『日本画とは何だったのか』 古田亮



『連塾 方法日本Ⅱ 侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力』のなかで松岡正剛氏は、

次のように述べている。

「かつて江戸時代までは、和画とか国画という言いかたをしていました。

明治に国画という字が出るんですが、その前は倭絵(やまとえ)、ないし大和絵でした。

ですから、大和絵や和画に対しては、漢画とか唐絵という領域があったわけです。

そういう中に洋画というのが入ってきたわけですね。高橋由一や黒田清輝や藤島武二は洋画の

ほうに挑んだ。これに対抗して天心は日本画という概念をつくりあげたんです。」

近代日本美術史が専門で、東京藝術大学大学美術館准教授、最近では『横山大観』(中公新書)

を著している古田氏が、明治につくられたその「日本画」とは何だったのかと、体系的に迫っ

ているのが本書。副題は「近代日本画史論」。

「私たち日本画の研究を専門とする者たちの間でも、日本画とは何かという議論が少なくとも

ここ二十年ほど途切れることなく続けられている」(本書)

「専門化が日本画という概念を限定的な歴史用語と見做すのは、日本画という言葉と概念が近

代になって洋画という言葉と概念に対して〈創られたもの〉であることによる」(本書)

それを佐久間象山は「東洋道徳 西洋藝術(技術)」、内藤湖南は「豆腐のにがり」、松岡氏は

「日本の方法」や「日本の編集力」或いは「擬(もどき)」だと肯定的に示しているが、

著者は「クレオール」だとしている。

「翻って日本画とは何かを考えた時に、そもそも中国からの強い影響によって、古代から変化

を遂げながら現象してきた近世までの日本絵画は、中国絵画に対するクレオール絵画であっ

た」(本書)

「十九世紀後半、近代化=西洋化という開花の波の中で、西洋絵画の圧倒的な影響を受けた日

本絵画は、日本画と洋画という二つのクレオール絵画を生み出した、と言うことも可能なので

ある」(本書)

では、その「クレオール」とは何なのか。そして、どのように捉えているのか。

著者は次のように説明している。

「クレオール(英creole、仏créole)とはクリオーリョというスペイン語に由来する言葉で、

アメリカの植民地時代から使われはじめたとされる。

本来は植民地に生まれたネイティブ以外の白人移民を指したが、やがて混血、さらには白人の

血が混じった黒人を指すのが一般的となった」(本書)

「バイリンガルであったり二重性格であったりと何か二つのものが溶け合わずに並存するとい

うよりも、むしろ異種混交によって母体に対して変化体のようなものができる場合に、クレオ

ール化と呼ぶのである」(本書)

著者が「クレオールとしての日本画」を考えるきっかけとなったのが、

ヨアヒム・E・ベーレント著の『ジャズ ニューオリンズからフリー・ジャズまで』を読んで

からだという。

「ニューオリンズの特殊性は、フランス人またはスペイン人を祖先に持っている場合、肌は黒

くとも白人と同じ身分を保証されたことにある。

彼らの中には、生活文化としてヨーロッパ音楽を身につけていた者たちが少なくなかった。

そして、奴隷解放後、地位の上がった黒人たちの子孫に継承された民族音楽が近代ヨーロッパ

音楽と交わったところにジャズは生まれた。

言い換えると、ヨーロッパ音楽が浸透し、すでに一旦クレオール化した黒人音楽が成立したこ

とを前提として、そうした母体に対して、さらに西洋音楽を加味しながらクレオール化した音

楽がジャズである。」(本書)

文化人類学者で文化批評家の今福龍太氏は、「クレオール」をもっと具体的に次のように説明

されている。

「〈クレオール〉は語源的にはポルトガル語の〈クリアール〉(育てる)とそれから派生した

〈クリオウロ〉(新大陸で生まれた黒人奴隷)に由来する。

歴史的に〈クリオウロ〉の意味は変化を見ており、これはまもなく新大陸で生まれたヨーロッ

パ人をも指すようになった。

スペイン語圏でこれを〈クリオーリョ〉と呼びならわすようになり、フランス語圏、オランダ

語圏、英語圏ではこれを〈クリオール〉と呼びならわすようになった。

すなわちクレオールは第一に新大陸や他の植民地圏で生まれた白人および黒人(さらに後には、

その混血)を意味したのであり、やがてその結果として彼らの習慣や言語をも指すようになった

と考えられる。」(『クレオール主義』)

「すなわちこのクレオール化の力は、土着文化と母語の正統性を根拠として作りあげられてき

たすべての制度や知識や論理を、まったく新しい非制度的なロジックによって無化し、人間を

人間の内側から更新し、革新するヴィジョンをうみだす戦略となる可能性を秘めているといえ

る」(『クレオール主義』)

と、対象はアメリカ大陸の言語ではあるが、今福氏は肯定的に「クレオール」を捉えている。

もしくは捉えようとしている。

だが、著者は「日本画のクレオール」に対して、ぼくが読んだ印象では、多様性は認めながら

も、割とネガティブに捉えられている印象を受ける。

「ハイブリッドにきわめて近いが、お互いの優れた点を人工的に交雑して品種改良を目的とし

たのがハイブリッドの原義である。

それに対して、クレオール化とは基本的に何らかの植民的環境が生じたことにより、否応なく

その環境に順応するためにネイティブが変化することを前提としている」(本書)

対照的なのは前述した松岡氏で、

「日本には欧米的な普遍を抱いたロジックではなく、そこに敬意を払いつつも、もっと日本に

特有なものをハイブリッドに提示するほうがふさわしい。」(『インタースコア』)

としている。(ぼくも基本的にはポジティブに捉えている)

いずれにしても、絵画にかぎらず「母体に対して独自の編集をし、変化体を創造してきたのが

日本である」という解釈は同じだろうが、それを肯定的に捉えるのか、否定的に捉えるのか、

呼び方も様々あるが、本書では、近代日本画に対象をしぼりその変化の過程を約十年ごとに分

けて丁寧に検討している。

「日本画のクレオール現象は、明治初期には伝統流派の西洋化といった単純な構造で語ること

ができたのに比して、大正期になると、日本画家第二世代特有の多様化を前提としたものにな

っている。

換言すれば、初期の西洋化は視覚的、画法的な範囲にほぼ留っていたが、この時期の西洋化は

西洋近代絵画思想の受容という新たな側面を持っていたということができる。」(本書)

「もともと、西洋画が移入されたことによりクレオールとして誕生した近代の日本画は、明治

の国家主義思想によって育てられ、大正、昭和初期の〈皇国感情〉滋養として成長、昭和十年

代に成熟を迎えた。

しかし、戦後、民主主義一色に覆われた日本にあって、日本画が戦前と同じように繁栄する土

壌は自ずと失われた。

日本画滅亡論に揺れた日本画界で、創造美術が『日本画の普遍性』を標榜し、パンリアルが抽

象表現やシュルレアリズム的表現を積極的に試みたことは、日本画が生きていく場所を懸命に

探していた証左でもあろう。」(本書)

「一八八二(明治十五)年五月、アーネスト・F・フェノロサは龍池会(りゅうちかい)で『美術真

説』と題する講演を行った。

この講演は英語によるスピーチを通訳したものだが、その年の十月に日本語訳が刊行されたこ

との影響力は大きかった。

japanese paintingに対する翻訳語であるという前提ではあるが、洋画あるいは油絵の対概念

として『日本画』という美術用語が使われた最初の出来事である。

近代日本画の成立にとって、その言説史的な意義は大きい。」(本書)

そして、終章の「日本画とは何だったのか」で、西田幾多郎の「矛盾的自己同一」(矛盾と統

合、多項同体)に言及し着地させている。

「日本画は『矛盾的自己同一』として歴史的な存在となったのであって、時に否定され、時に

変化していきながら自己自身を形成したと捉えることに、近代の日本画とは何だったのか探る

ヒントがあると思われる。」(本書)

この見方は、内藤湖南山本七平(直接言及していないが)、松岡氏らが、それぞれの著作のな

かで、日本文化全般に当てはめているが、著者もここに着地させている。

さらに著者は、この先の「日本画」のあり方に対して警鐘を鳴らしている。

「フェノロサや岡倉天心が現れない状況が続けば、国内向け国民絵画としての日本画は、地球

規模での社会の変化、現実世界から隔離したところに自らを押し込めてしまう傾向を強めるだ

けではないだろうか。

その先には日本画の伝統工芸化とも言うべき事態が待っているようにさえ思われる。」(本書)

今年は明治維新150年という節目の年でもあり、来年には元号が改元される。

時が経ち、ある程度冷静に近代を振り返り、分析できる環境が整いつつあり、

ジャンルを問わず、包括的に近代をテーマにした著作が、これからますます増えていくだろう

と予想される。

本書はその時に欠かせない資料となるであろうし、特に近代政治がご専門の方には、

違った視点から近代を捉えているので、新たな発見もあり、参考になるかと思われる。

本書の立場は、日本画を、歴史と様式という二つの視点から捉えようとするものである。

歴史的視点とはつまり、近代以降に新たに生成し展開した日本絵画の総称を日本画と呼ぼうと

いう解釈である。

『日本画とは何だったのか』古田亮

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松岡正剛/イシス編集学校 春秋社 2015年12月18日
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今福龍太 水声社 2017年03月13日