二〇〇〇年代前半ぐらいは「デモが好きな人たちだな」とお隣の中国に対して面白く眺めてい
たが、二〇一〇年代から(リーマンショック後)は経済発展に伴っての自信過剰な民族主義の高
揚には「ちょっとやりすぎだろう」と思い、不快感を覚え、危険だと感じた。
そして、そのバイタリティー(ナショナリズム)は何処から来るのか、或いは、それは何故なの
か。
本書冒頭で「そもそもナショナリズムとは何か。一言で説明することは非常に難しい」とし
て、単純な答えを提示しているわけではないのだが、中国のナショナリズムの本質には迫って
いるので参考にはなる。一読してお腹いっぱいになり、げんなりしてしまうが。
エズラ・ヴォーゲルも軽く触れていたことだけれど、中国のナショナリズムがここまで高まっ
た要因(起源)について、
「一九九〇年代以降の愛国主義教育に代表される、中国共産党政権の政策による」とする見方
がメディアなどでも語られることが多く、さらにもう一つが「過去から続く中国の社会構造や
伝統的な思想・文化といった要素を重視する」という見方。
この上の二つの見方が、代表的な中国ナショナリズムの起源についての見方で、ぼくもこの二
つをぼんやりと抽象的に頭に浮かべていた。
しかし著者は、「この二つの見方はそれぞれに説得力を持っている。ただ、かたや現在に、か
たや過去に中国ナショナリズムの起源を求める点で正反対に見える一方、ある点では非常に近
い」としながらも、「それは、通時的な変化という視点が稀薄なことである」として、
「愛国主義教育が効果を発揮したのだとすれば、中国の社会の側にもその政策を受け入れる素
地があったということになる。
したがってその素地がいつどのようにして形成されたのかを検討する必要がある。
しかし一方でその素地を、過去から連綿と続く中国の伝統なるものだけから説明することにも
疑問がある。
長期的な連続性を重視するあまり、近代中国に起きた巨大な変化を軽視するのも妥当ではな
い」としている。
ちなみに「愛国主義教育」の具体的な内容は、
「中華民族の悠久の歴史」「中華民族の優秀な伝統文化」「党の基本路線と社会主義近代建設
の成果」「中国の国情」「社会主義民主と法制」「国防と国家安全」「民族団結」
「和平統一、一国両制の方針」とされている。
本書の立場は、「中国ナショナリズムを近代以来の歴史的過程のなかで形成されてきたものと
考え、その形成過程が現在の中国ナショナリズムの性質に大きな影響を及ぼしている」
という立場をとっている。なので副題は「民族と愛国の近現代史」。
具体的な内容は、十九世紀から二十一世紀初頭の現在に至る約一二〇年間(清末から現代)の
中国のナショナリズムの形成・展開過程をいくつかに分けて検証している。
序章では、伝統中国の世界観について説明し、西洋近代との接触によって変容した過程を。
第1章では、清末の知識人たちがナショナリズムという概念を受容した過程、それによって生
じた政治改革や革命の動きについて。(一八九五~一九一一)
第2章では、第一次世界大戦を経て様々な思想が中国に流入するなかで、ナショナリズムをめ
ぐって議論の多様化や相対化が見られたことを。(一九一二~一九二四)
第3章では、五.三〇運動から日中戦争に至る、近代中国史上ナショナリズムが最も高まった時
代を。(一九二五~一九四五)
第4章では、社会主義下の中国でナショナリズムがどのように位置づけにあったのかを。
(一九四五~一九七一)
第5章では、改革開放後にどのような変化が起き、現在に至るのかを。(一九七二~二〇一六)
そして、その約一二〇年間(清末から現代)の中国ナショナリズムの特徴を掴むために、
四つの参照軸を設定している。
① 上からの公定ナショナリズムか、下からの民衆ナショナリズムか
② 西洋近代志向か、伝統文化志向か
③ 漢人中心の単一民族国家を目指すか、多民族を強調するか
④ ナショナリズムの「敵」と位置づけられるものは何か
としている。
事細かに取り挙げないが、以下、個人的に気になった箇所を簡単にピックアップ。
中国ではよく不買運動が行われるが、その原型が近代にあらわれているとして、
「一九〇四年にアメリカが中国人移民禁止法の一〇年間延長を決定すると、翌〇五年、その内
容に差別的な要素があるとして、華僑の輩出地である広東省の商人団体を中心に反米運動が起
きた。
この際には、やはり「文明」的な排外の方法としてアメリカ製品の不買が呼びかけられた。
電信を通じて広州・上海・天津など諸都市の商界・学会間で情報が共有され、新聞・雑誌・パ
ンフレットなどの印刷物、閲情処(新聞を閲覧できる施設)・通俗演講所(演説を行う施設)を通
じた宣伝活動も行われた。
これは中国初の全国的なボイコットであり、以後の運動にとってのモデルとなる」
さらにそれ以後、中国社会に定着し、ナショナリズムに基づく世論が盛り上がりを見せるたび
に再演されていくことになる、と指摘している。
そして今でも「国恥」と「記念」を結びつけて「国恥記念日」(満洲事変が始まった9月18日な
ど)というのを設けているが、それも今に始まったことではなく近代からだとして、
契機になったのは、一九〇八年の第二辰丸事件からだという。
「この事件は、一九〇八年二月、清の官憲が武器密輸の疑いで日本籍の商船第二辰丸を拿捕し
たことに対し、日本政府が強硬な抗議を行い、謝罪と賠償を要求したものである。
最終的に清側がこれを受け入れて第二辰丸を釈放すると、事件が起きたマカオに近い広州の商
人団体が反発して『国恥記念会』を開いた。
会場では代表が演説を行い、続いて参加者全員で
『今日我が国は大きな屈辱を味わった。四億の同胞は、これを記念に留め、心骨に刻み、文明
によって対抗し、富国強兵を図り、国威の発揚に務め、国恥を雪ぐまでやめない』という宣誓
を行った」
その結果、全国民がこの事件を『国恥』として記念し共有することを目指し、各都市にも同様
の会を開くよう電報で要請し、パンフレットを作って宣伝し、日本製品のボイコットも訴え、
実際にいくつかの都市で国恥記念会が開催される。
「これ以後、『国恥記念会』という政治文化は清末社会に完全に定着する」と著者は指摘して
いる。しかもそれは日本の「記念会」をモデルにしていたという。
「共産党が倒れれば、中国はよくなる」などの声がたまにちらほらと聞こえてくるが、
本書を読むかぎりそんなことはないと実感するし、この先も中国は変わらないだろう。
中国は清末以来、アヘン戦争に始まる「国恥」を雪ぐこと、富国強兵を実現し、
不平等条約を撤廃して列強と対等の立場に立つこと、奪われた領土を取り戻し、
自らが「中国」と見なす空間的・ネイション的範囲を統一することを一貫して最大の目標とし
てきた。
『中国ナショナリズム』小野寺史郎
「中国」や「朝鮮」の崩壊パターンは
王朝の堕落→流民→地方権力者の勃興→権力委譲
『三千年の海戦史』松村劭
本書は、明確に答えを提示しているわけではないし、膨らませすぎている感もある。
様々な意見があるかと思うが、一読する価値はあると個人的には思っている。