鈴木大拙 『東洋的な見方』 と 岡倉天心 『東洋の理想』



鈴木大拙は以前に『禅と日本文化』を紹介したが、今回は『東洋的な見方』。

晩年の思想的エッセーをまとめたもので、やわらぎな文章で読みやすい。

岡倉天心は『茶の本』が有名で名著ですが、今回は『東洋の理想』。

天心は後日、個別で綴る

西洋では物が二つに分かれてからを基礎として考え進む。

東洋はその反対で、二つに分かれぬさきから踏み出す。

『東洋的な見方』鈴木大拙

さらに大拙は論述を進め、

分割、二元性から、科学や哲学、インペリアリズムが生まれてきた。

それにも長所があり、一般化し、概念化し、抽象化する。

ただこれを日常生活に利用すると、

工業化、大量生産、普遍化、平均化し、機械の奴隷になる。

思想面は創作意欲を抑制し、知性が一般化。

その結果は、凡人のデモクラシーにほかならない、と、

長所も短所も見事に言い当てている。

逆に東洋は、知性が重んぜられなかった。

知性発生以前、論理万能主義以前に根を下ろしている。

老子の「恍惚」、荘子の「渾沌」。「光あれ」の以前の段階。主客未分。

東洋人は西洋から大いに学ぶ必要もあるとも、別の箇所で述べていて、おもしろい。

逆も然りだろう。ただ闇雲に西洋を批判をしているわけではない。

この民族のふしぎな天性は、この民族をして、

古いものを失うことなしに新しいものを歓迎する生ける不二元論の精神をもって、

過去の諸理想のすべての面に意を留めさせているからである。

『東洋の理想』岡倉天心

『東洋の理想』は、『The Ideals of the East』として、

明治36年(1903)にロンドンから刊行された。

1903年『東洋の理想』、1904年『日本の覚醒』、1906年『茶の本』。

本書の冒頭で、有名な「アジアは一つである」と述べられているが、

現代から考えてみると、アジアは複数であると思うが、

時代が時代だったので、あえて天心は「アジアは一つ」と、誇張気味に論じたのだと思う。

儒教的中国がインドの理想主義を受け容れることは、もし老荘思想と道教とが、

周朝の末以来、これらアジア思想に相互に対立する両極の共同の展開のための心理的基礎を

準備してきていなかったならば、けっして行われることのできなかったことであろう。

『東洋の理想』岡倉天心

インドの理想主義というのは、仏教のこと。

儒教的中国に老荘と道教とがクッションとなり、インド思想(仏教)を受け容れた、

と、ぼくは解釈している。「無」と「空」のことも後日論じたい。

そして、それが日本に辿り着いて、豊かな文化や芸術を花開かせた。

『東洋の理想』は、その流れを克明に綴っている。

大拙にも同じように論じられている箇所がある。

禅はその源をインドに発し、シナに来てから、道教と儒教とを容れて、

唐代から宋代にかけて全盛した、シナ独特の人生観・世界観である。

それが鎌倉時代に日本に来てから、そこで文化生活の方面に特地の展開を遂げた。

『東洋的な見方』鈴木大拙

儒教についても同様。

儒教的なものは、形式的・律法的・機械的方向に動かんとする。

老荘的なものは、これに反して、無規律的放蕩性を帯びており、

自由性・創造性に重きを置く。この二つの傾向は人間性の基本的なもので、

いつの時代にも、何かの形相で現われ出る。

『東洋的な見方』鈴木大拙

儒教の理想は、二元論から生まれたその均斉と、

本能的に部分を全体に隷属せしめることの結果たるその静寂さをもつもので、

必然的に、芸術の自由を制限するものであった。

『東洋の理想』岡倉天心

今の中国や朝鮮半島にも当て嵌まることだろう。

儒教は、二元論の西洋の思想に近いと受け取ればいいのだろうか。

個人的にもっと時間を割いて調べたい。朱子学と陽明学、あと老荘とタオも。

そのことがわかならければ、禅も茶の湯もわからないであろうと思われる。

インドと中国を見なければ日本はわからない。

だが、この二冊の著書を混ぜ合わせれば、何とか東洋を概観できる。

外国の方に「日本はどういった国なのか?」と問われた時にも役に立つと思う。

軽佻浮薄な日本に効き過ぎるくらい劇薬で、思想の漢方薬でアーユルヴェーダ。

儒教もタオも仏教も日本文化も、この人たちから入った方がいいと感じている。

二人に共通するのは、英語を自由自在に操り、海外(主に西洋)に滞在した経験があり、

日本及び東洋がいったいどういったものなのかを、世界に説いて回った。

いや、説かざるをえなかった。そういう時代だった。その土台があって今がある。

決して忘れてはならない。

二人に感謝。


(左) 鈴木大拙 (右) 岡倉天心

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鈴木 大拙 岩波書店 1997-04-16