ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』



インド精神を代表する書を一冊挙げよといわれたら、『バガヴァッド・ギーター』を挙げるとい

われ、紀元後ニ世紀ごろまでにはヒンドゥー教全体にとって、重要な聖典として成立してい

た。

「バガヴァッド」とは、崇高なる神や偉人を呼ぶ言葉で、「ギーター」とは、歌という意味。

インド最大の叙事詩『マハーバーラタ』第六巻のうち、五王子と百王子との戦争がはじまる直

前の場面に挿入された、約七百頌(一頌は三十二音節の韻文)の部分で、後世『バガヴァッド・ギ

ーター』あるいは『ギーター』と呼ばれ独立の聖典としてあつかわれてきた。

多くのヒンドゥーの思想家たちが、それぞれの立場から『ギーター』に注釈書を書いてきた

が、近現代では、ガンディーが『ギーター』を自らの行為の最高の指針とし、生涯座右に置

き、ガンディー以前のインド民族運動の最高の指導者ティラクも『ギーター』の研究を著わ

し、『ギーター』によって自らとインドを導いたという。

バガヴァッド・ギーター 19世紀の写本

ほぼ二千年間にわたり、『ギーター』はインドの知識人にはかりしれない影響を与えてきた

が、インド国外でも高く評価されてきた。

十一世紀のアラビアの旅行家アル・ビールーニーは、著書の中に『ギーター』の一節を引用した

といわれ、十七世紀にはペルシャ語訳もいくつか作られている。

十八世紀には早くも英訳され、サンスクリット語で書かれた文献のうちで、最初にヨーロッパ

のことばに訳された。

『ギーター』はロマン派の文学者たちにも注目され、シュレーゲル兄弟などが有名で、プロイ

センの宰相だったフンボルトは『ギーター』を絶賛した。

また、アメリカの詩人エマソンも『ギーター』から着想を得たといわれ、フランスの作家カミ

ュは、十八歳のときに、グルニエの影響で『ギーター』を呼んでいる。

思想家のシモーヌ・ヴェーユは『ギーター』を愛読し、自ら抄訳、日記には『ギーター』に言及

するほどであった。(上村勝彦『バガヴァッド・ギーターの世界』)

『マハーバーラタ』の主筋は、バラタ族という一族の間の戦争を中心にしているが、

パーンタヴァの勇士アルジュナは、同族同士が戦うことを深く悩み、戦意を喪失してしまう。

その時に御者を務めていた賢者クルシュナ(本当は最高神の化身)が、アルジュナを鼓舞するた

めに説いた教えが『バガヴァッド・ギーター』。

クリシュナの教えを聞いて、アルジュナの迷いは消え失せ、十八日間にわたる激戦で、両軍の

英雄たちは次々と倒れていった。

クリシュナとアルジュナ王子(1830年頃)

『ギーター』の主要な内容は「三種類のヨーガ」であるといわれている。(立川武蔵『ヨーガの

哲学』)

「三種類」とは、「知のヨーガ」「行為のヨーガ」「バクティのヨーガ」。

『ギーター』での「ヨーガ」は『ヨーガ・スートラ』におけるのとほぼ同じ意味でも用いられる

が、「三種類のヨーガ」という場合には「道」、「方法」の意味で使われている。

「ヨーガ」という語自体には、「適用」「ありかた」などという意味もあり、「ヨーガ」を

「道」という意味に用いることは特殊なことではないという。

しかし、『ギーター』が「知」と「行為」と「献身」という三種の宗教実践を「ヨーガ」と呼

んだことは、後世におけるヨーガの運命を変えた。

『ギーター』のあちこちで、狭義の意味のヨーガについて言及していると同時に、「宗教実践

の道」というように「ヨーガ」という語を広く用い、これは作意的な試みの結果であり、

その試みは、欲深いものであり、それはインドが接した宗教形態のなかの抗争、葛藤のほとん

どを統一総合しようとしている、と立川氏は指摘している。

そして、その統一総合は、大まかにいって二つの方向でなされている。

古代からよく知られていた「知の道(ジュニャーナ・ヨーガ)」と「行為の道(カルマ・ヨーガ)」

の統一であり、この古代からの二つの道と、新しく興ってきた「献身の道(バクティ・ヨーガ)」

との総合。

『ギーター』でのこれらの統一総合の試みはかなりの成功を収め、この画期的な試みによっ

て、もっとも重要なヒンドゥー教の聖典となり今日にいたっているとされている。

「知の道」は、ウパニシャッド以来の伝統を受け継いで、特別な知識、直観知によって根本原

理を体得しようとするものであり、古典ヨーガの方法と相通ずるものがあるという。

「行為の道」とは、第一義的にはヴェーダ時代以来の祭式主義を指すが、『ギーター』特有の

あいまいさによって、ほかの行為をも指し示している。

御者クリシュナ(ヴィシュヌ神の化身)がアルジュナに「行為の道を進むべきだ」と教えたと

き、その「行為」は武士階級の義務である戦いを指していた。

後世の注釈家たちは「行為(カルマン)」をそれぞれの立場から説明した。

「行為の道」の要点は、結果あるいは報いをわすれて行為に専念せよ、というもの。

この行為の報いを自ら放棄するという自己否定こそ、後期のヒンドゥー教のほとんどの派にお

いても、『ギーター』が聖典と見なされるにいたった主要な原因の一つである、と立川氏は指

摘する。

『ギーター』はヴェーダ祭式を批判しながら、そうした「行為」の報酬に対する期待を捨て

て、各々の義務に専念すべきだと主張する。

さらに「知の道」狭義のヨーガによっても「行為の道」によっても、アートマン―すなわち神

―にいたることができると『ギーター』は主張する。

「このようにして『ギーター』は、肉体の運動はもちろんのこと、あらゆる心の作用を止滅さ

せる道であるヨーガの伝統を、「行為の世界」においても成立させようと試みた。

つまり、行為の自己否定による行為の「聖化」への道が、「行為のヨーガ」であったのだ」

(『ヨーガの哲学』立川武蔵)

『ギーター』での試みはここで終わるのではなく、それまでに徐々に成長しつつあったヴィシ

ュヌ崇拝が、ほかの二つの道よりも優れたものとして位置付けられる。

ヴェーダの神々は人格神ではあるが、個人が自己の精神的至福を求めて訴えることのできる

神々ではなかった。

ヴェーダにつづいてあらわれたウパニシャッドの宇宙我(ブラフマン)と個我(アートマン)は、

人格神ではなく、賢者が知によって直証できる哲学的原理であった。

ウパニシャッドの時代ののち、紀元前三、ニ世紀ごろから人格を有し、バラモン僧以外の者た

ちも「信仰」さえあれば直接に「交わり」をもつことができるといったヴィシュヌ神への崇拝

が成長していったと推定されている。

しかし、『ギーター』はウパニシャッドの伝統を無視することはできない。

『ギーター』は、宇宙我ブラフマン、個我アートマン、そして神ヴィシュヌを同一視するとい

う大胆なことをやってのけたとされている。

そして、従来よりも広い層の人々が、ウパニシャッドの知的伝統に接することもでき、個人が

直接に語りかけることのできる神をも有することになった。

さらに、この神への「信仰」は「献身の道(バクティ・ヨーガ)」と呼ばれた。

「バクティ」とは、動詞バジュ bhaj―「わかちもつ」「参加する」「適合する」―からつくら

れた語で、従来「献身」「献信」「献愛」などと訳されてきた。

私に帰依する人は、常に一切の行為をなしつつも、私の恩寵により、永遠で不変の境地に達す

る。

『バガヴァッド・ギーター』(一八章/五五)

この信仰形態は、浄土信仰における阿弥陀崇拝に似たものであり、キリスト教信仰のプロテス

タンティズムにおけるものと相通ずるといわれている。

特に仏教との関係でいえば、紀元前後において仏教とヒンドゥー教をともに巻き込んだ「帰依

の宗教運動」がユーラシア規模で起きて、バクティ運動が盛んになり、阿弥陀信仰は仏教にお

けるバクティ崇拝の現われの一つであり、ヒンドゥー教における現れは『ギーター』に見られ

るクリシュナ(ヴィシュヌ)へのバクティ信仰である、と立川氏は『ブッダから、ほとけへ』

なかで指摘されている。

ヴィシュヌの十化身(右下二番目がクリシュナ)

心によりすべての行為を私のうちに放擲し、私に専念して、知性のヨーガに依存し、常に私に

心を向ける者であれ。

『バガヴァッド・ギーター』(一八章/五七)

「バクティ・ヨーガ」の要点は、「われ[すなわち、神ヴィシュヌ]に心を集中させること」であ

り、それ以外には何も必要ないという。

この明解さが『ギーター』の成功の秘密であり、この献身(バクティ)の方法が「ヨーガ」とよ

ばれたこと、その伝統が今日まで続いていることが重要であるとしている。

ただ、初期のバクティと後期のバクティでは違いがあり、『ギーター』に代表される初期のバ

クティ・ヨーガでは、心はしずかにヴィシュヌ神へとむけられ、自己のなかに神のイメージを静

かに定着させるものであったが、後期の(『バーガヴァタ・プラーナ』十、十一世紀)以降になる

と、もはやヨーガではなくなり、神ヴィシュヌへの献身のために、踊り、泣き、笑い、叫ぶよ

うなる。狂者の陶酔のなかに神を求めるようになる。


平凡な日常生活を送る大衆に向かって、クリシュナ=バガヴァットの熱烈な信奉者であるギー

ターの詩人は、自らが選びとった救済の道を喧伝する。ある種の用語はまだ意味が曖昧であ

る。

世界観の体系が形成途上にある中で、ギーターの詩人とその一門は、従来の「異信の徒」、苦

行主義を奉じる人々、知的エリートたちにも自らの救済道を喧伝するという事態に直面して、

誰でもが容易に採用できる観念や実修法を採り入れ、最古のウパニシャッドが打ち立てた共通

の基盤の上にさらに構築を進めながら、できる限り調和のとれるような全体を形造ろうと努め

たのである。

「献身」と、私欲利己心なく本務を遂行することが、核心的要素であった。有神論者にとっ

て、今や基本的な綜合は果たされたのである。

今日に至るまで、人々は極論に傾くことなく、伝統主義者はここに古来の法の発揚を見るな

ど、神秘家・ヨーガ行者・知識人など、要するに、インド人一人一人が、ギーターを手に、それ

ぞれ独自のやり方で解脱(mokşa)を追い求めることができたのである。

『インド思想史』J.ゴンダ

クルクシェートラにあるクリシュナとアルジュナの戦車像

クルクシェートラの荒涼たる廃墟や、ラージャグリハ(王舎城)の啾々(しゅうしゅう)たる雑草

は、いまもなお古代の栄華の思い出を胸になつかしみ、それを異国の人の眼からそっと隠して

いる。

『東洋の理想』岡倉天心

アルジュナは言った。

「迷いはなくなった。不滅の方よ。あなたの恩寵により、私は自分を取りもどした。

疑惑は去り、私は立ち上がった。あなたの言う通りにしよう。」

『バガヴァッド・ギーター』(一八章/七三)

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J. ゴンダ 岩波書店 2002-12-13