アメリカでのパンダハガー(親中派)筆頭であり、1969年から75年まで特別補佐官・国務長官を
務めたヘンリー・キッシンジャー。
1960年代のアメリカでは、中国をソ連以上に、より切迫した脅威とみなす認識が一般的だっ
た。
中国の文化大革命は狂信的なものであり、べトナム戦争は中国の拡張主義の現われとみなされ
ていた。
朝鮮戦争などもあり、20年以上にわたってアメリカと中国はハイレベルでの接触を持たなかっ
たが、1971年7月、キッシンジャーはパキスタン経由で秘密裏に訪中し、周恩来と長時間の会
談をした。(それ以来、キッシンジャーは中国に50回以上訪れている)
その時のアメリカ側の動機は、ベトナム戦争の泥沼からの撤退、冷戦の一つの戦術的側面(ソ連
を封じ込めるため)。
中国側の動機は、文化大革命の混乱による疲弊からの脱却、形の上ではソ連の同盟国だったが
モスクワの脅威に対抗するため。
更にキッシンジャーは、ニクソンから、アメリカが日本から撤退すると、日本が独自の軍事大
国となり、中国にとって脅威となることを周恩来に指摘せよ、というメモを渡されて訪中して
いる。
ヘンリー・キッシンジャー、周恩来、毛沢東
「本書の主眼は、一九四九年に中華人民共和国が建国されて以来の米中指導者の相互交流を描
くことにある。
政府部内にいた時も、外にいた時も、私は四世代にわたる中国の指導者たちと会話を記録して
おり、本書を執筆する際の主要な出典とした」(本書)
上巻では、清末中国の西洋との出会いから、毛沢東、周恩来との対話までを、下巻では、中越
戦争、台湾問題、天安門事件、中国のWTO加盟まで、を書いているのだが、かなり中国側に阿
って書かれているので、読んでいて辟易させられるし、かなりしんどい。
しかも上下2段組の構成になっているから尚更だ。
一読して感じたことは、以前紹介した、元パンダハガーであり、リチャード・ニクソンからバ
ラク・オバマにいたる政権で対中国の防衛政策を担当していた、マイケル・ピルズベリー『China 2049 秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」』のなかで言及されていた、
「中国を研究するアメリカ人の多くは、中国を西洋帝国主義の気の毒な犠牲者と見なしがち
だ。それは中国の指導者が、積極的に後押しする見方である」
「このような中国を助けたいという願望と、善意に満ちた犠牲者という中国の自己イメージを
盲信する傾向が、アメリカの対中政策の軸となり、中国分析の専門家による大統領などへの
提言にも影響を与えた」
という見方が顕著であるということ。まあ、岩波から出版されているので大方予想できるし、
巷のキッシンジャー評を考慮しても同様だ。
ただ、日本人が想像する以上に、ニクソン訪中以降からアメリカと中国は親密な関係を築いて
いたということを窺い知ることができる。
「上海コミュニケに反覇権条項を取り入れたことは、事実上の同盟関係への移行を意味した。
(中略)中国と米国との協議は、正式な同盟国の間でもまれな濃密なレベルに達した」(本書)
「米中関係が特別だったのは、パートナーが互いに協調して行動することを公式には義務化し
ないまま、協調することを求め合ったことだった」(本書)
更には、情報交換までして、多数の分野で協力もしていたというから驚きだ。
それもそのはずで、キッシンジャーは、ソ連の他に中国よりも西ドイツと日本の軍事大国化と
核化のほうを警戒していたみたいだ。(本書では言及されていない)
そんなキッシンジャーだが、予想通り毛沢東と周恩来の評価がとても高い。
「伝統的なパワーポリティクスの観点から見れば、毛沢東はもちろん三極関係の中のメンバー
として振る舞う立場にはなかった。彼ははるかに脆弱で攻撃されやすかった。
しかし毛沢東は、核大国相互の敵対関係を刺激し、また核による荒廃にひるまない中国という
印象を作り出すことで、中国を一種の外交的な聖域としたのだった」(本書)
「およそ六〇年間にわたる公人としての生活の中で、私は周恩来よりも人の心をつかんで離さ
ない人物に会ったことはない」(本書)
終章には「歴史は繰り返すのか」としていて、未来の米中関係が展望されているが(本書出版は
2011年)、そこが一番目に留まった。
中国とアメリカは緊張拡大にあっけなく陥るだろうとして、中国は、アメリカの力を国境から
できる限り遠くへ押しやり、米海軍の行動範囲を制限し、国際外交におけるアメリカの影響力
を弱めようとするであろう。
アメリカは、中国周辺の多数の国々を中国支配の対抗勢力として組織しようとするだろう。
そして、両国ともイデオロギー上の相違を強調し、両国間では、抑止と先制の考え方が非対称
であるため、相互交流はいっそう複雑化するであろう。
アメリカは圧倒的な軍事力増強に傾注し、中国は決定的な心理影響を与えることに専念するよ
うになる。
遅かれ早かれ、どちらかが判断を誤ることになるだろう。
現代の指導者たちは、自らが招く壊滅的な可能性について、はっきり理解する能力がある。
アメリカと中国との熾烈な競争は、軍事的というよりも経済的、社会的なものになるだろう。
問題は結局のところ、アメリカと中国が現実的に互いに何を求め得るかという点に行き着く。
中国を封じ込めるためにアジアを団結させるとか、イデオロギー聖戦のために民主国家による
ブロックを形成するという、あからさまなアメリカの企ては成功しそうもない。
その理由の一つは、中国が大半の周辺国にとって欠くことができない貿易相手国であるから
だ。
同様に、中国がアメリカをアジアの経済、安全保障問題から排除しようとすれば、
大半のアジア諸国は単一の大国に支配された地域にもたらされる結末を懸念し、同じように本
気で抵抗するだろう。
米中という、自分たちは特別だとする例外論者の、異なったタイプを代表する二つの社会にと
って、協力への道は本質的に複雑である。
状況の変化は避けられず、変化があっても生き残れるような行動パターンをつくり出すこと
は、できないことはないが、現在の雰囲気では悲観的だ。
パンダハガーだとはいえ、上でキッシンジャーが指摘していることが、今現在、実際に起きて
いることでもあるし、その対立が、経済的、社会的なものになると、エドワード・ルトワックも
指摘していた「地経学」にも間接的に言及しているのはさすがだろう。
中国の外交は、力がみなぎっている時代には皇帝の権力を理論的に正当化し、
没落の時代には、弱さを覆い隠し、対抗勢力を巧みに取り扱うのに役立った。
『キッシンジャー回想録 中国』ヘンリー・キッシンジャー
ドナルド・トランプ大統領と面会するヘンリー・キッシンジャー (2017年)
ただ、キッシンジャーが誤解していることは、
中国人は刹那主義であり、中国人は悠長な大人ではない。目の前のことしか考えない。
という岡田英弘氏が提示していることを理解していないことだろう。
ちなみに岡田氏は、中国人との付き合っていく場合に自覚しておいたほうがよい三つの原則も
あげている。
1、中国人の行動はヴァルネラビリティという物差しで判断するのがよい。
2、中国人にとって、言葉は言葉、行動は行動、現実は現実で、別である。
3、本心というものは、かならず二股以上である。
日本国内において、ヘンリー・キッシンジャーといえば、親中派で食えない奴、
と糾弾されることが多く、まったくその通りだと思うのだが、
かなり参考になる部分もあり、それなりに敬意をもって眺めている。
われわれは中国人には友好関係を期待するが、彼らは敵意をもってわれわれに接する。
日本人には敵意を予想するが、日本人は賞賛と信頼感をもってこちらに向く。
インド人には共感と信頼を寄せられることを期待するが、彼らは猜疑心と恐怖心にみちた
眼をわれわれに向ける。
アジアでのわれわれは、いかによく見ても、未知の深海をおおった、
相互理解という薄氷の上でスケートをしているようなものである。