旗書

簡の偽書性を認めた岩下哲典氏による多数の論考によって、ほぼ通説が形作られたと言って良

いだろう」

と指摘されている。

しかし、その五年後に佐久間象山の『ハリスとの折衝案に関する幕府宛上書稿』でも

「其節使節より白旗等贈り候無礼の事候いしかど・・・」と「白旗」について言及している。

松本氏が引用されている一次資料を確認したわけでもないし、桐原氏が指摘している岩下哲典

氏の論考も確認したわけでもないが、真相は藪の中。

ちなみに、ぼくはまだ未読だが、松本氏には『白旗伝説』という著作も残している。

本書ではその後、「ヨーロッパ人につくれるものが、同じ人間の薩摩人につくれないはずがな

い」として、西洋の「術」をすべて薩摩でつくろうとした島津斉彬の西洋への対抗意識や「日

の丸」への道、会沢正志斎の『新論』と吉田松陰の「国体論」、初代米国総領事タウンゼント・

ハリスを通して国際法(万国公法)を幕府が認識した背景、「安政の大獄」で散った早熟の天才

橋本佐内、咸臨丸でアメリカへと出発した勝海舟と福沢諭吉、その福沢の目に映ったアメリ

カ、会薩同盟の秋月悌次郎、高杉晋作の奇兵隊と太平天国争乱下の上海、横井小楠の『国是三

論』と坂本龍馬の「船中八策」と三岡八郎(由利公正)の「五箇条の御誓文」との関係、

「維新」という言葉と横井小楠、国際法による戊辰戦争、日本国内での国際法の浸透、

「玉を奪われ候ては、実に致し方なき事」といっていた大久保利通、「西洋を文明ではなく、

野蛮だ」といっていた西郷隆盛、「廃藩置県」のクーデター、欧米視察(岩倉使節団)での

ビスマルクの教示、などに触れながら開国・維新を描いている。

お堅い学術書というような体裁ではなく、「思想の系譜」や志士たちが残した和歌や漢詩など

にも触れているので、心に響くし「歴史物語」として楽しく読める。

この「夷の術を以て夷を制する」という近代日本の戦略は、

アジアの国々が第二次世界大戦後の独立後に積極的にとりいれるところとなった。

そのことによって、アヘン戦争から百年あまりの後、二十世紀の末期に至って

「アジアの繁栄」とよばれるような一時期が出現するようになったのである。

これは、本来的に〈内に蓄積する力〉をもった東アジアの国々が、

欧米そして欧米を理念型とした近代日本の「術」を手に入れることによって、

〈外に進出する力〉の西洋にやっと対抗する地点に立ちえた、ということにほかならない。

アヘン戦争でイギリスに割譲された香港が一五五年後の一九九七年に中国に返還された歴史

的な事件は、そういった東アジアの近代史が一サイクルを終えたことの象徴といえよう。

『日本の近代1 – 開国・維新 1853~1871』松本健一