『戦国大名と読書』小和田哲男



戦国大名たちの頭の中が気になり手に取った一冊。

あまり語られたことがないように思われる、珍しい視点。


前半は漢籍を中心に語られており、

四書五経はもちろんのこと『武経七書』も学んでいた。(ぼくはそこが気になっていた)

その『武経七書』とは何か。

『孫子』『呉子』『尉繚子』『司馬法』『六韜』『三略』『李衛公問対』。

『孫子』や『呉子』はメジャーだが、その他はあまり知られていないと思われる。

『李衛公問対』以外の六書は、

戦国時代(BC四五三~BC二二一)から漢代(BC二〇六~二二〇)に完成し、

『李衛公問対』は唐代(六一八~九〇七)に著わされた。


北条早雲、黒田官兵衛、武田信玄は『孫子』、

断定はしていないが、羽柴秀吉も『孫子』ではないかとしている。

毛利元就は『呉子』。本書に書かれていないが、その他にもたくさんいるだろう。

武田信玄の「風林火山」の軍旗は、[孫子』軍争篇第七に由来するのは有名な話。

面白いのは徳川家康で、足利学校のトップだった閑室元佶に木版活字十万を与え、

出版させている。

慶長四年(一五九九)  『孔子家語』『六韜』『三略』

慶長五年(一六〇〇)  『貞観政要』

慶長十年(一六〇五)  『吾妻鏡』『周易』

慶長十一年(一六〇六) 『武経七書』

読書好きの家康が『貞観政要』や『吾妻鏡』を好んでいたのは、

山本七平の『徳川家康』を読んで知っていた。政治論書が多いのも納得。

さらに家康は、戦国武将の中でも一番といわれるほど占いに凝っていたらしい。

まあ江戸をみれば予想できるかな。


これらの漢籍を何処で学んでいたかというと、幼少期から主に禅寺で禅僧から学んでいた。

「寺子屋のルーツは戦国時代にあった」と著者は述べている。

なぜ禅寺なのかというと、「禅儒一致」というあまりにも日本らしい思想があり、

禅僧たちが「王道の規範」を説いていたから。

上杉謙信は春日山城下の曹洞宗の林泉寺で天室光育から教育を受け、

(越後は曹洞宗の寺が多かったらしい)

上杉景勝と直江兼続は坂戸城下の雲洞庵で北高全祝から学び、

今川義元は建仁寺などで学び、徳川家康は臨済寺で大原雪斎から学んだ。

晩年に家康は印刷事業を手がけているが、

若い頃に雪斎から影響を受けたのではないかと著者は述べている。

伊達政宗は資福寺で虎哉宗乙から学んでいる。


後半は和本を。

江戸時代、寺子屋で学ばれていた『庭訓往来』が、

戦国時代の武将子弟の教科書で、武田信玄も学んでいた。

そして、『貞永式目』の写本が多く残存していて、多くの人に読まれていた。

『貞永式目』は北条泰時の時代に制定し公布した法律。

山本七平は、『日本的革命の哲学』の中で、

「自らの規範を条文化した日本ではじめての固有法である」

と述べられていて、かなり重要視している。

『平家物語』『太平記』は読み聞かせが多く、毛利元就にはお抱えの琵琶法師が数人いた。

北条早雲も『太平記』をよく読んでいた。

家康は隠居して作った駿河文庫に『太平記』や『平家物語』はなく、

『源平盛衰記』があった。

著者の小和田哲男が、

「頼朝に私できする家康が、頼朝挙兵の一部始終が描かれる『源平盛衰記』の方に

 親近感を持つのは当然であろう」

と述べられている。山本七平も同じことをいいそうだ。


そしてこの時代、戦国武将たちは連歌を重視している。二つ理由があったと著者はいう。


一つは、連歌が『輪の文芸』といわれているように、

主従がそれこそ輪になって上の句と下の句を詠み合うわけで、

連帯感を強めることにつながる。

仲間としての紐帯を強めるねらいがあった。

そしてもう一つは、出陣連歌の風習からきたものである。

戦いの前に、神社で戦勝祈願をするとともに、そこで連歌会を開き、

できあがった連歌を奉納して戦いに出れば勝てるという、一種、呪術的な行為でもあった。

『戦国大名と読書』小和田哲男


『連歌とは何か』の綿抜豊昭氏によれば、

「連歌会は、純粋に『創作の場』としてのみ設けられるわけではない。

『祈祷』『追善』などといった、宗教的性格を帯びた場としても設けられる」。

「歴代将軍は、頻繁に北野神社に参詣・参籠し、法楽連歌がさかんにおこなわれた。

 明徳二年(一三九一)二月十一日には、義満が一日万句の法楽連歌をおこなっている」。

「義教の時代には、室町殿新造会所で幕府月次連歌がおこなわれるようになった」。

と説明されている。

そのことをふまえて、戦国大名たちも連歌を重視したのだろうと思われる。

今川氏親お抱えの連歌師として有名な宗長は、各地の戦国大名にもよく招かれて、

連歌会を開催していた。

その連歌には『源氏物語』をふまえて歌を詠んでいたらしい。

そんなこともあり、連歌師が『源氏物語』を講釈したりし、

『源氏物語』を蒐集する戦国大名もでてくる。

家康の蔵書の中にも『源氏物語』がある。

伊達政宗は、『古今集』『新古今集』を読み、歌を筆写し、自らも歌を詠んでいた。

毛利元就も『古今集』をよく読み、歌をつくっていた。

他にも信玄、謙信、兼続、政宗の漢詩や、家康の印刷出版事業のこと、

戦国武将の占筮術(せんぜいじゅつ)、軍配思想なども詳細に述べられている。

この時代はまだ和魂漢才、もしくは和漢折衷が色濃い時代で、

それが日本人を形作っていたんだなと、改めて感じた。

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小和田 哲男 柏書房 2014-01-01