時に古今の差なく /『戦国大名の「外交」』丸島和洋



表立って語られることが少ないが、戦国時代にも外交を担当する「取次」という存在がいた。

「取次」は、一種の外交官ではあったが、側近・家老といった役職の一環として務めていた。

ただ「取次」は、外交相手と開戦という事態を迎えた時に、責任をとる形で、

その軍事指揮を任されることもしばしばみられた。

室町幕府においても、将軍と各地の守護・国人を結ぶ取次役が存在していたが、

室町期の「取次」は大名が、戦国期の「取次」は将軍側近が務める違いがあった。

本書では、戦国大名を以下のように定義している。

①室町幕府・鎌倉府をはじめとする伝統的上位権力以外には従属せず

②政治・軍事行動を独自の判断で行い(他の権力の命令に左右されない)

③自己領有権を超えた地域を支配下においた権力

と位置づけている。

著者の丸島和洋氏は、甲斐武田氏を専門とし、『戦国大名武田氏の家臣団』『武田勝頼』など

の著作もある。

戦国大名とは、軍事力を背景とする存在であり、戦乱の世における軍事的保護と、強力な裁判

権(紛争調停権)を期待され、社会的に要請されて生み出された「公権力」でもあったと評価さ

れている。(『武田勝頼』)

それは譜代家臣からなる家中と、戦国大名に軍事的に従属する国衆とによって構成された権力

でもあった。

国衆とは、室町時代には「国人」と定義されていた領主。その国人が、戦国大名に従属するこ

とで自己改革を成し遂げ、戦国大名と同様の行政を行うようになっていき、自己の支配領域で

は(戦国大名を上位者として戴くものの)主権者となるが、独立性はもっていない。

外様であり、軍事的に大名に従属しているだけの存在。

著者はこれを戦国大名の「軍事的安全保障体制」と呼んでいる。

端的に云えば、国衆は、戦争に際して戦国大名の動員に応じる代わりに、戦国大名から軍事的

保護を受ける存在だとしている。

国衆は、戦国大名領国の周縁部、境目(国境地帯)に位置し、近隣の国衆と衝突したり、

他大名の軍事的脅威に抗しきれないと判断して離反すれば、戦争も起こったという。

その戦国大名の外交は、外交官たる取次を双方が設定して、取次同士で折衝を行ったうえで、

話が進められるのが基本であった。

まだ国交が開かれていない戦国大名同士の外交は、双方の領国の中間地点で話し合いが持たれ

ることを基本とし、こうした場所を「半途(はんと)」と呼ばれていた。

紛争当事者双方で解決出来ないときには、中人とよばれる第三者に問題解決を委託し、

中人の調停によって和解をするという紛争解決法もあった。それを中人制と呼ぶ。

戦国期には軍事同盟が多数あり(著名なのは清洲同盟や甲駿相三国同盟など)、相互不可侵と軍

事支援を柱としている。

軍事同盟においてもっとも重要な行為と認識されていたのは、援軍派遣であり、それは内外に

対して同盟関係の存在をアピールするものでもあった。

本書を読んで、戦国時代も現代の国際政治も変わらず、ということを改めて実感した。

今の日本は、アメリカ勢力周縁部の「国衆」で情けない存在なのだが。

よく日本人は“外交下手”と言われることが多いが、戦国大名をみればそんなことは無いという

ことが分かるし(明治も)、今後にも生かせる。

家康みたいに律儀に同盟を守り、忍耐強くしていくしか方法はなさそうだが。

平和を構築していくには、この時代から沢山学べることがあるだろうし、

もっと調べてみなさんに伝えていけたらと思っています。

時に古今の差なく、国に東西の別はない。

観じ来れば、人間は始終同じ事を繰り返しているばかりだ。

勝海舟