「各派の僧侶には、高位高職に相当する位階を与え、また寺には御朱印地を付けて、
いっさい彼らの自治に任せたのだ。
治めざるをもつて、治めるのが、幕府の宗教に対する政略であった」(勝海舟)
の江戸時代から、一八六八年(明治元)に神仏分離令が出され、神社から仏教色が一掃され、
廃仏毀釈の運動が起こり、仏教は大きな打撃を受ける。
「仏教」という言葉自体も近代に用いられたものであり、古くは「仏法」「仏道」などと呼ば
れていた。
勝は「政治家が、とかく宗教に手を出すのは、とんでもない大事を惹き起こす源だ」とも語っ
ており、そこから近代仏教をスタートさせてしまった。
本書では、その近代仏教の形成過程を鳥瞰的視点から高速に綴られている。
著者は、もともと日本の古代中世仏教の研究を主としていたが、研究を進めるうちに、
次第に近代仏教に関心を持つようになったみたいだ。(『仏典をよむ』は読んだことがある)
序章では、近代日本の天皇制の家父長体制の確立に仏教が重要な役割を果たしたのではないか
という仮説を提示し、それに対して、狭義の「近代仏教」の思想は、知識人の営為として限定
的な枠の中で展開したことを明らかに。
Ⅰ章では、浄土系の思想を取り上げ、その代表格である清沢満之の思想を近年の研究状況から
見直すとともに、その弟子である曽我量深の初期の思想を持つ可能性を検討。
また、近代日本の親鸞理解に大きな影響を与えた倉田百三を取り上げ、その親鸞理解の特性と
ともに、後年の倉田のファシズムへの傾倒が単なる偶然ではなく、必然性を持つことを示す。
Ⅱ章では、日蓮系の思想として、もっとも影響力の強かった田中智学の場合を取り上げ、
一見国家主義的と見られるその国体論が、じつは仏教と国家の間の矛盾に揺れていたことを明
らかに。
また、戦後の創価学会の価値観を思想的に明確にしようとした松戸行雄の凡夫本仏論について
検討し、世俗化の進む現在社会の中での仏教思想のあり方を。
Ⅲ章では、近代の禅思想を代表する鈴木大拙を取り上げ、大拙は、その評価が全面賛美か全面
批判かの両極に分かれるが、一方に偏らずに、批判すべきところを批判しながら、適切に評価
していくことが必要である。
その点に関して検討を加え、とりわけ「日本的」ということが「中国的」とどのように対比さ
れるかを問題に。
Ⅳ章は、近代アカデミズムの中で仏教学がどのように展開したかを概説的に論述をするととも
に、今日常識的のように使われている仏教辞典がじつは近代の模索の中で生まれたものである
ことを明らかに。
また、戦後仏教史学のもとに築いた歴史学者家永三郎を取り上げ、その功罪を検討。
Ⅴ章は、日本の仏教でしばしば問題にされる「大乗」の概念について、じつはそれが戦争を含
めて時代状況と深く関係していることを、宮本正尊という一学者の説の展開を中心に追う。
それとともに、今日海外の学界で新たな方法をもって論じられるようになっている大乗仏教の
実践について、それらの研究動向を踏まえながら、検討を加えている。
各宗の近代的思想が形成されたのは十九世紀末から二十世紀にかけてで、
日清戦争(一八九四~九五)から日露戦争(一九〇四~〇五)の間の十年間としている。
浄土系では真宗大谷派の清沢満之(一八六三~一九〇三)の精神主義が大きな波紋を呼び、
禅では鈴木大拙(一八七〇~一九六六)が「新宗教論」(一八九六)を出版して渡米し、
日蓮系では田中智学(一八六一~一九三九)が「宗門之維新」(一九〇一)を出版して日蓮主義を
鼓吹した。
それはどういうことかというと、鎌倉時代の祖師たちの、法然、親鸞、道元、日蓮などが再発
見され、主流となり定着する。これがいわゆる、鎌倉新仏教中心主義というもの。
「欧米における近代仏教の特徴の一つは、『釈尊に還れ』をスローガンとして、パーリ仏典に
よる原始仏教の再発見がなされたところにある」(本書)
として、日本にも輸入されたが、日本では釈尊中心主義、原始仏教中心主義が広がらなかっ
た。日本では、もともと大乗仏教に拠ってきているので、欧米の原始仏教中心主義は危機とし
て捉えられた。
それは、大乗非仏説の問題が浮上することにもなり、今日まで至っているとしている。
その反動としても捉えられるのかもしれないが、日本では上述のように、宗祖に還れというこ
とになるが、空海や最澄は、密教的呪術に頼ったり、国家と癒着しているということで、
評価が落ちることにもなった。
著者は「新仏教」と「旧仏教」の違いを、わかりやすく次のように示している。
「新仏教」 一向専修 密教否定 神祀不拝 民衆的 反権力的 近代的 合理的 進歩
「旧仏教」 兼学兼修 密教的 神仏習合 貴族的 権力癒着 前近代的 非合理的 反動
新仏教は鎌倉新仏教の祖師たちに限られ、それ以外の仏教はほとんどが旧仏教の中に含められ
てしまう。それは近代的な価値観を反映しているものであり、西欧の宗教改革に相当するもの
と見る見方の確立でもある。
原勝郎の論文「東西の宗教改革」(『芸文』〈一九一一〉後に『日本中世史の研究』〈一九二
九〉)が大きな影響を与えているとされている。
『戦国と宗教』(岩波新書)のなかで神田千里氏が、次のように書いていたのを思い出した。
「中世史家の大隅和雄氏によれば、こうした鎌倉新仏教という捉え方は明治時代になって、
当時日本に流入したキリスト教に帰依したプロテスタントらにより創られたものである。
日本のプロテスタントらは、自国にその信仰の源流を求め、例えば内村鑑三は日蓮をルターに
対比し、植村正久も法然をルターになぞらえて描くなど、ヨーロッパのプロテスタントの枠組
みを用いて、法然・親鸞・日蓮らが理解されるようになった。
そしてこの考え方が原勝郎の著名な論文「東西の宗教改革」により、学問的に定着したのであ
る」(『戦国と宗教』)
「その中でも親鸞の、信心こそ救済の唯一絶対の手段という教義は、ルターの信仰義認識と重
ねやすいため、親鸞は鎌倉新仏教の代表的な存在とされてきた」(『戦国と宗教』)
それは『中世幻妖』のなかで田中貴子氏が指摘していることでもある。
「今現在、私を含めてすべての人が「見て」いる中世は、近代知識人が中世に何を「見よう」
としたか、という問いなしに語ることはできないのである」(『中世幻妖』)
田中氏は「中世」の見方(西行、実朝、世阿弥を前面に押し出す見方)に対して指摘しているの
だが、本書で末木氏は「鎌倉新仏教中心史観」に対してだが、田中氏と同じような疑問を投げ
かけているともいえるだろう。
「鎌倉新仏教を日本仏教の最高峰と位置づける鎌倉新仏教中心史観は近代になって形成された
もので、近代的な価値観を反映している」(本書)
「鎌倉新仏教が重視されたのも、近代的な側面から評価されたのであり、
中世独自の発想という点には必ずしも十分な配慮が払われなかった」(本書)
「伝統と近代・現代は常に相互に緊張関係に立ちながら、相互に規定しあっているのである」(本書)
大乗という日本独自の見方に対しても問題を提起し、次のように書かれていることも印象的。
「大乗は釈迦仏が直接説いたものではないが、仏の深い悟りの世界を明らかにしたものと解す
ることで、大乗が仏教たる意義を見出すのである。
即ち、大乗非仏説論がただちに人間仏陀と原始経典の優越に結びつかず、逆に「開発的仏教」
であるところに大乗の優越を見出すことになる。
即ち、大乗非仏説論は大乗否定ではなく、逆に大乗仏教の護教論として展開するのである。
この点で、日本の仏教学は他と異なる独特の展開を示すことになる」(本書)
戦後の仏教研究は、教理史中心の研究から教団史、社会史へと大きく重点を移し、
長い間近代仏教はまともな研究領域として認められてこなかった、ともしている。
その意味に於いても、本書は近代仏教の思索を深めるための嚆矢となる。
本書が狭い意味での専門家だけでなく、日本の近代に関心を持つ多くの読者にとって、
議論のひとつの緒となることを願っている、という著者の言葉を胸に刻み、
そっと本を綴じた。