『密教』正木晃



ブッダが仏教を創始して約一〇〇〇年がたった五、六世紀頃から、

商工業が不振になり都市が衰えるにつれ(異民族の侵入、東西交易が退潮し大商人たちの没落、

仏教を長らく庇護してきた巨大な王朝は滅亡していた)、都市型宗教である仏教は、

農村を支持基盤とするヒンドゥー教に押されがちになる。著者はその主な原因を三つあげる。

第一に、仏教がブッダ以来、どちらかといえば知的な水準の高い人々を主たる布教の対象とし

た点が問題だった。そうなれば必然的に、都市型宗教とならざるをえない。

第二に、仏教は基本的に出家型の宗教を指向した。

第三に、出家型の宗教を志向したために、現世の諸問題には冷淡であり、

激変する現実に対して、ややもすれば対応能力を欠くきらいがあった。

ヒンドゥー教は現世を肯定的に捉え、知的水準の低い人々にも高い人々にも、対応していたの

で、支持層は幅広かった。

仏教側は、この情況を打開するため、おおむね二つの方策を考えた。

一つは、ヒンドゥー教の成功にならって、その方策を模範すること。

それは、ヒンドゥー教の儀礼を換骨奪胎して、仏教の教義や修行のなかに組み入れようと試

み、一般庶民に人気のあるヒンドゥー教の神々を仏教パンテオンのなかに位置づける。

もう一つは、他者救済という高尚な理念ばかりが先行して、どうにも頭でっかちとなり、

理念を実践するに足る心身の開発を怠ってきた大乗仏教の刷新。

従来の仏教(顕教)が批判してきた儀礼や集団的な陶酔、呪法などの要素を取り込み、

大乗仏教の考え方に沿って編集し、誕生したのが密教、ということであろう。

さらに、密教はヴィジョンをおおむね良き象徴として肯定する。

それは煩悩を積極的に生かす、ということでもあるだろう。

「密教は大乗仏教の最終走者だった。つまり、密教は大枠でいくと、大乗仏教というグループ

に属している。

時間的には、大乗仏教が誕生したのは紀元前後くらいからで、密教はその大乗仏教の中から

五、六世紀ころ芽生えはじめ、本格的な密教は七世紀から後の成立ということになる」(本書)

呪術による現世利益という点だけをもって密教というのであれば、密教の誕生は二~三世紀に

までさかのぼる可能性があるとし、ただ、そこまでさかのぼると幼稚なものまで密教と呼ばな

ければならなくなるかもしれないが、それが密教の萌芽状態だったことは否定できない、

として、松長有慶氏の指摘をまとめ、引用し、次のように示している。

a)前期密教の目的が除災招福を中心とする現世利益にあったのに対し、中期密教のそれは悟り

(解脱)をもとめる。

b)前期密教では印契(いんげい)・真言(しんごん)・観法(かんぽう/瞑想法)がぞれぞれ別個だった

のに対し、中期密教ではそれら三者を統合して身体・言葉・心を一体化し、究極のホトケたる大

日如来と自分とが、本質的には同一であると体得するための、組織的な修行法が完成された。

c)前期密教では「仏説」を主張するものの、もっぱら現世利益をもとめて理念は希薄だったの

に対し、中期密教では大乗仏教の理念が、象徴化というプロセスを経て組み込まれた。

d)アーリヤ系起源・非アーリヤ系起源を問わず、仏教に移籍してきたさまざまな神々を整理し

体系化して、仏・菩薩・明王・諸天などから構成されるマンダラが、いわば修行や儀礼のための霊

的な装置もしくは道具として、もちいられるようになった。

e)前期密教では釈迦如来が説法する形式をとるのに対し、中期密教では真理そのものの人格化

ともいうべき大日如来が説法する形式をとる。

上述の要素を盛り込んだのが、日本密教で最重要の経典とされる『大日経』と『金剛頂経』。

『大日経』が七世紀の前半、『金剛頂経』が七世紀の後半に成立している。

『大日経』は大乗仏教と本格的な密教の間を橋渡しした経典といわれ、『金剛頂経』は修行法

やマンダラにおいて本格的な密教経典といわれている。

インドでは『大日経』は評価されず、『金剛頂経』が高い評価を受け、その後の密教がすすむ

べき方向を決定した、といわれている。(中期密教)

前回紹介した三枝充悳氏も、密教を概括して示している。

第一に、大日如来の本尊および多数の諸仏諸尊を祀り、従来の仏教に登場しない多くの明王、

仏教以外の諸神、鬼神、神将、諸聖者まで取りいれて、それらを大日如来のあらわれとし、

また外護者として扱う。密教はこれらの全員が勢揃いした一大パンテオンを築きあげて、

これがマンダラに表現される。

いわばマクロとミクロとを一つにしたような宇宙を構想して、それを直観によってとらえ、

またそれが具現する秘儀にみずから参加しようとする。

第二に、諸仏、諸尊、諸天などを念じ、真言陀羅尼を唱え、火を焚くなどの秘儀性が顕著であ

り、それに加わって宗教的エクスタシィに浸り、神秘の世界に没入する。

これは、如来蔵が可能性にとどめるものをその場に実現して、即身成仏を現実化する。

この内部では現在の至福が獲得され、煩悩や愛欲はそのまま承認される。

またこの秘儀における儀礼がとりわけ重要であり、種々の複雑な形態をとる。

第三に、上述のマンダラを理論的・抽象的ではなくて、具体的・現実的に表示し、それらに象徴

性が濃い。またこうして創作された絵画や図表や彫像や音楽などの芸術作品は、一面に神秘性

を帯び、他面に現実肯定の思想をリアルに表現して魅力に富む。

密教を密教でない仏教と分ける指標の一つが、神秘主義的・象徴主義的・儀礼主義的な傾向であ

り、密教ではない大乗仏教のことを、密教側は「顕教」と呼んでいる。

密教の用語では「顕劣密勝」。密教とは「秘密仏教」の略語。

重要なのはこの三点セット(神秘・象徴・儀礼)がそろって機能するところにあり、ただし、順位

がともなう。

神秘が最上位を占め、象徴と儀礼はその神秘に奉仕する立場にあり、象徴と儀礼が神秘を実現

するために行使されるという関係性にある。

密教とは象徴や儀礼を多用する神秘主義である、といいかえることもできる。そして、ここに

こそ密教の密教たるゆえんがある、と著者は指摘する。

さらに、密教を信仰する人々は、ヒンドゥー教が忌避してきた領域である性行為を修行に導入

しようと試みる。著者は、仏教の劣勢を回復しようとした、と指摘する。

この性行為を修行に導入した時期を、専門的には後期密教と呼ばれ、欧米の学界では、

タントリズム、タントラ仏教と呼ばれている。

タントラとは、いろいろな説があるとされているが、「連続」とか「相続」を意味する言葉から

転じて、後期密教の経典を意味するようになったとされている。

チベットでは、密教経典はすべてタントラと呼ばれている。ヒンドゥー教の下層の人たちも修

行に性行為を取り入れ、禁欲的なジャイナ教も取り入れたのが面白い。

「後期密教の時代は、八世紀後半に『秘密集会タントラ』が

「ブッダは、あらゆる如来たちにとってあらゆる真理の源泉である複数の女性たちの性器のな

かにおられた(=女性たちと性的ヨーガを行じておられた)」

という衝撃的な文言を掲げて登場した瞬間にはじまり、一三世紀の初頭、インド仏教の滅亡と

ともに幕を閉じた」(本書)

後期密教の核心部は、人間性の闇に立脚しているとされている。ちなみに現在では、性的ヨー

ガは実践されていない。

日本の密教界では、インド密教を歴史的に三期に分けて理解している。

『大日経』『金剛頂経』の本格的な密教経典の登場をもって中期とし、それ以前を前期、密教

の最終的な形態をもって後期とされている。

さらには、前期密教を雑密(雑多な密教)、中期密教を純密(純粋な密教)、後期密教を左道密教

(邪道の密教)と呼ぶこともある。

著者によれば、この分類方法は、日本に伝えられた密教の主体をなす中期密教を最も優れた密

教の形態、前期密教は未熟な密教の形態、後期密教を堕落した密教の形態とみなしたい、

という願望とまったく無縁とはいいきれない、と指摘する。

顕教は、ホトケが相手の素質に応じて説いた教えであり、密教は、ホトケが自分と同じ素質を

もつ者を対象に説いた教え。

完成期の密教の最大の課題が、いまこの世で生きているうちに悟りを開くこと、即身成仏にあ

る。

具体的な思想や修行、マンダラの理論、シルクロードなどからチベット、中国、朝鮮半島、

日本へと土地の習俗を包含しながら変容をくり返し伝わった背景、その延長にいる空海など

は、何れの機会にということで。それだけ密教は深い。

本書では、次の三点を基本方針としている。

・日本密教をインド以来の仏教全体史のなかに位置づける。

・伝統的な教学を、できるかぎりわかりやすく解説する。

・修行と儀礼についても、できるかぎりわかりやすく解説する。

密教の歴史・思想、伝統的な密教教学、マンダラの理論や実践なども、わかりやすく概説されて

いるので、密教を知るための入門書としてかなりおススメ。

著者の正木晃氏は、今年の四月から月一回、NHK「こころの時代」の「マンダラと生きる」

(全六回/四月から九月まで)の解説を担当されており、そこでも丁寧にわかりやすく解説されて

いるので、そちらも必見。本書と映像を連動させれば理解が尚一層深まる。

(右) 密教について解説している正木晃氏

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正木 晃 筑摩書房 2012-11-01