『沖縄問題―リアリズムの視点から』高良倉吉編著



本書は「クールな視点」で沖縄を語りたいとして、

仲井眞弘多(なかいま・ひろかず)氏が沖縄県知事を務めていた時期(ニ〇〇六~一四年の八年

間)、特に第二期目(ニ〇一〇年十二月~一四年十二月)に副知事や知事公室長、総務部長、土木

建築部長の職務を担当した方たちが執筆したもの。

本書の構成案を作成したのは、仲井眞弘多県政の副知事を務め、琉球大学名誉教授でもある高

良倉吉(たから・くらよし)氏。

高良氏は著作に『琉球の時代』(ちくま学芸文庫)、『琉球王国』(岩波新書)などがある。

高良倉吉 琉球大学名誉教授

まず本書冒頭で、読者に対して共有しておきたいこととして、次のように宣言されている。

「沖縄県は日本社会を構成する四七都道府県の一つであり、日本国憲法を最高法規とする法秩

序の下で行政運営が行われていて、制度上は他の都道府県と何ら変わるところがない。

そしてまた、日本経済の一部であり、日本経済を介して世界経済のダイナミックな変動に深く

組み込まれている。

当然のことだと言われるかもしれないが、この基本的な事実認識を、まずは共有しておきた

い」(本書)

何故、このような当たり前の事を書かなければならないのか。

それは、最近沖縄について語られることの一つに、

「沖縄人は「先住民族」である。本土(ヤマト)の人から差別されている。だから沖縄は独立す

る」

などの声がちらほらと聞こえてくるが、近年の核ゲノムDNA解析でも本土と沖縄の人はほと

んど一致しているし、文化(言語)などの構造もほとんど同じだし(伊波普猷の記事を参考にして

ください)、滑稽な話で論ずるに及ばずなのだが、そこを意識して書かれていて、

次のように述べてもいる。

「わが国の安全保障体制はどうあるべきかという「大義」の側から基地問題を言うのではな

く、地域の感情や思念、あるいはアイデンティティの問題として扱われる場合が多い。

しかも、問題の構図は今に始まったことではなく、過去から現在に続く深い問題なのだと批判

する論調が大勢を占めている。

この論調の主な表現者はジャーナリストや評論家、学者、文化人、政治活動家などであり、

基地問題に止まらず、「沖縄問題」と呼ぶべき拡大した言説空間が形成されるようになった。

そこで提示される論点のなかには、沖縄(ウチナー)と日本(ヤマト)の関係を問う問題、沖縄ア

イデンティティを問う問題、沖縄「独立」を問う問題、沖縄の人びとを「先住民族」として問

う問題など含まれている。

今や沖縄基地問題は、多様な論点として拡散しているように見える」(本書)

「昨今、沖縄をめぐる議論や運動、主張のなかに「差別」や「独立」「自己決定権」「先住民

族」などといった言葉がしきりに登場するようになった。

だが、日本国憲法を頂点とするわが国の法体系や統治秩序の下において、沖縄とそれ以外の日

本を区別し、沖縄のみを対象とするような「差別」制度は全く存在しない。

沖縄振興開発特別措置法(一九七二年施行)のように、総合的に沖縄の振興を図る目的でつくら

れた法律はあるが、「差別」と指弾されるものではない」(本書)

「現実の事態は、ウチナーンチュ(沖縄人)、「琉球民族」「先住民族」などの言説に見られ

る、いわばアイデンティティの特定化や囲い込みを目指す動きから遠く離れた位置にある。

その状況を無視して、ウチナーンチュ(沖縄人)「琉球民族」「先住民族」という立場性を強調

すると、閉ざされた思想系としての「沖縄ナショナリズム」や「沖縄原理主義」に傾倒しない

か、そのことを恐れる」(本書)

なので、行政に携わった者の立場から、沖縄を議論する際に必要となる新たな視点や切り口、

論点を提示すべきではないか。そのことによって、あえて言うならば、情緒化・図式化の傾向

を強めつつある「沖縄問題」論議に一石を投じたい、との覚悟が頭をもたげた、

として本書を著している。

そんな職務を通じて痛感したことがあるとして、次のように述べている。

「沖縄の置かれた現状を理念の側に埋没して語るのではなく、徹底して現実を直視する形で引

き受けること。

仕事の相手を告発するのではなく、必要とされる解決策を対話のプロセスを確保しながら推進

すること。

沖縄の地域感情に配慮しつつ、日本社会の一員であると同時にアジア太平洋地域の一員であ

る、という自負を根底に据えること。

つまり、問題を発見し、それを指弾する態度に終始するのではなく、現実に立脚しながら問題

をどのように解決できるか、そのことに専念する態度が大事なのだ、と」(本書)

本書では、上述のことを踏まえて、「沖縄問題」の二大課題である「経済問題」と「米軍基地

問題」を中心に据え、論を展開されている。

沖縄県は通常の国庫支出金のほかに三〇〇〇億円も上乗せされているのではないか、

といった議論がされることがあるが、実態は、他県と同様の国庫支出金が、沖縄振興予算とし

て一括して計上されているにすぎないものであり、通常の国庫支出金に上乗せされているとい

うのは全くの誤解だとしている。

「他の都道府県の場合は国に国庫支出金を要求するとき、各自治体が省庁ごとに要求を行い、

事務的に、場合によっては政治的な折衡等を経て所要額を確保し、その後に各省庁から交付が

行われる。

沖縄県の場合は、内閣府が予算の調整・確保に当たり、沖縄振興予算として内閣府予算に一括

して計上する仕組みなのである。

沖縄振興計画に記載された事業は多岐にわたるために、その実施にあってはさまざまな省庁が

かかわることになる。

沖縄県の社会資本整備が立ち遅れていたために、集中的な事業展開を行う必要があったことか

ら、所要額の確保および事業管理の観点から採用された方式だった」(本書)

戦後の沖縄は本土とは異なる体制下にあったこともあり、社会インフラの整備のための十分な

投資が行われたこともなく、内発的な産業も育たなかった。その結果、経済的な基盤は脆弱で

あり、県民所得は低く、地方税(県税)収入も小額であった。

ちなみに、明治でも社会インフラに投資されたのは僅かであり、沖縄ではなく台湾に投資を優

先していたみたいだ。

上述のような内実を抱えたまま一九七二年五月十五日に日本への復帰を果たしたが、その財源

を外部に求めざるをえなかった。

ただ現在は、県経済の発展に伴って県民総所得に占める基地関係収入の割合なども確実に減少

しているとされ、国からの財政移転や公的依存度も同様だと、具体的に数字を示して指摘し(具

体的な数字は、是非本書で)、「沖縄県は、「基地」や「補助金」という札束で左右されるよう

な存在ではない」とも言い切っている。

基地の問題に関しては、「沖縄県民の圧倒的な多数意思は、日本からの離脱を求めているわけ

ではない。日本の一員としての立場で基地問題の解決を求めているのであり、この国の安全保

障体制を支える不公平な実態の改善を求めている」として、日本復帰時に沖縄県内に存在した

米軍施設の総面積は県土の一二.八パーセントに相当する約二万八六六〇ヘクタールだったが、

ニ〇一五年現在ではニ万ニ九九二ヘクタールとし、減少面積は四〇年余で約二〇パーセントに

すぎない、と嘆いてもいる。

普天間飛行場から名護市辺野古崎への移設に関する背景も、

「一九九七年、政府が提示した「普天間飛行場代替海上ヘリポート基本案」に対して、二年後

の九九年に県が「キャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域」を移設候補地として選定

し、名護市に理解と協力を要請したことによる」として、行政の立場から理解すると是非はと

もかく、「名護市辺野古地域への移設計画が現在でも日米で合意された唯一の方策である、

ということに変わりはない」と指摘している。

「大局的視点の大事さを確認しながらも、われわれの土地で発生する基地関係の事件・事故の

問題に行政実務を担当する者は向き合わなければならないのである。

即効性を担保できる問題解消策などどこにも存在しない。

日米安保体制という大前提の下で、基地から派生する問題を明らかにし、わが国の法制度に従

い、必要な際は新たな枠組みの構築を模索しつつ、利害関係者間の調整を行い、一定の時間を

かけて改善を図るしかない」(本書)

と、リアリズムの視点から言及され、別の箇所では日米地位協定についても改定を促す論調で

書かれている。

米軍基地の規模は縮小する方向に進むと思われるが、基地が無くなることはないと、

ぼくは思っている。

まだ沖縄が日本復帰が実現していなかった一九六一年に、当時の琉球列島高等弁務官だったポ

ール・キャラウェイ陸軍中将は次のように語っている。

「緊密・友好的な対日関係が失われた場合の後退拠点として、米国は沖縄を確保しておくべき

だ」。

アメリカの政治学者ジョージ・パッカードの著書『ライシャワーの昭和史』の中では次のよう

に記述されてもいる。

「米軍は一九四五年四月に始まった八十ニ日間の沖縄戦で、アメリカ人の死者一万二千五百

人、負傷者三万七千人を出しており、米陸軍は征服して得たこの領土に対する支配権を手放す

気がなかった」。

軍事アナリストの小川和久氏はこれらのことについて、

「「米国将兵の血で贖った沖縄を手放すなど、米国民が承服するはずがない」との動かすこと

のできない米国側の思いが同居していることは、同盟国の日本国民として認識しておくべきだ

ろう」

と指摘し、それは北方領土でも同様だとしている。

著者は最後に、将来に向けて沖縄はどのように行動していけばよいのか、二つあげている。

一つは、米国の政策を担い、また将来を担うであろう人びとの沖縄理解を深化させること。

もう一つは、沖縄県が自ら沖縄を取り巻く安全保障に関する認識を深化させることである。

八月一九日の読売新聞朝刊に、前沖縄県知事の仲井眞弘多氏のインタビューが掲載されている

が、仲井眞氏もほぼ同じ立場で次のように述べている。

「中国が不気味なくらい急速に拡大してきた東シナ海の安全保障の緊張状態を考えれば、

沖縄は安全保障の状況によって対応していくべきだ。

政府は防衛について、県民だけでなく国民全体が納得できる説明をする必要がある。

沖縄は観光業が起爆剤となって何とかやっているが、他の産業はまだきつい。

もう一頑張りしないといけない。

次の知事は県民生活に繊細な政策感覚を持ち、基地問題では空理空論ではなく、

現実的に徐々に解決できる人が望ましい」

ニ〇〇六~一四年の八年間、沖縄県知事を務めた仲井眞弘多氏

それは、沖縄にいるぼくの伯父さんも述べていたことでもあり、

まともな多くの沖縄の人たちが認識していることでもあるだろう。(オール沖縄は偽者だ)

本書は「リアリズムの視点」からデータに基づいて「沖縄問題」を論じている箇所も

多々あるので、とても参考になる。沖縄の更なる発展を願って本を綴じた。