『国際政治』ハンス・モーゲンソー ②



中巻では、力の抑制要因(平和維持機能)として、バランス・オブ・パワーや、国際道義、

国際世論、国際法がどれほど有効なのかを掘り下げて丁寧に述べられている。

バランス・オブ・パワー(勢力均衡)という概念を、最初に説明したのは、

一八世紀のイギリスの思想家ディヴィッド・ヒューム。

「勢力均衡(balance of power)という〈思想〉が、まったく近代の政策〈modern policy〉に

起因するか、それともその〈言葉〉だけがこうした後の時代に発明されたのかは、

問題である」

と『勢力均衡について』の冒頭で述べた言葉。細谷雄一氏の『国際秩序』に詳しい。

その細谷雄一氏の『国際秩序』によれば、

「ヒュームは、勢力均衡とは「嫉妬深い競争心」に基づいた人間性の本質が生み出す秩序で

あると考え、それを肯定的にとらえようとした」

と説明されている。

「嫉妬深い」とは言及されていないが、その他の部分はモーゲンソーが本書で提示した

「勢力均衡」にも当て嵌まる。

ちなみに、本書のなかでモーゲンソーは、ヒュームに一言も言及していない。

影響は受けていただろうが、何故かが気になる。

そしてモーゲンソーは、バランス・オブ・パワー(勢力均衡)を生命現象の

「動的な平衡状態」(生命の持つ柔らかさ、可変性、全体としてのバランスを保つ機能)や、

「非線形性」(生命現象を含む自然界の仕組みの多くは、比例関係=線形性を保っていない)

として捉えている。ここがミソだろう。

力を求めようとする諸国家― それぞれの国は現状を維持あるいは打破しようとしているのだが

― の熱望は、バランス・オブ・パワーと呼ばれる形態と、

その形態の保持を目ざす政策とを必然的に生みだす。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

バランス・オブ・パワーおよびその保持を目ざす政策は、諸主権国家から成り立つ社会に

おいては、単に不可避のものであるのみならず本質的な安定要因であるということ、

さらには国際的なバランス・オブ・パワーの不安定は、原理そのものの欠点によるものでは

なくて、ある特定の条件― この条件の下でその原理は、諸主権国家から成る社会のなかで

作用する ―によるものであるということ、以上である。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

「バランス」の同義語としての「均衡」(equilibrium)の概念は、

多くの科学― 物理学、生物学、経済学、社会学、および政治学 ―で一般に使われている。

それは、多数の自律的な力から成り立つ、ひとつのシステムのなかにおける安定を意味する。

外部の力によって、あるいはこのシステムを構成する要素の変化によってその均衡が攪乱

されるたびに、このシステムは、本来のあるいは新たな均衡を再建しようとする傾向を

示すのである。このような均衡は、人間の身体にも存在する。成長の過程で人間の身体が

変化している間でも、身体のそれぞれの器官に生ずる変化がその身体の安定を攪乱しない

限り、均衡は持続する。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

しかし、もし外部の妨害によって身体の器官のひとつが傷ついたり失われたり、

あるいはその器官のひとつに有害な成長または病的な変形があれば、その均衡は攪乱される。

この場合、身体は、攪乱が発生する以前に得ていたものと同じかあるいは異なるレヴェルでの

均衡を確立しなおすことによってその攪乱を克服しようと試みるのである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

このようなすべての均衡の基礎には、実は二つの仮定がある。

第一に、相互にバランスを保つ諸要素は社会にとって必要であるかあるいは存在する価値が

あるということ。

第二に、諸要素の間に均衡の状態がなければ、ある要素、他の諸要素よりも優勢を占め、

他の諸要素の利益と権利を侵害し、そして最終的には他の諸要素を破壊するかもしれない

ということである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

目標は、安定に加えてシステムのすべての要素を保持することにあるのだから、

均衡は、いかなる要素も他の諸要素より優勢にならないようにするということを

目ざさなければならない。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

国際政治の基礎には二つの要因がある。

ひとつは多様性であり、他のひとつは、その構成要素である各国の対立である。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

一国の力の増強は、少なくともそれに比例して他国の力の増強を呼ぶ。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

バランスは本質的に不安定で動的な特性をもつ

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

小国はつねにその独立を、第二次世界大戦前のベルギーやバルカン諸国のように、

バランス・オブ・パワーに負うか、あるいは、中南米の小国やポルトガルのように、

ある保護国の優位に負うのか、それともスイスやスペインのように、

帝国主義的欲望をそそらないということに負うのか、これらのうちのいずれかである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

紀元前一世紀から、朝鮮の国際的地位は大体、中国の優位かあるいは中国・日本間の対抗か、

のいずれかによって決定されてきたのである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

均衡の過程は、重い方の秤皿の重量を減らすか、あるいは軽い方の重量を増やすか、

のいずれかによって展開される。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

一国が、その自由になる力をもって、バランス・オブ・パワーの維持あるいは回復に

努める場合の基本的な手段は、軍備である。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

同盟は、バランス・オブ・パワー― それは、多数国家システムのなかで作用する ―

の必然的機能である。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

同盟というものは、既存の利益の共有と、さらにはその利益に役立つ一般的政策および具体的

手段を、とくに限定条件を課すという形で一層明確化する。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

そこで、われわれは同盟の特徴として、その利益と政策が加盟国間で全く一致しているもの、

補完的なもの、さらには、イデオロギー的性格をもつもの、というふうに特徴づけることが

できる。

われわれはさらに、同盟を、相互的なものと片務的なもの、一般的なものと限定的なもの、

一時的なものと恒久的なもの、効力をもつものともたないもの、に識別することができる。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

大国は、利得および政策について、弱い同盟国を相手にみずから思いどおりにふるまう絶好の

機会をもつことになる。

マキアヴェリが、必要による以外は強国と同盟することのないよう弱国に警告を発したのは

このためである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

一七〇三年に締結された、イギリスとポルトガルとの間の同盟は、数世紀にわたって存続

した。それは、イギリス艦隊によるポルトガルの港の保護というポルトガル側の利益と、

大西洋からポルトガルへの海路のコントロールというイギリス側の利益が長続きしたためで

ある。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

他の核保有国に向けられた、核保有国Aと非核保有国Bとの間の同盟についてとくに適切なもの

となる。

Aは、Bとの同盟を尊重してまで、Cによる核破壊という危険にみずからをさらすであろうか。

極端に危険が伴うことは、このような同盟の有効性に疑問をなげかけることになる。

ドゴールによって初めて明白に提起されたこの疑問は、

アメリカとその幾つかの主要同盟国との間の協調関係を弱めてしまったのである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

一八一五年から第一次世界大戦勃発までの百年間、ヨーロッパのバランス・オブ・パワーは、

世界規模のシステムへと漸次拡大していった。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

しかしこのシステムは、二つの秤皿に第三の要素

― バランスの「保持者」あるいは「バランサー」―を加えて成り立っている場合もあろう。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

パーマストンの言葉をいいかえると、バランスの保持者は永久の友人をもたないし、

永久の敵ももたない。

彼はただバランス・オブ・パワーそれ自体の維持に永久の関心をもつのである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

多数の国家のうちどれか一国が、他国の独立を脅かすほど強くならないようにするために、

多数国間でバランスを保つという着想は、力学の分野から得られた暗示である。

それは、一六、一七、および一八世紀に特有の思考様式である。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

しかし最大の不確実性は、誰がみずからの同盟者であり誰が対抗者であるかをいつも

確信できるわけではないという事実のなかにある。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

バランス・オブ・パワーがその安定化作用によって多くの戦争を避ける助けとなった、

という主張は、証明することも反証することも永久に不可能であろう。

人はある仮定的立場をその出発点にして歴史の道標をふり返ることはできないのである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

近代国際システムの誕生以来戦われた戦争のほとんどすべてがバランス・オブ・パワーの

なかで起こっている、ということを知るのはむずかしいことではない。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

バランス・オブ・パワーの状況下において、一個の現状維持国ないし現状維持国同士の

同盟と、一個の帝国主義国ないし帝国主義国の集団との間の対抗は非常に戦争を起こし

やすい。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

国際政治のダイナミクス― これが現状維持国と帝国主義国との間に作用しているのだが ―が

バランス・オブ・パワーを必然的に阻害するがゆえに、戦争は、少なくとも

バランス・オブ・パワーを矯正する機会を現状維持国に有利な形で与える唯一の政策として

立ちあらわれるのである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

諸国家の力の相対的地位を正確に評価することが困難であるがゆえに、

バランス・オブ・パワーの呪文を唱えることは国際政治の有利なイデオロギーのひとつと

なってしまった。

したがって、バランス・オブ・パワーという言葉が非常にあいまいかつ不正確に使われる、

といった事態が生じた。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

イデオロギーとしてバランス・オブ・パワーという言葉を使うことは、

バランス・オブ・パワーの力学に固有の困難性を強めることになる。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

力の獲得を目ざして競争している諸国家にとっては、競争相手国がその卓越した軍事、

政治指導者の力を利用できるかどうかについて無関心ではいられない。

したがって、これらの国家は、ある有能な指導者や支配集団が、

政治的動乱とか病気や死によって権力の座を放棄せざるをえなくなるのを望むこともある。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

最近、戦争はいろいろな点においてますます全面的性格を帯び、それに伴って、

殺人に対する道義的制約がますますまもられなくなってきている。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

国際道義は悪化してきた。しかも、この国際道義に対するマイナス作用は、

相対立する多数の人びとが現代の戦争に感情的に巻き込まれることによって一層強められて

いる。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

一国家の道徳律は、救世主的な熱を帯び、その普遍的要求をもって他国に挑戦し、

それが繰り返される。

妥協という古い外交の美徳は、新しい外交では背信的行為となる。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

世界世論が存在するのだという誤った信仰が生まれる二つの要因とは、

全人類を結集するある心理的特性およぶ本質的な願望についての共通の経験をわれわれは

もっているという考えと、技術による世界の統合が可能であるという考えである。

そして無視されてきたのは、世界のいたるところで国際問題に関する世論は、

国家政策を作成・遂行する機関によって形成される、という事実である。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

平和に対する具体的な脅威が生まれるときにはいつでも、戦争に反対するのは世界世論では

なく、その戦争によって国益が脅かされている諸国家の世論なのである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

拘束力のある法規の体系として国際法というものが存在するということを頭から否定する

のは、あらゆる証拠を無視することになる。国際法というものが存在しないというこのような

誤解は、少なくとも部分的には、最近の世論が国際法の根幹に目もくれないでその枝葉末節に

だけ不当に大きな注意を向けてきたことの結果である。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

国際法を執行する試みがなされるかどうかは、あるいは、その試みが成功するかどうかは、

法的な配慮ならびに法を執行するメカニズムの公平な作用に主として依存する、

というのではないのである。

法執行の試みとその成功は、ともに、特定の場合における政治的考慮と実際の権力配分に

よって左右される。

したがって、強国によって脅かされている弱国の権利の擁護は、その特定の状況において作用

しているバランス・オブ・パワーによって決定される。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

集団安全保障は、完全に分権化された法執行制度の不備を克服するための、未曾有の最も

遠大な試みである。

伝統的な国際法が、国際法規の執行を被害国にゆだねているのに反し、集団安全保障は、

国際社会の全構成国― それらの国々が特定の場合に被害を受けたかどうかを問わず ―

による国際法規の執行を考えているのである。

したがって、将来における法侵犯国は、国際法を擁護するために自動的に集団行動をとる

すべての国家の共同戦線と対峙することをつねに予期しなければならない。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

国家の法執行機関が存在しない場合に、攻撃に対して相応の実力をもって対処するという

個別的自衛は、集権的法執行に対する例外として、国内法たると国際法たるとを問わず一切の

法体系において権利として認められている。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

国際法上の問題に依存するというよりは、むしろ常任理事国の間の力関係に依存するところの

方が大きい。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

主権とは、あらゆる領域内で法を制定し執行する国家の最高の法的権威であり、

ひいては、他のあらゆる国家の権威からの独立であり、国際法の下における他の国家との

平等である。それゆえに、国家は、自国が他国の権威の下におかれて、自国の領域内で法規を

制定し執行する最高の権限を他国が行使するときにその主権を喪失するのである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

アジアにおいて民主主義が敗れたところでは、その失敗の理由は、

民主主義の訴えがアジア諸国民の生活体験と利益から大きくかけ離れていたためであった。

アジアの諸国民が何にもまして欲くするものは、西洋植民地主義からの解放であった。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

バランス・オブ・パワーは多極的なバランス・オブ・パワーから二極的なそれへと変化して

きたのである。

『国際政治 (中)』ハンス・モーゲンソー

以上中巻。

下巻では「平和の問題」と題して、軍備、安全保障、司法的解決、共同体などを考察する。

印象的なのは「外交の将来」を述べ、チャーチルの言葉で綴じられていること。

軍縮は、異常な諸条件の下でのみ実現された。

軍縮が実現されたかに思われたときでも、たいていの場合、軍縮は軍備の削減ではなくて

軍備の増強を意味した。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

人間は武器をもっているから戦うのではない。人間は戦うことが必要だと考えるから兵器を

もつのである。

仮に武器を取り上げても、人間は空拳だけで戦うか、それとも戦うための新しい武器を

身につけるであろう。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

武器と人間について量的に制限をうけた国家は、そのすべてのエネルギーを、

みずから所有している武器と人間の質の改善に集中するであろう。

さらに、これらの国家は、量の損失を補い、競争国に対する優位を保証するような新兵器を

探求することになろう。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

核軍縮によってその脅威を取り除くことは、戦争の危険を増すかもしれない。

しかしあとでみるように、はじめに非核兵器を使用していた交戦国が、

戦争の過程で核兵器の使用に訴えないという保証はないのである。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

核兵器を非合法化することは確かに可能であるが、

核兵器を製造する技術的知識や能力を非合法化することは不可能である。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

軍縮は、政治的緊張を軽減し、それぞれの国家目的に対する信頼を生みだすことによって、

政治的状況の改善に貢献する。軍縮が国際秩序の確立と国際平和の維持に貢献するとすれば、

以上のようなことである。それは重要な貢献ではある。

しかし、それが国際の秩序と平和の問題に対する解決とならないことは明白である。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

軍備は一定の心理的要因の結果である。これらの要因が存続する限り、

諸国家が武装しようとする決意も存続するのである。

しかもその決意によって軍縮は不可能になるであろう。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

集団安全保障によって特定の現状を凍結しようとする試みは、結局は失敗する運命にある。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

集団安全保障はその理想的仮説に従って機能しなければならないが、

現代世界ではそのようには作用しえない、ということである。

しかし、理念的な完全無欠とはおよそ無縁なレヴェルで集団安全保障を動かそうとする

あらゆる試みが、集団安全保障によって達成できると考えられているものとは反対の結果を

もたらすということは、この集団安全保障の最大の逆説である。

いかなる国家も現状を変更するためにあえて武力に訴えるなどということがないように、

他の諸国家が圧倒的強さを備えて現状を防衛しそれによって戦争を不可能にする、

というのが集団安全保障の目的である。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

諸国家間に抗争がある限り、軍縮、集団安全保障、および国際警察軍による国際平和の実現は

不可能である。

A国はB国に対して、B国が譲りたくないと思っているものを欲する。

その結果、AとBとの武力抗争の可能性はつねに存在するということになる。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

現状における権利の決定や利益の調整ではなくて、

現状の存続そのものが問題となっているような危機的状況にあっては、

国際法や国際裁判所の力に訴えることは、現状維持国の得意の術策である。

国際法と国際裁判所は、現状維持国の当然の味方である。

帝国主義国は、必然的に現状およびその法秩序に反対し、

国際裁判所の権威ある決定にその論争を付託しようとはしないであろう。

なぜなら、国際裁判所は、それが帝国主義国の要求を承認すれば必ず、

その権威の由来する基盤そのものを破壊することになるからである。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

分析的、経験的考察によって、戦争を最も起こしやすい紛争は、

司法的方法によっては解決されない、という結論に達した。

紛争は、緊張の分枝か象徴的表現であるから、紛争の真の争点は、現状の維持対現状の転覆で

ある。

裁判所は、国内裁判所であれ国際裁判所であれ、この争点を解決する能力はない。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

圧倒的な力、超部分的忠誠心、正義への期待 ― の存在が国内で平和を可能にするのである。

これらの条件が国際社会に存在しないからこそ戦争の危険が生まれるのである。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

社会がその国家を支持する意志と能力をもたなければいかなる国家もありえないように、

世界国家を支持する意志と能力のある世界共同体なしにはいかなる世界国家もありえないの

である。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

国際紛争は、知的欠陥、すなわち、他国民の資源についての無知と判断力の欠如から起こると

信じられている。

つまり、もしアメリカ人がロシア人を理解するようになりさえすれば、そしてその逆もある

ならば、彼らは自分たちがいかに似ているか、いかに共通のものをもっているか、

いかに戦う必要が少ないかを知るだろうというわけである。この議論は二つの点でまちがって

いる。

個々人の体験 ―誰もがこれを自由に誇張できるのだが― によってわかることは、

友情の増大は必ずしも理解の増大に伴って実現するものではない、ということである。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

外交が自由に利用できる方法は三つある。

すなわち、説得、妥協、および武力の威嚇である。

武力の威嚇にのみ依存する外交はいかなるものも、

理性的、平和的であると称することはできない。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

外務省が対外政策の頭脳であるのに対して、外交官は対外政策の目であり、耳であり、

口であり、また指先である。そして外交官は、対外政策のいわば布教者である。

外交官は、彼の政府のために三つの基本的な機能、すなわち象徴的、法的、政治的機能を

果たすのである。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

第二次世界大戦の終了以来、外交は活力を失い、

その機能は近代国際システムの歴史に先例のないほどにまで衰えている。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

無能な外交の特徴は、擁護し難い立場に不注意にも陥っていくことであり、もっと具体的に

いえば、その立場から適宜抜けだすことを頑迷に拒むことである。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

世界国家なくして恒久平和がないように、平和維持と共同体構築の外交過程なくしては

世界国家はありえない。

『国際政治 (下)』ハンス・モーゲンソー

以上下巻。

飛ばした箇所もかなりあるので、気になった方は実際に手にとってみてください。

平和を構築するのは簡単なことではないということ。

いずれにしても、自分で考えろということだ。

最後に余談だが、ジョン・ミアシャイマーは『大国政治の悲劇』の中で、

E・Hカー、ハンス・モーゲンソー、ケネス・ウォルツなどのリアリストの思想家たちの伝統に沿

い、さらに発展させて「攻撃的現実主義」(オフェンシヴ・リアリズム)を掲げている。

対照的なのが、「パラドキシカル・ロジック(逆説的論理)」を提唱した戦略家のエドワード・ルト

ワックで、『自滅する中国』の冒頭で、

「私が過去・現在に関わりなく、国家間における国力が果たす役割を理解するために採用してい

る独自のアプローチは、学界で優勢な「リアリスト」(現実主義者)と呼ばれる学派がとってき

たものとはかなり異なるものだ」

と「リアリスト」との見解の違いをわざわざ指摘して書いている。

「三位一体脳モデル」(「爬虫類脳(反射脳)」「哺乳類原脳(情動脳)」「新哺乳類脳(理性脳)」)

を提唱し、米国国立精神衛生研究所の神経生理学研究所所長、脳進化と行動研究所所長を務め

ポール・マクリーンは、人間が爬虫類や哺乳動物から継承した宿命的遺伝子は、

五つの人間行動を支配していると指摘している。

(1)なわばり(生命圏の確保)

(2)よそものいじめ(異縁者の排除)

(3)許容個体密度維持(私的空間の確保)

(4)思いこみ(定型的行動パターンの固執)

(5)衝動的行動(ストレス蓄積による情動不安)

国際政治や地政学だけを観察していても平和は築けないということだ。

長年アフリカで、ヒヒやチンパンジーやゴリラの観察をしているセント・アンドリューズ大学名

誉教授のリチャード・W. バーンによれば、自分の力と備え持った武器だけを使う動物が多い

が、サル類と類人猿は力を発揮し影響を与えるために、群れの他のメンバーとの同盟に頼る頻

度がずっと多いという。

こうした同盟は近縁間で最も強いが、近縁者でないもの同士の友情も見られ、何年も続くこと

がよくあり、両者にとって利益になっていることを指摘している。

役に立つ同盟をもつことが賢明であり、数ある候補者たちの中から同盟者を選ぶことができる

のは、哺乳類の中で唯一霊長類だけだという。

それらを進化生物学者のリチャード・ドーキンスの見方に無理やり当てはめれば、

利己的な遺伝子であるがゆえに、社会のほかのメンバーに対して、協力的な態度を示す個体の

ほうが、生き残る可能性が高い、ということであろう。

援助や支援を頼ることができる同盟のネットワークを構築することの方が重要だ。

国家間の同盟の重要性はルトワックや軍事アナリストの小川和久氏も指摘している。