ヨーガは人間の苦しみ―特に身体の中のそれ(それはそこに凄むのである)―
に対して真正面から取り組むことを志向する、古来の体系の要である。
『トラウマをヨーガで克服する』デイヴィッド・エマーソン, エリザベス・ホッパー
アメリカのマサチューセッツ州ブルックラインのトラウマ・センターの創立者であり、
メディカルディレクターでもあるベッセル・ヴァン・デア・コークは、その著『身体はトラウマを
記憶する』の中で、
「人は、自分の内部感覚と快適なつながりを持っていて、それらが正確な情報を提供してくれ
ると信頼できる場合には、自分の体や自己を取り仕切っていると感じるだろう。
だが、トラウマを負った人々は、自分の体の内部で絶えず危険に感じている。
過去が、心を苦しめる内部の不快感として生き続けているからだ。
彼らの体は、内臓の危険信号をひっきりなしに浴びせかけられ、それを制御しようとするうち
に、腹の底で感じるものを無視し、内部で起こっていることの自覚を麻痺させるのが得意にな
ってしまう場合が多い。彼らは自己から隠れることを学ぶのだ」、
「トラウマを負うと身体的に同調できない」
と指摘し、「自分の体の中に凄むことを学ぶ」という章を設けてヨーガを勧めているが、
本書は、トラウマ・センシティブ・ヨーガがトラウマ・サバイバーのための有効な補助療法として
どのように浮かび上がりつつあるのかを物語るものとなっている。
「従来のセラピーの多くは、“認識によって”つまり〈トップダウン〉で治療にアプローチして
きたが、ヨーガ・ベースの医療は〈ボトム・アップ〉の方法を用い、肉体的な経験不足を足がか
りとしてその人の内面生活へと向かうのである。
身体指向のセラピーは“心とはつかみどころのないものだ”という前提に立つ」(本書)
(左)デイヴィッド・エマーソン(トラウマ・センターのヨーガ部門長)、(右)エリザベス・ホッパー(心理学博士でトラウマ・センターのスーパーバイザー)
「トラウマ・センシティブ・ヨーガ」とは通常のヨーガではなく、トラウマ・センターで訓練法を
開発されたもので、“ヨーガと現代科学のコラボレーション”の成果であり、「トラウマに対す
る感受性を備えたヨーガ」でもある。
トラウマ・センシティブ・ヨーガでは、体を志向(身体性を重視)し、地に足を着けることを大切
にしている。
だからといって、それは冷たく面白味のないものではなく、精神の必要性を否定するものでも
ない。技能に基礎を置き、組織立てられたものではあるが、選び取ることを大切にしている。
そして、トラウマ・センシティブ・ヨーガの実践は、安心感・主体性・選び取る力をはぐくみ、
自己認識・自己制御の能力を培う、組織立ったアプローチを提供することができる、としてい
る。
トラウマに苦しめられている人は、自分自身の体を〈敵〉としてとらえている可能性があり、
優先されるべきは、生徒が自分の体に耳を傾けて、自己ケアに関して自分で選択できるように
シフトさせること。
「ヨーガに基づくアプローチは、自己につながる感覚を構築するために、一連のポーズと呼吸
法を用いる。
ヨーガの訓練をする人は、“現在にとどまるか”そして“内的体験に気づいてそれを受け容れる
力”を培い、自らの体との新たな関係を育成していくことなる。
身体ベースのこの実践は、感情と精神の健康に、そして人間関係に、またその人がこの世界に
生きていく経験に、波及効果を及ぼすのである」(本書)
そして、トラウマ・センシティブ・ヨーガには四つの主要なテーマがある。
・「〈今この瞬間〉を経験すること」
・「選択すること」
・「有効な行動をとること」
・「リズムをつくること」
これらテーマは、医療者と連繋して取り組むインストラクターたちによって開発されてきたも
ので、「医療情報に基づくもの」と見なしている。
平均的なヘルス・クラブのヨーガ教室やヨーガ・スタジオでは、余計な身体的接触や隣の人との
距離が近すぎること、(提案や勧奨ではなく)口頭での指示や、要求一辺倒のことばなど、〈引
き金〉を引く可能性がたくさんある、と指摘する。
こうしたものを避けるために、トラウマ・センシティヴ・ヨーガを提供する教室が作られたわけ
であるが、日本にあるのかは、調べていないので、わからない。
ただ、本書では、家でするプラクティスとして、「山のポーズ」や「呼吸を意識する」とか、
「ボートのポーズ」などの⑳の例を写真付きで紹介している。
そして、その目標を11あげている。
①〈今この瞬間〉に焦点を合わせること
②マインドフルネス[(今この瞬間)に気づきを向け続けること]のスキルを向上させること
③“知ろう”とする気持ちを強くして感覚的経験に耐える力を養うこと
④自分の体との関係を変化させること
⑤センタリング[中心を見つけること]
⑥グラウンディング[地に足を着けること]
⑦感情調整のスキルを築くこと
⑧選択を実行すること
⑨経験のさまざまな側面を統合すること
⑩確信を増すこと
⑪他者とのつながりを築くこと
「ヨーガはまた、思考、感情、肉体的反応を含めた〈自己〉の意識を強くする。
そうした感覚的気づきの増大が、その人の体、そして自己意識との結びつきの再構築を助け
る。
トラウマ・センシティブ・ヨーガによって、マインドフルネスの実践にはっきりした方向性を持
たせ、それが体を指向するものとなったとき、より成功の度合いが高くなるということをわれ
われは見出した」(本書)
トラウマ・センシティブ・ヨーガは、上方調整(体の活性化)と下方調整(体の鎮静化)両方のスキ
ルを高めるのに役立つとしている。
その為には呼吸法が重要であり、呼吸能力を徐々に高めること、体の中にもう少し呼吸のため
の余地を確保する手助けすることも目標としている。
ヨーガは集団で行なわれることもあるが、非言語的な伝統であり、他の人たちとの一体化した
動きが、言葉を超えた〈つながりの感覚〉を生む、とも指摘している。ヴァン・デア・コークは
演劇も勧めていた。
「人は繰り返し傷つけられることによって、無力、無能の感覚に陥る。
サバイバーの中には、長い年月、他者の要求を受け入れるために自分自身の願望や必要性に目
を瞑り、服従的なサバイバル反応をしてきた人もいる。
彼らは自分が本当はどのように感じているのか、あるいは何を必要としているのか、混乱して
分らなくなっていることがある。
加えて、トラウマ・サバイバーは自分を責めて苦しみ、自分自身と自分の直感が信じられなくな
っている。
こうした自己信頼の欠如ゆえに、サバイバーにとっての第一の目標は、この信頼感とエンパワ
ーメント[本来あるべき力が充実している感覚]の再構築だということができるだろう。
規則的にヨーガのプラクティスを行なうと、身体的にも精神的にも強さと柔軟性が増す。
このような変化によって、実習者には本気で挑戦に取り組むための自己の能力への信頼感が増
す」(本書)
本書では、トラウマ・サバイバーは勿論だが、医療者やヨーガ・インストラクターに向けても書
かれ、トラウマに対処するにはペース作りがとても大切である、とも指摘している。
課題・目標・介入の方略などの方法についても、わかりやすく表で示してくれている。
以前に紹介した『トラウマ後 成長と回復―心の傷を超えるための6つのステップ 』スティーヴ
ン・ジョセフのメッセージも役に立つ。
第一、あなたはひとりじゃない。第二に、トラウマは自然で正常なプロセスだ。
第三に、成長は旅である。
逆境による苦難を通してこれまで以上に強くなり、人生について深く考えられるようになる可
能性がある。
そして、読み始めて気がついたのだが、本書の「はじめに」はヴァン・デア・コークが書いてい
る。
「神経科学者のアントニオ・ダマシオは、「ライル島」と呼ばれる脳の領域が、体感を意識的な
認識に伝達する場所であることを示した。
すなわちこれは、意識とは基本的に「われわれが経験する身体感覚をどのように解釈したのか
の結果である」ということを意味する。
トラウマを持つ人びとの脳画像を研究すると、「ライル島」と、その他の自己認識にかかわる
領域の活動が低下していることが繰り返し示されている」(「はじめに」ヴァン・デア・コーク)
しかし、『身体はトラウマを記憶する』の中では、
「ヨーガを二〇週間実習すると、基本的な自己システムである島と内側前頭前皮質(自己調整に
かかわる脳の組織)の活動が増すことを、初めて示す結果が出た」
と、上で指摘していた、「ライル島」と、その他の自己認識にかかわる領域の活動の低下が、
ヨーガをある程度実習すると活動が増すということを指摘している。
いずれにしても、トラウマはヨーガで克服することができるということであり、本書では、具
体的に示してくれているので、とてもありがたい内容となっている。
ヨーガ行者は、外からの刺激によってではなく、生体そのもののなかから、統覚の自律性を完
成させる。
ヨーガは、意識にのぼった心の作用を統御する技術であり、無意識の世界にもおりて行き、
それを調整・支配する技術である。
ヨーガにはつねに自己透徹性があり、三昧の状態に入るまえとは入ってからの状態には、
「同一の自分である」という意識が連続して存在し、その自己連続性こそ、個人的宗教実践と
してのヨーガの本質である。
ヨーガは、総合的なヒーリング・プロセスの要である。
人は、何が起こったのかが分かる言葉を見つけることができ、
その記憶を時間と空間の中に位置づけることができたとき、
「現在もなお、繰り返しトラウマを生きなければならない」という暴虐から自由になる。
ベッセル・ヴァン・デア・コーク(トラウマセンターの創立者・メディカルディレクター)